メディア報道

【房日】100313*エコウォーク〜青木繁ゆかりの地

青木繁ゆかりの地歩く〜27日にエコウォーク

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「海の幸」を描いた画家の青木繁が亡くなってから、来年で100年の節目を迎えるにあたり、たてやまエコツーリズム協議会(三瓶雅延会長)が27日、館山市富崎地区のゆかりの場所を歩くエコウォークを開催する。

青木繁が滞在した小谷家住宅(市指定文化財)や、没後50年に建立された海の幸記念碑などを地元のガイドとともにめぐり、画家の愛した風景と漁村文化を体感してもらう。

同地区は、かつてはマグロ延縄漁で活気づいた小さな漁村。明治時代には、青木繁がここに滞在し、代表作となる「海の幸」が誕生した。現在も、当時の暮らしの面影を色濃く残す漁村風景が多く残っている。

今回のエコウォークは、地域の歴史的環境保全に努めている同協議会のNPO法人安房文化遺産フォーラムが中心となって担当。眼前に広がる大海原を眺めながら、同フォーラムのガイドで地元の人たちとも交流する。昼食には、地元漁港で水揚げされた新鮮な魚介類を使った浜焼きが提供される。

ウォーキングは午前10時30分〜午後3時ごろまで予定。安房自然村=海の幸記念碑=小谷家住宅=布良崎神社=安房節記念碑のコースを歩く。参加費は5000円。

申し込み、問い合わせは、南総JAM事務局の井坂さん(080-6530-4553)か、いこいの村たてやまの工藤さん(0470-28-2211)まで。

【房日寄稿】100313*高橋銑十郎=映画「いのちの山河」を観て

【寄稿】高橋銑十郎(館山白百合幼稚園長)

映画「いのちの山河」を観て

対話と実行 遅れていないか〜恵まれすぎた自然をどう生かすか

(房日寄稿200.3.13付)

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母の生まれ故郷は新潟県六日町(旧南魚沼郡五十沢村)、八海山の麓である。近年、雪の量は少なくなったというが、この冬は雪も多く、連日の雲天で太陽の暖かさから見離された毎日であるとの便りである。

映画「いのちの山河」を観て、敗戦直後、中国東北地方(旧満州)通化から引き揚げ、五十沢村立小学校に通った頃を思い出した。夏は素足で、冬は藁靴での通学であった。11月末から3月いっぱい雪に覆われて雪かき、雪降ろしに追われ、仕事らしいことは何も出来ない。藁草履を編むぐらいである。まさに熊の冬眠生活と同じ様なものである。

それに比べると真冬に水仙、菜の花が咲き、四季を通じ野の幸、海の幸に恵まれた南房州地方の平均寿命が高いのもむべなるかなである。

花木、菜花、しいたけ、ブルーベリーなど年間を通して南房州の産物として生産販売の気力さえあれば眠っている宝庫はまだある。

沿岸水産資源についても同様なのではないか。東京という大消費地を近くに有する有利さもある。

2月末に自らの不注意から風邪をこじらせ肺炎になり安房地域医療センターに1週間ほどお世話になった。ちょうど房日新聞では「看護・・・守ろう地域医療II」が連載されており、考えさせられることが多かった。

医療制度は各国の歴史・文化に影響されており、国家間の比較は困難であるが、北欧を含むヨーロッパ、アメリカに比べ、国民皆保険制度のもとでの日本の医療制度水準は決して低いものではないと思う。経済的に恵まれていなかった45年前の学生時代に肺結核の手術をし、また12年前にC型肝炎にかかったが、いずれも十分な治療を受けることができ幸せである。

昭和20年代の食料不足、栄養失調、絶対的窮乏化の傾向は現在は払拭されている。不足しているのは、対話を通して老若男女の豊富な経験と若き気力を結びつける実行力である。それこそが「豪雪、貧困、多病」の「いのちの山河」沢内村を生まれ変わらせたものである。

2009年のOECD(経済協力開発機構)の統計によると、アメリカの総医療費はGDPの16%と飛び抜けて高くなっているが、これは一部の富裕層に高度の医療が偏っているとしか思われない。OECDの平均は9%であり、日本は8%と平均以下である。それにもかかわらずアメリカの年間受診回数は3・8回、日本は15・8回、在院日数はアメリカ7・8日、日本33・8日である。

これらの数字から医療内容が直ちに比較考量されるわけではないが、一つの判断指標である。アメリカの医療制度は歴史的にカーネギー財団、ロックフェラー財団の影響が強く、現在でも病院、保険会社、製薬会社、医療材料会社など資本市場の利益団体の手中にあるといわれている。国家が医療に深くかかわっている日本を含めた他の国との大きな違いである。

現在、オバマ大統領が苦境に立って医療制度改革が後退しつつあるものも既得権益を守ろうとする保険会社、製薬会社等の抵抗にあったのではないかと思われる。

教育と医療は社会的共通資本として、社会にとって最も重要なものだ。市場の論理、一部の私的利益集団によって制度・内容が左右されてはならない。私たちの生活が平和的に発展持続する基盤となるのが教育と医療である。

南房州はあまりにも自然環境に恵まれている。批判を恐れずに極言すれば、為政者が無為無策であっても最低限の生活が確保されるといえなくもない。

豪雪、山間僻地等の劣悪な自然環境にありながら、住民と偽政者が対話の下に制度改善を推進している地域がある。

しかし、南房州はそれらの地域に比べると、遅れをとってきているのが現状かもしれない。それが準看護学校、看護専門学校の相次いでの閉校という現実となって表われてきている。

 

=房日新聞2010.3.13付=

【房日】100310*『いのちの山河』上映会に1000人超入場

「いのちの山河」上映会に1000人超入場

銀幕とおし地域医療考える

(房日新聞2010.3.10付)

全国で初めて老人・乳児の医療費無料化を決断した岩手県沢内村の深澤晟雄村長の半生を描いた映画「いのちの山河・日本の青空II」の上映会が6日、館山市の南総文化ホールであった。主催した市民グループ「安房の地域医療を考える市民の会」(愛沢伸雄代表)によると、昼の部、夜の部合わせ1000人を超える地域住民が映画を鑑賞した。

上映会は、同会が「看護師不足など地域医療をめぐる問題について、市民の意識を高めたい」と企画。安房医師会も後援し、宮川準会長は「上映会を契機に、市民と医療従事者が力を合わせて解決策を考えたい」とメッセージを寄せていた。

昼の部の上映前には、同医師会の松永平太理事=松永医院院長=があいさつに立ち、「きょうは医師としてでなく、市民の目線から映画を観たい。生き生きとした、いのちを大切にする地域をつくっていきましょう」と語った。

市民の会は4月28日夜、医師会との共催で、沢内村で深澤村長とともに地域包括医療推進の先頭にたった加藤邦夫医師(79)の講演会と、「癒しのまづくりを語ろう!」と題したシンポジウムを計画している。

【房日】100309*本多馨氏が死去

女性初の館山市名誉市民で(財)館山ユネスコ保育園園長の本多馨氏が7日午後7時42分、胆管がんのため亀田総合病院で死去した。87歳。自宅は館山市館山582.前夜式が9日午後6時から、葬儀は10日午後1時から、いずれも館山市北条の館山斎場で営まれる。喪主は長男慶晴氏。

同市文化団体連絡協議会(現・芸術文化協会)や南総文化ホール友の会会長などを歴任し、長年にわたって地域文化の発展に貢献。県保母会長として、保母の資質向上や身分保障に関する研究調査などにも活躍した。

また、館山音楽鑑賞協会の会長として、広く市民参加を呼びかけてステージ演奏の機会を企画し、市民とともに鑑賞する活動を展開。草の根ボランティア活動から設立された館山国際交流協会では、文化交流第一委員会委員長として、自主的活動による文化分野での国際交流を促進。誠実で温厚な人柄と包容力は、周囲から絶大な信頼を得ていた。

こうした功績が評価され、昨秋の市施行70周年記念式典にあたり、女性として第一号となる名誉市民の称号が贈られた。

【房日】100306*安房看護専門学校卒業式

(2010.3.6付)

安房看護専門学校、最後の学生9人が卒業

39年の歴史に幕〜地域医療支える人材輩出

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安房看護専門学校(館山市湊、野原正校長)は4日、卒業式・閉校式を行い、最後の学生9人を送り出して39年の歴史を閉じた。

1971年の開校以来、546人の卒業生を輩出。その多くは看護師として、安房の地域医療を支える役割を担ってきた。だが、学生となる准看護師の人員減に加え、(旧)安房医師会病院の経営破たんという状況変化を背景に、運営主体の安房医師会が2006年に閉校方針を決定。07年を最後に学生募集を停止していた。

同校の閉校で、安房地域の看護師養成機関は亀田医療技術専門学校(鴨川市)のみとなる。亀田メディカルグループが看護学部を持つ「亀田医療大学(仮称)」開設を目指す一方で、地域の行政・医療関係者はあらためて看護師不足問題への対応に迫られている。

閉校式では、宮川準・安房医師会長が「医師会病院の破たんで、年3000万円の学校運営費を単独拠出することが困難になった」などと、これまでの経過を説明。閉校後も医師会として「あらゆる手段を模索して、看護師養成に向け努力したい。きょうは次の第一歩を踏み出すための節目の日だ」と語った。

04年度まで7年間校長を務めた青木謹氏=青木医院院長=はあいさつの中で、同校閉校を「悲惨な結果」と表現。「7年間のうち前半の4年間は医師会長との兼任で、学校は任せきりだった。看護師養成がいかに大切かを知るのが遅すぎた。(学校設立に尽力した)先輩達に申し訳ない」と悔やんだ。

卒業式では、来賓や父母らが見守る中、白衣を身にまとった9人が、野原校長から卒業証書を授与された。

卒業生を代表し、菅原美恵さん(36)が「3年生時の実習で、相手の立場にたって行動する大切さを学んだ。学校がなくなるのは寂しいが、これまでの学びを生かして地域に貢献していきたい」と答辞を述べた。

同窓会関係者によると、同会は12日夜、館山市の中華料理店「芳キ」で「閉校の集い」を行う予定という。

【房日】100306*守ろう地域医療Ⅱ〜看護⑤

(房日新聞2010.3.6付)

守ろう地域医療Ⅱ

看護⑤現場の窮状「しっかりした評価、待遇を」

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「看護師が足りているなんて聞いたことがない。現場のナースはみんな大変」——。県看護協会安房部会長の小倉理英さん=小田病院勤務=は、いまの窮状を訴える。

「人が少なくても仕事量は変わらない。例えばいままで7人でやってた業務を5人でやらなきゃいけない。そうすれば労働時間も長くなるし、休みだって思うようにとれない。ただでさえ夜勤のある仕事。睡眠時間を削って働いている人も少なくないはず」

看護協会に加盟する安房のナースは約1000人。県内12地域で下から3番目。決して多くはない。しかし、看護師資格を持ちながら職場を離れている「潜在看護師」は、地域に数多くいるという。なぜ現場にナースがいないのか。小倉さんは、離職者が多く、再就職者が少ない現状を指摘する。

小倉さんは、職場に託児所が整備されてないことが大きな原因だと考えている。「やはり子育てが離職のきっかけ。安房でも大きい病院には託児所があるが、ないところがほとんど。安心して子育てができなければ、仕事は辞めざるをえない」。

ただでさえきつい仕事。人の命を預かる重い責任感や、医療過誤への過度のプレッシャーなどをストレスに感じて、職場を去るナースも少なくないという。

日進月歩の医療現場。一度現場を離れると、「ついていけるか不安」と復職にためらいを感じるナースが多い。再就職を支援するため各病院でもさまざまな取り組みを繰り広げているが、成果は芳しくないという。「協会としても再就職支援をしたいが、そもそもナースはみんな仕事に手一杯で、そこまで手が回らない」と切ない事情を吐露する。

そうした中、館山で館山準看護学校、安房看護専門学校が相次いで閉校した。「学校が姿を消したのは大きな問題。ただでさえ館山は個人病院が多く、地元の看護師に頼っている。養成機関は必要だった。学生全員が地元で働かなくても、3分の1でも残ってくれればかなり違ったはず。看護師を目指す若者が増えても、一度都会に出てしまうとなかなか戻ってこないでしょう」。

一方で、開学の準備に入る亀田病院系の看護大学については「協会として大学ができることを応援しているし、多くの学生がきて、安房で働いてくれることを望んでいる」と期待する。

しかし、新たな看護師の供給も先行きは不透明。離職、再就職対策も決め手がない。看護師の不足によって、仕事量は増え、耐え切れずに退職する看護師が出る、そしてさらに看護師不足に拍車がかかる悪循環–。こんなシナリオも、あり得ない話ではない。

同様の構図で問題となっている勤務医不足については、国がようやく対策に力を入れ始めている。「『医者がいない』『勤務医が大変』と言われているが、勤務医の下で働いている看護師だって大変なんです。それなのに社会的に評価が低すぎる。患者さんへの責任もある、医療行為もする、もちろん医療ミスなんてできない、心身ともにハードな仕事。だけどしっかりとした評価がされていない」と待遇改善を訴える。

都市部との賃金の格差も大きく、安房は他の地域と比べても看護師に対する評価が低い、と小倉さんは指摘。「現状では『看護師は好きじゃないとできない仕事』。しかし、いまの若い人たちは給料や労働時間、働く環境をしっかり見定めてから就職する。地域として、看護師のしっかりした評価、待遇がされなければ看護師不足は解消しないのでは」と語った。

(おわり)

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この連載は石井雅仁、加藤純一が担当しました。

【房日】100305*守ろう地域医療Ⅱ〜看護④

(房日新聞2010.3.5付)

守ろう地域医療Ⅱ

看護④進路ガイダンス「看護師の魅力、高校生に」

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「小学生の時に手術をした。手術室でずっと手を握ってくれた看護婦さん。震えるほど不安だったが、とても安心させられた。あの時の看護婦さんのようになりたい」–。今春、看護師を目指して順天堂大に進学する安房高3年の中村愛美さん(18)=館山市船形=は、瞳を輝かせて志望動機を語る。

同3年の鈴木晴奈さん(18)=同市館山=も、やはり自身の入院経験で看護職のすばらしさを知り、北里大看護学部に進むことを決めた。深刻な看護師不足の中、看護の仕事に希望を抱き、その道を選ぶ若者も少なくない。

こうした生徒を少しでも増やそうと、安房保健所は昨年、高校生を対象にした「看護職の進路ガイダンス」をスタートした。看護師の仕事、なり方、職業としての魅力を伝える取り組みで、生徒により身近に感じてもらおうと、各高校を卒業した“先輩ナース”を講師に招くなど工夫も凝らした。

「看護師を増やすには、看護師を目指す若者を増やすか、離職した看護師を発掘するかのどちらか。発掘するのは難しいのが現状。うまくいっているという話は聞いたことがない。だから、まずは若い看護師のなり手を増やそうと安房独自の事業としてはじめた」と、久保秀一所長は狙いを語る。

安房高の2人も昨年受講。「先輩看護師の話はとても参考になった」(鈴木さん)、「大変な仕事というイメージがあったが、楽しいこと、幸せなことも多いと教えてくれた。『(看護師に)なりたい』という気持ちがより強くなった」(中村さん)と、看護師への思いがより強まったと振り返る。

同校のほか長狭、安房拓心、安房西(安房西は個別相談のみ)の4校で実施し、計82人が受講した。会場では、生徒たちが看護師の仕事について盛んに質問。講師に受験のアドバイスを求める姿も多くみられた。

ガイダンスを担当した同保健所地域保健福祉課の青木啓子課長は「予想以上に看護志望の生徒がいることに驚いた。子どもたちも非常に熱心で、やりがいを感じた」と手ごたえを実感。「来年度以降も継続して開催したい」と意欲をのぞかせる。

しかし、看護師を目指す若者が増えても、すべてが安房地域でナースとして働くわけではない。安房高の2人は、資格面を含めて将来の選択肢が広い看護大学への進路を選んだ。

「いずれ安房地域で働く気持ちがあるか」とたずねると、「いまはレベルの高いところで、いけるところまで頑張りたい」(鈴木さん)、「まずは看護師となって、技術、経験をしっかりと積みたい」(中村さん)との答えが返ってきた。

高学歴、キャリア志向だけではない。若者の都会志向もある。賃金など待遇面での差もある。この地域で若者に働いてもらうためには、さまざまな壁がある。

久保所長は「看護職を希望する高校生への調査では、安房に残りたいという生徒は意外と少なくなく、迷っているという生徒が特に多い。そして、安房で働く条件として奨学金制度が必要という生徒が目立った。学校、各病院の奨学金制度など、安房で働くメリットをしっかり説明していきたい」と強調した。

【房日】100304*守ろう地域医療Ⅱ〜看護③

(房日新聞2010.3.4付)

守ろう地域医療Ⅱ

看護③〜看護学校閉校=危機感もつ市民グループに動き

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「もしこの学校がなかったら、私が看護師になるチャンスはありませんでした」–。安房看護専門学校をきょう4日に卒業する菅原美恵さん(36)=南房総市在住=は、感慨深げに語った。

離婚し、旧安房医師会病院に職を得て、子どもを育てながらヘルパーとして働いた。30歳の時に転機が訪れる。「看護師にならないか」と、職場の看護師長が声をかけてくれた。

「手に職をつけたい。やってみよう」。館山准看護学校の門を叩いた。2年で准看護師の資格を取得し、看護師にキャリアアップできる安房看護専門学校に進んだ。

両校とも授業は午後から夕方まで。働いて、給料をもらいながら学ぶことができた。夜勤をこなし、少しの仮眠の後に通学するのはつらかったが頑張り抜いた。医師会病院が安房地域医療センターに変わっても、奨学金が引き続き支給された。「学費の心配をしなくてすんだのが、なによりありがたかった」。

館山病院に勤務しながら学ぶ川名教文さん(25)も、この制度に助けられた一人だ。「家は富浦(南房総市)なんですが、母子家庭で弟も2人いる。地元を離れることはできないし、学費を親に頼らないで資格を取りたかった。医療現場で働きながら学んだおかげで、学校だけで学ぶ人よりも実務が身に付いたと思っています」。

菅原さん、川名さんら37期生の9人の卒業と同時に、安房看護専門学校は39年の歴史を閉じる。これまで送り出した看護師は約550人。鴨川市の亀田医療技術専門学校は全日制なので、これで安房地域で働きながら看護師を目指す道はなくなる。

看護師不足が指摘される中、地域で相次ぐ看護学校閉校に危機感を募らせる市民もいる。

「安房の地域医療を考える市民の会」(愛沢伸雄代表)は今月6日、館山市の南総文化ホールで、全国で初めて乳児・高齢者の医療費を無料化した岩手県沢内村の村長の半生を描いた映画「いのちの山河」の上映会を開催。4月に地域医療問題をテーマとしたシンポジウムを行い、8月には市民の声をまとめた「医療ビジョン」を発表したいとしている。

愛沢代表は「亀田の看護大学ができたとしても、地域の看護師不足は解消されない。行政を巻き込んだ取り組みを目指す」と指摘。これまでの市民運動で得た人脈・経験をフルに使って、水面下で新たな看護学校設立の「青写真づくり」を模索している。

政権交代で「民主党が今後、看護師不足対策に本腰を入れる」と期待する機運もある一方、「安房には小児科、産科の病院が少なく、研修施設が確保できない。学校誘致は非現実的」との医療関係者の声もある。

安房医師会で看護専門学校担当の杉本雅樹理事(ファミール産院院長)は「住民が地域医療に関心を持ってくれるのはいいこと。市民グループの声をつぶすような地域ではいけない。どんどんやってほしい」。だが看護学校問題については「病棟のある一般病院と、開業医では意見が異なる。医師会が新たな学校を立ち上げる計画はない」と話した。

金丸謙一・館山市長は2日の議会で、市が「旧安房南高跡地に県立の看護学校設置を」と県に要望していることを唐突に表明。議員や医療関係者、市民グループらを驚かせた。だが、金丸市長がこの問題で今後リーダーシップを発揮していくのかどうかは、現段階では不明だ。

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映画「いのちの山河」上映会の詳細はこちら

【房日】100303*吉岡友次郎氏(NPO法人青木繁「海の幸」会

NPO法人青木繁「海の幸」会

事務局長:吉岡友次郎氏

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明治期の洋画家、青木繁が名作「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅を保存・一般公開しようと、美術界に影響力を持つ人々を説得。86人を発起人として集め、このほどNPO法人設立にこぎつけた。

「これでレールは敷かれた。あとは目標の実現に向かって着実に進むだけです」。

青木繁と道教の福岡県久留米市出身。佐賀大学特設美術科で油絵を学び、広告宣伝のアシスタントディレクターに。後に編集プロダクション経営に転じた。

小谷家住宅の存在を知ったのは、2000年のこと。美術展の打ち上げで、学生と布良に毎年のようにスケッチ旅行に出ていた吉武研司・女子美大教授と知り合い意気投合。青木繁の布良でのエピソードを聞いて、翌年春に現地を訪ねた。

「明治時代に建てた住宅がまだあるなんて。久留米にある青木の成果は復元・新築したものなんです。重みがまったく違う。これは残さなければいけない。何とかしようと、すぐにそう感じました」。

その後も毎年のように布良を訪れ、小谷家当主の小谷栄さんとも顔なじみだった。一昨年、館山で「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」が設立されたことで「もう、私もやらなければいけない」と行動を起こす。吉武教授と二人三脚で、画家や美術評論家など美術関係者を回った。文化勲章受章者の故・平山郁夫氏も趣旨に賛同し、発起人に名を連ねた。

「この保存運動には、会派の違う著名な画家が一同に集まった。これは驚くべきこと。青木繁は、日本の美術界にとって本当に思い存在なんです」。

十数年前に仕事の一線を退き、再び本格的に絵筆を持った。現在は独立展やCAF・N展などのグループ展に、精力的に出品している。川崎市多摩地区在住。

【房日】100303*守ろう地域医療Ⅱ〜看護②

(房日新聞2010.3.3)

守ろう地域医療Ⅱ

看護②〜リクルート=看護師確保へ全スタッフ一丸

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看護師確保へ全スタッフ一丸

写真タテ3段

「このままでは、地域を支える医療が立ちいかなくなってしまう」–。館山市長須賀の博道会・館山病院(山田真和院長)は昨年、深刻化する看護師不足に手をこまねいてはいられないと「医師・看護師対策室」を新設した。

専従スタッフは山口裕美さん。秘書やマーケティングの仕事の経験があることから、白羽の矢が立った。「私は調整役で、看護師確保に向けて全医師、全スタッフができることはすべてやるという態勢。これまでと同じように、口を開けて待っていたんではダメだとの危機感を共有している」と話す。

現在約200ベッドの入院施設を持つ同病院は、約130人の看護師が勤務する。退職・離職者を補充するため、年10人程度を新たに採用する必要がある。

この規模の病院は収入の7割を入院関連から得ているため、ベッド数の維持は重要課題。ベッド数は看護師の数で決まってくるため、看護師確保は経営の安定につながるキーポイントだ。

看護師不足の原因の一つは、入院患者に対して看護師の数が多いほど病院が高収入を得られる「7対1看護」を2006年に国が導入したこと。これにより、待遇の良い都会の大病院に看護師が集中。安房地域でも「館山道が整備されたこともあり、木更津や市原の病院に移る看護師も出てきた」(医療関係者)という。

もう一つは、館山准看護学校、安房看護専門学校の閉校。これまで両校から年20人前後が地元医療機関に就職していたが、今後はゼロになってしまう。

高齢化が進み、医療機関以外にも介護施設や訪問看護ステーションなどの看護師の需要が増している事情もある。

山口さんによると、館山病院の看護師確保に向けた取り組みは、主に①県外の看護学校への訪問と売り込み②就職フェアへの参加③エージェントを使った人材探し④口コミ、職員のつてをたどっての「潜在看護師」(看護師資格を持っているが、現在は看護の仕事についていない人)の発掘–の4つ。

「一般企業とは対照的に、看護学生は現在、よりどりみどり職場を選べる。東京のブランド病院でさえ人材確保に躍起になっているのだから、われわれのような病院は大変です」。

東京などの大都市は〝ちょっと不安だし、苦手〟という地方の学生をターゲットに、「暖かくて海が近い、住みやすい街」をアピールするよう求人パンフレットを工夫。見学を希望する看護学生には、交通費や食事代などすべて病院が費用を負担し、平砂浦のリゾートホテルに宿泊してもらうという力の入れようだ。

病院あげての取り組みで、今春の採用は「10人プラスアルファ」と目標を達成。だが、山口さんは「来年の採用は、まったく先が読めない。いろんな方法を試して、あと1、2年のうちに安定した採用ルートの確保にめどをつけたい」と気を引き締める。

同病院の加藤尚子看護部長は「地域の拠点病院として、患者さんのためにも今の規模を守っていこうという決意でやっている。家庭環境の変化などで、ここのような2次医療施設から介護・福祉施設に職場を移すナースもいるわけだから、地域全体のためにもわれわれが若い新卒をきちんと確保し、育てていかなければいけない」と語った。