終戦74年特番『落語家たちの戦争』
林家三平師匠が館山の戦跡を巡ります。
⇒ 房日新聞
・日時=2019年8月12日(月)12:00〜13:58
・放送局:BSフジ
・番組名:『落語家たちの戦争〜禁じられた噺と国策落語の謎』
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戦時中、戦意高揚にそぐわない落語は禁じられ、軍の意向に沿う国策落語だけが口演されたという。笑いと戦争、表現の自由と自粛について考察していく。番組では、二代目林家三平が、国策落語を再現口演するとともに、館山の戦争遺跡を訪ねる。
父である初代林家三平は、戦争末期の本土決戦に備えた特攻要員として、九十九里浜で蛸壺や塹壕を掘っていたという。
特攻要員とは、資材不足で特攻兵器がなくなり、蛸壺や塹壕で身を隠して待機し、敵が上陸してきたら爆薬を抱えて突撃する攻撃隊のこと。
NPO法人安房文化遺産フォーラム池田恵美子さんの案内で、館山の砲台跡や弾薬庫跡、蛸壺などをめぐる。
市所有の文化財資料公開 南房総教委が16〜18日に
丸山公民館で歴史フェス
(房日新聞2019.8.6付)‥⇒印刷用PDF=房日新聞・案内チラシ
南房総市教育委員会生涯学習課による「南房総歴史フェス」が16日から18日まで、同市の丸山公民館で開催される。普段は公開していない市が所有する資料を公開する他、地域の歴史を学べる講座や体験などがある。16日が午後4時〜7時、17日が午前9時〜午後4時、18日は午前9時〜午後3時。
歴史や文化に興味を持ってもらうことが目的。市内から出土した土器や歴史資料を並べた歴史展示室を設置する。文化庁による企画「記念物100年」と合わせて、史跡である里見氏城跡、岡本城跡の説明パネルや出土遺物も展示される。
学芸員による展示解説もある。16日は午後4時からと6時から、17日は午前9時半からと午後3時から、18日は午前9時半からと午後2時からで各30分ほど。
その他、体験イベントなどがあり、多くの来場を呼び掛けている。
体験イベントは次のとおり。
▼勾(まが)玉づくり(16日午後1時半〜4時)
=子ども対象(小1〜3は保護者同伴)。参加費300円。事前申し込みが必要で、丸山公民館(0470—46—4031)へ
▼「安房の戦国大名里見氏」(17日午前10時〜11時)
=講師は南房総市教委生涯学習課の山本昌幸学芸員。参加費無料
▼「安房の名工 武田石翁」(17日午前11時〜正午)
=講師は鋸南町教委教育課の笹生浩樹生涯学習室長。参加費無料
▼「安房の偉人 日蓮」(17日午後1時〜2時)
=鴨川市郷土資料館の高橋誠主査。参加費無料
▼「安房の祭りを記録する」(17日午後2時〜3時)
=講師は館山市教委生涯学習課。参加費無料
▼「文化財と和弓のちょっとした話」(17日午後3時半〜4時)
=弓を使った文化財に関する講話。参加費無料
▼組紐体験(17日午前10時〜正午、午後1時〜3時)
=子ども対象(小1〜3は保護者同伴)。参加費無料
▼甲冑着用体験(18日午前10時〜正午)
=子ども対象(身長120㌢以上)。参加費無料
▼出張図書館(18日午前10時〜正午)
=子ども対象。民話の読み聞かせもある
▼南房総以外の歴史を知ろう(18日午前11時〜正午、午後1時〜3時)
=大網白里市と一宮町の遺物などを公開
▼「古文書で発見! 南房総市の歴史」(18日午後1時〜2時、2時〜3時)
=館山市立博物館学芸員が講師。参加費無料
▼「海を渡ったアワビ採り」(18日午前10時〜正午)
=アワビ漁の歴史についての講座。参加費無料。事前申し込みが必要で丸山公民館へ
小高記念館(元NPO事務所)が「ふるカフェ系ハルさんの休日」で紹介されます。
房総の海辺の白いカフェ『TRAYCLE Market & Coffee』
2008年から2017年夏までNPO法人安房文化遺産フォーラムの事務所だった小高記念館(国登録文化財)が紹介されます。
今は亡きオーナー小高熹郎の孫娘さんが、人気の喫茶店『TRAYCLE Market & Coffee』を経営しています。
NPOの愛沢伸雄代表が登場し、歴史的建物の背景を紹介します。乞うご期待!
日時=2019年8月8日(木)21:00〜21:30
テーマ=「千葉・館山〜築97年 謎の多い元銀行カフェ」
*⇒ツイッターはこちら。
*⇒カフェ開店時にクラウドファンディングで送った愛沢代表の応援メッセージ動画はコチラ
「海の幸」など30点展示
渚の駅ギャラリー 館山ゆかりの画家展
‥⇒印刷用PDF
館山ゆかりの画家たちの名画を集めた企画展「館山の海を愛した画家たち展」が、館山市の渚の駅たてやま2階ギャラリーで開かれている。日本美術史に影響を与えた洋画家の青木繁や寺崎武男、倉田白洋の絵画など約30点が展示されている。9月1日まで。
青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会が主催、房日新聞社などが後援している。
会場には、明治37年に友人らと同市布良を訪れた青木繁の代表作「海の幸」(国の重要文化財)の複製画をはじめ、同世代に館山で暮らした画家たちの作品を展示。寺崎武男の手帳など貴重な資料も並んでいる。
千葉市から訪れた60代の男性は「『海の幸』は知っていたが、実際に見るのは初めてで感動した」と作品に見入っていた。青木繁「海の幸」記念館の小谷福哲館長は「館山の自然に魅了された画家たちが、館山で多くの作品を残したということを知ってほしい」と来場者を呼び掛けている。
8月4日午後1時半からは、展示作品の解説会がある。
入場無料。休館日は29日、8月26日。問い合わせは、事務局の池田さん(090-6479-3498)、河辺さん(090-3218-3479)へ。
海とアートのまるごと美術館
青木繁の生誕祭
小谷福哲 <青木繁「海の幸」記念館館長・小谷家当主>
(房日新聞:寄稿2019.7.13付) ⇒印刷用PDF
青木繁作品の所蔵者である東京駅前のブリヂストン美術館が建て直され、来年、「アーティゾン美術館」と改名してリニューアルオープンします。東京五輪もあり、青木繁「海の幸」は国際的にも注目が高まるだろうと考えられています。青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会では、海とアートのまるごと美術館として、まちづくり活動に取り組んでいます。
きょう7月13日は青木繁の誕生日です。明治37年、22歳を迎えた2日後に、仲間と4人で写生旅行に館山を訪れ、布良のわが家に約40日滞在しました。そのとき描かれたのが、重要文化財「海の幸」です。
小谷家住宅は館山市指定文化財となり、全国の画家の皆さまと一緒に募金活動を展開し、青木繁「海の幸」記念館として開館しました。通常は土日のみの公開で、平日は団体予約となりますが、3年間で8000人の方が来場されました。千葉県民の投票により「ちば文化資産」にも選定されています。
記念館では、きょう13日から海の日(15日)までの3連休を生誕祭として公開します。来場者には手作りのトコロテンや紫蘇ジュースをサービスし、青木繁の誕生日を皆さんとともに祝いたいと思います。
また、渚の駅たてやま2階ギャラリーでは、きょう13日から9月1日まで、「館山の海を愛した画家たち展」を開催します。青木繁の同寸大の複製画をはじめ、寺崎武男・倉田白羊の原画などを展示紹介します。
初日の13日には10時半から、島田吉廣さんが「複製画制作から見える青木繁が描く波」について解説をします。ダイナミックなギャラリートークを聞き、実際に絵画を鑑賞した後、布良の青木繁「海の幸」記念館へ足を運んでいただければ幸いです。
翌週の20日は布良崎神社の祭礼です。青木繁が感動し「海の幸」のヒントになったと思われる布良の神輿もぜひご覧ください。特に夕方の布良漁港では、夕陽が神々しく、おすすめです。
また、女子美術大学付属中学139名が6月にスケッチツアーで来訪し、布良を描いた作品展を、青木繁記念館と千里の風と安房自然村で27日からおこないます。
この夏は、海とアートのまるごと美術館をお楽しみください。
きょうから青木繁生誕祭、布良記念館3日間公開
渚の駅では企画展
(房日新聞2019.7.13付)‥⇒印刷用PDF
館山市の「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」では、企画展「館山の海を愛した画家たち展〜青木繁・寺崎武男・倉田白羊」をきょう13日から、渚の駅たてやま2階ギャラリーで開く。9月1日まで。入場無料。休館日は29日、8月26日。
会では、この展示に合わせ、13日から3日間、「青木繁生誕祭」として、同市布良の青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅)で、記念館を一般公開する。入館料は200円で、小中高100円。午前10時から午後3時半まで。
渚の駅たてやまでは、13日午前10時半から島田吉廣さんのギャラリートーク「複製画制作から見える青木繁の描く波」を予定している。
問い合わせは、事務局の池田さん(090-6479-3498)、河辺さん(090-3218-3479)へ。
館山の漁村訪問時に制作、『海の幸』残せ 緞帳修復
青木繁の代表作 佐賀大教員ら
(千葉日報2019.1.12)‥⇒印刷用PDF
福岡県久留米市の市民会館の解体に伴い、同市出身の洋画家、青木繁(1882〜1911年)の代表作「海の幸」を模した緞帳(どんちょう)が廃棄されることになり、惜しんだ遺族らが一部引き取り、佐賀大芸術地域デザイン学部が修復作業をしている。「地域に溶け込んだ作品への思いを大切にしたい」と3月に作業を公開、訪れた人に手伝ってもらう。
「海の幸」は青木が館山氏の漁村を訪れた際に制作され、もりを持って歩く漁師の一軍が描かれている。
市民会館は1969年に開館。京都の綴錦織(つづれにしきおり)業者が約200種類の意図を使って制作した縦7.4メートル、横19.5メートルの緞帳が設置された。青木繁の孫で、東京で九州郷土料理店を営む松永洋子さん(74)は、父親で作曲家の故福田蘭童さんが「そのまま再現されている。こんなに素晴らしいものは見たことがない」と興奮していたのを覚えている。
市は老朽化を理由に2017年に市民会館の解体を開始。緞帳を別の施設に展示することも検討されたが、サイズが合わないなどの理由で断念。動きを知った松永さんが、画廊関係者らの協力を得て市と交渉し、祖母にあたる故福田たねさんがモデルとされる女性の顔の部分(縦3.1メートル、横5.6メートル)を切り取り、引き取った。
東日本大震災などで文化財レスキューに携わった佐賀大芸術地域デザイン学部の石井美恵准教授と一部の学生が17年12月から修復に向けた作業に取り掛かった。ダニを駆除するため薬剤を含む袋に入れ、数ヶ月間放置。掃除機で死骸やほこりを吸い取り、切り取った際に出来たほつれ箇所や縫い方の技法を調べた。
2年の吉川千夏さん(20)は「大変な作業だが、実践的で貴重な経験」と充実した様子。石井准教授は「織物としても素晴らしい。学生の勉強にもなっている」と語り、昨年11月に見学した松永さんは「多くの人とのご縁で今がある。何回見ても胸がいっぱいになる」と感謝を述べる。
修復作業は3月24日から31日まで佐賀大美術館で公開され、ほつれの縫い合わせを手伝ってもらう。松永さんは参加者らの意見も踏まえ、保存場所を検討する方針。
「0470-」No.51(2019.5.31)‥⇒印刷用PDF
【0470-people】 島田吉廣さん
(しまだ よしひろ)
1950年館山市生まれ。高校卒業後、都内印刷会社へ就職し、その後地元に戻り自身の印刷会社「アートプロセス」を開業。日本に3人しかいかい厚生労働大臣認定の「カラースキャナ一級技能士」取得者。現在は「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」副会長を務め、青木繁の5作品を複製画制作。
・インタビュー・写真・文 菅野博
*印刷技術は進歩と共に
高校では写真部に所属していました。将来も写真を撮りたいと思っていたけれど、卒業してすぐに東洋インキという東京の会社に就職して、着色の研究をしました。インキは、顔料とニスを混ぜ合わせて作ります。掃除にシンナーを使うため身体には負担が大きく、具合が悪くなってしまい、1年あまりで辞めて館山に戻ってきました。その後、東京の小宮山印刷という会社から、カメラマンが足りないと声がかかり、再び上京しました。当時の印刷は、ガラスを使ったオフセット印刷。その後、フィルムに切り替わり、スキャナー時代がきました。バルセロナ五輪のときにデジタルになって伝達の高速化が進みました。今はCCDの技術が上がり、コンパクトカメラでも大きなデータを扱えるようになりました。私がいた時代は、印刷技術が一番進歩した時期。変化とともに、私の仕事もとにかく忙しかった。30才近くで再び館山に戻り、クロスフィールド社製マグナスキャン656というデジタルスキャナーを、千葉県で初めて導入しました。これはNASAで開発され、バルセロナ五輪で使われた、たいへん優れたものでした。「館山にマグナスキャンを使っている製販会社がある」と富士フィルムの社内報に紹介されて知れ渡り、都内の仕事も広く手がけるようになりました。
*アナログの特殊技術とデジタル知識の融合
私はガラス板からCCDまで進化する時代を経験し、一級カラースキャナー技能士という国家資格を取得しました。この資格者は全国で3人いましたが、現在は2人です。私たちアナログ世代はどんどん活躍する場が減り、この技術は必要なくなってしまいました。デジタルカメラがすべて自動修正してくれて、だれが撮っても綺麗に仕上がるからです。しかし絵画の複製は、ただ綺麗に仕上げればよいというものではありません。作家が当時描いたであろう色を忠実に再現することが重要なのです。デジタルデータは劣化せず保存に適しているので、美術館にある古い絵画の写真も、通常はポジフィルムからデジタルデータに変換します。中にはポジフィルムのまま保存され、劣化しているものもあります。1904年に館山市布良で描かれた青木繁の「海の幸」は、100年以上経っているので、様々な経年変化が起きていました。ですから、所蔵美術館から借用したデータをもとに複製画を作るには、色修正をしなければなりません。さらに作品の傷をデータ上で修正し、必要に応じて色補正をおこない、できるだけ原画に近づけます。これは、アナログ時代に習得した特殊技術と、今のデジタルの特徴を理解してこそできることなのです。
*描いた当時の状態に複製する
私はこれまで青木繁の複製画を5作品制作しました。何度も美術館に通い、原画を見ては記録して、記憶して、データと照らし合わせての繰り返しです。代表作「海の幸」の特徴としては、ダークブラウンが多く使われています。複製画でこの色を出すのはとても難しいのです。赤に青を足すとブラウンになりますが、強く足し過ぎるとブラックになってしまう。複製作業に取り組んで感じたのは「名画は茶系色が多いな」ということ。たとえばミレーの「落穂拾い」や「羊飼い」など。青木繁作品を複製するのはとても難しかった。なかでも「朝日」という作品について、私はずっと悩んでいました。晩年病と闘いながら、朝日を描くものだろうか。実際に描かれた唐津湾は北を向いていて朝日は昇りません。これは、幸せの絶頂だった頃の布良の夕日ではないかと。しかし、修正作業を通して絵に向き合っていると、波にすごく力が入っていることがわかりました。朝日だろうと夕日だろうとどちらでもいいのです。青木が描きたかったのは太陽ではなく、波だったんだと気がつきました。「朝日」といういう作品名は没後につけられたそうですが、本当のタイトルは「玄界灘」なんじゃないかと私は思っています。原画はひび割れしている部分が多いので、それを細かく修正して、描いた当時の状態に戻して複製画を作りました。実は私も心臓に疾患を持っていて、いつ自分の人生が終わるかわからない。青木の苦悩と自分を照らし合わせながら頑張りました。何度も色校正を出して吟味し、完成までに2年近くかかりました。最近「朝日」が佐賀県重要文化財に指定されたと聞いてとても嬉しく思っています。
*布良は美術界の聖地
私が小学校の頃、学校に「海の幸」の写真が飾られていたのですが、あんな下品な絵は大嫌いだと感じていました。日本で最初の洋画の重要文化財「海の幸」が描かれた布良は、美術界の聖地と呼ばれているそうです。2008年には、布良の活性化を目ざして「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」ができました。青木繁が過ごした個体家住宅を保存するために、全国の画家の皆さんと一緒にお金を集めて修復し、2016年に青木繁「海の幸」記念館を開館しました。全国から400名を超える友の会の会費と入館料などで運営しています。この活動を通して、青木繁を誇りに思えるようになりました。今では、「海の幸」は布良?神社の祭りの神輿がヒントになって描かれたと確信しています。今年のGWには廃校の富崎小学校を活用して、「海とアートの学校まるごと美術館」を開館しました。夏休みには、渚の駅ギャラリーで「館山の海を愛した画家たち展」を開催し、複製画も展示予定です。
青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅
‥⇒HP
〒294-0234 千葉県館山市布良1256
開館日:毎週土・日曜
(お盆時期・年末年始を除く。平日は団体予約承ります。)
4〜9月 10:00〜16:00
10〜3月 10:00〜15:00
入館料(維持協力金) 一般200円、小中高100円
海とアートの学校まるごと美術館 開催の報告と御礼
嶋田博信(青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会会長)
(房日新聞2019.5.30付)⇒印刷用PDF
館山市富崎地区は、マグロはえ縄船発祥の漁村として栄え、日本一人口密度が高かったといわれますが、今では市内で最も少子高齢化が進んでいます。当会は10年にわたり、富崎地区コミュニティ委員会・NPO法人安房文化遺産フォーラムと協力しながら、歴史文化遺産を活かした地域活性化活動を行なってきました。
このたび大型連休に旧富崎小学校の空き校舎を利活用し、「海とアートの学校まるごと美術館」を開催しました。館山市・同教育委員会・同観光協会・房日新聞社の後援を得て、また毎日のお楽しみ企画や販売など多くの皆様のご協力をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。
おかげ様で、卒業生や地元の皆さんをはじめ、NHKニュースを見て県外からいらしたという方や、二度三度と繰り返し足を運ばれた方もおり、青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅)と合わせて延べ1700人の方が来場しました。
アンケートでは、「素晴らしい企画で感動」「とても見応えがあった」「こんな利用の仕方を思いつく発想が素晴らしい」「館山には美術館がないので楽しかった」「地元の皆さんがよく協力して運営しているご努力に感激した」「ボランティアの皆さんに感謝」「改めて自分の育った土地の良さを実感した」「館山にいても知らない世界を見られて感動した」「我が母校が美術館になって嬉しい」「館山ゆかりの作家をとても身近に感じた。もっと多くの人に知ってほしい」「絵画だけでなく、すごい資料を揃えていて素晴らしい」「このような企画をまた期待する」「美術館の学校として年間オープンしてほしい」「市民の財産を耐震強化し、地域活性化のために有効活用してほしい」などと、喜びの声や温かいご意見が寄せられました。
なかでも寺崎武男画伯については、ご遺族から提供された原画の数々に、我々運営側も来場者もその迫力に圧倒され、あらためて感動しました。私の同級生でもあるご子息の寺崎裕則氏が東京から駆けつけて、お父上の画業についての話して下さいました。それを伺いながら、高校の美術部であった私自身も懐かしく、そして誇らしく思い出させていただきました。
館山の海を愛し、自ら「海洋の画家」と称した寺崎画伯は、海の作品をたくさん描いています。壁画家であった画伯は、「作品の対角線の7倍離れた距離から見ると浮き上るように描いている」と言っていたそうです。今回は体育館という広い会場だったため、たしかに波が大きく揺れ動いているように見えました。今回は、横山大観とともにローマで開催した日本美術展覧会の作品集や、青木繁の名が記された手帳など価値ある展示品も多彩にあり、今後の調査研究が期待されるところです。
重要文化財「海の幸」を描いた青木繁だけでなく、日本美術史に大きな影響を与えた画家たちがこの地に住んでいたということは、私たち市民の誇りです。夏には、渚の駅ギャラリーを会場に、小規模ながらも「館山の海を愛した画家たち展」を開催する予定です。再び多くの皆様にご覧いただければ幸いです。
青木繁「海の幸」記念館(入館料200円・小中高100円)は土日のみの開館ですが、平日でも団体見学の予約を受け付けています。「友の会」会員(年会費2千円)は、記念館の入館無料のほか、会報でイベント情報などをお知らせしています。息長い維持運営とまちづくり活動を目ざし、皆様のご理解ご支援をお寄せいただけますようよろしくお願いいたします。
問合せ0470-22-8271
【読者のコーナー】
布良のイタリア楽しんだ展覧会
(房日新聞2019.5.28付)
5月の連休は、寺崎武男の絵画を見たくて、館山市布良の旧富崎小学校で開催された展覧会を見に出掛けました。
寺崎武男の絵画を初めて見たのは南房総市白浜町の下立松原神社で、房州に伝わる神話を描いた壁画でした。それから他の作品を見たいと思いました。
今回の展覧会で、神話画以外の多くの絵に初めて触れる事ができました。戦争画や仏教画、さらに国史絵画もあり、題材は目まぐるしく変わるものを感じましたが、ベネチアを舞台に描いた絵画が多く展示されていました。
今は現代アートの祭典としてよく知られているベネチアビエンナーレに、戦間期に参加して日本人として初めて入賞していたのは驚きでした。そして戦後は、イタリアで学んだフレスコ画、テンペラ画、エッチングとリトグラフの版画を房州の若者たちに伝えていたとは。
さて会場展示作品のなかで一際目を引いたのは、布良?神社に鳥居型の額装で奉納されている絵画でした。
天富命が布良に上陸したシーンを描いた絵で、フレスコ画のような絵具層の剥落が見られました。
工業生産されたチューブ入りの絵具を使わないで、顔料と展色剤を自ら混ぜ、支持体、基底剤は自家製を使用しているのが確認できました。
描かれた当時は新しい画材の研究が進んでいなかったため、イタリアと風土が異なる日本で、ルネサンス期の古典技法の中から材料と技法を選択して、独自の表現を試みていたのでしょう。
剥落からかろうじて残った画面に描かれた船の大群や潮の躍動感から、眼前に迫り来る印象を受けました。
何が描かれているかではなく、画家に描かせた衝動はどこからきているのかを知りたくなりました。
心の中には天正遣欧少年使節も訪れたベネチアのきらめく陽光や水面への映り込みがあったのかもしれないと思いました。
今後、寺崎武男が日本美術史で重要な画家として注目されていくのが、非常に楽しみです。
(館山市 吉良康矢)