岩城滝次郎

●岩城滝次郎(いわき・たきじろう)
1857(安政4)〜1915(大正4)

「日本のステンドグラスの祖(岩城硝子創設者)」

館山市那古生まれ。18歳で東京深川の親戚を頼って、江戸切子創始者・加賀屋久兵衛一門の沢定次郎に弟子入り。とも竿で餅種(ガラスの生地)を巻き取り、そこに息を吹き込んで成型する伝統的な和吹きの技法を習得した。洋館建築流行のなかで、輸入に頼っていた窓の板ガラスの需要は大きく、1874(明治7)年、政府は英国製ガラス製造機械と技術者を導入して、日本初の西洋式ガラス製造会社・品川興業社を設立した。

しかし、板ガラスの国産化は急務で、政府は工部省所有である品川硝子製造所の工場規模を拡大し、英国やドイツから技術者を招聘して人材の育成にあたった。和吹き技法を身につけていた滝次郎は、品川硝子製造所の伝習生として入所し、「舶来吹き」という大型ガラス器製造が可能な鉄製パイプ竿を使用する技法を学んだ。後に独自の技法も創案するが、滝次郎は日本における「舶来吹き」の第一人者となり、職工長に任命され、翌年、周りから祝福されて独立した。

この会社こそ、日本最初の「舶来吹き」の民間ガラス工場となる岩城硝子製造所であった。滝次郎のガラス製造事業は大きな成果を挙げ、1885(明治18)年には航海灯の赤色ガラスをはじめ、日本で初めてステンドグラスを製造し、近代ガラス産業の基礎を築いた。

…◎『館山まるごと博物館』より抜粋…