(読者のコーナー)
6月1日を前にして
….山口栄彦
…..(NPO法人安房文化遺産フォーラム会員)
館山海軍砲術学校が安房郡神戸村佐野(現館山市佐野)で開校されたのは1941(昭和16)年6月1日だった。富崎や神戸地区が心に深く刻まれているように、館山砲術学校(以下館砲)の残像がぬぐいきれない。そこで、開校記念日をまえに2、3触れてみたい。
安房地域特別支援学校のあたりに館砲の下士官とその家族用の住宅があり、「官舎」と呼ばれていた。敗戦後、官舎は地域住民に払い下げられた。やがて、土地の接収が始まったので夫が家を解体して今の場所に移った。その後部屋を一間増やし今も住んでいる。「古くて恥ずかしいです」と、Sさんはしきりに言う。恥ずかしいどころか、家は館砲にまつわる数少ない戦争遺跡の一つだ。
去る4月、1人の女性が南房総市の大房岬を訪ねた。神戸市に住む岡田啓子さん(64)だ。44(昭和19)年館砲で米国の西海岸上陸を目的とした海軍レンジャー部隊呉101特別陸戦隊、通称山岡部隊(約300人)が編成され、主に富浦地区で訓練を続けた。戦局の悪化で作戦はサイパン上陸に変更され、隊員だった啓子さんのご尊父は、特攻出撃をまえに遺書まで残したが、敗戦となり生きのびた。富浦で生まれた啓子さんは、自分の出生の地と若き日の父親の足跡を求めて来房した。「こんな場所での訓練は二度としてほしくない」と、啓子さんは大房の崖を見上げて呟いた。
館砲のA主計長は学生時代から絵を描くのが好きだったようだ。主計長からの
便りでがしばらく絶えたのを心配した父親は、44年の初夏、息子に面会するために山形市からはるばる館山にやって来た。主計長は部下(民間人)の不祥事の責任を取らされ、米軍の上陸が迫るニューギニアのビアク島に極秘に送られていた。後任のO主計長は前任者にかかわる真相は知っていたが、軍紀上それをA主計長の父親に明らかにできなかった。「あれは息子が描いた絵に違いありません」と、A主計長の父親は壁の絵を指した。A主計長はビアク島で戦死した。
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*房日新聞2009.5.13付
*岡田啓子さんの来房レポートはblog安房国再発見
婦人保護長期施設「かにた婦人の村」施設長
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千葉県館山市で4月29日、開かれた日本共産党演説会であいさつした、婦人保護長期施設「かにた婦人の村」施設長の天羽道子(あまはみちこ)さんの話を紹介します。
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あいさつの依頼を受け躊躇しましたが、社会福祉にたずさわる庶民の一人として、戦中を生きてきた者として、日ごろ、現在の社会にたいへん危惧を抱いておりました。ことに政治の流れが変わらなければならないと思っておりましたので、お断りすることなくお受けしました。
二つのことをお話したいと思います。
一つは平和のことです。戦争は絶対に放棄しなければなりません。憲法九条に定められていることですが、これがあやしくなってきています。どうしても声をあげていかなければならないと思っています。
お集まりのみなさまの中にも「かにた婦人の村」をご存じの方もおられると思いますが、国有地を払い下げていただいた施設の中に戦跡の地下壕があり、また、敷地内の丘の頂には日本軍「慰安婦」の碑が建てられたこともあり、平和を発信していかなければならないと思っています。
先の大戦で、日本は害を受けたこともありますが、他国へ害を加えもしました。被害と加害の両面を経験しました。今もなおその負の歴史を負い続けています。殊に日本の過ちのために、他国で苦しんでらっしゃる方々がおり、日本でも被害を受け苦しんでおられる方々もいます。その痛みを共有し、記憶していかなければならないと申し上げたいのです。
もう一点は、「品格」という言葉がはやっていますが、「国の品格」「国のありよう」はどうあらねばならないのか、ということです。今日の社会を見て、人間が見捨てられている、とくに弱い立場の人たちがモノのように扱われているという現状に痛みを感じています。
平和を大切にする国、人間を大切にし、自然も動物も草木も、すべての命を大切にする国として、世界に誇れる国になってもらいたい、と思います。
その国をつくるのは誰でしょうか。私たちが選ぶ政治をつかさどる人たちにゆだねる部分が多いでしょう。でもその人たちを選ぶのは、私たち一人ひとりです。世界に誇れる国になるように、みなさまといっしょに念願して、あいさつとさせていただきます。
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■かにた婦人の村
プロテスタント系社会福祉法人「ベテスダ奉仕女母の家」を母体として設立。知、情、意に何らかの障害をもち、長期保護が必要な女性を受け入れてきました。「かにた」とは施設近くに流れる谷川の名前。現在、70人の女性が職員とともに暮らし、農作業や陶芸、パン作りなどの作業をしています。
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(しんぶん赤旗 2009.5.9付)
【八犬伝のふるさと〜里見のまち館山】
館山市内のNPOは、それぞれ工夫して
八犬伝グッズを制作・販売しています。
2008年ゴールデンウィークから6月末まで、
八犬伝キャンペーンとして
館山市役所ロビーで展示しています。
NPOフォーラムからも出店しています。
その様子は、biog安房国再発見で紹介していますので、
お楽しみください。
知恵袋講座はNPO会員が講師となり、それぞれの専門分野や人生経験をご講話いただく茶話会です。
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【日時】2009年5月26日(火)13:30〜
【会場】小高記念館
【参加費】200円(資料・茶菓子代)
【講師】宇梶静江(アイヌ古布絵作家・鴨川市在住)
【テーマ】イランカラプテー〜アイヌに生まれて…
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〝アイヌ〟はアイヌ語で〝ひと〟を意味する。〝イランカラプテー〟は、〝あなたの心にそっと触れさせていただきます〟を意味し、ふつう、コンニチワという挨拶として使われている。
民族差別に苦しみ、1972(昭和47)年、「ウタリ(同胞)よ、手をつなごう」と朝日新聞に投稿、アイヌ人権運動の草分け。長男は暴走族総長から俳優となり活躍中の宇梶剛士氏。著書『すべてを明日の糧にいて〜今こそアイヌの知恵と勇気を』。吉川英治文化賞受賞。
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※下記PDFで、当日ご紹介したパワーポイント映像をお楽しみください。
(参加者21名)
今を去る300年前、正徳元(1711)年に安房の地で過酷な年貢を課せられた農民たちが命をかけ決起した一揆がありました。「万石騒動」と呼ばれるたたかいは、屋代家を改易させ農民側の勝利に終わったものの3名の名主が処刑されました。毎年、「三義民」の命日祭をおこなってきましたが、本年はその「300年祭」にあたります。
万石騒動安房三義民300年祭実行委員会では、現在広く皆様に賛助金を募り、300年祭の記念碑建立を計画しております。
この機会に、江戸時代の安房の人びとが命をかけて立ち上がった「万石騒動」を学ぶために、館山市の館野地区に残っている関係文化財を中心に、その痕跡を訪れてみませんか。
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【日時】2009年5月23日(日)10:00〜12:00
【受付】9:45館山市館野公民館前広場
【行程】館野公民館→国分寺(三義民供養塔・200回忌記念碑)→滝川用水路他→三義民刑場跡→館野公民館
【講師】岡田 晃司氏
(館山市教育委員会生涯学習課主任学芸員)
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【主催】万石騒動安房三義民300年祭実行委員会
【共催】館山市文化財保護協会/NPO法人安房文化遺産フォーラム
【問合先】0470-22-8271
・予告!第10回和島誠一賞に内定
・会員種別変更のお知らせと会費納入のお願い
・知恵袋講座
・神奈川県の戦跡をめぐる第2弾
・ウミホタル合唱団
・おすすめbooks『鬼が瀬物語』4部作
■詳細は、下段のPDFファイルをご参照ください。
山岡部隊(呉鎮守府第101特別陸戦隊)は、
1944(昭和44)年に館山砲術学校に集められた
選りすぐりのエリート猛者で編成された特殊部隊です。
潜水艦を使っての隠密任務だったため「S特」とも呼ばれ、
大房岬の100mの断崖絶壁を登る過酷な訓練をしていました。
2009年4月11日、山岡部隊の遺族が神戸市から来訪されました。
出撃之日に記した辞世の句など、拝見した資料は、
ブログに紹介していますので、ご参照ください。
※房日新聞2009.4.9付に掲載されました。
【観光スポットに人気高く】
館山市が、平和学習・観光交流の拠点として一般公開している
戦争遺跡の赤山地下壕 の平成20年度入壕実績がまとまった。
総入壕者数は1万5389人と前年度比8%のマイナスとなったが、
1日平均では50人弱と相変わらず高い人気を維持しており、
同市の観光スポットとして定着してきたようだ。
同地下壕は、米軍の空襲が激しくなった太平洋戦争末期、
当時の館山海軍航空隊の防空壕として使われた。
総延長1・6㌔と全国的にも大きな地下壕で、市を代表する戦争遺跡のひとつ。
一般公開翌年の平成17年1月には、市の指定史跡にも指定されている。
入壕状況によると、入壕者の内訳は個人客が8165人で全体の53.1%と半数を超え、
学習旅行などの高校生は18.9%にとどまり、大人が81.1%を占め、
戦前・戦中世代の人たちに関心が高い。
県外からの来訪者も8,345人で54.2%と過半数を数える。
月別では、10月が1,675人と最も多く、次いで8月の1,652人、5月の1,597人、
11月の1,589人の順で続き、10月の1日平均入壕者は57.8人にのぼった。
同市は現在、戦争遺跡への修学・学習旅行 の誘致に力を入れているが、
市教委では大人を対象としたPR活動に一段と力を入れ、
歴史遺産を後世に伝えていきたいとしている。
◎赤山地下壕、総入壕者は1万5389人
…観光スポットに人気高く
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館山市が、平和学習・観光交流の拠点として一般公開している戦争遺跡の赤山地下壕の平成20年度入壕者数がまとまった。総入壕者数は1万5389人と前年度比8%のマイナスとなったが、1日平均では50人弱と相変わらず高い人気を維持しており、同市の観光スポットとして定着してきたようだ。
同地下壕は、米軍の空襲がはげしくなった太平洋戦争末期、当時の館山海軍航空隊の防空壕として使われた。総延長1.6キロと全国的にも大きな地下壕で、市を代表する戦争遺跡のひとつ。一般公開翌年の平成17年1月には、市の指定史跡にも指定されている。
入壕状況によると、入壕者の内訳は個人客が8165人で全体の53.11%と半数を超え、学習旅行などの高校生は18.9%にとどまり、大人が81.1%を占め、戦前・戦中世代の人たちに関心が高い。県外からの来訪者も8345人で54.2%と過半数を数える。月別では、10月が1675人と最も多く、次いで8月の1652人、5月の1597人、11月の1589人の順で続き、10月の1日平均入壕者は57.8人にのぼった。
同市は現在、戦争遺跡への修学・学習旅行の誘致に力を入れているが、市教委では大人を対象としたPR活動に一段と力を入れ、歴史遺産を後世に伝えていきたいとしている。
●戦争遺跡、住民の力で後世に
…千葉・館山、志位委員長が視察
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日本共産党の志位和夫委員長は29日、千葉県館山市での演説会に先立って、同市内にある旧海軍の軍事施設「赤山地下壕」を、NPO法人安房文化遺産フォーラム代表の愛沢伸雄さんの案内で視察しました。
房総半島の先端に位置する南房総・安房地域は、古代から支配権力の戦略拠点とされました。第二次世界大戦では、東京湾の入り口にあって首都・東京を守る軍事上の大きな役割を担い、数多くの戦争遺跡が残っています。
赤山地下壕は、海上自衛隊館山基地のすぐ南側に位置する通称「赤山」と呼ばれる小高い山に掘られたもの。総延長は二キロメートルにも及びます。防空砲台群の戦闘指揮所や野戦病院などがあったとみられ、全国的にも珍しい航空要塞機能をもった地下壕です。
こうした説明を受けながら、志位氏は懐中電灯で照らしながら、真剣に戦跡を見て回ります。戦後、キノコ研究家が住んでいた形跡も見られました。
視察を終えた志位氏は「このような戦争遺跡を住民の力で後世に残してゆく努力は大切なことです」と、愛沢さんに語りかけ、「素晴らしい自然のあるところに戦争の拠点をつくるなどとは、本当におろかしいことですね」と話しました。
視察には、はたの君枝、加藤英雄両衆院南関東比例予定候補も同行しました。
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