川名博夫
●川名博夫(かわな・ひろお)「結核治療を地域から支えた医師」
1864(元治元)〜1947(昭和22)
富浦(南房総市)生まれ。東京帝国大学医学部でベルツ博士の薫陶を受け、結核の治療法を研究。していた1891(明治24)年に住民たちの出資によって、転地療養を取り入れた館山病院を開業した。妻とりの父・福原有信がもつ政治経済界のネットワークを通じて、全国的に知られるようになった。1918(大正7)年から18年間、千葉県医師会会長を務めている。妻の妹は渋沢栄一の次男に嫁いでおり、姻戚関係である。
館山病院は関東大震災で全壊したが、福原の出資により株式会社館山病院を再建している。館山病院の転地療養パンフレットには資生堂が東京案内所と記されている。
兄吉太郎は千葉県議会議員、義兄の古市公威は土木工学の第一人者で帝国大学工科大学長・土木学会長・工学会理事長。三女露子の夫・穂坂与明が館山病院の二代目院長となり、渋沢栄一の渡米時には侍医として同行している。川名博夫の甥にあたる川名正義(吉太郎の五男)が三代目院長となる。