感(観)性の教育と地域づくり =『教育とちば』

感(観)性の教育と地域づくり …… 執筆:池田恵美子

*収録=雑誌『ちば-教育と文化』第69号(2006年8月1日)

 

◆ 安心を渇望するサイレントベビー

1998年頃、チーちゃんという生後8ヶ月の女児のベビーシッターを引き受けた。夕方、私は都心の保育園に迎えに行き、抱っこして電車に乗り、チーちゃんの家でミルクを飲ませ、オムツを替え、遊び、寝かせて、都心で働く両親の帰宅まで待つのが週に1~2度の日課であった。

初対面に近い、慣れない大人が迎えに行ったのに、チーちゃんは初日から動ずることなく、おとなしく私に抱っこされた。しかも、泣かないし、笑いもしない。家に着いてミルクを飲ませ、背中をたたいてゲップをさせてしばらくすると、チーちゃんは嘔吐を始めた。治まってしばらくするとまた繰り返すだけで、苦しそうな様子はまったくない。ただミルクが口から流れ出るという状態で、熱もなく、おなかの痛そうな気配もない。「自家中毒」と呼ばれる症状だとすぐに気づいた。

残業中の母親から、様子を尋ねる電話があった。吐いたことを告げると、彼女はこともなげに言った。

「ああ、この子、よく吐くんです」

私は「サイレントベビー」という言葉を思い出していた。その頃、「昔は賑やかだった小児科の待合室が今は静寂に包まれていて、泣かない笑わない赤ちゃんが増えている」という実態に、ある小児科医が警鐘を鳴らして発表したレポートにつけられたタイトルだった。「赤ちゃんを取り巻く環境の変化によって、母と子のコミュニケーションが希薄になってしまったことが原因と考えられる」という。

まだ言葉が分からず、混沌の世界に生きている乳児でも、快不快を感じる心はあるはずだ。生後3ヶ月から保育園に預けられ、母親と接する時間は毎日ほんのわずかという生活環境のもと、信頼の絆が育まれてこなかったことは想像に難くない。押し寄せる不安のなかでチーちゃんが得た処世術は、感情を麻痺させ、喜怒哀楽の自己表現を閉ざすことだったのかもしれない。

私は彼女を抱きしめ、語りかけた。

「大丈夫だよ。ママとパパは、チーちゃんのことをとっても愛しているよ。ママとパパは、チーちゃんのために一生懸命お仕事をしているけれど、ママとパパが帰ってくるまで、私が守ってあげるから、安心してね」

繰り返し、繰り返し、彼女が寝つくまでそう語り続けた。変化が現れたのは、3週間後だった。お迎えに行った私を見て、初めてチーちゃんが笑い、そして吐かなくなった。

 

◆ 社会の歪んだ価値観

かつて心療内科のカウンセラーをしていたとき、過緊張のあまり自分を語れないクライアントも多く、自律訓練法を施して神経を弛緩させることから行なった。また専門校の教職にいたときには、年々、自己表現のできない学生が増えていく様にも驚かされた。自分の考えや感想を、文字に書き表すことはできるのに、人前で発表できない者が少なくない。あるいは逆に、表面的にはまったく問題のない優秀な生徒が、実はストレスを溜め込んでいて、ある日突然自ら命を絶ったり罪を犯したりという場面にもたびたび立ち合ってきた。それは社会人でも同じだった。

とくにバブル期の経済界は、想像を絶する多忙さと上昇志向に満ち溢れていた。かろうじて豊かな人間関係に支えられて乗り越えてきたようなものだが、数ヶ所の転勤の後、6年目に私が着任したのは自殺者の後任であった。複雑に虚飾・偽造を重ねたぐちゃぐちゃの事務処理が彼の遺産だった。

この逆境から私が学んだことは、資本主義経済社会の価値観の歪みである。営業成績で業界上位を目指す企業の勝ち負けの論理は、戦争の論理以外の何物でもない。すべてとは言わないが、そこには感情を麻痺させてモラルを崩壊し、人命までを軽んずる価値観が厳然としていた。その大人社会を映し出す鏡が、チーちゃんに代表される「今どきのこどもたち」であろう。

私は同じ思いを後任にさせないことを心に誓い、その残務整理に6年を費やした後、社会教育の企業に転職した。さらに2年後に独立し、心機一転、まずカウンセリング心理学を学びなおし、「学校外の教育」を自分の目で見て勉強するために、スペイン、インド、沖縄を旅した。

 

◆ スペインの子どもの国

スペイン北西部ガリシア地方の山間に、「ベンポスタ子ども共和国」なるものがある。独裁政権下の内戦が続いたスペインで、1956年にクリスチャンのシルバ神父が孤児を集めて始めた生活共同体である。ここでは、子どもたちが主役となって、政治や経済に責任を負って運営にあたっている。

たとえば、子どもたちは自ら選挙で大臣や市長を選び、住民会議を開いて法律やルールを定める。あるいは学校の先生は生徒が面接して選び、合格した教師は学校の授業以外に生活の糧となる技術を教える。学校では宿題がなく、子どもたちは授業が終わると、陶芸や農園などの多様な作業場でそれぞれの技術を磨き、またはサーカスの練習に励む。子どもたちが生産する手工芸品などのほか、世界を回るサーカス興行は共同体を支える大きな収入源となっている。

ここでは、学校で勉強しても、職場で働いても、サーカスの練習をしても、その子の特質を活かした対価として「コロナ」という共同体独自の通貨が支払われる。つまり、学ぶこと・働くこと・遊ぶことのすべてが同じ価値をもつのである。

ベンポスタのサーカスでは、一番の見世場が「人間ピラミッド」である。立ったまま、大人の肩に子どもたちが乗って積み上がっていくのだ。ここには、「大きな者は下に、小さな者が上に」というベンポスタの理念が、メッセージとして世界に発せられているのである。

私は『スペインからの手紙』という日本の映画でここの存在を知り、いつか訪ねてみたいと思っていた。映画では、母を亡くして心を閉ざした主人公の少年がベンポスタに行き、世界中から集まっている子どもたちとのふれあいを通して自己回復し、最後にはイキイキとした笑顔でサーカスを見せに帰国するという物語だった。まさに、私が十代から欲してやまなかった「学校外の教育」がそこにはあった。

1996年秋、建国40年のベンポスタ共和国を訪ねた。門をくぐると、「オラ!」「オラ!」という歓迎のシャワーを浴びた。「オラ」は、「やあ」「ハロー」にあたるスペイン語の挨拶である。そのなかで突然、日本語で声をかけられた。

「こんにちは。ぼくは日本人で、クンペイといいます。誰が訪ねてきても、案内するようにシルバ神父から言われていますので、どうぞこちらへ」

驚いた。ここには世界中の子どもたちが100人以上暮らしていて、日本から来ている子どもは15人で、一番幼い少年は12歳だという。

17歳のクンペイは、くまなく敷地内を案内してくれた。手づくりの教会、学校の教室、宿舎、サーカスドーム、住民会議場、縫製工場、陶芸工場、診療所、売店、銀行 … などなど。敷地の外の道路沿いにあるガソリンスタンドでも、子どもたちが働いていた。

ベンポスタのみならず、スペインの旅は私の人生に大きな価値観の変容をもたらした。ガウディ設計の聖サグラダ家族教会は、すでに100年も建築が続いているが、完成までにあと100年とも200年ともいわれている。神様はお急ぎにならない。人びとの信仰心の篤さに驚くと同時に、スピードに追われて生きてきた日本での生き様を振り返る契機にもなった。

時代によって変わる社会の価値観に踊らされるのではなく、普遍的な価値観を拠り所にもつことは、人としてのアイデンティティを育むことにほかならない。人生に変革をもたらすような観光こそ、現代の学校教育を補完する両輪になり得るものかもしれない。

 

◆ 光を観る地・館山

観光とは「光を観る」と書く。物理的に目で「見る」のではなく、心で感じるときに「観る」という漢字を使うようだ。あるいは、達観という言葉は、「物事の本質を悟る」という意味があり、いわば「気づき」である。「光」とは物理的な光だけではなく、たとえば光明といえば、「希望」を意味する。また、辞書を引くと「神仏の心身から放つ光」という意味もある。つまり、かつて日本人が敬虔な信仰心をもっていた時代では、神社仏閣を参拝し、巡礼することが観光の原点だったのであろうと思われる。

現代では、巡礼の旅をする人はそう多くないだろうが、「希望」や「喜び」という「光」を「観る」旅とは、その土地に暮らす人びとと心からふれあうことではないだろうか。いくら立派なテーマパークのようなハコ物を整えても、おもてなしの心が欠けていては、また訪れようという気持ちは起こらない。物溢れ時代の今、真に観光客が求めているのは、心がつながる出会いそのもののようだ。

20年ぶりに戻ってきたふるさと館山は、本当に新鮮だった。幼い頃は気づかなかった魅力に溢れていた。何しろ南房総には博学遊び人がいっぱいいるのだ。一緒に野山を歩けば、山野草の名前や食し方、毒性などを教えてくれる人。海に行けば、貝殻や漂流物の解説をしてくれる人。釣れたての魚をまるごと食べさせてくれる漁師さん。獲れたて野菜を分けてくれるお百姓さん。ほかにも、陶芸家、彫刻家、イラストレーター、写真家、音楽家 … などなどアーティストの面々。TVで有名な〝さかなクン〟は我がまち館山に自宅があるらしいが、ひと昔前なら〝オタク〟と呼ばれかねない変わり種こそが個性の時代になった。

館山では「若者・ばか者・よそ者」を中心に、いくつもNPOが元気に活躍している。私が事務局長を務める「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」は、地域に残る戦争遺跡や文化遺産を活かし、先人たちの営みや知恵を次世代に継承しようという〝変人教師〟の集団である。「たてやま海辺の鑑定団」は、イルカの耳骨やタカラガイなど海からの贈り物を楽しむグループである。「たてやま海辺のまちづくり塾」では、ディンギーヨットの指導や里見グッズの開発、桜の植樹プロジェクトなどをおこなっている。「南房総IT推進協議会」は、学校ごとの〝ネットデー〟を開催し、生徒や教師・保護者・市民を巻き込んでインターネットの環境づくりに貢献している。ギリシャ神話に登場する芸術の女神たちの総称をつけた「ミューズ安房」は、その名のとおり、舞踊や音楽など芸術を通して地域文化の活性化を図っている。「南総里見手づくり甲冑愛好会」は、歴史にふれながら、作る・着る・飾る・贈る楽しみを享受し、観光にも一役買っている。「ふぁっとえばー」は、障がいをもつ人を〝チャレンジド(神から与えられた挑戦者)〟と呼び、就労の機会を作ろうというグループである。

ここに列挙したのは、ほんの一例にすぎない。ほかにも、観光系・地域づくり系・福祉系など多様なNPO活動がさかんである。館山は、生涯学習まちづくりのネットワークからも注目を集めるほどの「学びの地」となってきた。

日本地図を逆さまに見てみると、太平洋に突き出た列島の頂点にあたるのが南房総・安房である。ここはまさに光り輝く土地である。この地で光を観、誇りを育み、豊かな生き方を実践することは、社会の再生にもつながるだろう。生まれ来る子どもたちへのエールとして、こんな教育を発信しつづけたいと願っている。