館山まるごと博物館から東京湾エコミュージアムへ

(第26回戦争遺跡保存全国シンポジウム横須賀おっぱま大会)
~ 第三分科会:平和博物館と次世代への継承 ~ 2023.9.17

NPO法人安房文化遺産フォーラム 共同代表 池田恵美子

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1.授業づくりから地域づくりへ

千葉県館山市で、高校教諭の愛沢伸雄が教材研究のために戦跡調査を始めたのは1989年である。1993年の「学徒出陣50周年」、1995年の「戦後50年」には市民に呼びかけて展示・講演・証言の会を開いた。1997年に戦争遺跡保存全国ネットワークが結成され、情報交換しながら調査研究を深めた。やがて公民館講座から「戦跡調査保存サークル」が生まれた。花と海の観光地に戦争のイメージは相応しくないという世論もあったが、歴教協やメディア報道が戦跡保存の追い風となった。

近隣市町村教育委員会に働きかけた結果、2001年に富浦町(現南房総市)が県営公園内に点在する大房岬要塞群を県内初の町指定史跡とした。

これを受け、館山市は翌年に「戦争遺跡保存活用方策に関する調査研究」を行なった。悉皆調査では市内に47の戦跡が確認され、その多くは価値が高いと評価された。そこで戦跡を都市計画に位置づけ、「地域まるごとオープンエアーミュージアム館山歴史公園都市」を目標像と定めた。

館山市の戦争遺跡群の分布 47
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近代史を理解するうえで欠くことができない史跡

特に重要な史跡

その他

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なかでも、戦後の払い下げで市有地になっていた「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」を平和学習拠点として整備し、2004年より一般公開を始め、翌年には市指定史跡とした。同年、NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(後に安房文化遺産フォーラムと改称)を設立した。

同時期、愛沢はもうひとつの文化財保存運動を牽引していた。『南総里見八犬伝』の舞台である稲村城跡が、市道計画により破壊寸前となったのである。千葉県城郭研究会や文化財保存全国協議会の専門家らと連携しながら、1996年に「里見氏稲村城跡を保存する会」を設立。講演・展示会や城跡めぐり・古道ウォーキングなどを重ねながら、1万筆以上の署名を集めた。2000年に市道計画は凍結となり、その後に迂回計画へ変更され、2012年に稲村城跡は南房総市の岡本城跡とともに国指定史跡となった。

房総半島南端の安房地域には、城跡群と戦跡群が重層的に重なる。その2つの史跡化実現は全国的に注目され、2006年には内閣官房長官賞、2009年には文化財保存全国協議会の和島誠一賞をはじめ、県知事賞・市長感謝状などを受賞している。

NPO法人安房文化遺産フォーラムは教育支援やまちづくりを目的とし、全国から約300名の会員に支えられている。その理念は横軸にエコミュージアム、縦軸に「平和の文化」を柱と掲げ、ガイド事業を中心に多様な活動を展開している。

 

2.エコミュージアム「館山まるごと博物館」

南北逆さに地図を見ると、房総半島南端の館山は弧を描く日本列島の頂点に位置している。

3つのプレートの影響を受け、館山は隆起速度が国内最速といわれる。赤山地下壕内では美しい斜めの地層や断層が見られ、河岸段丘に造られた掩体壕は上空の敵機から見つかりにくい形状である。

一方、海路を通じて広く太平洋世界の人びとと交流・共生した痕跡も見られる。私たちは、こうした多彩で魅力的な自然・歴史文化遺産を「館山まるごと博物館」と呼び、市民学芸員となってガイド・調査研究・環境整備など様々なまちづくり活動をおこなっている。これは、1970年代のフランスで提唱されたエコミュージアムという概念に基づくまちづくり手法である。

赤山地下壕跡が公開された2004年と、戦後70年にあたる2015年に、戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会を2度開催している。地域報告で紹介された館山市のマスタープラン「地域まるごとオープンエアーミュージアム館山歴史公園都市」は、NPOの「館山まるごと博物館」活動とともに高く評価された。

 

3.「平和の文化」を学ぶピースツーリズム

21世紀を迎えるにあたり、ユネスコの提唱を受けて国連は 2000 年を「平和の文化国際年」と宣言し、2001~2010 年を「世界の子どもたちのための平和と非暴力の文化国際 10 年」と定めた。「平和の文化 Culture of Peace」 とは、対立が起きたとき、あらゆる生命を傷つけることなく、暴力によらず対話によって解決していこうとする価値観や行動様式と定義される。

しかし2001 年 9 月 11 日、アメリカ同時多発テロ事件を契機に、「平和の文化」は風前の灯火となってしまった。これを憂慮した元ユネスコ平和の文化局長のD.アダムスは、2004年に来日し、「平和の文化」を社会に実現するために平和産業の創出が急務であり、それは〝ピースツーリズム〟であると訴求した。単に戦跡めぐりや一元的な平和学習にとどまらず、「平和の文化」を学ぶ旅だという。奇しくも同年、NPO法人を立ち上げた私たちはこの理念に賛同し、活動の柱とした。

安房地域には戦跡だけではなく、「平和の文化」を学べる教材が多い。関東大震災で随一の被害があった安房地域では、官民共同で安房郡震災復興会を組織した。自宅や家族を失った医師らも住民と力を合わせて助け合ったという。各地で朝鮮人虐殺事件が起きた際、安房郡長は流言飛語を打ち消して、「朝鮮人を怖れるのは房州人の恥である、朝鮮人を保護せよ」と指示したという。

江戸期にハングルを刻んだ平和祈念の「四面石塔」もある。また、戦後、赤山地下壕に約40年住み着き、食糧難解決のためにキノコ研究をしていたのは元731部隊兵であった。

「館山まるごと博物館」では、戦争の加害と被害、交流共生といった多面的な平和教育を通して、「平和の文化」を学ぶことができる。

 

4.戦跡保存の課題

館山市教育委員会は赤山地下壕の文化財解説を、「1944年より後に建設されたのではないかと考えられる」としている。

一方、1927年生まれで、赤山の近くで育った元館山市教育長は、「真珠湾攻撃より前から地下壕の掘削が始まった」と証言している。

近年、NPOが米国テキサス軍事博物館から入手した占領軍のレポートには、「完全な地下の海軍航空司令所が館山海軍航空基地で発見された。ここには完全な信号、電源、他の様々の装備が含まれていた」と注目すべき記載がある。

また、岩盤の上にネットを挟みコンクリートを吹き付けるという当時の最新技術を駆使した丁寧な造りや、震災後に地質調査をして場所を選定したと推察されることなどから、戦争末期の突貫工事とは考えにくい。文化財としての定説を覆すことは容易ではないが、重要な課題である。

今年8月中旬、壕内のコンクリート壁が一部剥落し、現在は安全確認と修復のために休壕となっている。今後ますます保存技術が課題となる。

戦時下に相当数あった掩体壕は、戦闘機用1基、爆撃機用1基が現存する。後者は状況が悪く立ち入れない状況にある。前者は、地権者の厚意によって見学可能であるが、茂原市のように自治体が借り上げて管理し、固定資産税の減免などの優遇措置が求められる。また、国登録文化財などの史跡化も急務である。

現在NPOでは、文化庁の推進する「文化財保存活用地域計画」の策定を市当局に要望し、話し合いを重ねている。

 

5.東京湾エコミュージアム

東京湾をはさんだ房総半島と三浦半島は、古くからつながりが深く、類似した自然や歴史文化を共有している。特に近現代では東京湾要塞地帯として、ともに重要な戦跡が点在する。

2013年、NPO法人安房文化遺産フォーラムとNPO法人アクションおっぱまは、まちづくりの広域連携を目ざして、シンポジウム「東京湾まるごと博物館」を共催している。

また、韓国京畿道では「京畿湾エコミュージアム」を施策としており、市民団体や国の研究機関が「館山まるごと博物館」の視察に来日したり、私たちが訪韓してエコミュージアム研究会を協働したりしている。特に米軍爆撃訓練地であった梅香里(メヒャンリ)では、戦跡の保存活用とともに破壊された自然環境の再生を図り、とても興味深いエコミュージアム活動を展開している。
韓国OBSテレビは、2017年に「屋根のない博物館-エコミュージアム」をテーマにしたドキュメンタリー番組を製作した。日本の先駆的な事例として、山口県朝日町・香川県直島と並び、館山の戦跡ガイドの事例が紹介されるとともに、エコミュージアム学会会長の大原一興氏がコメントを寄せている。

韓国の施策に学び、先述の「文化財保存活用地域計画」では、自治体の広域連携を目ざせるよう働きかけていきたい。