曹洞宗の人権主事の皆さんが、研修でいらっしゃいました。
企画担当は、鴨川市の永明寺の栗原弘道住職です。
いつもの座学で、館空で訓練した落下傘部隊の話をしたとき、
スクリーンに移った写真を見て、
「あ!秋山巌先生だ」 と声をあげたのは、
成田の長寿院の篠原鋭一住職。
山頭火の俳画で著名な秋山先生の版画作品は、
曹洞宗のポスターとして広く知られているのですね。
「落下傘部隊の話は何度も聞いていたけど、こんなところでつながるとは…」
と驚かれていました。仏様のお導きでしょうか…合掌。
ほかにも、台東区の安昌寺の渡邊雪雄住職。
東京の佐藤大英住職は世田谷学園に勤務でまたまたご仏縁。
上星町の金剛寺の清昌道住職。
群馬大泉町の龍泉院の飯田知義住職。
君津の見性寺の殿城太寛住職。
午後は、戦争遺跡の赤山地下壕、
婦人保護施設「かにた婦人の村」、
浄土宗大巌院のハングル「四面石塔」をめぐりました。
恒例、安房神社の海軍落下傘部隊の慰霊祭が行われました。
1941年9月、精鋭1,500名が館山海軍航空隊に集結し、
上空300mからの降下訓練を3ヶ月行ない、
12月には台湾の嘉義航空隊で最終訓練の後、
翌年1月には横須賀第一特別陸戦隊(横一特)がセレベス島メナドへ、
2月には横須賀第三特別陸戦隊(横三特)がティモール島ク―パンへ
奇襲攻撃をかけ、占領に成功しています。
しかしその後の激戦のなかで、多くの方が命を落とし、
生き残ったのは200人といわれています。
その一人、貴重な証言をしてくださった版画家の秋山巌先生の長女、町田珠実さんが
毎年、お父上の代わりに、お父上のお仲間の慰霊のために、来訪されました。
秋山巌先生のご健康を心よりご祈念しております。
NPO平塚らいてうの会(米田佐代子代表)の皆さんが平和学習で来訪されました。
らいてうさんのお父さんが、館山市北条(六軒町)の諏訪神社裏に別荘をもっていました。
館山白百合幼稚園の創設者・島野初子(矢部初子)さんは、らいていさんのご友人だったご縁もあり、『新婦人の人びと』という本には紹介されており、著書の折井美耶子さんからご寄贈いただきました。ありがとうございます。