メディア報道

【房日】091201*第3回戦国こすぷれ大会、立ち回りに拍手

(房日新聞2009.12.1付)

■手づくり甲冑の立ち回りに大きな拍手

.

NPO法人安房文化遺産フォーラムが主催する「戦国こすぷれ大会」が29日、館山市の城山公園で行われた。武将や姫君、戦国アニメのキャラクターなどに扮した「戦国コスプレイヤー」約20人が首都圏や関西圏から集合。地元館山の「手作り甲冑隊」も合流し、同じ場所で開かれた「里見市民まつり」(産業まつり)に花を添えた。

大会のハイライトは、芝生広場での殺陣演技。館山で月2回剣術道場を開いている魂刀流志伎会(戸沼智貴代表)のメンバーが華麗な立ち回りや剣術を披露したほか、同会の「即席指導」を受けたコスプレイヤーや甲冑隊も立ち回りに挑戦し、観客から大きな拍手を受けた。

本格的なよろい、兜を身にまとった埼玉県越谷市の男性(42)は「先祖が里見氏の傍流の家系と親に言われており、家紋も里見と同じ。このイベントは市民とのふれ合いがあり、楽しい」と話していた。

【読売】091120*小谷家、館山市文化財に

【読売新聞】2009.11.20付

.

名画「海の幸」舞台
小谷家が館山市文化財に

.

明治の洋画家、青木繁(1882〜1911年)が明治37年(1904年)に滞在し、名作「海の幸」を制作した家として知られる館山市布良の小谷家が、市指定の有形文化財に指定された。

小谷家は寄せ棟造り桟瓦葺きで、広さは93平方メートル。漁業で栄えた明治中期の漁家として貴重であり、造りは分棟型民家の系統を引いている。屋根を桟瓦葺き、一部を大壁造りとした防火づくりにし、近代的間取りを取り入れているのが特徴。

小谷家は昨年7月、諮問を受けた市bん家財審議会が今年9月、市の有形文化財に指定するよう答申し、10月27日付で指定された。

建物所有者の小谷栄さん(85)は「地元の人たちやNPOの方たちが何度も足を運んでくれて、相談を重ねながら指定にこぎつけ、感謝している。昔ながらの建物の姿をできるだけ残していきたい」と話している。

また「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」の愛沢伸雄事務局長は「5年がかりでやっと文化財に指定された。地域の誇りとして次世代の子どもたちに夢と希望を与えるような保存と活用を、行政と連携しながら考えていきたい」と語る。

市は今年7月、海の幸の記念碑(1962年建立)のそばに絵画の解説モニュメントを設置した。記念碑は作品の舞台となった阿由戸の浜を望む小高い丘に立っている。今後は小谷家住宅を富崎地区の歴史・文化や観光資源と合わせてPRしていく考えだ。

【房日】091118*小谷家、市有形文化財に指定

館山市教委は、明治画壇の鬼才と謳われた青木繁が滞在して代表作「海の幸」制作にかかわった家として知られる同市布良の小谷家住宅を市の有形文化財に指定した。16日、石井達郎教育長が小谷家を訪れ、所有者で小谷家当主の小谷栄さん(85)に指定書が交付された。

小谷家住宅は、明治22年の大火後に建てられたと考えられ、漁業で栄えた布良に残る明治中期の上層漁家として貴重な存在。桁行6間、梁間が約5間の寄棟造り桟瓦葺で床面積は約93平方㍍。分棟型民家の系統をひき、一部を大壁造りの防火造りとし、伝統的な間取りを脱して近代的間取りの傾向を示している点が特徴的。明治37年夏には、青木繁が画友や恋人の福田たねと写生旅行に訪れ、当時、網元だった小谷家に2か月ほど滞在。青木はこの間、布良の海を題材に多くの作品を描いているが、帰京後に完成させたのが国重要文化財にも指定されている海の幸で、同家は「海の幸誕生の家」として歴史的な価値もある。

こうした経緯から地元でも存続への声が高まり、「青木が滞在した当時のままの姿で、建物を後世に残していきたい」と小谷さんからの申請を受け、文化財審議会の答申を経て、市教委が文化財指定を決定した。

「みなさんと相談を重ねながら指定にこぎつけることができ、たいへん感謝している」と指定書の交付を受けた小谷さん。また、地元有志やNPO、芸術家などで構成する保存する会事務局長の愛沢伸雄さんは「地元や全国の方々の思いが文化財指定につながったと思います。会としても、小谷さんの思いを大切にしながら、地域の誇りとして次世代の子どもたちに夢と希望を与えるような保存と活用を考えていきたい」と話している。

 

房日新聞2009.11.18付

【房日】091110*鈴木政和さんのミニ博物館

房日新聞2009.11.10付

.

米国でのアワビ漁伝える資料 鈴木さんがミニ博物館
南房総千倉 別宅改造し収集資料展示

.

明治から昭和にかけて、アメリカのカリフォル二ア州モントレーに渡り、アワビ事業を開拓した南房総市千倉町のアワビ漁師たちを、写真や文章などで紹介した「まちかどミニ博物館」が、同市千倉町千田の民家にお目見えした。NPO法人安房文化遺産フォーラムの副代表を務める、同市千倉町千田在住の鈴木政和さんが、別宅の内部を改造してオープンさせた。今後、土日曜日と祭日に開き、一般の人たちに見てもらう。無料。

明治30年から昭和16年まで、器械式潜水漁の先駆者である小谷源之助・仲治郎兄弟ら南房総のアワビ漁師たちは、アメリカのモントレーに渡り、アワビ漁を始めた。

その多くは、千倉町千田地区の人たちで、アワビのステーキや缶詰などを紹介し、アメリカの食文化に影響を与えたという。

その後、日系人排斥運動が起きるが、潜水技術が評価されたアワビ漁師たちは、その後も渡米を許された。しかし日米開戦とともに、それまで続いたアワビ漁の歴史は幕を閉じることになった。

近年になり、こうした歴史が日米双方から明らかになり、親戚がアメリカでアワビ漁をしていたという鈴木さん自身も2003年ごろから独自に調査。房総の潜水器漁の歴史がつづられた本などを参考にし、地元で聞き取り調査をしたり、関連する当時の写真や資料を借りたりし、少しずつまとめた。

ミニ博物館は、千倉地区から白浜地区方面に向かい、市立七浦小学校入り口手前にある信号機近くの国道410号脇の民家。道路側の入り口脇に「まちかどミニ博物館」の看板のほか、「ちくらあわび塾」「安房地区9条連」の看板も並ぶ。

内部は、太平洋を渡った南房総のアワビ漁師たちを、表にしてそれぞれ紹介。またモントレーで撮影されたアワビ漁やアワビの加工工場、アワビ漁の様子などの写真も多数展示した。

また現地で小谷仲治郎たちが世話になった大地主、アレキサンダー・マクミラン・アレン氏の牧場風景や、千田地区の長生寺で行われたアレン氏の追悼供養の写真、アワビ漁に関連する書籍などが並ぶ。

このほかに、小谷仲治郎の世話によりアメリカに渡り、後にハリウッドスターとして活躍した早川雪洲が出演した映画「戦場にかける橋」などの映画が視聴できる、ミニシアターコーナーも設けた。

同文化フォーラムは、街そのものをミュージアムにしようという「まちかどミニ博物館」構想を検討しており、この一環として鈴木さんが中心になり同博物館を開館。今後、これまでに何度か試験的に実施した、アメリカに渡ったアワビ漁師たちの生家を巡る「アワビ街道めぐり」の本格稼動に向け、この見学地の1か所として、コース内に組み入れたいと考えている。

「アメリカに渡り、アワビ漁を紹介した人たちが、地元にいたことを、多くの人たちに知ってもらいたい。ここを訪れた人たちが興味を抱き、新たにアワビ漁師に関する情報や資料を提供していただければ幸いです」と鈴木さんは話している。土日と祭日の午前9時から午後5時までオープン。詳しくは鈴木さん(090—5812—3663)へ。

【房日】091028=『図説・安房の歴史』監修〜天野努さん

■12月発刊の「図説・安房の歴史」を監修した

天野努さん

.

原始・古代から現代まで1万数千年の安房地域の歴史から100項目を選び、各項目一話の読み切り形式にまとめた一般市民向けの歴史書『図説・安房の歴史』(郷土出版社)が、12月中旬に発売されることになった。監修にあたった天野努さん(安房歴史文化研究会会長、元県立安房博物館長)に、出版の狙いや同書の特色について聞いた。