平和の文化を学ぶ「館山まるごと博物館」=『日本児童文学』(1409)
平和の文化を学ぶ「館山まるごと博物館」
『日本児童文学』〜子どものアンテナ〜2014年9月号
NPO法人安房文化遺産フォーラム 事務局長 池田恵美子
「花は心の食べ物だから・・・」
戦時中、花作り禁止令によって花畑が芋畑に変えられ、種苗の焼き捨ても命じられたとき、命がけで球根を守った農婦の言葉です。房総半島南部の安房地域にあった実話は、小説『花』(田宮虎彦)や絵本『よみがえった水仙』(望月新三郎作・井出文蔵絵)に描かれています。
東京湾の入口にあたる館山は、幕末から台場が設置され、明治期からは帝都防衛の東京湾要塞地帯となりました。今でものこる戦争遺跡は、平和学習の地として全国から人びとが訪れます。なかでも、平成16年に一般公開が始まった館山海軍航空隊赤山地下壕跡(館山市指定史跡)は、日米開戦前からモデル的に掘られた重要な施設と考えられています。
戦後忘れ去られた近代史は、戦争遺跡の保存運動とともに明らかになりました。関東大震災で99%壊滅した7年後に、湾を埋め立てた館山海軍航空隊が開かれました。ここで特殊訓練を受けたパイロットや落下傘兵などが、中国重慶やハワイ真珠湾をはじめ南洋諸島へ出撃しています。次いで、館山海軍砲術学校や洲ノ埼海軍航空隊が開かれ、重要な軍都になっていきました。戦争末期には本土決戦に備えて7万の兵が送り込まれ、陸海空の特攻基地が次々と作られました。
明治期から渡米していた房総アワビ漁師たちは、戦争で引き裂かれ、強制収容所で米軍の房総上陸作戦に協力させられていました。また、終戦直後にはアメリカ占領軍が上陸し、モデル的な占領政策として「4日間」の直接軍政が敷かれ、戦後日本のスタートの地となりました。
一方、海を通じた交流・共生を伝える史跡も見ることができます。たとえば江戸初期に建立された「四面石塔」には、朝鮮ハングル・インド梵字・中国篆字・和風漢字で「南無阿弥陀仏」と刻まれています・朝鮮侵略から三十三回忌にあたり、戦没者供養と平和祈願をこめて建立されたものと考えられています。
館山では、戦争の加害と被害、交流と共生、震災戦災を乗り越えた祈りなど、平和の文化を学ぶことができます。このような地域遺産を「館山まるごと博物館」として、講演やガイド活動を通じて子どもたちに語り継いでいます。