菱川師宣
●菱川師宣(ひしかわもろのぶ)
1618(元和4)?〜1694(元禄7)
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「浮世絵の祖」
安房国保田(現安房郡鋸南町)で縫箔刺繍業を営む父吉左衛門と母オタマとの間に、七人兄弟の第四子長男として誕生。俗称は吉兵衛、晩年には友竹(ゆうちく)と号しました。生年は不詳ですが、寛永の中頃(1630頃)と推定されています。
幼い頃より絵を描くのが好きだった師宣は、家業を手伝い、刺繍の下絵などを描くかたわら、漢画や狩野派、土佐派などの諸流派に接し、独学で画技を磨きました。
その後、江戸に出た師宣は、版本の版下絵師として活躍、文章を少なく、挿絵を大きく取り入れた絵本で江戸の庶民の人気を獲得しました。さらに鑑賞用としての木版摺の一枚絵を創始、絵画文化の大衆化に貢献しました。これが後の浮世絵版画のもととなったのです。
師宣は、常に江戸の庶民を題材とした風俗画を描くことを心掛け、肉筆画においても、歌舞伎や吉原遊里の風俗をこまやかに、色鮮やかに描き、『見返り美人図』に見られるような独自の女性美を追求し、「浮世」と呼ばれた当時の世相にマッチした新しい絵画様式を確立しました。
師宣は故郷房州保田をこよなく愛した絵師として知られ、落款には「房陽」「房国」という文字を入れたり、保田の別願院には父母や親族の供養のために梵鐘を寄進したりしています。
元禄7(1694)年6月4日、師宣は江戸で亡くなりました。遺骨は別願院に葬られたと思われます。
日本が世界に誇れる絵画文化「浮世絵」。その始まりは、菱川師宣という一人の絵師の活躍によって誕生し、その後、約一世紀を経て、鈴木春信が考案した多色摺版画の錦絵により、その黄金期を迎えます。