メディア報道

【房日】070711*『赤い鯨と白い蛇』①伊東万里子

『赤い鯨と白い蛇』映画上映にあたり

上映委員会委員長 伊東万里子

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東京大空襲で母と弟たちを亡くした私が、父の故郷・館山で暮らすようになったのは、日本が戦争に勝つと信じてやまなかった昭和20年4月のことでした。東京の女学校から旧制安房高等女学校に転校し、安房第二高等学校(現在の安房南高校)を卒業するまでの6年間、私は館山ですごしました。戦禍に傷ついた私の心を温かく励ましてくれたのは、館山の自然と諸先生や多くの友人でした。あれから62年たった今もなお、母なる館山・安房の地は私の心の支えです。

そんな私の想いを代弁してくださるかのように、安房南高校の先輩であるせんぼんよしこさんが、館山を舞台に素晴らしい映画をお創りになりました。『赤い鯨と白い蛇』という不思議なタイトルで、賀川京子さん、樹木希林さん、浅田美代子さんたち女性ばかりが出演しています。せんぼんさんの体験を重ね、主人公(香川さん)が少女時代の疎開先館山を訪ねるという設定です。「赤い鯨」は館山沖で訓練していた特殊潜航艇を意味し、「白い蛇」は家の守り神を象徴しています。女性の眼から見た戦争と平和、現代人の抱える問題テーマに、語り継ぐことの大切さや生命の尊さ、そして美しい愛を描いた作品です。

せんぼんさんが78歳で映画監督デビューしたと伺い、私は封切り初日に岩波ホールへ足を運びました。世代の異なる5人の女性とラストシーンの赤ちゃんが織り成す物語は、まるで絵巻のように見えました。まさに、せんぼんさんが日本テレビのディレクター時代に手がけた看板番組「愛の劇場」シリーズの集大成とも言える作品だと思いました。すべての世代に通じるメッセージは、せんぼんさんでなければ描けない、しかも美しい館山だからこそ描けた作品です。せんぼんさんがふるさと館山に熱い想いを贈ってくださった宝ものに思えて、とても感動しました。シネマ夢倶楽部ベストシネマ賞、日本映画批評家大賞、藤本賞など多数を受賞し、モントリオール国際映画祭にも出品され、高い評価で世界に受け入れられていることは大変な偉業です。

私たちの女学生時代、戦争について本当のことは知らされていませんでした。安房で本土決戦が想定され軍備強化されていたことや、私たちが「ひめゆり部隊」に匹敵する役割を担わされていたかもしれなかったことなど、私も最近になって知りました。封印されてしまった過去の出来事をきちんと見つめなおし、次世代を担う子どもたちに何を手渡さなければならないか、それを問うのがこの映画の主題です。しかも、由緒ある安房南高校が創立100年を迎え、さらに統廃合によってその名が消えゆく最後の年に誕生した記念碑的作品です。「誠の徳を磨けよ」と建てられた母校です。そこで学んだ卒業生の手によって、このような素晴らしい映画が創られたことを、心から誇りに思います。

私やせんぼんさんに当時のことを教えてくれたのは、10数年にわたる戦争遺跡の調査をし、安房南高校をはじめとする高校教育と地域づくりに尽力されてきた愛沢伸雄さん(NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長)です。シナリオを作るうえでの情報提供から戦争遺跡のロケ地選定に至るまで、せんぼんさんに協力をした愛沢さんが、この映画を地元の人にぜひ見てほしいと願い、10月14日に上映会を企画してくださいました。

この映画は、すべての世代の人にぜひ見てほしい映画です。そして、受けた感動の中身をじっくりと考えてみませんか。それが、戦争を起こさない世界を子孫に贈るための大切な一歩であると信じます。

この思いに賛同された方は、上映委員会として力を貸して下さいますようお願いいたします。今月14日には、上映委員会向けの試写会を予定しています。参加をご希望の方は、事務局(池田恵美子090-6479-3498)までお問合わせください。皆さんのご協力を心よりお待ちしています。

【韓国中央日報】070615=四面石塔

380年前に書かれた日本寺院の「ハングル碑石」

訳=朝鮮中央日報2007.06.15

日本の千葉県館山市にある仏教寺院大巌院には参拝客の人目を引く珍しい石塔がある。正門から法堂に入って行く通りにあるこの四面石塔には中世のハングルが刻まれている。380余年前ただの村に違いなかった館山に、ハングル碑文を刻んだ石塔が建てられた背景は何なのだろうか。学者たちの研究でその謎が少しずつ解けていっている。

「ハングル表記のモデルは阿彌陀経」=高さ2メートル19センチの四面石塔は形が碑石に近い。東西南北4面にはそれぞれハングルと中国の篆書体の漢字、日本式の漢字、サンスクリット語でそれぞれ「南無阿彌陀仏」が刻まれている。また北には1624年、山村茂兵という人の施主で立てられたという由来が短く書かれている。

東に刻まれたハングルは音価がない子音(イウン)を書き入れたいわゆる「東国正韻」式表記だ。これは訓民正音創製初期から16世紀までに使われた表記法だ。すなわちこの塔が刻まれた1624年当時には韓半島からも消えた表記方式という意味だ。中世国語を専攻した東国大チャン・ヨンギル教授は、現地調査結果をもとに四面石塔のハングル表記と書体が「阿彌陀経諺解双渓寺本」(1558年刊行)とそっくりだと分析した。壬辰倭乱中に日本に伝わったこの仏経のあちこちに散らばっている該当の字を参考して碑文を刻んだという推定だ。

「壬申倭乱の犠牲者を称える平和の塔」=最大の謎は塔を建てた人がどんな意図でハングルを刻んだのかという点だ。これについて、館山地域の郷土史学者たちは「壬辰倭乱の時、死んだ朝鮮人の霊をなぐさめ、日本に連行された朝鮮人を労わる心を込めてハングルを刻んだ可能性が高い」という学説を出している。これらは当時、大巌院の雄誉上人の行績に対する研究をもとに徳川幕府と密接な関係だった雄誉が江戸で朝鮮通信使や壬辰倭乱の時に連行された朝鮮人と接触した可能性が高いと考えている。郷土史学者石和田秀幸氏は研究論文で「四面石塔は日本と朝鮮の間に起きた悲劇(壬辰倭乱)を乗り越えて平和と信頼回復を祈るもの」と主張している。

(館山=イェ・ヨンジュン特派員)

【県民だより】0609*NPOガンバッテます

南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム
館山市

南房総の歴史文化を守り地域の活性化に貢献

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「南房総には、大変重要であるにもかかわらず、これまであまり知られていなかった歴史文化の痕跡が多数残っています。これらを学ぶことは、私たちに郷土への誇りと愛着を与えてくれるのです」と語るのはNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長の愛沢伸雄(あいざわのぶお)さん。

赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡、『南総里見八犬伝』で知られる里見氏ゆかりの城跡や文化財、海洋交流の痕跡などの地域資源を調査研究し、年間200団体のガイド活動やシンポジウムの開催などで南房総の魅力を伝えています。

昔から、海路による外国との交流が行われ、また、東京湾の入口に位置することから首都防衛上の要衝であった南房総。地域の人々が主役となり、足元の歴史を見つめ直す活動を通してコミュニティーが再生され、また、地域資源を保存・活用することで多くの人が訪れる活気ある南房総を目指して活動しています。