メディア報道

【房日】090813=船田正廣さんの古希記念展

船田さんの古希記念展〜安房高美術部卒業生が企画
あすから文化ホールで

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彫刻家で、長年、高校で教べんを執るかたわら、美術部顧問として生徒を指導した船田正廣さん=館山市北条=の作品を紹介する「船田正廣の世界」展が、あす14日から25日まで県南総文化ホールギャラリーで開かれる。教え子の安房高美術部卒業生有志が古希を記念して企画、およそ50点を展示する。

船田さんは、昭和39年、東京芸術大学彫刻専攻科を卒業し、その年に安房高校に美術科教諭として着任。その後、安房南高校に転任し、多くの美術部員を育てた。現在は、私立安房西高校教諭として活躍している。これまでに数々のコンクールなどに出品。地元安房地域でも、個展やグループ展などを開いてきた。

作品展には、彫刻ほか水彩、墨彩画も展示。15日午後1時から同ホール大会議室で、オープニングレセプションが行われる。

開場時間は午前9時から午後5時。月曜休館。

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房日新聞2009.8.13

【房日】090813=戦没画学生の遺作、新たに無言館へ

戦没画学生の遺作、新たに無言館へ
館山での講演会きっかけ
千葉の北条さんが「提供したい」

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7月10日に館山市の県南総文化ホールであった窪島誠一郎氏=長野県上田市の美術館「無言館」館主=の講演会がきっかけとなり、新たな戦没画学生の遺作が千葉市に残されていることがこのほど明らかになった。遺作は今月5日、窪島館長に預けられ、補修を行った上で近く無言館に展示されることになった。

関係者によると、遺作の存在を明らかにしたのは千葉市中央区の北条文子さん。講演会の開催を報じた新聞を読み「亡夫のいとこ、故・安田昇の遺作があるが、無言館に飾っていただけるのなら提供したい」との申し出があった。

遺作は、谷川岳の一の倉沢を描いた油絵と、木の彫刻の2点。同講演会実行委委員会の溝口七生さん=鋸南町在住=、橋本芳久さん=館山市在住=が窪島氏とともに北条さん宅を訪問、作品と対面した。

安田昇さんは大正8年、名古屋市生まれ。東京美術学校(現・東京芸術大)彫刻科を卒業後に名古屋第2師団に入隊、昭和20年3月にマリアナ諸島で玉砕した。26歳だった。終戦後に戻ってきた白木の箱には小さな紙片のみしか入っておらず、家族は本人の愛用していた彫刻刀を入れて葬ったという。

学生時代、安田さんはいとこの北条さん宅に下宿。このため遺作もこの家に残り、これまで大事に保管されていた。

遺作の取り扱いについて折衝に当たった橋本さんは「北条さんは『仲間の画学生の作品が集まっている場所に預かっていただき、安田も、そして遺作も喜んでいるのでは』と話していた。今回の講演会の取り組みが新たな作品の発掘につながり、こんなうれしいことはない」と語った。

【写真説明】故・安田昇さんの遺作と対面する無言館の窪島館主=千葉市

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房日新聞2009.8.13

【千葉】090726=「万石騒動」から300年

◎農民一揆「万石騒動」から300年
…三義民たたえ来年記念祭 館山

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江戸時代に安房国北条藩で起こった「万石騒動」から300年。騒動で犠牲になった3人の名主の300回忌に当たる来年に、「万石騒動安房三義民300年祭」開催の機運が盛り上がっている。

万石騒動は正徳元(1710)年、当時北条藩(現館山市)の27カ村約1万石を支配していた屋代越中守忠位のとき、藩政を預かった川井藤左衛門が元禄大地震からの復興に、労役や2倍近い年貢を課したことで農民が立ち上がった農民一揆。

数百名の農民が江戸の屋代家に押しかけて門訴し、老中にも駕篭(かご)訴した。農民代表の湊村角左衛門、国分村長次郎、薗村五左衛門の3名主が処刑された一方、屋代家は改易、川井らも処刑されるなど農民勝訴で決着した。

処刑された3名主は「三義民」とたたえられ、処刑場跡地がある館山市国分地区の国分寺には供養塔が建てられた。命日には毎年法要が営まれるほか、50年ごとに記念法要が営まれている。

300回忌の来年を前に今年2月、同地区や市文化財保護協会、NPO安房文化遺産フォーラムが共同して実行委員会(委員長・佐野邦雄市文化財保護協会長)を立ち上げた。17日に開かれた検討会では、来年11月20日の300年記念祭に合わせて、同地区の処刑場跡地に新たに記念碑を建立し、事業費を寄付金で賄う方針を確認した。「万石騒動で農民は武装蜂起せず、言葉で訴えた。“義”の心を後世に伝えたい」と記念事業の意義を示す。

寄付金の振込口座は郵便局で「万石騒動安房三義民300年祭実行委員会」(00150-4-263116)。問い合わせは国分区長の行貝さん(電話)0470(22)4824。

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*千葉日報サイトはこちら

【房日】090725*海の幸記念碑の解説モニュメント設置

◎青木繁の「海の幸」記念碑
解説モニュメント設置
…地区の観光振興に期待

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明治の洋画家・青木繁が滞在した館山市布良の地に建立されている「海の幸」記念碑脇に、その経緯などを詳述した解説モニュメントが設置された。記念碑の保存活用をめざす地元の声を受け、国の地域活性化・生活対策臨時交付金で市が事業化。新たな観光スポットとして期待されている。

1904(明治37)年夏、東京美術学校を卒業した青木は、恋人の福田たねや画友の坂本繁二郎らとともに写生旅行に布良を訪れ、網元の小谷家に滞在。ここで、後に近代洋画では最初の重要文化財に指定された「海の幸」を描いた。

記念碑は、青木の没後50年を記念して1962(昭和37)年、当時の館山市長らが発起人となり、「海の幸」の舞台となった阿由戸の浜が一望できる小高い丘の上に建立された。

布良を含めた富崎地区では最近、地区住民などが中心となり、「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」も設立され、青木繁や「海の幸」を題材とした地域活性化に向けた動きが活発化。地区内には青木繁が逗留した小谷家住宅や阿由戸の浜、布良崎神社などの地域資源も多く点在する。

そこで、市商工観光課が「地域における観光振興の一助になれば」と解説モニュメント設置を事業化。高さ1メートル、幅1.6メートルほどの台座にCAPPセラメタルで「海の幸」のレプリカを、さらに経緯などをまとめた解説を加えた。事業費は約173万円。

【房日:展望台】090722*根耳に水の風力発電

現在、房州地域の2つの風力発電建設計画をめぐって住民の反対運動が起こっているのをご存知だろうか。

ひとつは、南房総市千倉町の白間津・大川地区。計画を進めているのは北海道に拠点を置く事業者で、房州特有の海に迫った低い山並みの尾根伝いに風車10基を建設しようというものだ。

風力発電施設は風車が大きいほど採算性が向上するとして近年、大型化の傾向が強まっており、今回建設が予定されているのは高さ135m、羽根の長さ50mの国内最大級の風車という。

これだけの高さがあるとまず思い浮かぶのが景観の変化である。同地区は春はお花畑、夏は海を目ざしてたくさんの観光客が訪れる。4年に一度の白間津の大祭には遠方からも人が訪れる。そんな景勝地に果たして巨大風車がマッチするだろうかという問題。

また、風車建設には山の造成と林道の整備が必要になるため、周辺環境への影響が懸念される。付近の海は海女や海士が潜る天然の漁場。清流で知られる長尾側の源流にもあたる。工事で海や川に土砂が流出することはないのだろうか。風力発電施設が引き起こすといわれる騒音や低周波による周辺住民の健康被害も気になる。

もう1ヵ所は南房総市平久里の井野、荒川、平塚3地区に高さ118mの風車を7基建設しようという計画。予定地は南房総市ながら、自治体境界線上にあるため鋸南町佐久間、鴨川市平塚・大山平塚など隣接する地域にも影響があろう。

千倉では短期間に5,000人を超す署名が集まり、住民グループによる説明会も開催されて、一旦は建設に同意した地権者の中に同意を撤回する動きも出ている。一方、平久里のほうは、今月中にも補助金が下りるかもしれないというさらに差し迫った状況の中で反対署名が展開されている。

クリーンエネルギーとして期待される風力発電であるが、民間事業に補助金をつける形で普及促進が図られているため、建設に際しては市の同意は必ずしも必要ではなく、また法的な環境アセスメントも要求されていない。

したがって、今回の2件のように、これだけの巨大施設建設にも拘わらず直接の地権者以外、地元を蚊帳の外に置いたままで計画が進んでしまうところに制度上の問題があり、根耳に水の周辺住民の反発はその分大きい。

 

※【房日】090714*千倉の風力発電に反対署名…関連記事はこちら。

※「平久里嶺岡の風力発電を考える会」…案内チラシと署名用紙はこちら。

【房日】090716*赤山無料ガイド(海の日&終戦の日)

◎海の日と終戦の日、戦争遺跡ガイド実施

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館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラムは毎月第一日曜日に行っている戦争遺跡無料ガイドを7月20日の海の日、8月15日の終戦記念日にも実施することを決めた。

家族、小グループが対象で、同市宮城の「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」(市指定史跡)をガイドの解説を聞きながら歩く。各回いずれも午前10時から約2時間の予定。参加希望者は開始時間に現地集合。問い合わせは同フォーラム(0470-22-8271)へ。

【房日】090712*無言館の窪島氏が講演

◎絵を通じ生き方見つめて 館山
無言館の窪島氏が講演

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太平洋戦争末期、画家を志しながら学徒出陣などで戦場に送られて命を落とした戦没画学生の作品を収蔵・展示する美術館「無言館」(長野県上田市)の窪島誠一郎館主の講演会が10日夕、館山市の県南総文化ホールであった。

窪島氏は「画学生らは反戦を訴えるために作品を描いたのではない。妻や恋人、家族など、愛するものを描くことで自分の命を描き、生きる証としたのだ」と指摘。戦後六十数年を経て日本人が大切なものを失い、子が親を、親が子を殺すという時代に「反戦平和という4文字だけでなく、自分の生き方を振り返る場所として無言館を見ていただきたい」と訴えた。

また「人間は感動の記憶を他者の命に伝えていく義務がある」と強調。「自分にしか歌えない歌、描けない絵」とともに人生を歩んでいこうとメッセージを送った。

窪島氏は1941年、東京生まれ。印刷工や店員、酒場の経営などを経て、79年に大正期の洋画家、村山槐多など夭折画家の作品を展示する「信濃デッサン館」を上田市に設立した。97年にはデッサン館の隣接地に「無言館」を設立。異色の美術館として注目され、2005年に菊池寛賞を受賞した。

講演で窪島氏は▽村山槐多の生涯▽信濃デッサン館設立の経緯▽戦没画学生たちの遺作収集に執念を燃やした画家、野見山暁治氏との出会い▽画学生らの作品に込められた思い——などを切々と語った。15年前、なぜ遺作収集をする決断をしたのかという理由については「あの時の自分の気持ちがよく分からなくなることがある。戦争とかはどうでもよくて、私の50年の人生を考えていたのかも」と赤裸々な思いを口にした。

講演会は、同館を訪ねた鋸南町の画家、溝口七生さんや年金者組合安房支部長の橋本芳久さんらが実行委員会を組織して企画。会場の小ホール(300人収容)は満員となり、入場できなかった約30人が別室のモニターで講演を聞いた。

 

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【東京】090705=平和を考える集い・無言館館主の講演会

鋸南町在住の画家溝口七生(かずお)さん(73)や美術家グループ「安房・平和のための美術展」有志らが組織した実行委員会は「戦没画学生たちが いまに遺す いのちの叫び」をテーマに、窪島誠一郎・無言館館主の講演会などを10日、館山市の県南総文化ホールで開催する。

無言館(長野県上田市)は、戦没した画学生の遺作などを展示する美術館。第二次世界大戦に出征し、亡くなるまで命を輝かせ、キャンバスに向かい続けた画学生たちの無言の作品300点余りを展示している。

館山市には戦時中、首都防衛のため館山海軍航空隊や砲術学校が置かれていた。実行委員会は「軍都」とも呼ばれた同市で、平和に生きることの大切さを考えてもらおうと講演会などを計画した。

窪島館主は東京都出身で、印刷工や店員などを経て作家になった。1995年、戦争で美術学校の仲間を失った画家野見山暁治さんとともに全国の戦没画学生の遺族を訪ねて遺作を譲り受け、97年に無言館を設立。著書には実父の作家水上勉さんとの再会をつづった「父への手紙」(筑摩書房)などがある。

演題は「無言館からのメッセージ」で、10日午後5時半に開演。チケット(500円)は南総文化ホールで販売している。 (福原康哲)

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【房日】090703*反核フェスティバル

◎平和の尊さ語り継ごう
…館山11日に反核フェスティバル

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核兵器の開発・拡散に反対し、平和の大切さを考える「安房反核フェスティバル」(同実行委員など主催、館山市、房日新聞社など後援)が11日午前10時から午後5時まで、館山市コミュニティセンターで開かれる。

行事の一環として、原爆の非人道性と被害の悲惨さを分かりやすく説明した写真パネル展示が1日かた館山駅の市民ギャラリーで始まった。14日まで。

同フェスティバルは、今年で29回目。11日は広島市民が原爆の記憶を描いた絵などを展示するほか、戦中戦後の厳しい食糧事情を再現した「すいとん食堂」で、さつまいものつるのきんぴら、大根めしなどを食べてもらう。

午後2時からは、安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表が「安房の戦跡から平和を考える」とのテーマで講演する。

実行委員長の古畑玲子さんは「今年は『すいとん食道』に力を入れている。食べながら語り合うことで、当たり前の生活ができる幸せ、戦争のない世の中の大切さを確認できれば」と話している。

【千葉】090702*功績認められ和島誠一賞

◎館山の戦跡、史跡の保存活用を評価
…功績認められ和島誠一賞
…NPO安房文化遺産フォーラム

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館山市で戦争遺跡や戦国大名・里見氏の城跡などの保存、活用運動に取り組んでいるNPO安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が、文化財保存の功績をたたえる第10回和島誠一賞に選ばれた。

同賞は文化財保存運動の先駆者、故和島誠一岡山大教授を記念した賞で、毎年遺史跡の保存で顕著な個人と団体に贈られる。

同フォーラム代表の愛沢さん(57)は1989年、当時県立安房南高校の世界史の教師だったころから、館山市内の旧海軍の地下壕(ごう)跡の調査を始めた。「戦跡は暗くて、南房総の花のイメージにそぐわない」と風当たりの強い中、地域に実存する戦跡の歴史的価値を粘り強く訴え、それまでごみ捨て場やキノコ園と化していた壕跡は2004年には「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」として整備、一般公開され市指定の史跡となった。

また、1996年には戦国時代初期に里見氏の拠点となっていた稲村城跡に市道が通ることを知り、「保存する会」を設立。1万人を超える署名を集め、条例を覆して同城跡の保存を勝ち取った。現在は史跡として国の指定を得る調査が続いている。

こうした保存運動に加えて、戦跡・史跡を地域資源としてとらえ、ガイドツアーや散策コースに組み込んで利活用する活動が評価された。愛沢さんは「残すだけでなく、町づくりに取り込んで地域を語り、誇れるものでありたい。戦跡から悪いイメージでなく、時代の局面、人の生き方を感じてほしい」と話す。

受賞に愛沢さんは「草の根活動が行政を動かしてきた。一緒に活動しながら途中で亡くなられた方々の思いを束ねたい」と振り返った。

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