お知らせ

窪島誠一郎氏講演会の感想文を掲載しました。

2009年7月10日(金) 、千葉県南総文化ホールにて無言館館主・窪島誠一郎氏の講演会を開催しました。300人収容の会場は来訪者であふれ、急遽楽屋に用意したモニターでご清聴いただいた皆様には大変ご迷惑をおかけしましたが、多くの感想が寄せられ、主催者として感激しています。感想文の現物はすべて窪島氏にお届けしました。感動的な感想が多くありましたので、多くの方にも読んで頂きたいと思い、このようにまとめました。記名のものも多くありましたが、掲載にあたりすべて無記名といたしました。【実行委員会】

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【1】「信濃デッサン館」に寄ったときは、戦没画学生の絵を集めていると言うニュースを聞いていたが、確か「無言館」と命名されていなかった? その後、「無言館」を訪れる機会を逸していた後悔よりも、本日のお話で、「今までいかに生きて来たのか?」そして「これからいかに生きるのか!」と問うことの出来た、良い一日でした。ありがとうございました。

【2】お忙しい中、お話を伺えて、本当に感謝致します。 「無言館」での事、又、想い出しております。先生より年をとっておりますが、せめて、身のまわりの子供たち、孫たちに伝えたいと思っておりますが、中々むつかしいものですね。何とか、又努力していこうと、今日、思いました。どうぞ、お身体をお大切に。お疲れの様に思われます。ありがとうございました。

【3】窪島氏の講演は、素晴らしい。文学者、芸術家、そしてストーリーテラー、三者の資質を全て備えていて、流れるごとく、すいつける如く、ひきつけていく。言葉にもむだがなく、完璧さを感じた。本人のこれまでの実人生に裏付けられた強い個性が溢れていた。満足した講演だった。

【4】結婚してから25年になりますが、東京の出身です。横浜の美大で絵画(洋画)を学びました。戦後生まれですけれど、父母は戦争体験者(と言うよりは父は戦争そのものには行っておりません)です。私が戦争中画学生であったとしたら、と考えたらたまらなくなります。まだ無言館にうかがったことはないのですが、お話をうかがって、是非とも上田まで行ってみたい。絵と向い合って対話したい。

【5】いつか、考えた、感じた、デッサン館、無言館を訪れようと思います。有難うございました。

【6】せつせつと訴えるような語り口に、心より感動しました。ありがとうございました。

【7】無言館には2度行きました。キッカケは東京駅ステーションギャラリーで出会いました。その時初めて知りました、戦没画学生のことを…。今度は是非信濃デッサン館に行きます。我が家は5年間夏山(北アルプス)を二家族で体験しました。長野は大好きな場所です。今日心に残った言葉があります。「授かった与えられた仕事」。又明日から頑張れそうです。そして私も同感なのは、「決して無言館は反戦平和とかいう言葉では無い」ということです。お話を伺えて本当に良かったです。お元気にお過ごし下さい!

【8】感動の講演会でした。ありがとうございました。いのち。生きざま……心に響きました。ご健康とともに、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。人と人との出会い(出逢い)、感動の物語をありがとうございました。安房高(美術部)船田正廣先生(恩師)の立派さにも感動でした。感謝です。

【9】今日お話し下さった内容は、窪島さんの著書の中で読んだと思います。無言館へ行く前に何冊かの本も読ませていただきました。どんな方かな?と胸をドキドキさせて会場にまいりました。たんたんと話される窪島さん。愛する者に向ける素直な心、一生懸命生きることの尊さ、等々。感動の気持ちを他者に伝えて行くことの大切さ。涙があふれました。ありがとうございました。

【10】話に嘘がないので、聞いていて涙がにじみました。「月光」の話は知っていました。また涙が出ました。今まで、自分のスケッチブックやピアノを持っていたということに意識がありませんでしたが、大切に、自分のキャンバスに絵をかいたりピアノをひいたりしたいと思いました。

【11】こんなに真剣に集中して聞いた講演ははじめてかもしれません。無言館は1回だけ、静かに、うす暗い館内で、小さな絵と向き合う時間を持ちました。何冊かの本も読み、一つ一つの絵、描き残した若き画家のおもかげ、残された遺族の重たい気持、野見山さん、窪島さんの向き合う心、様々に感動させられました。又、一日も早く無言館へ、もう一つ出来た別館へ行きたいと思います。前山寺、独鈷山、別所温泉、山本鼎記念館、信州の山に、又会いたい。「無言館」という仕事、同様な仕事はまだまだあるような気もします。この安房の地でも、窪島さんの気持を受けとめ、忘れないようにしたい。

【12】たくさんのことをゆったりきけて、とても嬉しい気持です。「嬉しい」というのは、ちょっとあてはまらないのですが、言葉が思いつきません。すみません。心から感謝します。私も1941年生まれで、大そうな方がおられるなあというような気持もしました。デッサン館でコーヒーを飲んだのでした。

【13】先生の講演は最初から最後まで感激の連続です。兄を23歳でルソン島で失いました。陸士56期、大尉でした。戦死者の家族の思いは皆同じです。入場券の手配にお世話になりました。立派な催しに感謝します。

【14】心に残る感動的なお話、とても感銘深く拝聴しました。お上手に心に響き、何とすばらしいお話、まごころで伝える、人間生きて、自分の心にあるまごころを他者へ伝える大切なことを知りました。しみじみと心に響く、豊かな心にさせて頂けるお話、シーンと皆聴き入った聴衆。こんなこと、この地ではじめて。私は窪島さんのお話に出てくる東京の明大前とか(私は新橋生まれ、育ち)戦前戦後の東京の風景はみんな心に 残っています。びんびんひびいて心にしみるお話、すばらしかった。ありがとうございました。私も窪島さんの何分の一かの感動を覚えたら、心が動いたら、人に伝えたい。あたたかい心を伝えたい。「月光の夏」の特攻隊のベートーヴェンの「月光」、映画を感動的に見ました。窪島さんのお話は絵を見るよう、映画を見るように、静かに語られるおことばがやさしく胸を打ちました。

【15】窪島先生、本日はありがとうございました。私は平成11年7月に横浜で無言館の事を知りました。戦場から妻への絵手紙展を見に行った時です。前田美千雄さんのことを語られていました。まだ無言館へは行ってませんが、一度伺いたいと思っています。私の人生、見なおしたいと思います。視野が広がりました。

【16】人の心の奥底にあるものを掘り出し掘り出すようにしての話が、これ程素直に心に入ってくるのか「無言館」をこの日本に、長野に造り上げた人の言葉をしみじみ聴きました。人の言葉のもつ力を大切にされた話と思いました。だからこそ「無言館」が建てられ、失ってはならない人の想いが残り、伝わり、命の大切さを無言のまま残し続けてくれるのだと……。まだ見ていない無言館へ、死ぬ前に参りましょう。77歳、間に合わすつもりです。

【17】一期一会。「愛を育む心」。心に残る時を過せ、ありがとうございました。

【18】①記憶力抜群でした。②人生一回、先生は思いを貫いたすばらしい生き方をされていると思う。③おしゃべりの流れが一貫し、分かりやすかった。今後のご健勝をご祈念申し上げます。

【19】溝口七生先生に絵の心を教えていただいている者です。真心を届ける絵、同じ教えを感じました。是非、デッサン館をたずねてみたいです。今日は、有難うございました。

【20】涙が出てきました。感動をありがとうございます。

【21】塩田平を望むデッサン館をたずねたのは十数年前、その時に受けた感動を再度、ありがとうございました。知人から無言館の事について便りがあった折りも折り、この様な催し物があり、心躍らせて拝聴致しました。出来ればもう一度、浅間連山を遠く眺めながらの無言館へ訪れたいと思います。

【22】一度、皆さんで上田へ行くツアーでも企画したらどうでしょうか? 一度、母と共に無言館を訪ねた時、絵を見て、強い衝撃を受けた事を昨日の事のように覚えています。お話もいいですが、是非皆さん揃って行きましょう! もし調子がよければもう一度行きたいと思います。一緒に来た友人が「別所温泉と組んでやったらどうか」と言っています。いい案と思います。

【23】ただただ感動しました。無言館は二度行きました。デッサン館へも行きたいと思います。

【24】窪島先生の真実一路の人生を、熱意をお伺い致し、感動致しました。

【25】まるで小説を読んでいるような、映画を観ているような1時間半の講演でした。無言館をつくるいきさつなどはドキュメンタリー映画にしたいくらいです。いい話を聞いて。気持が豊かになりました。ありがとうございました。

【26】6年前、何も知らないまま「無言館」に行きました。松代の大本営跡とセットの平和友好の旅は退職後の私に大きなショックを与えてくれました。その時、窪島誠一郎という人は何者なのだ?と知りたく思いました。館山の戦跡をたどるチャンスも多く、話を聞く機会も多くあり、戦後50年を経て、語られ始めたことから、戦後生まれの私には初めて聞くこと、初めて知ることばかりでした。その後、普通の観光旅行で再び「無言館」を訪れましたが、時間が短く残念でしたが、感動は一回目と変わりま せん。その頃、新聞で窪島誠一郎さんと無言館、水上氏との関係など特集され、少し知りました。今回、房日で見た時、是非話を聞きたいと、今夜並んで券を手に入れることができました。本を書く人だけに、そのまま本にできそうな内容のお話で、充実した時間をありがとうございました。同じ時代を生きてきた者にとって、共感でき、話がスッと素直に聞けました。そして、大きな仕事を成し遂げてこられた先生は、やはり只者ではない。心より敬意を表します(素晴らしい人生を送ってこられた先生に!)。

【27】6月の末に、無言館に行って参りました。予想とは裏腹に、戦没画家の無念など感じさせない、若い画家たちの前途洋々たるみずみずしい作品ばかりで、正直おどろきました。そして彼らの中には、生きて描き続けていたらきっと巨匠になっていたろうという画家もおりました。今日の窪島さんのお話を伺い、なるほど、あの館は、そんなドラマがあったのかと、思いがめぐりました。私自身も画家として、あと、10年20年と、出来ることを続けてゆきたいと思います。技術ではなく、想いを込めて。また、信濃デッサン館へもたずねてみたいと思います。

【28】素朴で素直な窪島さんのお話に涙が止まりませんでした。無言館に行きます。行って、今日の感動を確かめたいと思います。

【29】愛あふれる地球が実現しますように! 一人一人の心が平和で満たされますように! ありがとうございます。

【30】講演の一語一語が詩を紡ぐように受け取られた。他人が価値があると思うことをする人とは、このように謙虚な のかと感じ入りました。来し方行く末をもっと考えたいと思います。

【31】心に残るお話をありがとうございました。美術館めぐりをしたくなりました。感動しました。

【32】言葉では書ききれない素敵な感動をいただきました。「平凡なひとりひとりが、どう思って生きていけばよいか」……という話、先生の経験にもとづいて、とても印象に残りました。明日から、いえ今からの人生の大きな節目になる講演に感謝申し上げます。

【33】窪島先生のお話は、十分心に届きました。私も心して日々を過ごしたいとおもいます。健康第一に、お元気でお過ごしください。

【34】これからどう生きるか、問うている。自分しか歌えない歌。自分しか弾けない曲。自分しか描けない絵。授かった仕事なんだなあ。

【35】今日きて、とても良かったです。「反戦のみでない」本当にそう思います。「知覧の特攻基地」2度行きました。今度是非、長野へも、東京国立近代美術館へも行きたいと思います。

【36】時間を忘れる程、お話に引き込まれました。「人に真心を届けたい」という素晴らしいお言葉を私のこれからの指標として生きていきたいと思います。いつか、上田の地にもお邪魔させて頂きたいと思います。ありがとうございました。

【37】淡々とした話の中に窪島氏の言わんとすることが、しっかり位置づけられ、本当に良い講演会でした。これを企画された皆さんの尽力に頭が下がります。余分なことながら、前段挨拶等、力が入り過ぎ、長過ぎ。講師の人柄に合わせた進行等の配慮も必要。

【38】小学校の4年から高校3年(1961年)まで代田橋で暮らしました。明大前は自転車で走り回った遊び場でした。 「無言館の絵は、戦争を告発しているだけではなく、この60年の私たちの生き方を問うている」というお話を、甲州街道の風景とともに思いかえして、心にとどめました。 一度無言館にはうかがっていますが、また一度訪問したいと思います。

【39】私も兄が21歳で戦死しました。S20年8月16日、終戦も知らず中国で頭を打ち抜かれていたとのことです。私は生まれたばかり、顔も分かりません。もし兄が絵を残していてくれて、無言館に会いにいけるならどんなに良いかと、お話を聞きながら思いました。この60年の命の重さも、しっかりと受けとめたいと思います。私達がこれから命の大切さを。ありがとうございました。

【40】窪島先生の話を伺い、先生と同学年だということがわかりました(S17.2.16.生)。私も断片的ながら戦時中の 記憶を沢山持っています。その貴重な記憶が虫に食われぬよう白日のもとに時々虫干しし、思想に変えようとしてきました。そして、炭鉱のカナリヤのような役割が少しでも出来たらと思ってます。私の母は小学校しか出ておりませんし、次男であった父は家を出て他県で働いたようですが、尊敬する人はと問われたら、父と母と答えられる自分が幸せだと思っています。

【41】反戦平和と言う単なるメッセージでなく、戦後60年の今日の我々の心がまえを訴えているのではないかとのお話に意味深いものを感じました。画学生の気持ち、ピアニスト二人のお話も感銘うけました。窪島先生の淡々とした話しぶりの中に野見山画伯との気持ちも伺い知れました。世の中の目に見えない縁というものも不思議に思えました。開催して頂きました関係者に感謝致します。ありがとうございました。無言館を訪ねましたが、このお話を聞くまで、薄っぺらな感じしかもっていませんでした。

【42】今年の6月末無言館を訪ねました。7月10日に窪島さんの講演会があると聞いたからです。梅雨の晴れ間の無言館は青空の中に建っており、入り口がどこかわからず、デッサン館同様建物の周りをぐるりと一周しました。友人はため息をつきながら、一枚一枚の絵をみていましたが、私は亡くなった若い画学生が将来を見ながら絵を描いていたのではないかと、むしろ希望を感じた程でした。が、しかし、村山槐多さんの絵は想い出せないのです。たぶん、二度は来ないだろうと思った無言館ですが、この方の絵を観に、又、伺うだろうと想います。喫茶のピザ、コーヒー美味でした。童話も楽しかったです。ありがとうございました。

【43】今夜はすばらしい時間をありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。 「歌は語れ、話は歌え」と云う文字を見たことがあります。しかし、詩うが如きお話に初めて出会いました。数時間経た今も、興奮覚めやらず、余韻が全身を満たしております。何と感動的な講演だったのでしょう。よどみなく詩い続けた一時間半、身も心も吸い込まれる様な時間でした。何と表現していいか分からない程です。 声のトーンも耳に心地良く、丁度良い音楽を聴いた後の余韻と全く同じ波長です。とかく言葉は口先だけと思われがちですが、窪島氏の様な心に沁みる深さ・重さを感ずる語りに出会えた事の幸 運を大変嬉しく、心より感謝しています。私もお話の依頼を受けることがございまして、口下手なのでいつも切ない想いをしております。今日は、そういう意味でも勉強になりました。とは申しましても、氏とはスケールも人生体験も全く比ぶべくもありませんが、及ばずとも、良いお手本にと思っております。今日の無言館からのメッセージは、氏の魂からの叫びであり、そこにこめられた、かけがえのない尊い命への讃 歌と言うか祈りと言うか、すべては愛から生まれるものとした、思想や宗教を超えた、崇高なステージを感じました。心を打ったのは氏の人柄だと行き着きましたが、改めて「人間を磨けば、芸は後からついてくる」……そう教えられ、弟子にも言っている言葉ですが、その真の意味を、今日理解出来た様に思います。出来れば、もう一度、窪島氏にお願いして、お父様(故、水上勉氏)への思いを是非お伺いしたいと思います。この度は、素晴しい企画をして頂き、本当にありがとうございました。

【44】とても良い講演でした。もっと多くの人達、特に「若い人達」に聞かせたいと思いました。

【45】「無言館」を最初に訪れたのは、平成10年の春でした。こんな所に何故どうして無言館はあるのかと不思議に思いました。 無言館に一歩入ってみれば、普通の美術館とのあまりの違いに、又々びっくりいたしました。暗さになれてきて 『静子像』と目があった時の感動は、ずっと忘れられません。2時間くらい館内をめぐり、1枚1枚の絵と向き合いました。絵ごころのない私が、絵に魅せられた、思い掛けない、今までになかった体験をしました。 「無言館」への感動を暖めながら十年余が過ぎて今日、窪島先生のお話を聞くことができました。何故どうしての最初の疑問が解けました。ありがとうございました。

【46】ありがとうございました。私も昭和16年11月に生まれました。先生より4日はやく生まれました。 戦前、父も母もお話のあった牡丹江に住んでいたそうです。戦争が始まる前に、父は母を実家の熊本にかえしました。もし、私が満州で生まれ育っていたら、残留孤児になっていたかもしれません。戦後、父は満州に残されていましたが、無事帰ってきました。私も今は二人の子供にめぐまれ、孫も二人、野菜を作ったり、ボランティアをしたりしてすごしております。これもみな、先生のお話にあった人々の犠牲のもとにあったとあらためて考えました。同年の先生が日本国中をとびまわって戦争の愚かさを訴えていらっしゃる。私達も今、戦争体験を若い人達や子供達に残すために、紙芝居作りをしたり、それを持って紙芝居をみてもらう 活動をしたりしています。どうぞ先生も体に気をつけて、デッサン館や無言館を守っていって下さい。

【47】期待して参りましたが、それ以上の濃い内容でした。無言館にぜひ行ってみたい念しきり。館山へ窪島さんを呼んでくださった実行委員会のみなさまへ、感謝しています。

【48】数年前、戦跡めぐりのコースとして長野松代、足をのばして無言館へ。そして昨年、再び無言館を訪れた。何故かしら、小高い山の上の飾らない無言館、一枚一枚の絵の中に、そして一筆一筆と描きあげた作品をみる。今日、その館長、窪島様講演、全身から語りかけ、時には涙と汗、あらためて感動をおぼえる。この夏、第二展示場「傷ついた画布のドーム」を訪れる予定。–どんな感動、ドラマがあるか–

【49】人生は出会いと別れ、感動だと思いました。人は誰かに支えられ、生かされているんですね。愛なんですね。

【50】講演会の記事を朝日新聞で見てからは落ちつかぬ日々であった。館山に行きたいし遠いし。当日、片道100キロを千葉市の西のはずれから車で駆けつけたが、やはり期待にたがわぬ良い話であった。無言館は約10年前位か東京駅のステーションギャラリーで作品を見たのが最初、次に4〜5年前、長野上田近くの別所温泉へ泊り、丘の上のミュージアムに出かけ、ゆっくりと作品を見せていただいた。何度見ても雷に打たれた様な感覚で涙が止まりませんでした。確かその時は興梠武さんの姉上の絵は貸出され展示されていなかった様に記憶している。 私は仕事で長野市に4年間(S56〜59年)住まい、上田市へも仕事で出かけておりました。絵にも興味があったことから確か上田信用金庫の理事長より近くの画廊を紹介され、そこで水上勉さんの描かれた日本画(メザシ)を入手したこともありました。本当に不思議な気がします。私の郷里は岡山ですが、館長と同じ68歳、長野は第二の郷里と感じており、すばらしい自然を求めて、上高地・志賀・白馬・八ヶ岳、白駒池等は、絵に写真にと、たびたび出かけています。平和な現在、来し方を想い、次の世代へ確かなメッセージを発して頑張っておられる館長のご健康とご活躍を願い筆をおきます。本当にありがとうございました。

090708中森康友さま(ジャーナリスト)

このたびの赤山壕のご案内、ありがとうございます。

充実した小冊子と池田さんの明解な解説で、奥行きの深い戦争遺産の

存在が脳裏に焼き付けられました。

地方紙配信のコラムで、ぜひ取り上げたく思います。

益々のご発展とご健勝をお祈りし、ひとこと御礼を申し上げます。

私のミニ・ブログ≪なかもりトピックス≫を送りますので、

目を通して見てください。ご意見頂けたらうれしいですね。

スナップ写真、添付しました。

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日本旅行作家協会会員

テレビ・ラジオ・レジャー記者会

美ら島沖縄大使 薩摩大使(鹿児島県)

(前スポーツニッポン新聞社編集委員)

【東京】090705=平和を考える集い・無言館館主の講演会

鋸南町在住の画家溝口七生(かずお)さん(73)や美術家グループ「安房・平和のための美術展」有志らが組織した実行委員会は「戦没画学生たちが いまに遺す いのちの叫び」をテーマに、窪島誠一郎・無言館館主の講演会などを10日、館山市の県南総文化ホールで開催する。

無言館(長野県上田市)は、戦没した画学生の遺作などを展示する美術館。第二次世界大戦に出征し、亡くなるまで命を輝かせ、キャンバスに向かい続けた画学生たちの無言の作品300点余りを展示している。

館山市には戦時中、首都防衛のため館山海軍航空隊や砲術学校が置かれていた。実行委員会は「軍都」とも呼ばれた同市で、平和に生きることの大切さを考えてもらおうと講演会などを計画した。

窪島館主は東京都出身で、印刷工や店員などを経て作家になった。1995年、戦争で美術学校の仲間を失った画家野見山暁治さんとともに全国の戦没画学生の遺族を訪ねて遺作を譲り受け、97年に無言館を設立。著書には実父の作家水上勉さんとの再会をつづった「父への手紙」(筑摩書房)などがある。

演題は「無言館からのメッセージ」で、10日午後5時半に開演。チケット(500円)は南総文化ホールで販売している。 (福原康哲)

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東京新聞サイトはこちら。

【房日】090703*反核フェスティバル

◎平和の尊さ語り継ごう
…館山11日に反核フェスティバル

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核兵器の開発・拡散に反対し、平和の大切さを考える「安房反核フェスティバル」(同実行委員など主催、館山市、房日新聞社など後援)が11日午前10時から午後5時まで、館山市コミュニティセンターで開かれる。

行事の一環として、原爆の非人道性と被害の悲惨さを分かりやすく説明した写真パネル展示が1日かた館山駅の市民ギャラリーで始まった。14日まで。

同フェスティバルは、今年で29回目。11日は広島市民が原爆の記憶を描いた絵などを展示するほか、戦中戦後の厳しい食糧事情を再現した「すいとん食堂」で、さつまいものつるのきんぴら、大根めしなどを食べてもらう。

午後2時からは、安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表が「安房の戦跡から平和を考える」とのテーマで講演する。

実行委員長の古畑玲子さんは「今年は『すいとん食道』に力を入れている。食べながら語り合うことで、当たり前の生活ができる幸せ、戦争のない世の中の大切さを確認できれば」と話している。

【千葉】090702*功績認められ和島誠一賞

◎館山の戦跡、史跡の保存活用を評価
…功績認められ和島誠一賞
…NPO安房文化遺産フォーラム

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館山市で戦争遺跡や戦国大名・里見氏の城跡などの保存、活用運動に取り組んでいるNPO安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が、文化財保存の功績をたたえる第10回和島誠一賞に選ばれた。

同賞は文化財保存運動の先駆者、故和島誠一岡山大教授を記念した賞で、毎年遺史跡の保存で顕著な個人と団体に贈られる。

同フォーラム代表の愛沢さん(57)は1989年、当時県立安房南高校の世界史の教師だったころから、館山市内の旧海軍の地下壕(ごう)跡の調査を始めた。「戦跡は暗くて、南房総の花のイメージにそぐわない」と風当たりの強い中、地域に実存する戦跡の歴史的価値を粘り強く訴え、それまでごみ捨て場やキノコ園と化していた壕跡は2004年には「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」として整備、一般公開され市指定の史跡となった。

また、1996年には戦国時代初期に里見氏の拠点となっていた稲村城跡に市道が通ることを知り、「保存する会」を設立。1万人を超える署名を集め、条例を覆して同城跡の保存を勝ち取った。現在は史跡として国の指定を得る調査が続いている。

こうした保存運動に加えて、戦跡・史跡を地域資源としてとらえ、ガイドツアーや散策コースに組み込んで利活用する活動が評価された。愛沢さんは「残すだけでなく、町づくりに取り込んで地域を語り、誇れるものでありたい。戦跡から悪いイメージでなく、時代の局面、人の生き方を感じてほしい」と話す。

受賞に愛沢さんは「草の根活動が行政を動かしてきた。一緒に活動しながら途中で亡くなられた方々の思いを束ねたい」と振り返った。

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千葉日報サイトはこちら。

【22】090728豊崎栄吉さん*布良の船大工とまちづくり

【日時】2009年7月28日(火)

【講師】豊崎栄吉氏

【テーマ】布良の船大工とまちづくり

【参加費】200円(資料・茶菓子代)

【会場】小高記念館

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布良の船大工舩吉」、四代目棟梁。祖父が小説『鬼が瀬物語』シリーズ(岡崎ひでたか著・くもん出版)のモデルとなっている。富崎地区コミュニティの重鎮であり、青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会の立ち上げに尽力してきた。若かりし頃の舩吉の棟梁が出演したNHK『小さな旅』と、青木繁の孫・石橋エータロー氏が生前、富崎地区を訪れたビデオを鑑賞。

【房日】090630*「無言館」館主が講演会

◎旧軍都で語る「いのち」
…7月10日文化ホール「無言館」館主が講演会

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生を断ち切られるまでキャンパスに向かい続けた戦没画学生たちの作品を収蔵・展示する長野県上田市にある美術館「無言館」の窪島誠一郎館主を迎えての後援会が7月10日、館山市の県南総文化ホール小ホールで開催される。かつて軍都であった館山の地で、画学生たちがいまに残すいのちの叫びを窪島誠一郎館主が語る。入場500円で午後6時から。

無言館は、信濃デッサン館を主催する窪島さんが、戦時中に東京美術学校を繰り上げ卒業して満州に出征し、病のために復員した画家の野見山暁治さんと全国行脚して当時の画学生たちの遺作を収集。全国から寄せられた篤志をもとに平成9年、デッサン館に隣接して開館した。以来、異色の美術館として脚光を浴び、年間10万人を超える入館者を集めている。

講演会は、同館を訪ねた地元の画家・溝口七生さんや、溝口さんと一緒になって平和のための美術展を開いてきた年金者組合安房支部長の橋本芳久さん、地域の戦争遺跡保存に取り組むNPO代表の愛沢伸雄さんらが、「その感動を伝えたい」と実行委員会を組織して企画。地域の文化人やあらゆる団体に呼びかけ、多忙な窪島館長との日程調整を経て実現にこぎつけた。

館山市には戦時中、館山海軍航空隊のほか洲崎海軍航空隊、館山海軍砲術学校の3部隊があり、学徒出陣で多くの予備学生も集められた。当然、少なからずの画学生たちもおり、現に何人かの作品が無言館に展示されている。

「その館山の地で平和にいまを生きる私たちはどう受け止めるべきか考えてみたい。それが、彼らへ捧げるレクイエム(鎮魂歌)になるのではないでしょうか」と実行委は多くの来場を呼びかけている。入場チケットは南総文化ホールで扱っている。問い合わせは、事務局の橋本さん(0470—29—1290)へ。

【写真説明】無言館の窪島誠一郎館主

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来場者の感想はこちら

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房日サイトはこちら。

NPOだより№28〜2009.6.29

・和島誠一賞受賞〜文化財保護の功績を評価

・受賞挨拶=代表:愛沢伸雄

・韓国ソウルと鳥取倉吉で講演会

・小高記念館で知恵袋講座

・無言館・窪島誠一郎氏講演会

・安房反核フェスティバル

・船田正廣:古希記念展

・第5回安房・平和のための美術展

・アメリカ占領軍の館山上陸シーン映写会

・愛沢綾子回顧展

・ウミホタル合唱団安房

・ツアーガイドのスケジュール

・国交省「新たな公」モデル事業採択

 

■詳細は下段のPDFファイルをご参照ください。

090627新婦人の会松戸支部*徳田セツ子さま

赤山地下壕、龍のレリーフのある地下壕とも、戦争のためにつくられたものが、地域の人たちによって掘り起こされていることに、大きな力と尊敬の念を感じています。

それは過去ではなく、今も又計画的に着々と進む軍拡が、九条の撤廃を許したら一気に進もうとしている現実をも見せられているように感じました。

そして、すばらしい歴史と文化を学ぶことが出来、青木繁「海の幸」、中村彝「海辺の村(白壁の家)」にも会えて(?)、心豊かな時間を過ごさせていただきました。

本当にありがとうございました。