【朝日】220814_天声人語(特攻艇「震洋」)
77年前の太平洋戦争末期、日本軍は本気で本土決戦に備えていた。その一端を見せてくれる遺跡が千葉県館山市の海水浴場の近くにある。特攻艇「震洋」が発信するはずだったスロープである。遠浅の海に突き出たコンクリートの台は、教えられなければ見過ごしてしまいそうだ。
震洋は木製のモーターボートに爆薬を乗せた「兵器」で、敵艦に向かい、乗組員ごと自爆する。「近隣のまちでも船大工たちが造っていたといいます」と、NPO安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さんが教えてくれた。
6隻の震洋がここに配備されたのは1945年8月13日。すぐに爆薬を積み、いつでも出て行けるようにした。そんな特攻艇や人間魚雷、特攻機などの出撃地が日本の各地にあった。
岡本喜八監督の映画「日本の一番長い日」は戦争末期、降伏か、本土決戦かで揺れる首脳部を描いている。ある幕僚が徹底抗戦を主張する場面がある。「あと2千万の特攻を出せば、日本は必ず勝てます。男子の半分を特攻に出す覚悟で戦えば」
狂気にしか思えないが、それに近いことが考えられていたのだろう。爆弾を抱えて走り、戦車の下に潜りこんで自爆する。そんな訓練も各地でなされていた。竹やりで戦えというのも特攻と何も変わらない。
出撃が死を意味する特攻は、異常な戦闘行為である。しかしそれは、もしかしたら戦争の本質をグロテスクに示しているだけなのかもしれない。強制的に国民の命を差し出させるという戦争の本質を。