メディア報道

【房日】090409*赤山地下壕、総入壕者は1万5389人

◎赤山地下壕、総入壕者は1万5389人
…観光スポットに人気高く

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館山市が、平和学習・観光交流の拠点として一般公開している戦争遺跡の赤山地下壕の平成20年度入壕者数がまとまった。総入壕者数は1万5389人と前年度比8%のマイナスとなったが、1日平均では50人弱と相変わらず高い人気を維持しており、同市の観光スポットとして定着してきたようだ。

同地下壕は、米軍の空襲がはげしくなった太平洋戦争末期、当時の館山海軍航空隊の防空壕として使われた。総延長1.6キロと全国的にも大きな地下壕で、市を代表する戦争遺跡のひとつ。一般公開翌年の平成17年1月には、市の指定史跡にも指定されている。

入壕状況によると、入壕者の内訳は個人客が8165人で全体の53.11%と半数を超え、学習旅行などの高校生は18.9%にとどまり、大人が81.1%を占め、戦前・戦中世代の人たちに関心が高い。県外からの来訪者も8345人で54.2%と過半数を数える。月別では、10月が1675人と最も多く、次いで8月の1652人、5月の1597人、11月の1589人の順で続き、10月の1日平均入壕者は57.8人にのぼった。

同市は現在、戦争遺跡への修学・学習旅行の誘致に力を入れているが、市教委では大人を対象としたPR活動に一段と力を入れ、歴史遺産を後世に伝えていきたいとしている。

【赤旗】090430*戦争遺跡 住民の力で後世に〜志位委員長が視察

●戦争遺跡、住民の力で後世に
…千葉・館山、志位委員長が視察

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日本共産党の志位和夫委員長は29日、千葉県館山市での演説会に先立って、同市内にある旧海軍の軍事施設「赤山地下壕」を、NPO法人安房文化遺産フォーラム代表の愛沢伸雄さんの案内で視察しました。

房総半島の先端に位置する南房総・安房地域は、古代から支配権力の戦略拠点とされました。第二次世界大戦では、東京湾の入り口にあって首都・東京を守る軍事上の大きな役割を担い、数多くの戦争遺跡が残っています。

赤山地下壕は、海上自衛隊館山基地のすぐ南側に位置する通称「赤山」と呼ばれる小高い山に掘られたもの。総延長は二キロメートルにも及びます。防空砲台群の戦闘指揮所や野戦病院などがあったとみられ、全国的にも珍しい航空要塞機能をもった地下壕です。

こうした説明を受けながら、志位氏は懐中電灯で照らしながら、真剣に戦跡を見て回ります。戦後、キノコ研究家が住んでいた形跡も見られました。

視察を終えた志位氏は「このような戦争遺跡を住民の力で後世に残してゆく努力は大切なことです」と、愛沢さんに語りかけ、「素晴らしい自然のあるところに戦争の拠点をつくるなどとは、本当におろかしいことですね」と話しました。

視察には、はたの君枝、加藤英雄両衆院南関東比例予定候補も同行しました。

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【いい旅いい仲間】090401*館山の戦跡を訪ねるピースツーリズム

●館山の戦跡を訪ねるピースツーリズム●……執筆:池田恵美子

・・*富士国際旅行社「いい旅いい仲間」39号(2009.4.1.)に掲載

東京湾要塞の館山

戦争中の南房総地域では、食糧供給のために花作りが禁止されていました。「花は心の食べ物」として種苗を守りぬいた農婦の勇気によって、現在の「花の房総」があるのです。一方、子どもたちが採取を命じられていたウミホタルは、乾燥粉末に水を加えると再び発光するという性質をもち、軍事利用の研究が進められていました。

太平洋に突き出て東京湾口部に位置する千葉県館山市は、東京湾要塞の軍都として重要な役割を担っていました。航空母艦のパイロット養成を担い、真珠湾攻撃や渡洋爆撃にも深く関わり、戦争末期には本土決戦に備えて七万の軍隊が投入され、陸海空の特攻基地や陣地が次々と作られました。敗戦直後にはアメリカ占領軍が上陸し、本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれたこともすべて歴史から消され、語り継がれることはありませんでした。

近年、学校教育から始まった戦跡の調査研究は市民の保存運動へと広がり、その歴史的重要性が見直されてきました。2004年、館山海軍航空隊赤山地下壕は自治体によって整備・一般公開され、翌年には市史跡指定となりました。館山は、沖縄・長崎・広島・松代に並ぶ平和学習の地として知られるようになり、多くの人びとが訪れています。市民活動はNPO(特定非営利活動)法人となり、年間二百団体におよぶ平和学習のスタディツアーを迎え、ガイド事業をおこなっています。

赤山地下壕以外の戦跡は民有地や国有地に放置されたままですが、近代史を理解するうえで重要なものばかりです。特に館山の戦跡では、加害と被害の両面から戦争について学ぶことができます。この歴史的環境をすべて「地域まるごと博物館」として保存し、教育や地域づくりに活用していけることを願っています。

 

映画『赤い鯨と白い蛇』

館山の戦跡を舞台に映画が誕生しました。「赤い鯨」は夕日を浴びて館山湾で訓練した特殊潜航艇を意味し、「白い蛇」は家の守り神を象徴しています。戦時中の館山で育ったせんぼんよしこ監督により、香川京子さん・樹木希林さん・浅田美代子さんら女性だけが登場する映画です。

物語では、香川さん演じる老婦が少女時代に過ごした館山を六十年ぶりに訪れ、終戦直前に亡くなった青年将校の遺品を見つけます。そこには「ぼくを忘れないでほしい」「自分に正直に生きてほしい」というメッセージが託されていました。

このクライマックスシーンは、天井に龍のレリーフが彫られ、「戦闘指揮所」「作戦室」という額が残る実際の地下壕で撮影されました。これは本土決戦の抵抗拠点として戦争末期につくられたものですが、社会福祉法人の婦人保護施設内にあるため一般公開されていません。

 

「噫従軍慰安婦」石碑

戦後四十年のとき、ある一人の女性が従軍慰安婦だった体験を告白しました。婦人保護施設の暮らしのなかで心の安らぎを得た彼女は、戦地で亡くなった仲間たちを弔ってほしいと願い出たのです。声にならない苦しさを表す「噫」という文字に鎮魂をこめ、施設内の丘の上に石碑が建てられました。奇しくもそれは、龍の地下壕の真上にあたります。

この石碑は韓国のKBSでドキュメンタリーとして世界中に放映され、従軍慰安婦問題の発火点となりました。戦争ばかりでなく、社会的性差の問題は今なお大きな課題です。この石碑と地下壕は、NPOのガイドによる平和・人権研修のスタディツアーに限り、許可をいただいて見学のご案内をしています。

 

ハングル「四面石塔」

館山で平和を学ぶ旅は、戦争遺跡ばかりではありません。大厳院にある四面石塔には、東西南北の各面に、朝鮮ハングル・印度梵字・中国篆字・和風漢字で「南無阿弥陀仏」と刻まれており、アジア諸国からも注目されています。古くから海路を通じてさまざまな民族が交流していた証といえるかもしれません。

これは江戸初期の建立ですが、秀吉の朝鮮侵略と家康の朝鮮通信使修交という時代背景のなか、戦没者の慰霊と平和祈願をこめて建てられたのではないかと推察されています。館山はその地理的条件から、あるときは軍事拠点とされ、あるときは異国民でも受け入れて助け合い、〝平和・交流・共生〟の精神を培ってきた地です。

足もとの地域から世界を見ると、現代社会で私たちが忘れかけているものを教えてくれるヒントがたくさんあります。それこそが、新しい観光=光を観るピースツーリズムといえるのではないでしょうか。

【赤旗日曜】090118*戦国武将ブームの現場

「しんぶん赤旗」日曜版

2009.1.18付

 

戦国武将ブームの現場

-信長、家康よりも石田三成、直江兼続- 戦国武将人気

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上杉謙信、真田幸村、伊達政宗、石田三成・・・。若い女性に戦国武将が大人気です。書籍やグッズがよく売れ、各地でイベントが開かれ、戦国ロマンツアーも。何が魅力なのか。ブームの現場を歩いてみました。

《玄間太郎記者》

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■コスプレ 手作り80着「変身したい」

千葉県にある館山城跡。『南総里見八犬伝』(曲亭馬琴)のモデル、里見氏の居城です。 ここで昨年、春と秋の2回 「戦国コスプレ(仮装)大会」が開かれました。全国のコスプレイヤーと地元の手作り甲冑(かっちゅう)武者が80人余参加。殺陣の演武などでにぎわいました。主催は、里見氏の城跡保存や活用に取り組んでいるNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)。

コスプレイヤーの大道寺鎌さん(31歳、会社員)に聞きました。

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-なぜ戦国武将?-

「子どものころからアニメやゲームが大好きで、何かに変身したいと思いました。高校生のときは歴史が得意で、戦国武将に興味をもち、いろいろ調べました。一本筋を通した石田三成などの生き方にひかれました」

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-コスプレ歴何年?-

「14年。武将のコスプレ、約80着作りました。手間ひまがかかり、神経を使うので、完成した瞬間はほんとにうれしい」

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-武将の地へも?-

「ええ、コスプレ作りの勉強のために。上田城や大坂城、関ヶ原にも行きました」

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■専門店 来店者6割 10代、20代の女性

東京・神田小川町。ブームを象徴するような店があります。その名も「時代屋」。 1階は、1万5千冊余の書籍(新刊・古書)。作家400人余の時代・歴史小説、歴史専門書をそろえています。NHK大河ドラマ「天地人」コーナーもあります。 2階はグッズ。戦国武将Tシャツやのぼり旗、ストラップ、合戦ゲーム・・・。その数約2万点。 土曜・日曜は6割が10〜20代の女性客です。 2階には、戦国メニューの「茶屋」も。ここで2〜3時間“武将談義”をしたり、待ち合わせて武将の地へ旅行したり。

このブームは、どこからきているのでしょう。女将(おかみ)の宮本みゆきさん(33)は、こう見ています。

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店に若い女性が増えたのは、戦国もののゲームソフトや、ジャニーズ系タレントが出演するNHK大河ドラマなどの影響ではないか、と。

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グッズの売れ筋などから見えてくる特徴は?

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かつては織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった“勝ち組”の英傑が人気でした。が、今の若い女性は、真田幸村や石田三成など“負け組”の武将、さらには伊達政宗の懐刀・片倉小十郎や上杉景勝の若き参謀・直江兼続(かねつぐ)といった2、3番手の武将に心を寄せているといいます。

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男性が合戦の戦略・戦術に関心を向けるのに対し、女性は?

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「戦国武将に理想の男性像を求めている、とも違うんですね。死を覚悟した鮮烈な生き方、個性豊かな人間像にひかれるようです。図書館で調べ、本を買い込み、すごい知識です」。そして楽しそうにこうも。「一度ハマったらキケンです」

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○著者番付(時代屋)

横綱 佐伯 泰英 (『陽炎の辻』居眠り磐音シリーズなど)

大関 司馬 遼太郎 (『竜馬がゆく』、『功名が辻』、『夏草の賦』、『国盗り物語』など)

大関 池波 正太郎 (『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『真田太平記』など)

関脇 北方 謙三 (『三国志』、『水滸伝』など)

小結 風野 真知雄

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○人気武将
1 真田 幸村
2 伊達 政宗
3 石田 三成
4 直江 兼続
5 上杉 謙信

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■関ヶ原 事前に勉強 史跡めぐり

戦国時代の合戦といえば、やはり“天下分け目の関ヶ原”(岐阜県)。東軍・徳川家康と西軍・石田三成の激戦地です。古戦場を訪ねる若い女性がふえています。

「みなさん、よく勉強しています。ガイドを必要としないほどです。戦国武将への興味を機に、歴史への関心を広げてくれればうれしいですよ」

関ヶ原町歴史民俗資料館の高木優栄館長です。

関ヶ原には史跡が点在。女性が巡るのは、主に三成軍の陣跡や墓です。 笹尾山にある三成の陣跡。竹矢来を二重に巡らし、前面に島左近、中間に蒲生郷舎(がもう・さといえ※赤旗では「いえさと」とあったが誤植だろう)を配置。三成は山頂で指揮。が、たたかいに敗れ、敗走中に捕縛され、京の六条河原で処刑されます。

三成はどんな思いで死んでいったのか。悲運の武将にだれもが思いを馳せるのでしょう。

石田方の大谷吉継(よしつぐ)。人気の武将の一人です。ハンセン病を患い、戦場では輿(こし)に乗って指揮。その大谷の墓は、杉木立の中。墓前に菊の花が手向けられていました。

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佐賀市からきた森祐子さん(24)は、メモ帳を手に史跡を歩いていました。岐阜市内で地元のサガン鳥栖(とす)のサッカー試合を見た後、関ヶ原に足を延ばしました。

関ヶ原の合戦は、教科書で知ってはいました。が、どんな武将たちの、どういうたたかいだったのか。現地を歩いて学びたかったのです。

「勝っても負けても、戦国武将にはさまざまなドラマがあったんですね。きてよかった。大谷吉継、なんだか好きになりそう」

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識者こうみる

愛のカブトを政治にも -NHK大河「天地人」の原作者、作家 火坂 雅志さん-

戦国武将には、強い覚悟、凛々(りり)しさがあります。女性たちは今の男性とくらべ、武将に感情移入するのかもしれません。

例えば、『天地人』の主人公・直江兼続。「長高く、姿容美しく、言語晴朗なり」と伝えられています。 兼続に人気が集まるのは、彼が貫く「義と愛」からでしょう。乱世の中の謀略、裏切り、「利」のみの行動原理。が、兼続は「利」より「義」(道義)を重んじました。

兼続は兜(かぶと)の前立てに「愛」という文字をかかげました。「愛」とは人を思いやり、慈しむ心です。たとえ不利益をこうむっても弱者をかばい、助けることなんです。「愛」は、今の政治家にもっとも欠けています。若い女性たちはきっと、そこに兼続への思いを重ねるのでしょう。

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想像膨らむサブキャラ -時代劇コラムニスト ペリー・荻野さん-

アイドルの新陳代謝がすごく緩いんです。かげりがあるといっても、いまだにSMAPです。スーパースター・ヒーローが出ていません。 昔のような時代劇の人気シリーズがなくなり、若い女性が時代劇から離れていました。でも、ゲームやテレビの大河ドラマに戦国ものが現われてきた。戦国武将は、いつも死と隣り合って、波乱万丈。そんな生き方が、新鮮だったのでしょう。 そのうち“自分だけのアイドル”がほしくなる。有名な武将ではなく、サブキャラクターに心を寄せ、自由に想像をふくらませていくんです。 それに戦国時代はファッショナブルです。直江兼続の兜には「愛」をかたどった前立てが付けられ、甲冑の下の着衣も美しい。女性はストーリー性とファッション性にとても敏感なのです。

さて、この戦国武将ブームだが、何と我が高知県も無縁ではなく、というより、まさにその渦中にある。

この記事をご覧あれ。

【引用開始】

若い女性に「戦国武将ブーム」 「写真撮らせて」「甲冑着たい」

(J-CASTニュース 2008/10/12)

伊達政宗や真田幸村、長宗我部元親といった戦国武将が若い女性のあいだでブームになっている。戦国時代を扱ったゲームソフトや大河ドラマの影響のせいか、武将ゆかりの地や博物館などで女性の姿が目立ち始めたのだ。

ここ1〜2年で「長宗我部元親ファン」が増える

「ゲームの影響なんでしょうか、最近若い女性が増えてきているのは確かで、(参拝客の)90パーセント以上は若い女性です。昔にはなかったことで、ビックリしてます」

と話すのは、高知市の若宮八幡宮の大久保千尭宮司(65)。戦国武将の長宗我部元親が戦勝祈願したとされる同神社に若い女性の参拝客が増え始めたのはここ1〜2年のことで、女性客はどうやら「長宗我部元親ファン」らしい。大久保さんは「(坂本)竜馬さんは全国区だけど、まさか元親がそういう対象になるとは」と驚きを隠さない。

突然の「元親人気」を受けて、神社では元親にちなんだミニチュアののぼりや絵馬を製作したところ、売れ行きは好調という。境内には長宗我部元親の銅像があり、こちらも「かっこいい」と評判に。神社周辺にも元親ゆかりの史跡もあり、人気スポットになっているようだ。

「(長宗我部元親について)びっくりするほど知っていて、こちらも勉強しているんですが、逆に質問されたりして。刺激になりますね」

と大久保さんは話す。

こうした戦国武将人気はどうやら全国に広がっているようだ。真田幸村ゆかりの地である長野県上田市では、毎年春に真田一族を模した武者行列がメインとなる「上田真田まつり」が開催されるが、08年4月29日の祭りでも女性客の姿が目立った。同市観光課はJ-CASTニュースに対して、

「若い女性のファンが多くて、甲冑を着た武将と写真を撮りたいという方もいます。女性ファンが増えたのはここ1〜2年のことだと思います」

と話す。真田家の家紋である「六文銭」のマークの入ったお土産などを買う女性の姿も多く見られるという。

人気ゲーム「戦国BASARA」が火付け役?

伊達政宗の甲冑を展示している仙台博物館でも「以前はお年寄りや小学生が多かったが、2、3人連れの女性客が目立ち始めた」という。同館では年に2回、政宗のレプリカの鎧兜を実際に着用するイベントを開催しているが、「2年前くらいから女性の応募者が増えている」。なかには政宗の甲冑を見て「政宗サマ」と口にする女性客もいるようだ。

ブームの火付け役とされているのは、戦国時代をテーマにした大河ドラマや「戦国BASARA」という人気ゲームソフト。ソフト発売元のカプコンは「女性より男性のユーザーが多いというのは他のソフトと変わらない」というが、ゲーム好きは「武将のキャラクターがみんなカッコよくつくられていて、女性にも人気だ」と口を揃える。同シリーズは戦国時代の武将が対戦するアクションゲームでPS2とWiiで展開。現在までに100万本ほど売り上げている。

同社が08年8月に実施した人気投票では、1位が伊達政宗、2位が真田幸村、3位は長宗我部元親となっている。

【赤旗】081208*安房を再発見、戦跡保存やガイド、合唱団

(赤旗 2008.12.8 )⇒ WEB記事はこちら

●列島だより…安房を再発見
戦跡保存やガイド、合唱団
要塞、特攻の軍都だった
平和、元気な地域づくり

NPO法人安房文化遺産フォーラム
愛沢伸雄/小沢義宣/池田恵美子

地域づくりをめざして千葉県の房総半島南部(安房地域)でNPO法人安房文化遺産フォーラム(館山市、愛沢伸雄代表)が精力的に活動しています。戦争遺跡、中世の城跡、文化財の保存・活用、各種イベントから地域運動まで活動の幅を広げています。(上田明夫)

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活動の柱のひとつ戦争遺跡ツアーガイド(平和研修)は、フォーラム設立後の五年間で八百団体約二万人。最近の日程を聞くと—

11月21日 労組の九条の会

26日 全商連

同 静岡地方のタクシー協会

30日 政党関係者

12月6日 旅行団体

同 東京の労組

7日 無料ガイド

先月22,23日は若者向けに「戦国こすぷれ大会〜里見八犬伝in館山」を主催。28日は「地域医療と看護学校問題を考える医師・看護師と市民の集い」もありました。12月のこの後も東京の中学1年生40人のガイドなどスケジュールはぎっしりです。

戦跡ツアーの一つに参加してみると、ホテルの一室で映像を使った座学のあと赤山地下壕へ。

ガイドは、かつて釣りざんまいを夢見て移り住んだ小沢義宣さん(70)。6、7年前、愛沢氏らの戦跡調査の公民館活動に参加し「釣りができない日に歩いていると変なものに出合う。なんだろう、なんだろうと思っていましたが、案内と説明でそれがわかった」とこの道へ。

 

●ウミホタルの歌

青い光を放つウミホタル。館山は世界的にも有名な生息地ですが、戦時中、軍事利用で地元の子どもたちが採取を命じられました。平和研修で語り継がれ、生まれたのが合唱組曲「ウミホタル〜コスモブルーは平和の色」。NPO主宰の市民合唱団もでき、この12月も3回の練習です。

 

●戦国の城跡歩く

戦国大名里見氏の史跡をめぐるウオーキング、空き店舗を活用した「まちかどミニ博物館」と多彩に活動する同フォーラム。一昨年、「あしたのまち・くらしづくり活動」で内閣官房長官賞を受賞、この十一月には千葉県知事から地域観光振興功労で表彰されたばかりです。

事務局長の池田恵美子さんは「会員は200人、ガイドは50人ほどが活動しています。戦争遺跡とともに地域の有形無形の文化とその遺産を継承し、活用し、みんなが元気に、そして支え合う地域づくりをしたいですね」と話します。

 

●平和、元気な地域づくり

NPO代表 愛沢 伸雄さん

足もとの地域の人々の生活や文化を見つめ、再発見し、平和で元気よく住むことのできる地域社会にしたい。だれもが願うその思いから、「何もない」「保守的地域だから」ではなく、安房(「安らかな家」の意と解しています)という名に込められた地域を歩き、話を聞き、調査研究と運動を重ねると、その尽きせぬ魅力と特性を知ることができました。全国的にも貴重な戦争遺跡の再発見もその一つです。

平和研修で訪れた方から自分の地域を見つめ直すきっかけになったという感想も寄せられています。この南房総を舞台に平和と地域活性化のネットワークがこれからも広がればすばらしい。地域コミュニティ、地域と地域、地域と世界を足もとからつなぐNPOの発展に力を尽くしたい。

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●太平洋戦争開戦の日

要塞、特攻の軍都だった

きょう12月8日は、67年前の1941年、日本軍がハワイ真珠湾攻撃をした日です。主力は航空母艦と艦載機でした。愛沢氏らによると、軍都館山のシンボル館山海軍航空隊は空母パイロットの養成機関で、基地は「陸の空母」と呼ばれ、真珠湾攻撃とも深くかかわっていました。

すぐ山側にある赤山地下壕は「住民から、ごみ捨て場で子どもが遊んで危ないという訴えがあった所」とフォーラム会員の神田守隆さん(元共産党館山市議)。市民とともに神田さんも議会で尽力し、今は館山市指定文化財として一般公開されています。

調査で秘密のベールをはがし、総延長約2キロの地下要塞の姿を市民と全国に知らせ文化財にまでしたのが、当時県立高校で「世界史」を教えていた愛沢氏ら市民だったのです。

●岬や海岸線には

戦争遺跡は館山市だけで五十カ所近く。安房文化遺産フォーラムが出版した『あわ・がいど 戦争遺跡』を手に海辺を行くと、常緑のマテバシイの樹林、波打ち際、あるいは今は中学校のなかに戦争遺跡の数々が。

南房総は明治期から「東京湾要塞地帯」に指定され、戦争とともに強化されました。指折りの景勝地、大房岬(南房総市富浦)は岬全体が要塞跡でした。

南に行くと、太平洋諸島の上陸作戦訓練にはぴったりの平砂浦(白砂青松百選)を演習場にした館山海軍砲術学校跡。常時1万5千人が訓練したという当時の写真パネルが展示してありました。

 

●本土決戦に備え

海岸線を行くと、戦争末期の本土決戦に備えた水上特攻艇「震洋」などの特攻基地跡です。海から離れたところには本土決戦の切り札、ロケット特攻機「桜花」の基地跡も。

南房総に展開した七万の軍隊が本土決戦・「第二の沖縄戦」の臨戦態勢のまま1945年8月に敗戦の日を迎えます。9月3日、米占領軍本隊約3,500人が館山に上陸、4日間でしたが本土で唯一「直接軍政」をしきました。軍政解明のきっかけは「中学校の日誌で記述を発見したことから」(池田事務局長)といいます。

要塞・訓練・特攻—サンゴの北限の温暖な気候と花、海水浴や釣りの観光とレジャーのまちのもう一つの顔です。

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【房日】081202*地域医療の危機救え

◎地域医療の危機救え
…館山で医師と市民の集い
…..看護学校開設への方策探る

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館山市にある館山准看護学校と、安房看護専門学校が閉校するのを受けて11月28日、同市のコミュニティセンターを会場に、「地域医療の危機と看護学校問題を考える-医師と看護師と市民の集い」が開かれた。会場には市民らおよそ120人が集まり、安房医師会の宮川準会長らの話に聞き入った。

集いは、両学校が閉校すれば看護師不足に陥り、地域医療だけでなく、移住促進活動など多方面に大きな影響を及ぼすとして、新たな看護学校設立の動きがある中で、現状に理解を深め市民としてなにが出来るかを探ろうと、同市の愛沢伸雄さんらが呼びかけ開いた。

集いではまず、医療法人博道会の看護師養成所設立準備室顧問の出口勉氏が現状説明を行い、安房地域では、看護師不足で一般病棟の一部を休止している病院があることや、安房地域では今後5年間で、200人以上の看護師不足が見込まれることなどを説明した。

このあと、宮川会長が移譲前の安房医師会病院が、看護師不足で運営難になったことや、准看護学校と安房看護専門学校との関係、閉校の理由などを述べ、「安房地域の医療維持に向け行動していきたい」と語った。続いて、館山病院看護部長の加藤尚子さんが看護師確保のため北海道や山形まで出向いたが、1人も来てくれなかった苦労を語り、「いまどうするかが切実な問題」と話した。

博道会総長の大島博幸氏も、医療崩壊の問題では医師不足が取り上げられるが、医療、介護、福祉まで関わっている看護師の不足で地域医療が崩壊すると再生できないとし、地域での看護師養成や、離職者の再教育による確保などを訴えた。

また、前館山病院長で、長年、僻地医療に携わっている高野良裕氏は、地域崩壊が看護師不足の根底にあるとし、さらに現在の看護師高学歴化に対し、「(看護師は)いまは管理職になってしまった。昔は看護師が患者の側にいた。だから医師も尊敬していた」などと述べた。

質疑応答で、市民からは「行政への働きかけはしたのか」「看護学校を設立するなら市民の声が届く組織づくりを」などの質問や意見が出され、老後の医療に不安を訴える移住者の声もあった。

呼びかけ人の愛沢さんは、看護学校開設に向け「きょうをスタートとし、大きな市民運動への皆さんの力をお貸しいただきたい」としており、今後広く努力を呼びかけていく考えを示した。

【千葉】081130*看護学校を考える医療集会

◎南房に新たな看護学校を 開設訴え館山で市民ら集会
「看護師不足で地域医療崩壊」 来年以降 2校閉校で危機感

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看護師不足による南房総地域の医療崩壊を阻止しようと、「市民団体による医師、看護師、市民の集い」が11月28日夜、館山市コミュニティセンターで開かれた。約120人の市民が参加し、地域の看護学校開校に向けた活動を開始した。

集会では、館山市内にある博道会館山病院が運営する館山准看護学校と安房医師会が運営する安房看護専門学校が、2009年3月と翌年3月にそれぞれ閉校することを受け、地域の看護師不足による医療崩壊を懸念して、2校に替わる看護専門学校の設立を訴えた。

地元NPO代表の愛沢伸雄さんが「安房地域医療を考える市民の会」の立ち上げを呼び掛け、安房医師会の宮川準会長、館山病院の大島博幸総長、同病院の加藤尚子看護部長、全国各地でへき地や離島などの地域医療問題に取り組んできた高野良裕医師らが参加した。

南房総地域には現在、看護師約1100人、准看護師約700人が働いている。安房医師会によると、これまで亀田医療技術学校(鴨川市、1学年定員約80人)、安房看護専門学校(館山市、同20人)、館山准看護学校(館山市、同20人)が地域で看護師・准看護師の養成を担ってきたが、そのうち2校の閉校で今後5年で約200人の看護師不足を招くことが決定的という。

南房総地域への看護師の流入が少ない中、自然減や過酷な勤務による疲弊で看護師数が減る一方、高齢化社会で医療、福祉現場での需要は高まっており、看護師確保の現状は厳しい。看護師が不足すると法規制により病院は病床数を削減。これが病院の経営を圧迫し経営難に陥る。宮川会長は「安房医師会病院の経営難も看護師不足が原因だった」と今年経営を安房地域医療センターに委譲した安房医師会病院の状況を振り返った。

大島総長は「幅広い年齢層が志を持って受験してくれ、受験者も定員の2倍あった」と館山准看護学校の閉校を残念がる。同校の卒業生の准看護師を主に受け入れ、看護師に養成してきた安房看護専門学校は入学者を大幅に減らし、閉校を余儀なくされた。加藤看護部長は「よそから看護師を呼び込むのも困難。一度家庭に入った看護師の復帰も大切」と説明した。

愛沢さんは「若者を呼び込み、地域雇用と活性化にも有効。安房の医療文化を守るためにも学校設立を」と呼び掛け、「特定の医療法人の付属機関では立ちいかない。市民も参加する官民一体の三セク的な学校法人が望ましい」と市民運動の盛り上がりを目指す。参加した市民からも「定年後に移住してきたが医療問題が心配」「時間に余裕のある高齢者も学んで看護師になれないか」など活発な意見が出された。

12月9日と17日にも午前10時半と午後5時半から同様の集いを館山コミュニティセンターで開催する。問い合わせは同市民の会の富田さん(電話090-2547-7988)池田さん(電話090-6479-3498)。

 

(写真)集会では「看護師不足が地域医療崩壊を招く」と問題を訴えた=28日夜、館山市

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【千葉】081124=コスプレーヤー 市民と戦国競演

コスプレーヤー 市民と戦国競演
館山で大会

 

館山市の城山公園で23日、「戦国コスプレ大会」が開かれた。里見氏や里見八犬伝の歴史と若者文化が融合した新しいイベントに、全国からコスプレーヤーが集まり撮影会や八犬士イベントが行われた。

同イベントは市内のNPO安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)を中心に市や観光団体が今年4月から開催し、今回が第2回。戦国、歴史創作系のコスプレイベントで、市内の手作り甲冑(かっちゅう)隊や殺陣師の魂刀流志伎会も参加し、幅広い客層が歴史ロマンを楽しんだ。同市内の中塚壮太くん(8つ)は「タイムマシンがあったら戦国時代に行って本当に戦ってみたい」と手作り甲冑を試着してご満悦。

主役のコスプレーヤーは戦国ゲームキャラを中心に全国から集合した。神奈川県などからの4人で参加の男性はテレビゲーム「戦国無双」の徳川家康。「城がバックで風景に合う。殺陣師にポージングも教わり楽しかったです」と笑顔で話した。

大半の参加者が前日から市内に宿泊し、市でも滞在型の観光イベントとして期待をかけている。

 

(写真)思い思いのコスプレで城や茶室などをバックに撮影=23日、館山市の城山公園

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【房日】081030=文化の日千葉県功労賞

●文化の日表彰、安房は7人と2団体

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県は、平成20年度文化の日千葉県功労者表彰の受賞者を発表した。今年度受賞者は県内全体で女性12人を含む個人63人と5団体。このうち阿波地域では個人7人と2団体の受賞が決まった。いずれもそれぞれの分野で、県の発展に寄与した功績を称えての表彰。11月3日午前10時から県議会議場で表彰式が行われる。

安房の受賞者と功績は次のとおり。=敬称略

(中略)

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【地域観光振興功労】

▽NPO安房文化遺産フォーラム

平成5年に安房地域の自然環境や、文化遺産保存活用による地域づくりを狙いに設立。16年のNPO法人となり、行楽客、学習旅行の生徒らを対象としたガイドツアーや、里見ウォーキング、まちかどミニ博物館などに取り組み体験型観光の振興に貢献。館山市館山

【徳洲新聞】081027=館山病院創立117年記念感謝祭

 

●「創立117年記念感謝祭」に700名
…これからも地域に根差して〜館山病院(千葉県)

 

千葉県の房総半島南端に位置する館山病院(268床)は、1891(明治24)年創立で、徳洲会では最長の歴史を誇る。10月4日、117周年を記念して感謝祭が催された。

感謝祭では「館山病院のあゆみと安心して暮らせるまちづくり」と題した講演が行われた。

講師を務めたのは、NPO法人(特定非営利活動法人)「安房文化遺産フォーラム」代表の愛沢伸雄さんと、館山病院の高野良裕前院長。

愛沢さんは、館山病院が地域と密接にかかわってきた過去の歩み、館山は江戸時代から医師が多いこと、以前から教育熱心な地域柄であることを紹介した。

高野前院長は、「館山市には“地域力”があります。昨今の医療事情は相変わらず厳しいですが、一緒に考えていきましょう」と話した。

また、10月1日に就任した山田真和院長も挨拶に立ち、「病院の文化を築くためには、市民の皆さまのご協力が不可欠です。愛情をもって育ててください」と続けた。

病院前の駐車場に設けられたメイン会場では、バンド演奏、祭囃子、バザー、餅つき踊り、きつね踊りなどが披露され、地元特産品を販売する出店が立ち並んだ。院内では、頚動脈エコーや骨密度を測定する簡易ドック、ストレス度を測るストレスドック、歯科検診などを実施。過去最多の約700名が訪れ、大盛況となった。

館山病院には、地域住民からの熱い要望を受けて創立された“市民病院”という成り立ちがある。

1891年10月4日、住民有志による「館山病院設置連名簿」を受けて開院。安房郡富浦出身の川名博夫医師が、初代院長に就任した。

1923(大正12)年の関東大震災で病院建造物のほとんどが倒壊する大きな被害を受けたが、まもなく株式会社館山病院として再建に着手し、翌年に新病院が完成。現在の医療法人博道会館山病院と改めたのは61(昭和36)年のことで、徳洲会グループには2005年に加わった。

講演には多くの方が来場し、満席になった

創立当初は内科病院だったが、近年は精神科病棟、療養型病棟を増築したほか、障害者福祉施設、訪問介護事業、通所リハビリ事業にも注力。今では、館山市(人口約5万人)を含む安房保健医療圏(人口約15万人)の地域医療を安房地域医療センター(旧安房医師会病院)とともに支えている。

病院に隣接し、52(昭和27)年開校の館山准看護学校がある。こちらは現在、正看護師を養成する看護学校に再編する計画が進められている。

「開設場所の変更も含めて検討しています。市民の学校と考えているので、ご意見を募集しています」と玉川建治事務部長は話している。

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