メディア報道

【房日】071003*『赤い鯨と白い蛇』③川上和宏

映画『赤い鯨と白い蛇』を観て

千葉大学教育学部 川上 和宏

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私は、教育を志す千葉大学の学生です。3年前に習志野市において、生涯学習まちづくりを目指し、〝さんまぷろじぇくと〟という活動団体を立ち上げました。〝さんま〟の意味は、「仲間・空間・時間」という3つの〝間〟であり、さまざまな世代の住民が集い交流できる場を創るという目的をもって活動をおこなっています。

生涯学習まちづくりを実践し、地域の活性化に貢献しているNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムをゼミの教授から紹介された縁で、この1年間に4回館山を訪問しました。NPOの主催する事業に参加させていただくことを通して、世代も、住んでいる場所も違う方々と交流し、思いを共有できたことは、私たち学生にとってこの上ない喜びでした。

また、生涯学習まちづくりの拠点のひとつとして、館山市が一般公開している赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡を案内していただきました。戦争も貧困も経験したことのない世代の私にとって、戦争というものを身近に感じ、それに向き合う良い機会となりました。もし終戦が延びていれば、この美しい南房総が「第二の沖縄戦」の場になっていたかもしれないということや、終戦直後には本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれたということもはじめて知り、大きな衝撃をうけました。戦争がもたらす痛み、悲しみ、悲惨さ、そしてくだらなさを、私は考えるようになりました。殺人事件が日常的に報道されるようになってしまった現代社会において、子どもたちに命の重みをどのように伝えていくかは、教育の緊急課題です。戦争遺跡は、単に平和教材というだけではなく、命の教育においても重要な学習の場であると思いました。

そんな折、館山の戦跡を舞台に撮影された映画『赤い鯨と白い蛇』を鑑賞しました。戦地に赴く男性を見送ることしかできなかった〝女性〟に焦点を当て、せんぼんよしこという〝女性〟の監督が描いた映画です。もちろん戦争だけがテーマとはいえず、女性としての生き方に関わってくる描写がたくさんあり、男性の私としては、想像の域を脱しないというか、すんなり理解できないところもありました。けれどもこの映画は、私にまったく別の価値観を与えてくれました。

映画の後半、ひとりの女性がこう語ります。「私があの人のことを忘れたら、彼は二度死ぬことになる」…戦争で残された女性が、亡くなった人を思い続けることしかできないというのは、あまりにも悲しすぎます。愛する人を守るために、他国へ行き、誰かを殺し、自分も死ぬというのは、戦争を美化した幻想にすぎません。この映画を観て、私にはある決意が芽生えました。それは、どんなに後ろ指をさされようが、どんなに非難されようが、愛する人とともに生きる手段を考えたいという願いです。

また青年将校は、「自分に正直に生きてほしい」というメッセージも女性に残しています。たくさんの人間の人生を大きく巻き込み、翻弄させてしまう戦争という時代の中で、自分に正直に生きるということは難しかっただろうと思います。それでは、現代はどうでしょう。私自身はとても困難な時代だと感じています。自分に正直に生きることができる社会とは、一体どのような社会なのでしょうか。それは、国家や世間が作り出した一定の価値基準の中でしか生きられないのではなく、一人ひとりがもつ多様な価値観や生き方を尊重できる社会だと思います。これも、現代社会で教育に課せられた大きな課題といえるかもしれません。

この映画は、館山を舞台に撮影されたこと、そして館山に存在している戦跡を用いたことに大きな意味があると感じます。それは、戦時中の館山で女学生だったという監督ご自身の、ふるさと館山に対する愛情があふれているからです。それと同時に、実際に私が館山の戦跡でNPOのガイドを受けていたからこそ、この映画の内容がリアルなものとして実感できたところも否めません。つまりこの映画は、館山での平和学習をした人にとっては効果的な〝復習教材〟であり、これから訪れる人にとっては〝予習教材〟になるということです。

人と人とのつながりが希薄になったと言われる昨今、もっとも重要なことは、性別も、生きた時代も異なる世代の、多様な価値をもった人びとが集う〝交流〟の場なのかもしれません。映画では、5人の女性たちが導かれるようにかつて暮らした古民家に集い、語り合い、思いを共有する中から、それぞれが次の一歩を踏み出しました。人々が支えあって生きていかれる社会を目指すうえで、この映画にはたくさんのヒントがあるように思えます。私はこの映画からそんな希望をもらいました。

【房日】070908=「快鷹丸」遭難100年式典の訪韓

浮書絵彫りに感謝と友好の願い込め、きょうNPOメンバーら訪韓

韓国に4作品を寄贈、館山の吉田さん制作

*房日サイトはこちら


韓国・浦項(ポハン)市の浦項製鉄西初小学校と交流を行っているNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム愛沢伸雄理事長)はきょう8日、同市を表敬訪問する。旧東京水産大学の初代練習船「快鷹(かいよう)丸」が1907年、嵐のため韓国東岸にある迎日湾(浦項市)で遭難した際、地元住民が乗組員を救助し、その後記念碑を建立。今年が遭難100年目にあたり、同NPOが東京海洋大学のOBで組織する「楽水会」のメンバーと訪韓。NPOのメンバーである吉田昌男さん手づくりの浮書絵彫りを、日本の記念品として持参し、金丸謙一市長のメッセージを携え、市長など4か所を訪れて寄贈する。

日本で最初の水産教育機関である水産伝習所は、1901年に館山実習所が開設されて以来、東京水産大学、東京海洋大学を経て現在に至るまで、館山を拠点として実習訓練を行っている。

近代水産業の発展に大きな貢献を果たした海鷹丸は、館山で練習を重ねたあと出航し、1907年9月9日、韓国の迎日湾で嵐に遭い遭難した。

その際、学生3人と教員1人が亡くなり、他の乗組員たちは、地元の住民に救助された。その後、犠牲者を慰霊して記念碑が建立されたが、戦争を経ていつしか土中に埋没。1971年、浦項市文化財保存委員会によって再建され、現在は、東京海洋大学の同窓会「楽水会」により、大切に保存されている。

館山市には1624年に建立された「四面石塔」と呼ばれる供養塔があり、その東面には初期ハングル字形で「南無阿弥陀仏」と刻まれていることを愛沢理事長が確認。この石塔を通じ、日韓の市民レベルの交流を行ってきた。そして同NPOは、2年前には日韓国交正常化40周年の記念事業として、館山市に浦項製鉄西初等学校の子どもたちを招いて「たてやま日韓子ども交流事業」を開催。ホームステイをしながら、市内の自然や歴史を学ぶ体験交流や音楽交流を通じ、友情の輪を広げた。

浦項市にある遭難記念碑と、館山市にある四面石塔は、両国間で繰り返し起きた不幸な歴史を乗り越え、人々が友好関係を育んできた証。2つの碑に込められた先人の思いを学び、これを末永く語り継ぎ、国際平和に寄与してほしいと切望している。

このため、きょう8日から10日まで、楽水会が企画した快鷹丸遭難100周年記念参詣旅行会に同NPOも同行。愛沢理事長、池田恵美子事務局長、日韓実践教育研究会の石渡延男顧問、韓国の子どもを受け入れた母子2組の計7人が訪韓する。

参詣に際し、館山市特産の竹でつくった浮書絵彫りを記念品として市長、小学校、水産高校、記念碑を保存している市民へ寄贈し、友好の証にしてもらう。浮書絵彫りは、「命」「快鷹」「迎日」「昇鯉」のタイトルが付いた4作品。NPOのメンバーで、旧安房水産学校を卒業した吉田さんがつくった力作。「同じ船乗りとして、当時の遭難は他人ごとではない。救助し、碑まで立ててくれてたいへんありがたい。70歳から始めた浮書絵彫りの作品に感謝の意を込め、平和を願い、韓国との親善に役立てばうれしい」と話していた。

また金丸市長からは「館山市と浦項市の子どもたちが、2つの碑に込められた先人の思いを学び、末永く語り継ぎ、両国の友好と国際平和に寄与してほしい。両市の交流が一層深まることを期待しております」のコメント。また韓国語に堪能な東京在住の勝矢光信さんが翻訳。南総里見八犬伝、赤山地下壕、青木繁など、館山市を紹介した韓国語のパンフレットも持参する。

愛沢さん一行は、きょう8日に渡韓し、浮書絵彫りと市長のメッセージを携え、浦項市の遭難記念碑を訪れ、市民らと交流して10日に帰国する。

【写真説明】 記念品として贈られる吉田さん(中央)の浮書絵彫り

【房日】070807*『赤い鯨と白い蛇』②橋本芳久

映画「赤い鯨と白い蛇」を観て

上映委員会 橋本芳久

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民話と神話が交錯したような芸題の映画が、館山で撮影されていると知ったのは二〇〇五年であった。正直なところ、初めはその異様な題名にあまり期待をしていなかったのだが、観るたびに新しい気づきと感動がこみ上げてくる。

内房線特急ビューの車内に始まり、南欧風の館山駅西口から鏡ヶ浦、洲崎灯台など、つぎつぎと見慣れた風景がスクリーンいっぱいに広がる。館山の海、浜、山、樹々にそよぐ風、葉のささやき。散歩の道すがら、いつも目にする波左間の六地蔵。すべてが身近で、親しみ深い場面の連続。

そんな館山を舞台にして、年代も環境も違う五人の女性たちが過ごす三日間。それぞれ苦悩を乗り越えて明日に希望をつないで生きてゆく姿には、共通した教訓的なものを感じる。それを導いているのは香川京子扮する保江婆の生き様であろう。

「自分の心に素直な生き方を」「私を忘れないで欲しい」という言葉と大切な品物を保江に託し、敗戦の二日前、特殊潜航艇の青年少尉は命を落とした。彼との約束を守るため、認知症で薄れゆく記憶を懸命にたどりながら、館山の掩体壕や地下壕などの戦争遺跡を歩きまわり、遺品を探しあてる保江。そして、鏡ヶ浦の水平線に沈みゆく夕日に赤く染まった潜水艦と、白い軍服に身を包んだ青年の回想シーンが重なる。これは、亡くなった青年将校への、いや戦争で犠牲を強いられたすべての者への鎮魂の場面として深く心に残る。

香川京子の迫真の演技は、渋さの中に輝きを増して光っていた。戦後まもなく、沖縄の苦しみを描いた『ひめゆりの塔』で主人公を演じた少女が、歳を経て再びいまに生き帰った姿を見た思いである。絶妙な樹木希林、爽やかな浅田美代子などの演技も素晴らしく、真剣さが伝わってきて好感が持てる。

圧巻なのは、ラストに近いシーンである。今まで静かに描かれていたスクリーンが、一挙に激しい動に転じ、八幡神社の神輿祭りの場面となる。宮地真緒演ずる保江の孫娘が、生まれたばかりの赤子をしっかりと抱きしめ、若者達が力いっぱい担ぐ神輿を見つめている。赤子の胸には保江が恋人から貰った七つボタンの一つが光っていた。妊娠し、ボーイフレンドから「俺と結婚したいのなら子供を堕ろせ、産みたいのなら別れろ」と言われていた娘が、結婚できたのかどうかは描かれていない。しかし、明日を担う若者のたくましさ、未来への無限の希望を印象付けるような転換が素晴らしい。

かつて館山の地は軍都であり、人も自然も自由な呼吸すらできない時代があった。戦争が終わり、苦しみから解放された館山の地は、生き生きと輝くばかりの美しさと可能性をよみがえらせた。随所を飾っている館山の美しい自然を背景にして、いのちや平和の尊さ、その可能性と希望が描き出されている。それは自然ばかりではない。安房高女・安房南高校の卒業生であるせんぼん監督の母校の威風堂々とした木造校舎をはじめ、この地に生きてきた人びとの営みがもつエネルギーであるといえよう。

苦悩をかかえて現代を生きる人びとの心を癒し、生きる力を育んでくれる珠玉の作品である。館山市民、いや千葉県民の一人として、せんぼん監督はじめ関係者の皆様に、素晴らしい作品を有難う、と心から言いたい。十月十四日に開かれる南総文化ホールの上映会には、せんぼん監督も駆けつけて講演してくださるとのこと、本当に楽しみである。

一人でも多くの方がこの映画を見ることができるように、上映委員会ではチケットを預かって販売に協力してくださる方を募集しています。事務局(090-6479-3498)までご連絡をください。

【房日】070711*『赤い鯨と白い蛇』①伊東万里子

『赤い鯨と白い蛇』映画上映にあたり

上映委員会委員長 伊東万里子

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東京大空襲で母と弟たちを亡くした私が、父の故郷・館山で暮らすようになったのは、日本が戦争に勝つと信じてやまなかった昭和20年4月のことでした。東京の女学校から旧制安房高等女学校に転校し、安房第二高等学校(現在の安房南高校)を卒業するまでの6年間、私は館山ですごしました。戦禍に傷ついた私の心を温かく励ましてくれたのは、館山の自然と諸先生や多くの友人でした。あれから62年たった今もなお、母なる館山・安房の地は私の心の支えです。

そんな私の想いを代弁してくださるかのように、安房南高校の先輩であるせんぼんよしこさんが、館山を舞台に素晴らしい映画をお創りになりました。『赤い鯨と白い蛇』という不思議なタイトルで、賀川京子さん、樹木希林さん、浅田美代子さんたち女性ばかりが出演しています。せんぼんさんの体験を重ね、主人公(香川さん)が少女時代の疎開先館山を訪ねるという設定です。「赤い鯨」は館山沖で訓練していた特殊潜航艇を意味し、「白い蛇」は家の守り神を象徴しています。女性の眼から見た戦争と平和、現代人の抱える問題テーマに、語り継ぐことの大切さや生命の尊さ、そして美しい愛を描いた作品です。

せんぼんさんが78歳で映画監督デビューしたと伺い、私は封切り初日に岩波ホールへ足を運びました。世代の異なる5人の女性とラストシーンの赤ちゃんが織り成す物語は、まるで絵巻のように見えました。まさに、せんぼんさんが日本テレビのディレクター時代に手がけた看板番組「愛の劇場」シリーズの集大成とも言える作品だと思いました。すべての世代に通じるメッセージは、せんぼんさんでなければ描けない、しかも美しい館山だからこそ描けた作品です。せんぼんさんがふるさと館山に熱い想いを贈ってくださった宝ものに思えて、とても感動しました。シネマ夢倶楽部ベストシネマ賞、日本映画批評家大賞、藤本賞など多数を受賞し、モントリオール国際映画祭にも出品され、高い評価で世界に受け入れられていることは大変な偉業です。

私たちの女学生時代、戦争について本当のことは知らされていませんでした。安房で本土決戦が想定され軍備強化されていたことや、私たちが「ひめゆり部隊」に匹敵する役割を担わされていたかもしれなかったことなど、私も最近になって知りました。封印されてしまった過去の出来事をきちんと見つめなおし、次世代を担う子どもたちに何を手渡さなければならないか、それを問うのがこの映画の主題です。しかも、由緒ある安房南高校が創立100年を迎え、さらに統廃合によってその名が消えゆく最後の年に誕生した記念碑的作品です。「誠の徳を磨けよ」と建てられた母校です。そこで学んだ卒業生の手によって、このような素晴らしい映画が創られたことを、心から誇りに思います。

私やせんぼんさんに当時のことを教えてくれたのは、10数年にわたる戦争遺跡の調査をし、安房南高校をはじめとする高校教育と地域づくりに尽力されてきた愛沢伸雄さん(NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長)です。シナリオを作るうえでの情報提供から戦争遺跡のロケ地選定に至るまで、せんぼんさんに協力をした愛沢さんが、この映画を地元の人にぜひ見てほしいと願い、10月14日に上映会を企画してくださいました。

この映画は、すべての世代の人にぜひ見てほしい映画です。そして、受けた感動の中身をじっくりと考えてみませんか。それが、戦争を起こさない世界を子孫に贈るための大切な一歩であると信じます。

この思いに賛同された方は、上映委員会として力を貸して下さいますようお願いいたします。今月14日には、上映委員会向けの試写会を予定しています。参加をご希望の方は、事務局(池田恵美子090-6479-3498)までお問合わせください。皆さんのご協力を心よりお待ちしています。