深津文雄牧師-「底点の発見」(信徒の友)
底点の発見
深津文雄 かにた婦人の村施設長
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人間というものは、考えてみるとおかしな動物で、数かぎりない錯覚にみちている。そのなかでも、最も決定的なものの一つに、底辺に関する錯覚がある。
いつのまにか、我々は自分を三本の直線のなかに押し込めている-上すぼまりの、裾(すそ)ひろがりの、二等辺三角形のなかに……。
というのは、いつも、われわれが、社会のことを語るとき、上のほうは頂点とよぶ。それに対して、下のほうは底辺とよんで、だれも、それを疑わない。
偉い人はすくないが、ダメな人間はウヨウヨしている-とでも、いいたいのだろうか?
まあ、頂点のほうは、それでもいいとしておこう。が、底辺のほうは、それではいけない。その理解は誤っている、危険である-と、ぼくは言いたいのである。
まともに見る気もなしに、われわれは、漠然と底辺とよんでいるところは、実は、そこに降りてみると、考えていたよりは凸凹で、奥深く、下には下があって、ぼくには、さながらもうひとつの逆三角形のように感じられる。
そして、上の三角形が、上すぼまりであったと同じように、下の三角形も下すぼまりで、どのドン詰まりには、ただひとつの点になる-そこを、ぼくは「底点」とよぶことにした。
こんな言葉は、おそらく、どの字書にものっていまいと思うが、社会の底辺をというのは錯覚で、その代わりに、社会の底点というべきではないかと考えたからである。
なぜ、このような、こまかい言葉のはしにこだわるかというと、底辺という考えかたでは、そこが一番大きく感じられ、とても、すこしばかりの頂点をくずしても埋めきれない-という、絶望感に陥ってしまう。
ところが、底点ということになると、だれか一人いって、手をとれば、解決がつく。やってみよう-という気になる。大勢でおしかける必要もない。大勢ではかえって窮屈……。
この、みんなが見落としている小さな場所をみつけることが、福祉事業学の第一課なのである。
ところが、底点という考えがないばかりに、むやみやたら福祉予算をバラ撒いている、要(い)りもしないところに……。それも上のほうから……。これでは、いくら税金をあげても、足りっこはない。そして効果はあがらない。
これより下はない-と、ハッキリ言いきれるところを、まず見つけ、そこから先に埋めていけば、すこしで足りる。そして、確実に効果はあがる。
そんな解りきった、単純な数字を、どうして、だれも考え付かなかったのだろう-と、反省してみると、人間が、誰も彼も、上の三角形だけ見て、頂点志向ばかりしているから、その価値観でしかものをみないからであろう。
なにもかも、ただ頂点志向型の、一方交通におわってしまっている。学問も、勤労も、文化も芸術も、政治も経済も、宗教も福祉も……。
そうだ。福祉さえもが、頂点志向の価値観のなかで処理されている-それが現代の一番大きな錯覚なのである。底点を見落とした福祉、底点を優先することのない福祉-これは福祉とはいえない。
イエスは奇(く)しくも言った-
「これらの最も小さいもののひとりにしなかったのは、私にしなかったのである」(マタイ二五・四五)と。
ぼくのいいかたですれば、底点をゆうせんしなければふくしにはならない-ということである。
この場合、「私」とはいったい誰だろう?「主」とよびかけられているところの「王」、そして、それはどこの国の主人手もなく、天から降(くだ)る、終の日の審判者「人の子」なのだと書いてある。すると、ひっきょうするところ「神」なのだろうか?
神にしよう、神にしようと、上ばかりみて一生懸命になっているが、それが一向に神にとどかない-それは、この下の下、最低ドンづまりの一点をミスしているからであるという。
原語(ギリシア語)で-
「ヘニ・トゥトーン・トーン・エラヒストーン」
と書いてあるのは見逃せない。文字通りに訳すれば-
「最小者たちのひとり」
すなわち、最小者といえども複数であって。選択に迷うであろうが、そのうちのひとりでいい-といっているよう。
これは、もともと、ギリシア語ではなくアラム語だったろうから、セム語の常として最上級というものがない。
「はなはだ小さい者どものうちの一人」とあったのを、ギリシア風に表現したものであろうが、とにかく-
「理屈をいっていないで、どれでもいいから、いちばん重そうなやつを担(かつ)げ」
といわれているような気がする。
ところが、重いものを担ぐのは骨がおれる。できれば軽いほうで勘弁してもらいたい。おなじ一つにみえるなら、重いものよりも軽いものを……と尻込みする。
だから、
「おれでもか?」
と、神地震がそこへヌーッと顔を出すのではあるまいか。
この、頂点をもってきて底点にかさねるというやりかたが、彼らしい逆説というか、価値観の転倒なのであろう。
頂点志向をしていけないといっているのではない。大いに励み、大いに精進すべきである。が、その目的は、底点にそれを重ねるときに完成する。
でなければ、
「偉くなりたいと思うものは仕える人となれ」
「頭となりたいものは、僕となれ」
(マルコ 一〇・四三、四四)
とは言わなかったろう。
これは、登用の、目当てもない、偽りの謙下(けんげ)とおなじではなかったはずである。
頂点志向としての底点志向-
頂点志向の極致としての底点志向-
頂点志向の完成としての底点志向-
が、よく現れている。
しかし、重い-だから重い-ということを覚悟しなければいけない。
宝の箱をさがすものが、軽いものより重いのに持ちかえるように、一人でひとつしか持ち出せないとしたら、重いもの、重いものと運ぶはずである。
最も小さいもの-だから、最も軽いはずだ-などというのは、とんでもない錯覚である。
また、重いものを一つより、軽いの二つがよい-というのも、解っていない。
ここでは、数は、役に立たない。一つで他の何倍も重いものもあれば、多数のようにみえて、それだけ薄いこともある。
「ひとり」
というのは、一、二、三……の一ではなく、
「一期一会(いちごいちえ)」-アインマーリッヒ-といったような、永遠に二にならない一ではなかろうか。
彼が
「取税人や遊女が先に神の国にはいる」
(マタイ二一・三一)
といったとき、それが原語では複数になっているが、その要はなかろう。かれはひとりの取税人(マタイ)と、ひとりの遊女(マリア)のほかに、そう多くの人々と同時にかかわったとは思われない。
われわれも、一世一代、ただ一人の最小者と忠実にかかわりをもてば、それでよいのではあるまいか。
数でこなすことが、当代のはやりになっているようだが、そんな迷信にまよわされてはならない。神のまえでは、人間の数をかぞえることさえ罪悪なのである。人間は人格であって、数字ではないから……。
福祉が、底点志向を失ってしまったとおなじに、宗教も底点志向を忘れた。だから、「偉くなりたい」ばかりで、少しも「仕える」(ディアコネイン)ことをしない。
教会が社会事業をするのは、食うに食えないから……と思いこんでいる。でなければ宗教の手段としてだという。
宗教者でなければ底点まで行けない、底点においてでなければ神に会えないなどということは考えてもみない。
そして、教祖がせっかく開いてくれた扉をとざし、その言ったことも、行ったことも、みんなカプセルに収いこんで棚にあげ、それを拝んで、救われるという。
餅をつくれなくなった餅屋が、画に餅をかいて売ろうというようなもので、誰も買おうといわない。本気にしない。
いくら、もがいても、底点志向を忘れた宗教は、生命を失って、枯死するだけである。
それまで、ドグマという、ひけらかしで、わけのわからぬことを並べて、時を稼ぐのもよかろう。あれも異端、これも邪説と、ひとを傷つけるのも面白かろう。しかし、それで救われるものは一人もないであろう。△△体験という、おおげさな錯覚以外には……。
それでも、そのドグマを信じて救われたのだ、その体験のつみかさねで宗教がつたわったのだ、在ったものは正しいのではないか-という人はたくさんいる。
ところが、宗教がすこしでも歴史のなかで役立ってきたとすれば、それは
「異邦人の支配者とみられている人々」
とともに、
「民の上に権力をふるった」
(マルコ一〇・四二)
ことによってではなく、底点志向したことによってである。
百年か二百年に一人ぐらいしか出てこない本物の底点志向者が、宗教の歴史を救ったのである。そして、実に皮肉なことに、ほとんどすべて、宗教から追い出されている。
この、底点志向と両立できない宗教の体質を、読者は何とみるか?
イエスは、そこを、いたいほど見抜いていたから、
「ある人が、エルサレムからエリコに下ってゆく途中、強盗どもが彼をおそい、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま逃げ去った。するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人をみると、向こう側を通って行った。同様にレビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼をみると向こう側を通って行った」(ルカ一〇・三〇〜三二)
と、作話せざるを得なかった。
祭司やレビ人は、もっとも熱心な宗教家であるにも拘らず、向こう側を通ったのではなく、彼らはもっとも熱心な宗教家であるがゆえに、聖務におくれてはなるまいと、逃げたのである。
これは、宗教家全体に対する最大の侮辱ではなかろうか?
彼らは、その他のところでも、くりかえし皮肉られているように、底点以外のところで神に会えると信じきっていた、最大の愚者だったのである。
「隣り人とは誰のことですか?」
と、底点を見失って、さまよっている頂点志向者に、この作話をつきつけたイエスは、
「あなたも行って同じようにしなさい」
と結んだ。
それでも、まだ、われわれは、なにか言い訳をするべきだろうか?
『信徒の友』日本基督教団出版発行(1983年3月)