本田存(ありや)

●本田存(ほんだありや)
1871(明治4) 〜 1949(昭和24)

「日本一のカッパ中学を育てた師」
群馬県館林生まれ、水泳は水府流太田派を極め、柔道は講道館8段。嘉納治五郎が校長を務めていた東京高等師範学校(現筑波大学)が北条海岸(館山市)に合宿所「芳躅舎(ほうしょくしゃ)」を開き、水泳師範として来房。

1903(明治36)年から30余年、北条に住み、開校3年目の安房中学で指導をおこなう。当時、日本水泳界を代表する強豪校である第一高等学校と東京師範高等学校が鏡ヶ浦で水練を実施しており、1906(明治39)年、当地で開催された第1回関面東連合遊泳大会に安房中学も参加している。師の薫陶を受け、熱心に後進の指導にあたる伝統を継承した安房中学(現安房高校)水泳部は「カッパ中学」の異名をとり、関東中学大会で常に上位入賞し、1947(昭和22)年には全国中等学校水泳選手権大会と国民体育大会で全国制覇している。

本田は東京外国語学校(現東京外語大学)朝鮮語学科の教授としても重要な役割を果たしている。

お墓は金台寺にある。安房高校では水府流太田派を受け継いだ泳法部があり、活躍している 。

…◎『館山まるごと博物館』より抜粋…

 

【金台寺 墓碑】

(正面)本田存先生之碑

(向かって右面)先生は上□館林に生れ水泳は水府流太田派を極め柔道は講道館八段にして明治三十六年より北條の地に三十余年間斯道の指導に当られ実に房州水泳並柔道の開祖である

(向かって左面)昭和二十四年一月二十一日客死於北條海岸仮寓分骨埋葬行年七十九歳

(背面)安房水泳倶楽部 安房柔道有段会 茗渓会館山支部