小野次郎右衛門(御子神典膳)
●小野次郎右衛門(おのじろうえもん)
○御子神典膳(みこがみてんぜん)
戦国時代末期に丸山地区の小集落御子神に生まれ、剣術の天稟に恵まれ、天下にその名が轟く剣豪伊藤一刀斎の弟子となって諸国を遍歴して技芸を磨き、遂に徳川幕府に認められて、二代将軍秀忠の剣術指南役に取り立てられ、小野派一刀流の開祖となった人がいる。御子神典膳(後の名を小野次郎右衛門忠明という武芸者)。小野次郎右衛門については、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した名だたる剣豪たちの一人として既に十目の視るところ、十手の指すところで、次郎右衛門の道統は子孫たちに相承け継がれて隆盛し、またそこから派生して中西一刀流や千葉周作の北辰一刀流などの派も起こっていった。御子神典膳は現在の御子神村で生まれたというが、その父は、元々伊勢(現在の三重県)に住んでいて、故あってその父とともに御子神の山中に移ってきたと作家の柴田練三郎はその自著の中で書いている。
剣豪として歴史に名を残す小野次郎右衛門であるので、歴史家や作家たちが書き記すところ多いが、その中から次の作品を(下位記事に)紹介する。
◎出典:安房の文芸を訪ねて〜丸山・千倉・白浜・洲ノ崎篇〜
…発行:館山市立図書館
…編集:池田逸雄