【房日】210325*「福田たね」の懐想画」語る(安房歴史文化研究会)

安房歴史文化研究会 28日に館山で公開講座「福田たねの懐想画」語る

(房日新聞2021.3.25) ‥⇒印刷用PDF 

安房歴史文化研究会の今年度第3階の公開講座(通算65回)が、28日午後2時から、館山市北条の市コミュニティセンター第1集会室で開かれる。同会の天野努会長が「青木繁《海の幸》と福田たね-福田たねの懐想画を中心にして」のテーマで語る。資料代として200円。

1月開催予定の例会が3月に延期された。万全の感染対策、検温、マスク着用、換気、密を避けることを守り、参加者を募る。

近代洋画部門でわが国最初の重要文化財に指定された青木繁の「海の幸」は、明治37年の夏、房州布良の小谷家に滞在中に描かれた。

天野会長は3年前、この公開講座で青木がこの作品に込めた思いやその背景について私見を述べた。布良に同行した福田たねが後年描いた懐想画などの資料からうかがえる、布良での様子や青木への思いについて、ほとんど触れることがなかったという。

今回は資料として、たねが後年、布良での出来事を懐想して描いた水彩画と前回も使用した「回想の記録」を取り上げる。たねが当時見聞きした布良の様子などについて検討した結果、半世紀ほどたっても、たねの脳裏には布良での出来事が深く刻まれていたことが明らかとなった。青木やたねが布良でどのようなことを見聞きしていたか、その一端を知ることができたという。

「布良の思出 たね子」のサインのある水彩画は、赤ん坊を背負った母親が海岸で夜の海に向けて提灯(ちょうちん)を掲げている絵で、その脇に「幸やいかに 未だわが背は かえる来ぬ 沖や大島 波の音しぬ」の歌が記されている。

福田たねと青木繁は、8月末ごろ帰京し、たねが翌年8月に愛児「幸彦」を生む。2人にとっては布良での滞在は1か月半ほどであったとはいえ、互いの心を強く結び付ける日々となったことが間違いないとし、たねが残した「回想の記録」と「懐想画」が、2人の関係とともに「海の幸」誕生に関わる貴重な資料となるものとして、天野会長が語る。

問い合わせは、事務局の石崎和夫さん(0470-23-6677)へ。