福原有信
●福原有信(ふくはら・ありのぶ)
1848(嘉永元)〜1924(大正13)
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「銀座と女性に夢を与えた資生堂創設者」
安房神社に近い松岡村(館山市)に漢方医の孫として生まれる。幼少の頃より医学や薬草を学び、17歳で医学を志して上京。蘭学(西洋医学)を学び、医学と薬学の分業を提唱。1872(明治5)年、文明開化の銀座に自ら官を辞して「資生堂薬局」を設立、本格的な医薬品工業を興す。日本初の練歯磨「福原衛生歯磨石鹸」が評判になり、公衆衛生にも貢献した。医薬学界を中心に幅広い人脈を形成、1888(明治21)年、帝国生命保険会社を設立し、また1896(明治29)年には、郡長であった吉田謹爾らとともに北条町南町に安房銀行(安房で最初の銀行)を創業している。資生堂が薬学的な手法で化粧品を製造販売したのは、1897(明治30)年頃といわれる。
なお、長女とりが館山病院長であった川名博夫に嫁いだことから、銀座資生堂は転地療養の地にある療養サナトリウムのある民間病院として東京の窓口になっていた。そのため関東大震災後も館山病院の再建のため出資している。館山の遍智院(小塚大師)と東京谷中の西光寺に墓所があり、館山の松岡八幡神社には、「明治40年福原有信」と刻まれた鳥居や資生堂ゆかりの記念碑などがある。
…◎『館山まるごと博物館』より抜粋…