秋山巌
●秋山 巌 / 1921(大正10)〜2014(平成26)
=落下傘兵から山頭火の版画家へ=
1921(大正10)~ 2014(平成26)
20歳で海軍落下傘部隊に入隊し、横須賀鎮守府第三特別陸戦隊(横三特)に所属。精鋭1,500名は、1941(昭和16)年9月から2か月間、館山海軍航空隊において高度300mからの降下訓練をおこなった。無事に降下できると10円が支給されたというが、なかには落下傘が開かずに墜落したり、館山湾に着水しておぼれたりと、訓練中に死亡事故もあったという。
12月には台湾の日本海軍嘉儀航空隊で最終訓練をおこない、日米開戦と同時に新たな作戦指揮下後に編入された。翌1942(昭和17)年1月に南洋に赴き、2月にはティモール島クーパンへの奇襲攻撃に参加した。その後帰還し、1943(昭和18)年3月、館山海軍砲術学校で陸戦訓練の後、5月にはアッツ島の戦いに伴い精鋭300人の「白菊部隊」が編制されたが作戦中止となり、潜水艦コマンド部隊に改編され、チューク(トラック)・ラバウルを経てサイパンで終戦を迎え、連合軍のオーストラリア兵の捕虜になったという。
戦後は、太平洋美術学校で坂本繁二郎に師事し、後に棟方志功の門下生となり、棟方を見出した柳宗悦や河井寛次郎らの薫陶も得ている。独学で民俗学・仏教学・俳詩・陶芸・彫刻・水墨画を学び、1966年より、駐日アメリカ合衆国大使館主催によるCWAJ現代版画展に招待され、作品を出品している。
種田山頭火やフクロウなどをモチーフにした版画は、墨絵の印象に近い作風が高く評価され、イギリスの大英博物館はじめ海外の公立美術館にも所蔵されている。
戦後65年を経て思い出の地・館山を訪れ、大巌院において作品展を開き、南総文化ホールにて落下傘兵としての証言を語るトークショーをおこなった。長女・町田珠実さんは父の遺志を継ぎ、「海軍落下傘部隊を語り継ぐ会」の活動をおこなっている。