東京の練馬区美術館では、現在「没後50年 坂本繁二郎展」を開催中です。
会期は9月16日(月・祝)までです。
詳しくは下記よりご覧ください。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201906011559351169
青木繁と坂本繁二郎は、同じ1882年に久留米で生まれました。
ふたりとも小さい頃から絵を描くのが好きだったようです。
青木は画家を志し東京美術学校に入学。
そして坂本も上京、その後1904(明治37)年、
青木と坂本、森田恒友、福田たねの4人は
房州布良へ写生旅行に訪れました。
このとき滞在した布良の小谷家で、青木の代表作「海の幸」が描かれています。
海とアートのまるごと美術館
青木繁の生誕祭
小谷福哲
(房日新聞:寄稿2019.7.13付)‥⇒印刷用PDF
青木繁作品の所蔵者である東京駅前のブリヂストン美術館が建て直され、来年、「アーティゾン美術館」と改名してリニューアルオープンします。東京五輪もあり、青木繁「海の幸」は国際的にも注目が高まるだろうと考えられています。青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会では、海とアートのまるごと美術館として、まちづくり活動に取り組んでいます。
きょう7月13日は青木繁の誕生日です。明治37年、22歳を迎えた2日後に、仲間と4人で写生旅行に館山を訪れ、布良のわが家に約40日滞在しました。そのとき描かれたのが、重要文化財「海の幸」です。
小谷家住宅は館山市指定文化財となり、全国の画家の皆さまと一緒に募金活動を展開し、青木繁「海の幸」記念館として開館しました。通常は土日のみの公開で、平日は団体予約となりますが、3年間で8000人の方が来場されました。千葉県民の投票により「ちば文化資産」にも選定されています。
記念館では、きょう13日から海の日(15日)までの3連休を生誕祭として公開します。来場者には手作りのトコロテンや紫蘇ジュースをサービスし、青木繁の誕生日を皆さんとともに祝いたいと思います。
また、渚の駅たてやま2階ギャラリーでは、きょう13日から9月1日まで、「館山の海を愛した画家たち展」を開催します。青木繁の同寸大の複製画をはじめ、寺崎武男・倉田白羊の原画などを展示紹介します。
初日の13日には10時半から、島田吉廣さんが「複製画制作から見える青木繁が描く波」について解説をします。ダイナミックなギャラリートークを聞き、実際に絵画を鑑賞した後、布良の青木繁「海の幸」記念館へ足を運んでいただければ幸いです。
翌週の20日は布良崎神社の祭礼です。青木繁が感動し「海の幸」のヒントになったと思われる布良の神輿もぜひご覧ください。特に夕方の布良漁港では、夕陽が神々しく、おすすめです。
また、女子美術大学付属中学139名が6月にスケッチツアーで来訪し、布良を描いた作品展を、青木繁記念館と千里の風と安房自然村で27日からおこないます。
この夏は、海とアートのまるごと美術館をお楽しみください。
(青木繁「海の幸」記念館館長・小谷家当主)
きょうから青木繁生誕祭、布良記念館3日間公開
渚の駅では企画展
(房日新聞2019.7.13付)‥⇒印刷用PDF
館山市の「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」では、企画展「館山の海を愛した画家たち展〜青木繁・寺崎武男・倉田白羊」をきょう13日から、渚の駅たてやま2階ギャラリーで開く。9月1日まで。入場無料。休館日は29日、8月26日。
会では、この展示に合わせ、13日から3日間、「青木繁生誕祭」として、同市布良の青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅)で、記念館を一般公開する。入館料は200円で、小中高100円。午前10時から午後3時半まで。
渚の駅たてやまでは、13日午前10時半から島田吉廣さんのギャラリートーク「複製画制作から見える青木繁の描く波」を予定している。
問い合わせは、事務局の池田さん(090-6479-3498)、河辺さん(090-3218-3479)へ。
7月13日(土)から、千葉県館山市の”渚の駅”たてやまで、
「館山を愛した画家たち展~青木繁・寺崎武男・倉田白羊」が始まります。
初日には、館山市布良出身で青木繁の5作品を複製画制作した
島田吉廣さんによるギャラリートークが行われます。
*7月13日(土)10:30~11:30
「複製画制作から見える青木繁の描く波」‥島田吉廣(アートプロセス代表)
参考:【0470-No.51】190531*インタビュー=島田吉廣
そして、この日は青木繁の誕生日。館山を訪れた青木たちが滞在した
布良の小谷家(青木繁「海の幸」記念館として開館)は、
通常土日のみの公開ですが、13日~15日まで3日間開館します。
青木の誕生日をみんなでお祝いしましょう。
当時のたたずまい、青木繁が感じた空間をゆっくりお楽しみいただけます。
トコロテンや紫蘇ジュースのサービスもあります。ぜひお出かけください。
PDF : 海とアートのまるごと博物館
「館山の海を愛した画家たち展~青木繁・寺崎武男・倉田白羊~」が始まる
7月13日は、重要文化財『海の幸』を描いた明治の画家・青木繁の誕生日です。
青木が滞在した小谷家住宅(青木繁「海の幸」記念館)は、通常は土日公開ですが、
誕生日である7月13日(土)~15日(月・祝)の3連休を開館いたします。
来場者には、トコロテンや紫蘇ジュースのサービスがあります。
当時のたたずまいや青木が感じた空間を味わい、
近隣にある「海の幸」記念碑、青木が愛した阿由戸の浜、布良崎神社など、
のどかな漁村風景を歩いて青木繁ゆかりの地をたどってみてはいかがでしょうか。
⇒布良ウォーキングマップ
‥⇒印刷用PDF=p.1/印刷用PDF=p.2~3/印刷用PDF=p.4
●海とアートの渚の博物館
=館山の海を愛した画家たち展〜青木繁・寺崎武男・倉田白羊〜
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【Report】
●海とアートの学校まるごと美術館
=布良の海を愛した画家たち展〜青木繁・寺崎武男・倉田白羊〜
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【0470-】インタビュー
・島田吉廣(青木繁作品複製技術者)
「0470-」No.51(2019.5.31)‥⇒印刷用PDF
【0470-people】 島田吉廣さん
(しまだ よしひろ)
1950年館山市生まれ。高校卒業後、都内印刷会社へ就職し、その後地元に戻り自身の印刷会社「アートプロセス」を開業。日本に3人しかいかい厚生労働大臣認定の「カラースキャナ一級技能士」取得者。現在は「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」副会長を務め、青木繁の5作品を複製画制作。
・インタビュー・写真・文 菅野博
*印刷技術は進歩と共に
高校では写真部に所属していました。将来も写真を撮りたいと思っていたけれど、卒業してすぐに東洋インキという東京の会社に就職して、着色の研究をしました。インキは、顔料とニスを混ぜ合わせて作ります。掃除にシンナーを使うため身体には負担が大きく、具合が悪くなってしまい、1年あまりで辞めて館山に戻ってきました。その後、東京の小宮山印刷という会社から、カメラマンが足りないと声がかかり、再び上京しました。当時の印刷は、ガラスを使ったオフセット印刷。その後、フィルムに切り替わり、スキャナー時代がきました。バルセロナ五輪のときにデジタルになって伝達の高速化が進みました。今はCCDの技術が上がり、コンパクトカメラでも大きなデータを扱えるようになりました。私がいた時代は、印刷技術が一番進歩した時期。変化とともに、私の仕事もとにかく忙しかった。30才近くで再び館山に戻り、クロスフィールド社製マグナスキャン656というデジタルスキャナーを、千葉県で初めて導入しました。これはNASAで開発され、バルセロナ五輪で使われた、たいへん優れたものでした。「館山にマグナスキャンを使っている製販会社がある」と富士フィルムの社内報に紹介されて知れ渡り、都内の仕事も広く手がけるようになりました。
*アナログの特殊技術とデジタル知識の融合
私はガラス板からCCDまで進化する時代を経験し、一級カラースキャナー技能士という国家資格を取得しました。この資格者は全国で3人いましたが、現在は2人です。私たちアナログ世代はどんどん活躍する場が減り、この技術は必要なくなってしまいました。デジタルカメラがすべて自動修正してくれて、だれが撮っても綺麗に仕上がるからです。しかし絵画の複製は、ただ綺麗に仕上げればよいというものではありません。作家が当時描いたであろう色を忠実に再現することが重要なのです。デジタルデータは劣化せず保存に適しているので、美術館にある古い絵画の写真も、通常はポジフィルムからデジタルデータに変換します。中にはポジフィルムのまま保存され、劣化しているものもあります。1904年に館山市布良で描かれた青木繁の「海の幸」は、100年以上経っているので、様々な経年変化が起きていました。ですから、所蔵美術館から借用したデータをもとに複製画を作るには、色修正をしなければなりません。さらに作品の傷をデータ上で修正し、必要に応じて色補正をおこない、できるだけ原画に近づけます。これは、アナログ時代に習得した特殊技術と、今のデジタルの特徴を理解してこそできることなのです。
*描いた当時の状態に複製する
私はこれまで青木繁の複製画を5作品制作しました。何度も美術館に通い、原画を見ては記録して、記憶して、データと照らし合わせての繰り返しです。代表作「海の幸」の特徴としては、ダークブラウンが多く使われています。複製画でこの色を出すのはとても難しいのです。赤に青を足すとブラウンになりますが、強く足し過ぎるとブラックになってしまう。複製作業に取り組んで感じたのは「名画は茶系色が多いな」ということ。たとえばミレーの「落穂拾い」や「羊飼い」など。青木繁作品をふくせいするのはとても難しかった。なかでも「朝日」という作品について、私はずっと悩んでいました。晩年病と闘いながら、朝日を描くものだろうか。実際に描かれた唐津湾は北を向いていて朝日は昇りません。これは、幸せの絶頂だった頃の布良の夕日ではないかと。しかし、修正作業を通して絵に向き合っていると、波にすごく力が入っていることがわかりました。朝日だろうと夕日だろうとどちらでもいいのです。青木が描きたかったのは太陽ではなく、波だったんだと気がつきました。「朝日」といういう作品名は没後につけられたそうですが、本当のタイトルは「玄界灘」なんじゃないかと私は思っています。原画はひび割れしている部分が多いので、それを細かく修正して、描いた当時の状態に戻して複製画を作りました。実は私も心臓に疾患を持っていて、いつ自分の人生が終わるかわからない。青木の苦悩と自分を照らし合わせながら頑張りました。何度も色校正を出して吟味し、完成までに2年近くかかりました。最近「朝日」が佐賀県重要文化財に指定されたと聞いてとても嬉しく思っています。
*布良は美術界の聖地
私が小学校の頃、学校に「海の幸」の写真が飾られていたのですが、あんな下品な絵は大嫌いだと感じていました。日本で最初の洋画の重要文化財「海の幸」が描かれた布良は、美術界の聖地と呼ばれているそうです。2008年には、布良の活性化を目ざして「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」ができました。青木繁が過ごした個体家住宅を保存するために、全国の画家の皆さんと一緒にお金を集めて修復し、2016年に青木繁「海の幸」記念館を開館しました。全国から400名を超える友の会の会費と入館料などで運営しています。この活動を通して、青木繁を誇りに思えるようになりました。今では、「海の幸」は布良?神社の祭りの神輿がヒントになって描かれたと確信しています。今年のGWには廃校の富崎小学校を活用して、「海とアートの学校まるごと美術館」を開館しました。夏休みには、渚の駅ギャラリーで「館山の海を愛した画家たち展」を開催し、複製画も展示予定です。
青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅
〒294-0234 千葉県館山市布良1256
毎週土・日曜(お盆時期・年末年始を除く)
4〜9月 10:00〜16:00 10〜3月 10:00〜15:00
入館料(維持協力金) 一般200円