メディア報道

【房日】100306*安房看護専門学校卒業式

(2010.3.6付)

安房看護専門学校、最後の学生9人が卒業

39年の歴史に幕〜地域医療支える人材輩出

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安房看護専門学校(館山市湊、野原正校長)は4日、卒業式・閉校式を行い、最後の学生9人を送り出して39年の歴史を閉じた。

1971年の開校以来、546人の卒業生を輩出。その多くは看護師として、安房の地域医療を支える役割を担ってきた。だが、学生となる准看護師の人員減に加え、(旧)安房医師会病院の経営破たんという状況変化を背景に、運営主体の安房医師会が2006年に閉校方針を決定。07年を最後に学生募集を停止していた。

同校の閉校で、安房地域の看護師養成機関は亀田医療技術専門学校(鴨川市)のみとなる。亀田メディカルグループが看護学部を持つ「亀田医療大学(仮称)」開設を目指す一方で、地域の行政・医療関係者はあらためて看護師不足問題への対応に迫られている。

閉校式では、宮川準・安房医師会長が「医師会病院の破たんで、年3000万円の学校運営費を単独拠出することが困難になった」などと、これまでの経過を説明。閉校後も医師会として「あらゆる手段を模索して、看護師養成に向け努力したい。きょうは次の第一歩を踏み出すための節目の日だ」と語った。

04年度まで7年間校長を務めた青木謹氏=青木医院院長=はあいさつの中で、同校閉校を「悲惨な結果」と表現。「7年間のうち前半の4年間は医師会長との兼任で、学校は任せきりだった。看護師養成がいかに大切かを知るのが遅すぎた。(学校設立に尽力した)先輩達に申し訳ない」と悔やんだ。

卒業式では、来賓や父母らが見守る中、白衣を身にまとった9人が、野原校長から卒業証書を授与された。

卒業生を代表し、菅原美恵さん(36)が「3年生時の実習で、相手の立場にたって行動する大切さを学んだ。学校がなくなるのは寂しいが、これまでの学びを生かして地域に貢献していきたい」と答辞を述べた。

同窓会関係者によると、同会は12日夜、館山市の中華料理店「芳キ」で「閉校の集い」を行う予定という。

【房日】100306*守ろう地域医療Ⅱ〜看護⑤

(房日新聞2010.3.6付)

守ろう地域医療Ⅱ

看護⑤現場の窮状「しっかりした評価、待遇を」

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「看護師が足りているなんて聞いたことがない。現場のナースはみんな大変」——。県看護協会安房部会長の小倉理英さん=小田病院勤務=は、いまの窮状を訴える。

「人が少なくても仕事量は変わらない。例えばいままで7人でやってた業務を5人でやらなきゃいけない。そうすれば労働時間も長くなるし、休みだって思うようにとれない。ただでさえ夜勤のある仕事。睡眠時間を削って働いている人も少なくないはず」

看護協会に加盟する安房のナースは約1000人。県内12地域で下から3番目。決して多くはない。しかし、看護師資格を持ちながら職場を離れている「潜在看護師」は、地域に数多くいるという。なぜ現場にナースがいないのか。小倉さんは、離職者が多く、再就職者が少ない現状を指摘する。

小倉さんは、職場に託児所が整備されてないことが大きな原因だと考えている。「やはり子育てが離職のきっかけ。安房でも大きい病院には託児所があるが、ないところがほとんど。安心して子育てができなければ、仕事は辞めざるをえない」。

ただでさえきつい仕事。人の命を預かる重い責任感や、医療過誤への過度のプレッシャーなどをストレスに感じて、職場を去るナースも少なくないという。

日進月歩の医療現場。一度現場を離れると、「ついていけるか不安」と復職にためらいを感じるナースが多い。再就職を支援するため各病院でもさまざまな取り組みを繰り広げているが、成果は芳しくないという。「協会としても再就職支援をしたいが、そもそもナースはみんな仕事に手一杯で、そこまで手が回らない」と切ない事情を吐露する。

そうした中、館山で館山準看護学校、安房看護専門学校が相次いで閉校した。「学校が姿を消したのは大きな問題。ただでさえ館山は個人病院が多く、地元の看護師に頼っている。養成機関は必要だった。学生全員が地元で働かなくても、3分の1でも残ってくれればかなり違ったはず。看護師を目指す若者が増えても、一度都会に出てしまうとなかなか戻ってこないでしょう」。

一方で、開学の準備に入る亀田病院系の看護大学については「協会として大学ができることを応援しているし、多くの学生がきて、安房で働いてくれることを望んでいる」と期待する。

しかし、新たな看護師の供給も先行きは不透明。離職、再就職対策も決め手がない。看護師の不足によって、仕事量は増え、耐え切れずに退職する看護師が出る、そしてさらに看護師不足に拍車がかかる悪循環–。こんなシナリオも、あり得ない話ではない。

同様の構図で問題となっている勤務医不足については、国がようやく対策に力を入れ始めている。「『医者がいない』『勤務医が大変』と言われているが、勤務医の下で働いている看護師だって大変なんです。それなのに社会的に評価が低すぎる。患者さんへの責任もある、医療行為もする、もちろん医療ミスなんてできない、心身ともにハードな仕事。だけどしっかりとした評価がされていない」と待遇改善を訴える。

都市部との賃金の格差も大きく、安房は他の地域と比べても看護師に対する評価が低い、と小倉さんは指摘。「現状では『看護師は好きじゃないとできない仕事』。しかし、いまの若い人たちは給料や労働時間、働く環境をしっかり見定めてから就職する。地域として、看護師のしっかりした評価、待遇がされなければ看護師不足は解消しないのでは」と語った。

(おわり)

◇ ◇ ◇

この連載は石井雅仁、加藤純一が担当しました。

【房日】100305*守ろう地域医療Ⅱ〜看護④

(房日新聞2010.3.5付)

守ろう地域医療Ⅱ

看護④進路ガイダンス「看護師の魅力、高校生に」

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「小学生の時に手術をした。手術室でずっと手を握ってくれた看護婦さん。震えるほど不安だったが、とても安心させられた。あの時の看護婦さんのようになりたい」–。今春、看護師を目指して順天堂大に進学する安房高3年の中村愛美さん(18)=館山市船形=は、瞳を輝かせて志望動機を語る。

同3年の鈴木晴奈さん(18)=同市館山=も、やはり自身の入院経験で看護職のすばらしさを知り、北里大看護学部に進むことを決めた。深刻な看護師不足の中、看護の仕事に希望を抱き、その道を選ぶ若者も少なくない。

こうした生徒を少しでも増やそうと、安房保健所は昨年、高校生を対象にした「看護職の進路ガイダンス」をスタートした。看護師の仕事、なり方、職業としての魅力を伝える取り組みで、生徒により身近に感じてもらおうと、各高校を卒業した“先輩ナース”を講師に招くなど工夫も凝らした。

「看護師を増やすには、看護師を目指す若者を増やすか、離職した看護師を発掘するかのどちらか。発掘するのは難しいのが現状。うまくいっているという話は聞いたことがない。だから、まずは若い看護師のなり手を増やそうと安房独自の事業としてはじめた」と、久保秀一所長は狙いを語る。

安房高の2人も昨年受講。「先輩看護師の話はとても参考になった」(鈴木さん)、「大変な仕事というイメージがあったが、楽しいこと、幸せなことも多いと教えてくれた。『(看護師に)なりたい』という気持ちがより強くなった」(中村さん)と、看護師への思いがより強まったと振り返る。

同校のほか長狭、安房拓心、安房西(安房西は個別相談のみ)の4校で実施し、計82人が受講した。会場では、生徒たちが看護師の仕事について盛んに質問。講師に受験のアドバイスを求める姿も多くみられた。

ガイダンスを担当した同保健所地域保健福祉課の青木啓子課長は「予想以上に看護志望の生徒がいることに驚いた。子どもたちも非常に熱心で、やりがいを感じた」と手ごたえを実感。「来年度以降も継続して開催したい」と意欲をのぞかせる。

しかし、看護師を目指す若者が増えても、すべてが安房地域でナースとして働くわけではない。安房高の2人は、資格面を含めて将来の選択肢が広い看護大学への進路を選んだ。

「いずれ安房地域で働く気持ちがあるか」とたずねると、「いまはレベルの高いところで、いけるところまで頑張りたい」(鈴木さん)、「まずは看護師となって、技術、経験をしっかりと積みたい」(中村さん)との答えが返ってきた。

高学歴、キャリア志向だけではない。若者の都会志向もある。賃金など待遇面での差もある。この地域で若者に働いてもらうためには、さまざまな壁がある。

久保所長は「看護職を希望する高校生への調査では、安房に残りたいという生徒は意外と少なくなく、迷っているという生徒が特に多い。そして、安房で働く条件として奨学金制度が必要という生徒が目立った。学校、各病院の奨学金制度など、安房で働くメリットをしっかり説明していきたい」と強調した。

【房日】100304*守ろう地域医療Ⅱ〜看護③

(房日新聞2010.3.4付)

守ろう地域医療Ⅱ

看護③〜看護学校閉校=危機感もつ市民グループに動き

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「もしこの学校がなかったら、私が看護師になるチャンスはありませんでした」–。安房看護専門学校をきょう4日に卒業する菅原美恵さん(36)=南房総市在住=は、感慨深げに語った。

離婚し、旧安房医師会病院に職を得て、子どもを育てながらヘルパーとして働いた。30歳の時に転機が訪れる。「看護師にならないか」と、職場の看護師長が声をかけてくれた。

「手に職をつけたい。やってみよう」。館山准看護学校の門を叩いた。2年で准看護師の資格を取得し、看護師にキャリアアップできる安房看護専門学校に進んだ。

両校とも授業は午後から夕方まで。働いて、給料をもらいながら学ぶことができた。夜勤をこなし、少しの仮眠の後に通学するのはつらかったが頑張り抜いた。医師会病院が安房地域医療センターに変わっても、奨学金が引き続き支給された。「学費の心配をしなくてすんだのが、なによりありがたかった」。

館山病院に勤務しながら学ぶ川名教文さん(25)も、この制度に助けられた一人だ。「家は富浦(南房総市)なんですが、母子家庭で弟も2人いる。地元を離れることはできないし、学費を親に頼らないで資格を取りたかった。医療現場で働きながら学んだおかげで、学校だけで学ぶ人よりも実務が身に付いたと思っています」。

菅原さん、川名さんら37期生の9人の卒業と同時に、安房看護専門学校は39年の歴史を閉じる。これまで送り出した看護師は約550人。鴨川市の亀田医療技術専門学校は全日制なので、これで安房地域で働きながら看護師を目指す道はなくなる。

看護師不足が指摘される中、地域で相次ぐ看護学校閉校に危機感を募らせる市民もいる。

「安房の地域医療を考える市民の会」(愛沢伸雄代表)は今月6日、館山市の南総文化ホールで、全国で初めて乳児・高齢者の医療費を無料化した岩手県沢内村の村長の半生を描いた映画「いのちの山河」の上映会を開催。4月に地域医療問題をテーマとしたシンポジウムを行い、8月には市民の声をまとめた「医療ビジョン」を発表したいとしている。

愛沢代表は「亀田の看護大学ができたとしても、地域の看護師不足は解消されない。行政を巻き込んだ取り組みを目指す」と指摘。これまでの市民運動で得た人脈・経験をフルに使って、水面下で新たな看護学校設立の「青写真づくり」を模索している。

政権交代で「民主党が今後、看護師不足対策に本腰を入れる」と期待する機運もある一方、「安房には小児科、産科の病院が少なく、研修施設が確保できない。学校誘致は非現実的」との医療関係者の声もある。

安房医師会で看護専門学校担当の杉本雅樹理事(ファミール産院院長)は「住民が地域医療に関心を持ってくれるのはいいこと。市民グループの声をつぶすような地域ではいけない。どんどんやってほしい」。だが看護学校問題については「病棟のある一般病院と、開業医では意見が異なる。医師会が新たな学校を立ち上げる計画はない」と話した。

金丸謙一・館山市長は2日の議会で、市が「旧安房南高跡地に県立の看護学校設置を」と県に要望していることを唐突に表明。議員や医療関係者、市民グループらを驚かせた。だが、金丸市長がこの問題で今後リーダーシップを発揮していくのかどうかは、現段階では不明だ。

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映画「いのちの山河」上映会の詳細はこちら

【房日】100303*吉岡友次郎氏(NPO法人青木繁「海の幸」会

NPO法人青木繁「海の幸」会

事務局長:吉岡友次郎氏

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明治期の洋画家、青木繁が名作「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅を保存・一般公開しようと、美術界に影響力を持つ人々を説得。86人を発起人として集め、このほどNPO法人設立にこぎつけた。

「これでレールは敷かれた。あとは目標の実現に向かって着実に進むだけです」。

青木繁と道教の福岡県久留米市出身。佐賀大学特設美術科で油絵を学び、広告宣伝のアシスタントディレクターに。後に編集プロダクション経営に転じた。

小谷家住宅の存在を知ったのは、2000年のこと。美術展の打ち上げで、学生と布良に毎年のようにスケッチ旅行に出ていた吉武研司・女子美大教授と知り合い意気投合。青木繁の布良でのエピソードを聞いて、翌年春に現地を訪ねた。

「明治時代に建てた住宅がまだあるなんて。久留米にある青木の成果は復元・新築したものなんです。重みがまったく違う。これは残さなければいけない。何とかしようと、すぐにそう感じました」。

その後も毎年のように布良を訪れ、小谷家当主の小谷栄さんとも顔なじみだった。一昨年、館山で「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」が設立されたことで「もう、私もやらなければいけない」と行動を起こす。吉武教授と二人三脚で、画家や美術評論家など美術関係者を回った。文化勲章受章者の故・平山郁夫氏も趣旨に賛同し、発起人に名を連ねた。

「この保存運動には、会派の違う著名な画家が一同に集まった。これは驚くべきこと。青木繁は、日本の美術界にとって本当に思い存在なんです」。

十数年前に仕事の一線を退き、再び本格的に絵筆を持った。現在は独立展やCAF・N展などのグループ展に、精力的に出品している。川崎市多摩地区在住。

【房日】100303*守ろう地域医療Ⅱ〜看護②

(房日新聞2010.3.3)

守ろう地域医療Ⅱ

看護②〜リクルート=看護師確保へ全スタッフ一丸

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看護師確保へ全スタッフ一丸

写真タテ3段

「このままでは、地域を支える医療が立ちいかなくなってしまう」–。館山市長須賀の博道会・館山病院(山田真和院長)は昨年、深刻化する看護師不足に手をこまねいてはいられないと「医師・看護師対策室」を新設した。

専従スタッフは山口裕美さん。秘書やマーケティングの仕事の経験があることから、白羽の矢が立った。「私は調整役で、看護師確保に向けて全医師、全スタッフができることはすべてやるという態勢。これまでと同じように、口を開けて待っていたんではダメだとの危機感を共有している」と話す。

現在約200ベッドの入院施設を持つ同病院は、約130人の看護師が勤務する。退職・離職者を補充するため、年10人程度を新たに採用する必要がある。

この規模の病院は収入の7割を入院関連から得ているため、ベッド数の維持は重要課題。ベッド数は看護師の数で決まってくるため、看護師確保は経営の安定につながるキーポイントだ。

看護師不足の原因の一つは、入院患者に対して看護師の数が多いほど病院が高収入を得られる「7対1看護」を2006年に国が導入したこと。これにより、待遇の良い都会の大病院に看護師が集中。安房地域でも「館山道が整備されたこともあり、木更津や市原の病院に移る看護師も出てきた」(医療関係者)という。

もう一つは、館山准看護学校、安房看護専門学校の閉校。これまで両校から年20人前後が地元医療機関に就職していたが、今後はゼロになってしまう。

高齢化が進み、医療機関以外にも介護施設や訪問看護ステーションなどの看護師の需要が増している事情もある。

山口さんによると、館山病院の看護師確保に向けた取り組みは、主に①県外の看護学校への訪問と売り込み②就職フェアへの参加③エージェントを使った人材探し④口コミ、職員のつてをたどっての「潜在看護師」(看護師資格を持っているが、現在は看護の仕事についていない人)の発掘–の4つ。

「一般企業とは対照的に、看護学生は現在、よりどりみどり職場を選べる。東京のブランド病院でさえ人材確保に躍起になっているのだから、われわれのような病院は大変です」。

東京などの大都市は〝ちょっと不安だし、苦手〟という地方の学生をターゲットに、「暖かくて海が近い、住みやすい街」をアピールするよう求人パンフレットを工夫。見学を希望する看護学生には、交通費や食事代などすべて病院が費用を負担し、平砂浦のリゾートホテルに宿泊してもらうという力の入れようだ。

病院あげての取り組みで、今春の採用は「10人プラスアルファ」と目標を達成。だが、山口さんは「来年の採用は、まったく先が読めない。いろんな方法を試して、あと1、2年のうちに安定した採用ルートの確保にめどをつけたい」と気を引き締める。

同病院の加藤尚子看護部長は「地域の拠点病院として、患者さんのためにも今の規模を守っていこうという決意でやっている。家庭環境の変化などで、ここのような2次医療施設から介護・福祉施設に職場を移すナースもいるわけだから、地域全体のためにもわれわれが若い新卒をきちんと確保し、育てていかなければいけない」と語った。

【房日】100302*守ろう地域医療Ⅱ〜看護①

(房日新聞2010.3.2)

守ろう地域医療Ⅱ

看護①〜最前線の現場で=やりがいの一方、激務の職場

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「はい、救急車入りますよ!」–。金曜日の午後5時半。安房地域医療センター(館山市)の救急外来で当直の看護師、大場清香主任が大きな声を上げた。

最初に肺炎とみられる高齢者の男性、ほどなくして、顔中が血まみれになった壮年男性が運び込まれる。2カ所ある処置スペースがふさがり、先ほどまでそこにいた患者はストレッチャーに乗ったまま、スタッフが行き来する通路部分に〝避難〟させられた。その横には、ベッドで点滴などを受けている患者が3人。移動式のレントゲン、心電図などの機械を押して検査技師が駆けつける。現場は、あっという間に「戦場」の様相に変わった。

大場さんはけがの男性患者の顔をふき、汚れた服を脱がせて備え付けのガウンに着替えさせる。医師の治療補助。検査のための血液採取、点滴の交換、患者情報のパソコン入力、入院患者の手続き・院内連絡、患者家族への応対…。医師も忙しいが、看護師の手足の動きが止まることも一瞬としてない。

「うちのスタッフはよくやってますよ。館山から鋸南までの10万人を守っているという気持ちで仕事をしている。救急の現場は臨機応変さが求められる。次にどうなるかという状況判断を常にしながら動くことが大事です」。

鴨川市出身。東京女子医大病院に長く勤め、10年前に「24時間の救急外来を立ち上げるから」と乞われて安房医師会病院(現・安房地域医療センター)に移った。以来、ずっと救急部門一筋。救命救急科の不動寺純明部長(医師)も「ここのことは何でも知っている。なくてはならない人」と全幅の信頼を置く。

安房地域で発生する重篤患者の多くは、3次救急を受け持つ亀田救命救急センター(鴨川市)に搬送される。だが、医療センターの役割も重い。午後7時、同8時20分…。この日は「そろそろ潮が引いたかな」思うと、新たな救急搬送があった。もちろんマイカーで訪れる軽症の患者も絶えない。

病院側と約束した午後10時過ぎに取材終了。それまでの6時間、大場さんら2人の看護師がいすに腰をおろすことはなかった、翌日午前に電話すると「その後も忙しく、午前2時半にようやく食事がとれた」と話してくれた。

◇ ◇ ◇

月曜日午後7時の館山病院。60床ある内科・外科混合の2階急性期病棟では、夜勤の3人に加え、まだ日勤チームの大半の看護師が居残ってバタバタしていた。

かかりつけの患者など3人が、夕方から次々に入院することになったからだ。人手が足りず、師長の竹之下久美子さんが自ら1階に降りて患者を迎えた。「5時に帰りたいとは思っていないが…。毎日これだと、モチベーションを保つのが大変なのも事実です」。

ナースコールを受ける表示板をみると、50数人の入院患者の平均年齢は80歳を超えている。食事、入浴、トイレ…。東京などの都市部の病院に比べ、看護師らスタッフの介護が必要な患者の割合が非常に高い。

新たに入院した患者を病室に運んだ竹之内さんの背後で、「バタッ」という大きな音がした。同室の患者がベッドから起きあがろうとして転倒、頭を打った。すぐに手当てをし、脈拍などの異常がないか確かめる。この患者には、身体の動きを知らせるセンサーをつけて、事故防止を図ることにした。

日勤の看護師がすべて引き揚げたのは、午後8時を過ぎてから。「忙しいばかりで、一人ひとりの患者さんへの目配りができているか、患者さんが満足しているかを考えると少し申し訳ない気持ち」と竹之下さん。病棟を統括する師長としては「スタッフの意欲が低下しないように、仕事や人間関係の〝交通整理〟をするよう心がけている」と語った。

◇ ◇ ◇

「いのちを守る」役割にやりがいを感じる一方で、長時間、不規則な厳しい勤務を強いられる看護師たち。昨年11月掲載した「守ろう地域医療」の続編として、今回は看護の現場や看護師不足問題、安房看護専門学校の閉校などに焦点をあてる。

【房日】100302*NPO法人青木繁《海の幸》会

NPO法人青木繁「海の幸」会が設立総会 美術界の著名人ら

小谷家住宅の復元・保存へ

募金目標は2年で2200万円

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明治期の洋画家・青木繁が代表作「海の幸」を制作した小谷家住宅=館山市布良=の復元、保存を目指すNPO法人・青木繁『海の幸』会の設立総会、第1回理事会が27日午後、東京・上野の東京文化会館で行われた。東京都や神奈川県在住の画家、美術評論家ら約40人が出席。2年間で2200万円の寄金を確保するなど、当面の活動目標を決めた。

同会は、日本美術界に大きな影響力を持つ著名人が多数参加。理事長に大村智氏(女子美術大学理事長)、副理事長に酒井忠康氏(世田谷美術館館長)、村田慶之輔氏(川崎市岡本太郎美術館館長)など、そうそうたるメンバーが役員に名を連ねている。吉岡友次郎事務局長は「目標額の寄金獲得は必ず達成する」としており、小谷家住宅の保存運動は今後大きく前進する見通しが出てきた。

設立総会では、1月12日に同会のNPO法人登記が完了したことを吉岡事務局長が報告。①小谷家修復・保存工事に3000万円、小谷さんが住む新たな住宅工事に1600万円の費用がかかること②地元・館山で保存運動を進める「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」と連携して活動し、今後は小谷家と3者で覚書を交わす方針であること——などを説明した。

また、2011年が青木繁の没後100年にあたることから▽全国・美術メディアを通じての青木繁の注目度アップ▽主要な美術館での青木繁の企画展開催——などの可能性を探ることで一致した。

館山からは小谷家当主の小谷栄さん、「保存する会」の島田博信会長、天野努副会長らが来賓として出席。

島田会長は「私たち地元保存会も大変勇気づけられる。今後は連携を密にし、故青木繁画伯の功績を末代まで伝え、併せて地域発展のためにも寄与する努力をしていく」とあいさつした。

また、金丸謙一・館山市長のメッセージも読み上げられた。

大村理事長は本紙の取材に対し「館山の方々が青木繁との縁を誇りに思われて、いかに活用していくか。地元の人がその気になってこそ、この運動の意味がある。経済も大事だが、次世代の子どもらのために文化を育てないと。そういう気持ちで応援していく」と語った。

『海の幸』会は、学生らとともに館山・布良にスケッチ旅行を続けていた吉武研司・女子美術大教授、青木繁と同郷の福岡県久留米市出身の画家・吉岡事務局長の2人が結成に尽力。地元・館山に「保存する会」が設立されたことを受け、日本の洋画壇の各方面に修復・保存運動推進を働きかけた。

【写真説明】設立総会で地元・館山の保存運動を説明する天野努氏=東京文化会館

【房日】100227=松永平太Dr.寄稿「いのちの山河」

●映画「いのちの山河」…〝いのち〟に格差があってはならない

〜いのちへの投資が地域を元気に〜

松永平太(松永医院院長・安房医師会理事)

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学生時代だったか、医師になりたてだったか、この映画の原作となる「村長ありき」という本を一気に読んだ。行政と協働しながら実践する地域医療の素晴らしさが、私の脳底に沈んだ。昭和30年代のまだ豊かでない時代、日本全国には地域格差があってはならないというメッセージには、人間愛を感じる。また、主人公が医師でないのがうれしい。

厳冬の今の時期になると豪雪で陸の孤島となる岩手のちっぽけな村で、一人の熱き村長と一人の優秀な医師が出会い、おそらく戦後初のモデルとなる地域医療を実践した。村長は「人間尊重、生命尊重こそが政治の基本である」として、子供たち、老人たちが多病多死で苦しんでいるのを助けた。その結果、全国初の乳児死亡率ゼロを達成した。環境厳しい岩手の片田舎で達成されたことは奇跡である。その地域医療実践の軌跡を観てみたい。

この映画は、並みいる国内・国外の映画を差し置いて鑑賞満足度第一位をとった。いのちというものをテーマにしていることから、私たち医療者・介護スタッフが見れば勉強になるだろうし、一般の市民の方たちもいのちの有難さを感じ取ることができるであろう。また、ぜひ政治家の方達にも観ていただきたい。

昔、田舎に大学病院より大きな病院があったら街が潰れてしまうと言われたことがある。しかし、現実には多くの雇用を生み、地域が活性化され、いのちの安全・安心につながっている。ビルの中にテナントを借りる診療所も夜になれば無医村となる都会よりも、救急車のたらい回しなどない安房地域の方が安心・安全である。そして、いのちが守られ、いのちが輝く、豊かな安房地域を創るには何をしなければならないのか、私たち市民が自分のこととして参画することを期待する。いのちに投資することは地域を元気にすることであり、未来へ通じる行為であることを強く主張したい。

つい先日、職員の結婚式に呼ばれた。その席で「利他」という言葉を幸せいっぱいのおお二人に贈った。「利」を「他」のひとのために提供することは、医療介護に従事するプロフェッショナルとして大切な魂である。私の診察机の前壁にも「忘己利他」という文字を飾っている。地域医療においては有名な言葉で、「もうこりた」と呼ぶ。

映画の主人公である深澤村長は、まさに己を忘れ村民のために利他を提供した実践の人である。59歳という若い歳で亡くなり、感動的な映画のラストシーンである雪降るなか多くの村民の迎えを受ける車の中で、深澤村長は「もうこりた」と言っているのだろうか。

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映画「いのちの山河」上映会の詳細はこちら

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