メディア報道

【房日寄稿】190713*青木繁の生誕祭

海とアートのまるごと美術館

青木繁の生誕祭

小谷福哲  <青木繁「海の幸」記念館館長・小谷家当主>

(房日新聞:寄稿2019.7.13付) ⇒印刷用PDF

青木繁作品の所蔵者である東京駅前のブリヂストン美術館が建て直され、来年、「アーティゾン美術館」と改名してリニューアルオープンします。東京五輪もあり、青木繁「海の幸」は国際的にも注目が高まるだろうと考えられています。青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会では、海とアートのまるごと美術館として、まちづくり活動に取り組んでいます。

きょう7月13日は青木繁の誕生日です。明治37年、22歳を迎えた2日後に、仲間と4人で写生旅行に館山を訪れ、布良のわが家に約40日滞在しました。そのとき描かれたのが、重要文化財「海の幸」です。

小谷家住宅は館山市指定文化財となり、全国の画家の皆さまと一緒に募金活動を展開し、青木繁「海の幸」記念館として開館しました。通常は土日のみの公開で、平日は団体予約となりますが、3年間で8000人の方が来場されました。千葉県民の投票により「ちば文化資産」にも選定されています。

記念館では、きょう13日から海の日(15日)までの3連休を生誕祭として公開します。来場者には手作りのトコロテンや紫蘇ジュースをサービスし、青木繁の誕生日を皆さんとともに祝いたいと思います。

また、渚の駅たてやま2階ギャラリーでは、きょう13日から9月1日まで、「館山の海を愛した画家たち展」を開催します。青木繁の同寸大の複製画をはじめ、寺崎武男・倉田白羊の原画などを展示紹介します。

初日の13日には10時半から、島田吉廣さんが「複製画制作から見える青木繁が描く波」について解説をします。ダイナミックなギャラリートークを聞き、実際に絵画を鑑賞した後、布良の青木繁「海の幸」記念館へ足を運んでいただければ幸いです。

翌週の20日は布良崎神社の祭礼です。青木繁が感動し「海の幸」のヒントになったと思われる布良の神輿もぜひご覧ください。特に夕方の布良漁港では、夕陽が神々しく、おすすめです。

また、女子美術大学付属中学139名が6月にスケッチツアーで来訪し、布良を描いた作品展を、青木繁記念館と千里の風と安房自然村で27日からおこないます。

この夏は、海とアートのまるごと美術館をお楽しみください。

【房日】190713*きょうから「青木繁生誕祭」

きょうから青木繁生誕祭、布良記念館3日間公開

渚の駅では企画展

(房日新聞2019.7.13付)‥⇒印刷用PDF

館山市の「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」では、企画展「館山の海を愛した画家たち展〜青木繁・寺崎武男・倉田白羊」をきょう13日から、渚の駅たてやま2階ギャラリーで開く。9月1日まで。入場無料。休館日は29日、8月26日。

会では、この展示に合わせ、13日から3日間、「青木繁生誕祭」として、同市布良の青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅)で、記念館を一般公開する。入館料は200円で、小中高100円。午前10時から午後3時半まで。

渚の駅たてやまでは、13日午前10時半から島田吉廣さんのギャラリートーク「複製画制作から見える青木繁の描く波」を予定している。

問い合わせは、事務局の池田さん(090-6479-3498)、河辺さん(090-3218-3479)へ。

【千葉日報】190112*『海の幸」残せ 緞帳修復

館山の漁村訪問時に制作、『海の幸』残せ 緞帳修復

青木繁の代表作 佐賀大教員ら

(千葉日報2019.1.12)‥⇒印刷用PDF

福岡県久留米市の市民会館の解体に伴い、同市出身の洋画家、青木繁(1882〜1911年)の代表作「海の幸」を模した緞帳(どんちょう)が廃棄されることになり、惜しんだ遺族らが一部引き取り、佐賀大芸術地域デザイン学部が修復作業をしている。「地域に溶け込んだ作品への思いを大切にしたい」と3月に作業を公開、訪れた人に手伝ってもらう。

「海の幸」は青木が館山氏の漁村を訪れた際に制作され、もりを持って歩く漁師の一軍が描かれている。

市民会館は1969年に開館。京都の綴錦織(つづれにしきおり)業者が約200種類の意図を使って制作した縦7.4メートル、横19.5メートルの緞帳が設置された。青木繁の孫で、東京で九州郷土料理店を営む松永洋子さん(74)は、父親で作曲家の故福田蘭童さんが「そのまま再現されている。こんなに素晴らしいものは見たことがない」と興奮していたのを覚えている。

市は老朽化を理由に2017年に市民会館の解体を開始。緞帳を別の施設に展示することも検討されたが、サイズが合わないなどの理由で断念。動きを知った松永さんが、画廊関係者らの協力を得て市と交渉し、祖母にあたる故福田たねさんがモデルとされる女性の顔の部分(縦3.1メートル、横5.6メートル)を切り取り、引き取った。

東日本大震災などで文化財レスキューに携わった佐賀大芸術地域デザイン学部の石井美恵准教授と一部の学生が17年12月から修復に向けた作業に取り掛かった。ダニを駆除するため薬剤を含む袋に入れ、数ヶ月間放置。掃除機で死骸やほこりを吸い取り、切り取った際に出来たほつれ箇所や縫い方の技法を調べた。

2年の吉川千夏さん(20)は「大変な作業だが、実践的で貴重な経験」と充実した様子。石井准教授は「織物としても素晴らしい。学生の勉強にもなっている」と語り、昨年11月に見学した松永さんは「多くの人とのご縁で今がある。何回見ても胸がいっぱいになる」と感謝を述べる。

修復作業は3月24日から31日まで佐賀大美術館で公開され、ほつれの縫い合わせを手伝ってもらう。松永さんは参加者らの意見も踏まえ、保存場所を検討する方針。

【0470-No.51】190531*インタビュー=島田吉廣

「0470-」No.51(2019.5.31)‥⇒印刷用PDF

インタビュー=島田吉廣

【0470-people】 島田吉廣さん

(しまだ よしひろ)

1950年館山市生まれ。高校卒業後、都内印刷会社へ就職し、その後地元に戻り自身の印刷会社「アートプロセス」を開業。日本に3人しかいかい厚生労働大臣認定の「カラースキャナ一級技能士」取得者。現在は「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」副会長を務め、青木繁の5作品を複製画制作。

表紙No.51『朝日』

・インタビュー・写真・文 菅野博

 

*印刷技術は進歩と共に

高校では写真部に所属していました。将来も写真を撮りたいと思っていたけれど、卒業してすぐに東洋インキという東京の会社に就職して、着色の研究をしました。インキは、顔料とニスを混ぜ合わせて作ります。掃除にシンナーを使うため身体には負担が大きく、具合が悪くなってしまい、1年あまりで辞めて館山に戻ってきました。その後、東京の小宮山印刷という会社から、カメラマンが足りないと声がかかり、再び上京しました。当時の印刷は、ガラスを使ったオフセット印刷。その後、フィルムに切り替わり、スキャナー時代がきました。バルセロナ五輪のときにデジタルになって伝達の高速化が進みました。今はCCDの技術が上がり、コンパクトカメラでも大きなデータを扱えるようになりました。私がいた時代は、印刷技術が一番進歩した時期。変化とともに、私の仕事もとにかく忙しかった。30才近くで再び館山に戻り、クロスフィールド社製マグナスキャン656というデジタルスキャナーを、千葉県で初めて導入しました。これはNASAで開発され、バルセロナ五輪で使われた、たいへん優れたものでした。「館山にマグナスキャンを使っている製販会社がある」と富士フィルムの社内報に紹介されて知れ渡り、都内の仕事も広く手がけるようになりました。

 

*アナログの特殊技術とデジタル知識の融合

私はガラス板からCCDまで進化する時代を経験し、一級カラースキャナー技能士という国家資格を取得しました。この資格者は全国で3人いましたが、現在は2人です。私たちアナログ世代はどんどん活躍する場が減り、この技術は必要なくなってしまいました。デジタルカメラがすべて自動修正してくれて、だれが撮っても綺麗に仕上がるからです。しかし絵画の複製は、ただ綺麗に仕上げればよいというものではありません。作家が当時描いたであろう色を忠実に再現することが重要なのです。デジタルデータは劣化せず保存に適しているので、美術館にある古い絵画の写真も、通常はポジフィルムからデジタルデータに変換します。中にはポジフィルムのまま保存され、劣化しているものもあります。1904年に館山市布良で描かれた青木繁の「海の幸」は、100年以上経っているので、様々な経年変化が起きていました。ですから、所蔵美術館から借用したデータをもとに複製画を作るには、色修正をしなければなりません。さらに作品の傷をデータ上で修正し、必要に応じて色補正をおこない、できるだけ原画に近づけます。これは、アナログ時代に習得した特殊技術と、今のデジタルの特徴を理解してこそできることなのです。

 

*描いた当時の状態に複製する

私はこれまで青木繁の複製画を5作品制作しました。何度も美術館に通い、原画を見ては記録して、記憶して、データと照らし合わせての繰り返しです。代表作「海の幸」の特徴としては、ダークブラウンが多く使われています。複製画でこの色を出すのはとても難しいのです。赤に青を足すとブラウンになりますが、強く足し過ぎるとブラックになってしまう。複製作業に取り組んで感じたのは「名画は茶系色が多いな」ということ。たとえばミレーの「落穂拾い」や「羊飼い」など。青木繁作品を複製するのはとても難しかった。なかでも「朝日」という作品について、私はずっと悩んでいました。晩年病と闘いながら、朝日を描くものだろうか。実際に描かれた唐津湾は北を向いていて朝日は昇りません。これは、幸せの絶頂だった頃の布良の夕日ではないかと。しかし、修正作業を通して絵に向き合っていると、波にすごく力が入っていることがわかりました。朝日だろうと夕日だろうとどちらでもいいのです。青木が描きたかったのは太陽ではなく、波だったんだと気がつきました。「朝日」といういう作品名は没後につけられたそうですが、本当のタイトルは「玄界灘」なんじゃないかと私は思っています。原画はひび割れしている部分が多いので、それを細かく修正して、描いた当時の状態に戻して複製画を作りました。実は私も心臓に疾患を持っていて、いつ自分の人生が終わるかわからない。青木の苦悩と自分を照らし合わせながら頑張りました。何度も色校正を出して吟味し、完成までに2年近くかかりました。最近「朝日」が佐賀県重要文化財に指定されたと聞いてとても嬉しく思っています。

 

*布良は美術界の聖地

私が小学校の頃、学校に「海の幸」の写真が飾られていたのですが、あんな下品な絵は大嫌いだと感じていました。日本で最初の洋画の重要文化財「海の幸」が描かれた布良は、美術界の聖地と呼ばれているそうです。2008年には、布良の活性化を目ざして「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」ができました。青木繁が過ごした個体家住宅を保存するために、全国の画家の皆さんと一緒にお金を集めて修復し、2016年に青木繁「海の幸」記念館を開館しました。全国から400名を超える友の会の会費と入館料などで運営しています。この活動を通して、青木繁を誇りに思えるようになりました。今では、「海の幸」は布良?神社の祭りの神輿がヒントになって描かれたと確信しています。今年のGWには廃校の富崎小学校を活用して、「海とアートの学校まるごと美術館」を開館しました。夏休みには、渚の駅ギャラリーで「館山の海を愛した画家たち展」を開催し、複製画も展示予定です。

 

青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅

‥⇒HP

〒294-0234 千葉県館山市布良1256
開館日:毎週土・日曜
(お盆時期・年末年始を除く。平日は団体予約承ります。)
4〜9月 10:00〜16:00
10〜3月 10:00〜15:00
入館料(維持協力金) 一般200円、小中高100円

【房日寄稿】190530*学校まるごと美術館:開催の報告と御礼(嶋田博信)

海とアートの学校まるごと美術館 開催の報告と御礼

嶋田博信(青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会会長)

(房日新聞2019.5.30付)⇒印刷用PDF

館山市富崎地区は、マグロはえ縄船発祥の漁村として栄え、日本一人口密度が高かったといわれますが、今では市内で最も少子高齢化が進んでいます。当会は10年にわたり、富崎地区コミュニティ委員会・NPO法人安房文化遺産フォーラムと協力しながら、歴史文化遺産を活かした地域活性化活動を行なってきました。

このたび大型連休に旧富崎小学校の空き校舎を利活用し、「海とアートの学校まるごと美術館」を開催しました。館山市・同教育委員会・同観光協会・房日新聞社の後援を得て、また毎日のお楽しみ企画や販売など多くの皆様のご協力をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。

おかげ様で、卒業生や地元の皆さんをはじめ、NHKニュースを見て県外からいらしたという方や、二度三度と繰り返し足を運ばれた方もおり、青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅)と合わせて延べ1700人の方が来場しました。

アンケートでは、「素晴らしい企画で感動」「とても見応えがあった」「こんな利用の仕方を思いつく発想が素晴らしい」「館山には美術館がないので楽しかった」「地元の皆さんがよく協力して運営しているご努力に感激した」「ボランティアの皆さんに感謝」「改めて自分の育った土地の良さを実感した」「館山にいても知らない世界を見られて感動した」「我が母校が美術館になって嬉しい」「館山ゆかりの作家をとても身近に感じた。もっと多くの人に知ってほしい」「絵画だけでなく、すごい資料を揃えていて素晴らしい」「このような企画をまた期待する」「美術館の学校として年間オープンしてほしい」「市民の財産を耐震強化し、地域活性化のために有効活用してほしい」などと、喜びの声や温かいご意見が寄せられました。

なかでも寺崎武男画伯については、ご遺族から提供された原画の数々に、我々運営側も来場者もその迫力に圧倒され、あらためて感動しました。私の同級生でもあるご子息の寺崎裕則氏が東京から駆けつけて、お父上の画業についての話して下さいました。それを伺いながら、高校の美術部であった私自身も懐かしく、そして誇らしく思い出させていただきました。

館山の海を愛し、自ら「海洋の画家」と称した寺崎画伯は、海の作品をたくさん描いています。壁画家であった画伯は、「作品の対角線の7倍離れた距離から見ると浮き上るように描いている」と言っていたそうです。今回は体育館という広い会場だったため、たしかに波が大きく揺れ動いているように見えました。今回は、横山大観とともにローマで開催した日本美術展覧会の作品集や、青木繁の名が記された手帳など価値ある展示品も多彩にあり、今後の調査研究が期待されるところです。

重要文化財「海の幸」を描いた青木繁だけでなく、日本美術史に大きな影響を与えた画家たちがこの地に住んでいたということは、私たち市民の誇りです。夏には、渚の駅ギャラリーを会場に、小規模ながらも「館山の海を愛した画家たち展」を開催する予定です。再び多くの皆様にご覧いただければ幸いです。

青木繁「海の幸」記念館(入館料200円・小中高100円)は土日のみの開館ですが、平日でも団体見学の予約を受け付けています。「友の会」会員(年会費2千円)は、記念館の入館無料のほか、会報でイベント情報などをお知らせしています。息長い維持運営とまちづくり活動を目ざし、皆様のご理解ご支援をお寄せいただけますようよろしくお願いいたします。

問合せ0470-22-8271

【房日:読者コーナー】190528*布良のイタリア楽しんだ展覧会
【読者のコーナー】

布良のイタリア楽しんだ展覧会

(房日新聞2019.5.28付)

5月の連休は、寺崎武男の絵画を見たくて、館山市布良の旧富崎小学校で開催された展覧会を見に出掛けました。

寺崎武男の絵画を初めて見たのは南房総市白浜町の下立松原神社で、房州に伝わる神話を描いた壁画でした。それから他の作品を見たいと思いました。

今回の展覧会で、神話画以外の多くの絵に初めて触れる事ができました。戦争画や仏教画、さらに国史絵画もあり、題材は目まぐるしく変わるものを感じましたが、ベネチアを舞台に描いた絵画が多く展示されていました。

今は現代アートの祭典としてよく知られているベネチアビエンナーレに、戦間期に参加して日本人として初めて入賞していたのは驚きでした。そして戦後は、イタリアで学んだフレスコ画、テンペラ画、エッチングとリトグラフの版画を房州の若者たちに伝えていたとは。

さて会場展示作品のなかで一際目を引いたのは、布良?神社に鳥居型の額装で奉納されている絵画でした。

天富命が布良に上陸したシーンを描いた絵で、フレスコ画のような絵具層の剥落が見られました。

工業生産されたチューブ入りの絵具を使わないで、顔料と展色剤を自ら混ぜ、支持体、基底剤は自家製を使用しているのが確認できました。

描かれた当時は新しい画材の研究が進んでいなかったため、イタリアと風土が異なる日本で、ルネサンス期の古典技法の中から材料と技法を選択して、独自の表現を試みていたのでしょう。

剥落からかろうじて残った画面に描かれた船の大群や潮の躍動感から、眼前に迫り来る印象を受けました。

何が描かれているかではなく、画家に描かせた衝動はどこからきているのかを知りたくなりました。

心の中には天正遣欧少年使節も訪れたベネチアのきらめく陽光や水面への映り込みがあったのかもしれないと思いました。

今後、寺崎武男が日本美術史で重要な画家として注目されていくのが、非常に楽しみです。

(館山市 吉良康矢)

【房日】190528*子ども神輿 布良で新調

子ども神輿 布良で新調

6月2日にお披露目

(房日新聞2019.5.28付)

館山市の布良地区で、子ども神輿が新調された。6月2日には同地区の布良?神社でお披露目をすることになり、地区内外から担ぎ手の子供たちの参加を呼び掛けている。

子ども神輿は、70年ほど前に地元商店の寄付でつくられた。老朽化が激しいため、地域住民、関係者の寄付で新調された。「大人神輿みたいに、立派」と住民ら。

お披露目は午後2時からの予定で、参加者は祭り衣装で集合する。

問い合わせは布良青壮年会の豊?会長(190-8052-0109)へ。

【房日】190509*館山俳句連盟が富崎地区で34人が画家の聖地吟行

34人が画家の聖地吟行
互選1位は三尾敦子さん
館山俳句連盟が富崎地区で

(房日新聞2019.5.9付)‥⇒印刷用PDF

館山市俳句連盟(庄司風樹会長)による、「画家たち(青木繁・寺崎武男・倉田白羊)の聖地を巡る吟行句会」がこのほど、旧富崎小学校であり、34人の俳句愛好家が参加した。富崎界隈を各自巡り、俳句を投句。

鳥曇という晩春の季語のような一日で、愛好家らが旧富崎小の図書室に集い、5時間余り俳句三昧の時間を過ごした。

旧小学校から布良崎神社、青木繁記念館、釣り人が居ならぶ漁港などを吟行。学校が「まるごと美術館」となった校舎内の展示を巡った。圧巻は体育館の寺崎武男、倉田白羊、青木繁の作品(複製を含め)群。多くの句材に刺激を受けて佳句が生まれた。

 

上位成績は次のとおり。=敬称略

【互選1句得点順】

▽ 1位=長靴を逆さに干して漁港初夏(三尾敦子)
▽ 2位=鉄棒の錆びて夏草生ふる庭(伊藤よし江)
▽ 3位=揚げ船の女名前や浜大根(森とし子)
▽ 4位=忌部氏の下り立つ浜や磯菜摘む(櫻井泰)
▽ 5位=安房節の歌碑の字白し青葉潮(古居芳恵)

【選者特選2句】
*庄司風樹選

▽ 鉄棒の錆びて夏草生ふる庭(伊藤よし江)
▽ 布良浜にきらりと光る裸婦の顔(吉田信男)

*滝口照影選

▽ 延縄漁を唄ふ安房節菜種潮(石崎和夫)
▽ 長靴を逆さに干して漁港初夏(三尾敦子)

*石崎和夫選

▽ 雄叫びの「海の幸」より布良暮春(森とし子)
▽ 長靴を逆さに干して漁港初夏(三尾敦子)

【参加者の1句=投句順】

・布良岬一直線に春の潮(沖村 菊江)
・一舟を沖に浮かべて富士かすみ (浅沼智栄子)
・夏近し学舎護る尊徳像 (川崎 一美)
・ランドセル見ればなつかしわが母校(吉田 信男)
・老いて尚一歩踏み出す青葉風 (高梨 光素)
・校歌の碑歌ふ児等なく春の庭 (伊藤よし江)
・春の浜こころ青春令和へと((沼野 和子)
・元禄の津波の高さ鳥曇 (長谷川エイ子)
・浜大根風のすき間の漁師船 (古居 芳恵)
・海の幸繁愛せし布良の浜 (牧野 力)
・廃校のプールに残る児らの声 (山中 宏子)
・雄叫びの「海の幸」より布良暮春 (森 とし子)
・南風吹く女神男神の山の息 (伊東 茜)
・潮満ちて春の大島近くなり (粕谷 艪水)
・春光や画布に岬の女神顕つ (石崎 和夫)
・布良沖の釣り人自慢いさき漁 (田中 信子)
・布良沖に鎮魂のうねり夏兆す (湯川 敬人)
・廃校の椰子一本に初夏の風 (庄司 風樹)
・布良沖に日の島のあり躑躅燃ゆ(里村 梨邨)
・ゆるゆると遥か船行く春の海 (広沢 真弓)
・安房節も延縄漁も此処風薫る (小谷たかし)
・記念碑は幣のかたちよ風光る (斎藤 一向)
・岩座に宿る神の意初夏の海 (角田 秀子)
・つばくらめ阿由戸の浜をひるがえり(庄司 泰雄)
・若葉風「繁」の布良の白鳥居 (小形 博子)
・廃校の寂しさは蒲公英の花 (滝口 夢丼)
・安房節の碑に風渡り卯波立つ (滝口 照影)
・行く春や彼の眼差しは誰に向く (粕谷 洋子)
・夏座敷正午を告げる旧時計 (櫻井 泰)
・新しき砂敷きつめ社初夏 (三尾 敦子)
・魚島や担ぎて一人こちら見る (田辺 正子)
・夏めく海や延縄を想像す (星加 晴美)
・十連休渚は女波返しをり (渋尾 正夫)
・レリーフのたねさん撫づる柿若葉 (平嶋 共代)

【房日】190518*「安房地域の図書館史」語る(安房歴史文化研究会)

「安房地域の図書館史」語る

安房歴史文化研究会_25日に館山で公開講座

(房日新聞2019.5.18)‥⇒印刷用PDF

安房歴史文化研究会の今年度第1回の公開講座(通算59回)が、25日午後2時から館山市北条の市コミュニティセンターで開かれる。アワブンカイサンフォーラムの会員の関和美さんが「安房地域の図書館史」のテーマで語る。資料代として200円。

関さんによると、近代的な文庫や図書館が設置されたのは明治期から。安房地域で明治期に設置された文庫・図書館には、1903(明治36)年に開設された佐久間村(現、鋸南町)の「御大典記念私立奥山文庫」や、1912(明治45)年に設置された館野村(現、館山市)の「簡易図書館」などがあるという。

「学校図書館」については不明なことが多いが、千葉県教育史に位置付けられる旧安房南高等学校資料を確認しているなかで、学校図書館に関わる貴重な資料が発見された。その資料を検証するとともに、戦後日本の学校図書館の発展に重要な役割を果たした長狭高等学校図書館活動の資料などを紹介する。

安房地域の図書館活動に関わる人物や出来事では、とくに鴨川地域で戦前から文化活動のリーダー的存在であり、その後鴨川町図書館長として功績があった医師原進一氏を中心に取り上げる。あわせて今を生きる安房の「図書館人」に求められていることを考察するという。

問合せは、事務局の石?和夫さん(0470-23-6677)へ。

【房日寄稿】190518*里山里海活動の価値(齊藤陽子)

里山里海活動の価値

台湾での国際フォーラムに参加して

齊藤陽子(樹木医)

(房日寄稿2019.5.18)‥⇒印刷用PDF

4月18日から23日にかけて、台湾で「地景の永続的発展のための国際フォーラムが開催されました。この会議で安房からは、安馬谷里山研究会の横山全宏さんが招かれて発表されました。なぜ国際会議に安房の里山活動なのか、まずはご紹介します。

地景の永続的発展のための国際フォーラムとは

景色や土地の持続可能な開発・発展を議論する場として、ドイツやベトナム、日本から300人ほどの参加がありました。日本からは秋吉台や伊豆など6つのジオパーク(地球や大地の公園)の方々が、ブースを設けて紹介をしていました。

主催は台湾の地理学会、ジオパーク協会、国立公園協会。課題は地景の持続可能な開発、ジオパークや国立公園のあかた、里山の新しい取り組みでした。台湾でこのように関係機関が連携して、多岐にわたる分野のバランスの取れた自然保護と開発が検討されるのは画期的なことのようでした。

安馬谷里山研究会からの発表の経緯

数ある日本の取り組みの中で、地元研究会が招待されたのは台湾国立高夫師範大学地理学系の劉(りゅう)淑惠教授とのご縁からでした。劉教授は2016年5月に開催された第13回里山シンポジウムin南房総に参加され発表され、この地の里山活動にも熟知されています。

里山里海活動の現在的価値

現在の喫緊の課題は、地球温暖化防止のための取り組みです。世界目標は2015年に凍結されたパリ協定の枠組みにおける温室効果ガスの削減です。それには炭酸ガスを吸収する森林の活用が大切です。

また2015年9月の国連サミットで採択されたSDGs(エス・ディー・ジーズ、世界を変えるための17の目標)では、13気候変動に具体的な対策を14海の豊かさを15山の豊かさも——と挙げ、持続可能な世界を実現するため、地球上の誰1一として取り残さない取り組みを誓っています。

この国際的な課題に私たちの足下で取り組んできたのが「研究会」です。同会は平成15年に千葉県里山条例が制定されたことに伴い、南房総市との協働で8月に設立。3・5ヘクタールの雑木林を切り開き、桜や椿などを植樹してきました。この場所は市民の森林セラピーの場所として活用され、里山ハイキング、里山保育などが行われています。代表の横山さんは、里山を案内するときには必ず海の見える所に案内するそうです。整備した山から注ぐ鉄分を含んだ有機物が海のプランクトンを育て、生物多様性を実現していることを実感してもらうためです。

フォーラムで横山さんは「自分は84歳ですが、48歳のつもりで発表します」と笑いをさそって口火を切りました。同会も参加して2018年5月には南房総里海連絡会を組織したとして、大房岬自然の家、「きらり」じょうやまの会、大貫古道の会、高塚山望活クラブ、和田浦くじら食文化研究会、大山千枚田の活動について映像を交えて報告され、世界の参加者と里山里海活動の価値を共有する時間となりました。

外から評価されて、足下の価値に気が付くことがあります。地元の方たちが長年行政と共働してボランティアで取り組んできたこのことに、私たち市民も物心両面で支援することも、SDGsへの取り組みの一環になると考えました。

(樹木医)