院内にギャラリー開設…開かれた病棟へ、市民に開放
最初の展示は愛沢綾子さん
(房日新聞2008.4.8付)
地域に開かれた医療を目指す、館山市の医療法人博道会館山病院が、病院内にギャラリーを開設した。今年で117年目を迎える同病院が、地域の交流を目的に病棟の廊下を市民に開放した。記念すべき第1回の展示は、同市在住で自ら統合失調症で療養する愛沢綾子さん(23)。自画像や家族の肖像、花火などを水彩で描いた作品を展示している。愛沢さんは「この病気への偏見をなくしたい」と、病名と症状を書いたあいさつ文も展示。感想ノートも据えつけられ「殺風景な病院が明るくなった」「家族の見舞いに来て、絵を見て心を打たれた」などの感想がつづられている。地域に開かれた病棟が、療養者との二人三脚で、一層開かれた病院となっている。
ギャラリーは、病院南側の検診センターの先にある廊下。南側が窓となっており、その反対側のクロス張りの壁を活用している。ギャラリー開設は、館山病院とNPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(現・安房文化遺産フォーラム)「まちかどミニ博物館」との共催。開かれた病院と、まちかどミニ博物館の理念が一致した。
公開時間は、午前9時から午後4時半まで。一般市民や団体の作品などを無料で展示する。絵画のほか、写真、書などの平面作品を掲げるが、反対側の窓際で立体作品の展示も可能。
記念すべき最初の展示をしている愛沢さんは、日本女子大学心理学科に入学後、発症に気づき、精神科クリニックで統合失調症と診断された。館山の生家に戻り、現在は自宅療養中。幼いころに習った絵に取り組み、昨年3月に南房総市千倉町で初の個展を開いている。展示された絵は、フィンガーペイントの技法を用いたカラフルな水彩画など。素直でピュアな心で、ストレートに絵を表現している。
「悪いイメージがある病気ですが、100人に1人が発症するといわれる病気。少しでも偏見をなくしたい」と、絵の隣には病名と病状をつづったあいさつ文を掲げている。手すりに吊り下げられた感想ノートには「入院の主人を見舞いに来て、この絵を見て心を打たれた」「殺風景な病院が、ほっとするやさいい空間になった」などの感想が残されている。
館山病院の高野良裕院長は「すごく場所がいい。朝は横から光が差し込み、同じ絵でもはっとする瞬間がある。癒しの場となっている。スペースがあれば、病院内のほかの場所にもつくりたい」と話す。
愛沢さんの作品は5月7日まで展示。以降の展示希望者を募集している。連絡先は館山病院総務課(0470-22-1122)か、NPO法人(0470-22-8271)へ。
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※愛沢綾子さんのあいさつ文はこちら。
※2006年春の個展はこちら。
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●愛沢綾子さんは、2008年7月8日ご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。合掌
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私は統合失調症です。ひと昔前には精神分裂病と呼ばれていた病気で、もしかしたら負のイメージを持つ人がいるかもしれません。この病気は、脳の情報伝達系に不調が生じるためにおこる精神疾患で、100人に1人はいると言われています。本人に発病の自覚がないことが多いわかりにくい病気であるため、気がつかないで苦しんでいる人が身近にいるかもしれません。
この病気が発病したとき、私は東京に住み大学生活を送っていました。まちなかですれ違う人に悪口を言われているように感じたり、電話が盗聴されていたり監視されているのではないかと不安に感じるようになりました。はじめはただの気のせいで、人が自分のことを話しているように感じるのも自意識過剰なのだろうと思っていました。しかし毎日がつらく憂鬱なことにはかわりなく、いつも死にたい気持ちでいました。
私は心理学部の学生でしたので、精神疾患に関する本やインターネットで調べていくうちに、自分は病気かもしれないと思うようになりました。そして精神科のクリニックに行ったところ、統合失調症であると診断されました。その頃には日常の生活を送ることが困難になったため、大学は退学して生家のある館山に戻り、精神科病院に入院しました。
退院してからは、自宅療養を行う中で、幼いころに習っていた絵をまた描くようになりました。2006年3月に、千倉のカフェ・ド・ヴォンで最初の個展を行なったところ、自分の絵を気に入って購入して下さった方や、褒めて下さった方がいました。このことは私に大きな勇気をあたえ、生き方を変えてくれました。日々絵を描く中で、多くの方たちの優しさにふれて、段々と家族以外の人と接することができるようになり、病気も回復していっているように思います。
最後に私を見守り励まして下さった方々、またこの展覧会を見に来て下さった方に感謝します。もしよければ感想ノートにお書き下さい。これからの創作活動の励みにしたいと思います。
…2008年4月….愛沢綾子
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◎作者プロフィール:あいざわあやこ
1984年:館山市で生まれる
2003年:安房高校卒業。日本女子大学心理学科入学。
2004年:大学を中退し、館山に戻る。入院生活の後、自宅療養。
2006年3月:千倉カフェ・ド・ヴォンで初個展「こころもよう-自画像・抽象画・風景画-」
2008年4月:館山病院内ギャラリーで第2回目個展。自宅療養中。
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※房日新聞記事の詳細はこちら。
※2006年春の個展はこちら。
※2009年秋の回顧展はこちら。
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●愛沢綾子さんは、2008年7月8日逝去されました。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
【日時】2008年4月22日(火)13:30〜15:30
【会場】小高記念館
【講師】利渉義宣さん(NPO会員)
【テーマ】北下台と周辺のこと(東京水産大学の思い出)
先週は親切に解説いただきまして、誠にありがとうございました。
あの後、教えていただいた松沢書店で書籍を購入させていただきました。
大変貴重なことであると共に、すばらしい活動であると存じました。
また、道行く方々の親切さと優しさに、ふるさとの大切さを偲びました。
機会あってか、和光大学の平和学で赤山へ赴く会を主催しておりましたので
時間が合えばまた館山に参りたいと存じます。
私のふるさとは霞空・土空のある茨城です。育った町には鉾田飛行場がございましたが、
現在は手付かずで、ゴルフ場とごみに汚染され寂しいものです。
私になにか出来ることがあればと、日々思いますが、なかなかきっかけがございませんでした。
これもなにかのご縁ですので、お力になれることであれば、お手伝いさせて頂きたく存じます。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
◇昌子住江さま〜追浜こみゅに亭&ワイナリー◇
このたびの見学では本当にお世話になりました。追浜こみゅに亭&ワイナリーのメンバー全員の心からの感謝の意を伝えます。
愛沢先生の熱のこもったお話、池田様の何時もながら要所をおさえつつ、目配りの利いたご説明、みな圧倒されながら聞いたと申しております。我々の活動は始まったばかりだけれど、たくさんのヒントをいただいたので、追浜で何が出来るか、何をしていけば良いか、これから考えて早速行動に移そう、というようなことを話しながら、横須賀へ帰りました。最初はとても及ばないのではないかと思っていたが、お話を伺った後は何か元気をいただいたような気がするとの声もありました。私もそのように思いました。
さて、愛沢先生が高校を早期退職されたとおっしゃいましたが、実は私もこの3月31日に関東学院大学を選択定年制により退職し、地域まちづくり活動に重心を移すこととなります。愛沢先生が学校と両立しなくてと話された時はまさに同感でしたが、せっかく館山のことを聞きにいっているのに、こちらの身の上話をしては時間がもったいないと、お話ししなかった次第です。なにとぞご容赦ください。ただ、教育上の実績を拝見すると、私ももっとやるべきことがあったのでは、と恥ずかしい思いをしました。遅くなりましたが、御礼まで。
先日は大変お世話様になり、有難うございました。
戦争遺跡も歴史遺跡の一つと言われ、眼からウロコでした。「地域まるごとミュージアム」構想はすばらしいですね。一度にすべて理解は出来ていないかもしれませんが、目指す方向の確かさを感じ、大変参考になり、勉強になりました。私達も倉敷でがんばっていこうと語り合いました。皆様のご活躍をお祈りします。
「九条のひろば」通信より
3月22日、館山戦跡見学ツアーの参加者は総勢20名でした。ガイドを依頼した現地NPOの誠実な応対があり、新しく知ったこと、ショックを受けたことなど、参加者は「すばらしかった」と満足しました。
■玉川穎麿さん
房総館山戦跡の見学ツアーに参加し、有意義な時を過ごした。巨大な規模の地下要塞、赤山地下壕が太平洋戦争突入の直前に建設されていることからも、この戦争が如何に勝ち目のない無謀なものであったかが知られる。
社会から見捨てられた女性の保護施設「かにた婦人の村」を設立した深津文雄牧師は、寮生の一人から慰安婦体験を告白された。その悲惨な体験に涙した牧師は、施設内の小高い丘に「噫従軍慰安婦」と刻んだ石碑を建立した。この碑は戦争遺跡ではないが、戦争が如何に非人間的なものであるかを示している。私はこのツアーで、戦争を否定した憲法九条の意義を再認識した。
■蜷川・・さん
今回の見学会で一番印象に残りショックだったのは「かにた婦人の村」です。戦争は人間を狂気にさせ、弱い者に非人間的な仕打ちをするものだと痛感しました。そんな中でも、深津牧師のような存在があり、その遺志を継いだ娘さんや愛沢さんたちがいらしゃるのですね。厳粛に感動しました。
この見学会で得たものを「日本の青空」上映活動、世界九条会議、「幸町九条の会つくり準備活動」に生かしていきたい。
貴重な〝学びの場〟をありがとうございました。〝戦跡=過去を知る〟という単純な認識は取り払われ、〝世界への発信地〟という大きな希望と勇気を与えていただきました。愛沢先生をはじめ、皆さんのお力は大きいですね。
桜ふぶきが〝いざやいざや〟と招いてくれます。昨日は25名で宴を楽しみました。今朝、同じ講演に立ち寄りましたところ、ご近所の方から
「館山の戦跡へ行きたいがどう連絡をとったらよいか」
と尋ねられました。早朝、夫と散歩をするとき、「九条のひろば」通信を会員外の方に配布したので、もうご覧になったようでした。
9条世界会議も目前に迫りました。地元としましては、当日の案内役など引き受け、実行委員会も忙しくなっています。
機会ありましたら、またお目にかかりたいと思っています。
私は3月22日に千葉市から御地に見学に伺った20名のうちのひとりです。その節はいろいろとお世話になり、本当にありがとうございました。まことに充実した時間を過ごすことができました。
古くから遭難者の救助などを通して隣国との交流があったこともはじめて知り、感動いたしました。館山の皆様が、そうした歴史と戦争のことを伝えるために活動されているご様子に接して、胸の熱くなる思いでした。ぜひこれからもお元気で活動を続けられることを願っております。
いま、これを欠いている部屋の出窓に、いただいた花がいくつもきれいに咲いております。どうぞ皆様によろしくお伝えくださいます様お願い申し上げます。同封のものはわずかですが、活動に役立てていただければ幸いと存じます。
【参考】ブログ世の中ななめ読み