ツアー・講演の感想

041229杉原和男さま*京都市青少年科学センター

年末のお忙しい時期,また,荒天の厳しい中,安房科学塾の参加者のために「館山の戦跡」案内をしていただき,とても感謝しています。ありがとうございました。お礼が遅くなり,申し訳ございません。

愛沢さんや池田さんからお話を伺い,胸が熱くなるとともにたまらない衝撃をうけました。できるだけ多くの方々に伝えなければと思い,まずは知人にメールで連絡しております。

戦跡巡りがどのような内容なのかがよくわかっていなかったこともあり,参加を遠慮された方も多くありました。これではいけないと,次年度も企画しようという意見も出ています。また,お願いする事になるかもしれません。

京都でも戦跡を学習コースにする活動があります(今は,どうなっているのか?

ですが…)。また,大規模な要塞跡として和歌山の「友ケ島」があり,3回訪れました。瀬戸内海の「大久野島」にも行きました。

こういった各地の連携もネットで進むといいですね。利用できるメディアをどんどん利用して,ますますフォーラムが発展することを期待しています…というより,そうならないと我が身が,そして子どもたちの将来が危ぶまれる事態です。

041204林田秀孝さま*歴史博物館友の会

この度は歴博友の会の研修旅行では大変お世話になりました。

皆様のお蔭で、予定していた見学個所もほぼこなすことができ、

有意義な研修になりました。

懇切丁寧なガイドをしていただいた佐藤ご夫妻、岡崎ご夫妻

臨場感のある語り部の松苗さんとスタッフの皆様にも感謝、感謝です。

天候も一時はどうなることかと思いましたが、

文字通り波瀾万丈の変化を見、鏡浦であれほどの波も初めてでした。

帰途にはオレンジ色の夕陽の中で富士山がきれいなシルエットを

描いていました。ありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

041120青沼智子さま*鶴見女子高校

昨日は、私どもに、貴重な館山に存在する戦争の遺跡を巡る機会を頂きありがとうございました。戦争体験のない私たちですが、あらゆる点で現在進行中の戦争の無意味さを改めて感じます。私たち以上に余りにも平和で、物のあふれた社会で、生まれてからずっと生きてきた生徒たちに(若者たちに)どのように戦争の悲惨さを伝えてゆくのかが私たち大人の使命と考えています。

本当にありがとうございました。ほか5名の者もよろしく申しておりました。

昼食後に、体験した「ウミホタル」の言葉に言い表せない美しさの感激を全世界の人々が体験したら、きっと。。。と思いました。

041005鷲田勇さま*年金者組合小平支部

5・6日の私たち年金者組合小平支部の旅行の際には、いろいろご配慮いただき本当に有り難うございました。夕日海岸ホテルで見せていたがいたウミホタルの幻想的な光には全員が感嘆の声をあげていました。「これを見ただけでここに来た甲斐があった」との声も出ました。戦跡めぐりはあいにくの雨の中で、ガイドの方も大変だったと思います。でも、メインの赤山地下壕は雨に煩わされることなくゆっくりと見学することが出来ました。当時の支配勢力が戦争という国家的プロジェクトにかけた「妄想の産物」なのでしょうか。往路は東京湾横断アクアラインを利用しましたが、これもまた国家プロジェクトの「妄想の産物」でしょう。時代が変わっても支配勢力の発想は、「山を掘るか、海の下を掘るか」程度の違いにすぎないのでは、と思いました。ともあれ、参加者全員、「ガイドさんの説明がなければ、ただの洞穴の中に入っただけに終わっただろう。ガイドのお陰でいろいろと知ることが出来、勉強になっ

た」と、異口同音に感想を話していました。年金者組合安房支部のみなさんとの懇談も大変有意義でした。私たちの小平とは違った環境の中で活動されている経験を聞かせてもらえ参考になりました。6日は、前日とは打って変わった青空で、三浦半島の先端や大島、富士山がくっきりと見えました。道路も空いていましたので予定より半時間早く帰着出来ました。

「また機会があれば訪ねたね」との声も出ていました。

みなさんによろしくお伝え下さい。


ウミホタルの採取に中学生が動員されたというお話は鑑賞会で聞きました。当時、戦争には文字通りすべての国民が総動員されました。私は、岡山県の片田舎で「国民学校2年生」のときに敗戦を迎えたのですが、終戦の前年にドングリ、松の根、ヒガンバナの球根、こんな物の採取に動員されました。松の根は油を採る、ヒガンバナの球根からは糊を作ると聞きました。ドングリは何に使う目的だったのでしょうか。こんなものを集めるようでは戦争に勝てるわけなどありません。私の父などは、開戦当時から「アメリカと戦争して勝てるわけがない」と言っていたようで、「そんなことを言うと捕まるぞ」と、親せきからたしなめられていました。だから8月15日、「敗戦」と知っても、さして驚きはありませんでした。

敗戦の年に入ると、校舎・校庭が軍隊に接収されました。校舎は兵舎になり、校庭には軍馬の小屋ができました。子どもたちは部落にある芝居小屋などに分散して集まり、そこに時々先生が回ってきていましたが、もちろん勉強はできませんでした。軍は山中に壕を掘っていました。その壕がどうなったのか。先年訪れる機会がありましたので、記録が残っていないか調べてみましたが、分かりませんでした。もちろん、赤山のような規模のものではありません。敗戦後、そこに隠匿されていた物資を取りに住民がゾロゾロと押し掛けました。私も父とリヤカーを引いていくらか持ち帰った記憶があります。軍で蓄えていたローソクなどだったと思います。

有事法制が成立した今、戦前と同じように国民を動員することが法的には可能になってしまいました。これを実施させない状況をどうつくるか。切実な課題です。そうしたことからみると、みなさんのNPOの活動は重要なお仕事です。ご健闘ください。

040822北原高子さま*松代大本営平和ガイド

◎戦争の犠牲者はいつも市民と子ども


千葉では海藻を焼いてできる海藻灰を火薬の原料にしようと漁民たちを総動員してカジメ・アラメ採集に走らせ、花を作る農民は国賊と言われ厳しく取り締まられて花畑は芋畑と化し、子どもたちは夜間のゲリラ戦に備えて敵味方を判断するための夜光塗料の原料としてウミホタル採集に従事させられました。花作りを守った方、ウミホタルの採集をさせられた方の証言もありました。全国シンポ交流会では、そのウミホタルの美しい光を実際に見せていただきました。 戦時にはかなり愚かしいことがまことしやかに行われ、罪のない住民や子どもが苦難を強いられます。そして茂原の航空隊基地の建設、桜花四三乙型基地建設、赤山地下壕の掘削など、いずれも朝鮮人労働者が関わっています。全国の戦争遺跡それぞれは何のために誰がつくったのか、そしてそこから何を学ぶかは大きな課題ですが、戦争遺跡保存や調査研究には、市民・子どもの視点を忘れないようにしたいと思います。

040822草間佳一さま*松代大本営平和ガイド

戦争遺跡保存全国大会に初めて参加しました。戦争遺跡の保存に熱心な方々がたくさんいることは驚きでした。基調報告で十菱駿武代表は「戦争遺跡の保存と活用は地域の街つくり計画と組み合わせて民間が提案し、『平和の語り部』となるようにすべきだ」や作家の早乙女勝元さんの講演「平和の語り部としての戦争遺跡」が印象に残りました。

見学した旧海軍航空隊の赤山地下壕は市で整備され、地下壕の壁天井をコンクリートでまくなど、遺跡のあり方と見学者の安全との関係は考えさせられました。

参加して感じたことは、戦争遺跡をどういう観点から保存し、活用するかと言うことでした。戦争遺跡は平和の語り部として保存されるべきです。それは庶民、一般国民の目からでなければいけないということです。戦争遺跡は戦争の悲惨さ、愚かさを語り、戦争を知らない世代に平和を語りかけるものとしてこそ存在するのではないかと強く感じて帰ってきました。

040803中島春美さま*ちばコープ八千代地域協議会

今日は、時間もおしてしまい最後にきちんと

ご挨拶できずに失礼しました。

本当にありがとうございました。

斎藤さんも、とても人当たりの良い、感じの良い方で

初上陸も地下壕でも話し上手で、皆熱心に聞いていました。

実際、写真で見るのとでは皆受け止め方が違ったと思います。

参加者の感想にも、

「当時の人たちの思いを考えると今の幸せが尊いものに感じた。」

「行けなかった館山の戦跡にも、是非行ってみたい。」

「壕の中の広さにビックリした。」

などの意味のものが多くみられました。

親子で参加されて居ても、パパは会社。

だったりしているので、今日の報告を一生懸命して

家族の中で「平和」について話すキッカケになったと思います。

皆の中に強いメッセージが届いたと思います。

それも、館山と言う土地が身近な場所であると言う事も

大きかったと思います。

広島では8月6日は「平和を考える」一大イベントの様に

なっていますが、日本中がそうなんだと思っていた。と、

広島に住んでいた人が言っていました。

千葉に居ると、なんとなく広島の様子はTVで観るもので

地方の大きなお祭と同様に流してしまいがちです。

やはり身近な所に教材があり、体感してこそ

体に響いてくるのだと思います。

ちばコープとしても、今までは「広島・長崎の旅」として

平和を考えるステージを用意して支援してきましたが、

これからは、他にも平和を考える為の応援を広く考えて

支援していく方針に変わりました。

今回は八千代地域協議会でお願いしましたが

これからは、千葉コープのいろいろな所から

依頼が行くと思います。

どうぞ今回に懲りず末永くお付き合いください。

ちばコープを通しても、館山の戦跡が

広く千葉県内に伝わっていく微力ながら

力添えになれれば幸いです。

本当にありがとうございました。

これからも、お忙しいと思います。

貴殿の益々のご活躍をお祈り致します。

040702十市真喜子さま

一昨日は大変お世話になりました。有意義な一日を過ごせまして有難うございました。

中学生の皆さんとご一緒出来、とくにこういったことこそ

大勢の子供や若者に関心を持って貰いたいと思うのです。

世界に不穏な動きのある今ですから、なお過去を正しく知ることが大切ではないでしょうか。

戦中戦後の日本を見てきた者として強く思います。

神作様とフェスティバルを見に行きまして、原爆の怖さを改めて感じました。

決して忘れはいませんけれど、近頃日本人は関心が薄くなっているような気がします。

展示が人通りの多い場所で出来るといいですね。

今日は御礼と感想まで申します。有難うございました。お元気でご活躍を祈ります。

040617千葉県立岬高校の皆さま

NPOの大勢のガイドさんたち、鈴木さん、ホテルの酒井さん、松苗さん、愛沢伸雄先生ときちんとご挨拶もできずに失礼をいたしました。よろしくお伝え願えればと思います。

また今回の我々の校外学習を無事終えることができたのは、まさに池田さんのおかげと深く感謝しております。

岬高校は今日はいつも通りの平常授業でした。

各務先生の講演による事前学習、そして昨日の校外学習を終え生徒たちは何を感じとってくれたのか、この土曜・日曜で事後学習の感想文を書くことになっています。

事後学習のとりまとめが終わりましたら、ご報告いたします。

ホテルにておいしいさんが焼き定食をいただいているときに池田さんが、「地域に誇りを持てる若者を育て、それぞれの地域を学び、発信しあおう」というようなお話をされていたと思います。

今回戦争遺跡を学んだこの2年生に、今後の総合的な学習の時間を通して少しでもこんな気持ちを抱いてくれるよう我々教員も知恵を出し合っていきたいと思います。


ちょっと話が私事になりますが、私は勝浦の山奥に住んでおります。

明治12年生まれの私の曾祖父は陸軍軍医として日露戦争に従軍しました。

数年前に物置の掃除をしていたら100年ぶり?に当時のいろいろな資料が出てきたのですが、これがきっかけで各務先生よりいろいろと歴史に関するご指導をいただいております。

こんな山奥に生まれた曾祖父はなぜ軍医を目指したのか?こんなことを想像するだけでなんか胸がワクワクします。歴史のおもしろさってこんなところにあるのかなと感じてみたりもしています。


ちょっと話がそれましたが、おかげさまで今回は本当にいい校外学習ができました。 感謝感謝の気持ちでいっぱいです。今後とも機会がありましたらご指導よろしくお願いいたします。

(鈴木洋松先生)