メディア報道

【房日】100504*=医療・まちづくりシンポ〜パネル討論要旨②

(房日新聞2010.5.4付)

医療・まちづくりシンポ
〜パネル討論発言要旨(下)

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館山市の南総文化ホールで4月28日行なわれたシンポジウム「癒しの海辺のまちづくり」での、パネル討論参加者の発言要旨は次のとおり。

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■高野良裕氏(前館山病院院長)
〜皆が動かないと変わらない

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小児科の循環器が専門で、40歳まで国立小児病院(東京)にいた。ある時九州の町で、私は九州の出身ですが、子どものころとまったく違った様子にはっとした。田舎が変わっている。それで田舎の医者になった。

都会にいる時には(医者は)疾患から入る。だが田舎にいると、地域からモノが見えてくる。地域を持っていない人間たちが今、医者の中にもたくさん出ている。医療を語るときに「あなたは何科? なにが専門なの?」ということしか語れないドクターが圧倒的に多くなっている。

私は今新潟にいるが、先日東京・新橋で人と会った。人の流れに圧倒されて「都会には勝てないな」と感じた。だけど、どこかで勝たなければならない。目の悪い人や車いすの人は都会の生活に入れない。

今は都会に何でも取られてしまう。地方は過疎化し、老人しか残らない。医療政策もそう。それで困っている。

誰かのお金をあてにするよりは、自分たちでもう一回つくり直すことをしないと。

人口5万人に一つは看護学校をつくりたいという運動をしている。学費が120万円のうち60万円は市で負担してくれないだろうか。都会で疲れた人が、ちょっと安らぎながらここで看護師さんになる勉強ができないか。地元でホームステイをさせてあげるとか。力のあるこの地域だったら、まだまだできるのではと思う。

私の今いるところは、人口減が止まらない。この地域も、同じ運命になる可能性も十分ある。どこかでがらっと考え方を変えないとにっちもさっちも行かなくなるのではないか。どんなリーダーがいても皆が動かなければ何も変わらない。

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■福留強氏(聖徳大教授)

〜行政頼らず市民の力で

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東京は3日空けず鉄道の人身事故がある。自殺者が年3万人を超す不安社会。コミュニティがなく、相談相手がいない状況もある。館山は地域のことをよくやっている地域だと思う。きょうは提案が3つある。

一つは、市民の力でなければどうにもなりませんよ、ということ。行政にはカネがない。「これをして下さい」というのは絶望的。しないほうがいい。

最近福島県の矢祭町に行ってきた。「合併しない宣言」した町。図書館をつくったが、本がない。「私たちにはカネがない。余っている本を下さい」と全国に呼びかけた。今44万冊ある。住民の知恵だ。波及効果も出てきた。本を寄贈した人が町を訪れる。「死んだ息子の本を贈ったが、その様子をみたい」とやってくる。本の整理はボランティアがやる。全国から視察がひっきりなしだ。

鹿児島県鹿屋市に柳谷という「限界集落」がある。住民総出で確保した財源を基に教育や福祉を充実させ、注目を浴びている。休耕地にサツマイモを植え、焼酎をつくって、全世帯に1万円ずつボーナスを出してもいる。これが住民の知恵が成果を挙げた例だ。

二番目のキーワードは「創年」。老人とか高齢者というのはないと考える。常に現役。年齢を7掛けにしよう。70歳の人は今後、自分を49歳にして下さい。もうかった分は地域のために働いて。生きがいと目標を持つことが大事だ。

三つ目は、学ぶ風土。市民が学習しないと話にならない。何が問題で、何をしなければならないか。行政には何をしてもらえばいいのか。自分たちのできることは何なのか。意識しなければダメ。人口数百人しかいない柳谷集落に他の国から視察が来る。10万人いようと、しょうがない人ばかりだったらしょうがない。

お互いに学び合う、伝え合う、できることはする。一言でいうと始めないと始まらないということです。

(おわり)

【房日】100502*医療・まちづくりシンポ〜パネル討論要旨①

(房日新聞2010.5.2付)

医療・まちづくりシンポ
〜パネル討論発言要旨(上)

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館山市の南総文化ホールで4月28日行なわれたシンポジウム「癒しの海辺のまちづくり」での、パネル討論参加者の発言要旨は次のとおり。

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■松永平太氏(松永医院院長・安房医師会理事)
〜看護大学に住民の支援を

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「いのちの山河」はとてもいい映画だった。加藤先生(注・シンポジウムで基調講演をした旧沢内村の加藤邦夫医師)が50年前にやられていたころが良く理解できた。安房地域も、住民検診が発達した地域と言われている。それは先人のドクターたちが沢内村に行って学んで、持ち帰ったと聞いている。

安房地域では亀田(メディカルグループ)さんがあることで、日本一安心、安全な地域だと思っている。東京では診療所がいっぱいあるが、9時から5時まで。夜は無医村。新聞に載るような救急のたらい回しは安房地域にはない。亀田さんが必ず診てくれるからだ。

問題はやはり看護師不足。安房医師会としても行政に対し、看護師になりたい人に奨学金をだしてくれと要望している。亀田さんも看護学校をつくろうとしているが、膨大なお金が必要。亀田信介さんや省吾さんは「ヒラメ」のような人。いつも上だけ、理想だけを見て、経営が厳しくても「人が大事だ、教育が大事だ」とお金をつぎ込んできた。それで全国からお医者さんが集まる優秀な病院になった。

だが看護大学は壁にぶつかっていると思う。住民が寄付をして、看護師養成に力を尽くしてほしい。安全と安心のある地域で、この50年後、100年後をどうしていくのか、住民とともに考えたい。

いい地域医療をやろうというのは、まちづくりや文化づくり、風土づくりにつながる。よそ者である「風の人」、地元の「土の人」がつながって風土がつくられる。そういう社会をみなさんとつくっていきたい。



■愛沢伸雄氏(安房の地域医療を考える市民の会呼びかけ人)

〜先人のような知恵出そう

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館山に来て30年になる。20年前に「かにた婦人の村」と深津文雄牧師に出会ったことがきっかけで、文化財保存運動を進めてきた。医療も文化遺産で、大変な人々の知恵や力が投入されてきたことを知らなければいけないと思う。

加藤先生の話を聞いて意を強くしたのは「課題を明確にして、今の問題は何かをきちっとつかまえる」と言われたこと。沢内村が抱える問題は全国どこにもあったが、なぜ沢内村が成功したかというと「対話、話し合い」があった。村長が人の意見に耳を傾けた。

この地域で、ちょっと残念なのは「どうにかなっぺよ」という感じ。この程度でいいやと。問題にかかわると、変人扱いされかねない。

ただ、この「どうにかなっぺよ」も、食べられる地域をどうにかつくってきたことの裏返しなのかもしれない。地震や災害が多い地域だが、そんな中でどうやって食べられるシステムを先人たちがつくってきたか、個人的にも興味がある。

地域医療の問題点是正にはお金もかかるし困難も大きいが、この地域には解決する力があると思う。それが全国のモデル的なものになればいい。

この地域は公立病院がなくてもやってきたし、みんなでお金を出し合って病院を作ってきた地域でもある。学校もそうだ。地域の持っている特性を分析し、どうやったら先人のような知恵を出せるかを考えたい。

もう一つ。この地域は人々が力を合わせて30年以上コミュニティという組織を運営している。他にはない優れた組織形態だと思う。綜合検診の推進にもかかわっている。今こそ安房の人が大同団結し、医師と住民が力を合わせて困難を乗り越えていきたい。

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(つづく)

【房日】100430*旧沢内村の加藤医師講演

館山で医療シンポ、旧沢内村の加藤医師講演

「健康教育で生きがい社会を」

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地域医療をめぐる問題を含め、今後のまちづくりのあり方を考えるシンポジウム「癒しの海辺のまちづくり」(安房の地域医療を考える市民の会主催、安房医師会共催)が28日夜、館山市の南総文化ホールで開かれた。

岩手県の旧・沢内村(現・西和賀町)で故・深沢晟雄村長とともに「生命尊重行政」を進めた加藤邦夫医師(79)が約200人の聴衆を前に基調講演。「高齢者が生涯現役で働ける、生きがいのある社会」実現のため、「住民自身が医療・健康についての知識を高め、医師は住民への健康教育を重視することが大切だ」と語った。

加藤氏は昭和35年、「豪雪・貧困・多病多死」に悩む沢内村に赴任。その翌々日に「吐血した人がいる」との連絡で往診に出たが、現場には除雪されていない道を2時間歩いて行かねばならず、到着すると既に患者は死亡。山間地域の厳しい現実を目の当たりにした。

「当時医療費は50%患者負担。病人はごろごろいたのに、経済的な理由で医者に行かない人が多くいた」。こんな事情を背景に、沢内村は乳児と60歳以上の医療費全額負担を決断。加えて健康増進・疾病予防対策を重視した「包括医療」を推進し、昭和37年には全国初の乳児死亡率ゼロを達成した。

加藤氏は講演で、全額公費負担で一時的に医療費が増大して国民健康保険料が上がったものの、村民の疾病率が減少したことで、後に保険料は下がったと指摘。また、高血圧の受診体制を充実させることで、脳卒中の患者が減少したことを紹介し、「予防に力を入れれば医療費は減っていく」と強調した。

深沢村長の功績については「口だけで理想を語るのではなく、実際に財政措置をした。村の自主財源はわずか10%ほどだったが、村長はその大半を医療・健康対策に投入した」と語った。

シンポでは「癒しのまちづくりの夢を語ろう」と題したパネル討論も実施。松永平太・松永医院院長、愛沢伸雄・安房の地域医療を考える市民の会呼びかけ人代表、高野良裕・前館山病院院長、福留強・聖徳大学教授の4氏が、それぞれ看護師不足問題や高齢化する社会への対応策などについて発言した。

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=パネル討論の内容は、発言要旨を後日掲載する予定です=

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(房日新聞2010.4.30付)

【房日】100420=亀田医療大学、財政支援望めず

24年開学目指す 亀田医療大学 県の財政支援望めず

鉄蕉館の理事長、国のモデル地域認定を模索

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学校法人鉄蕉館の亀田省吾理事長は18日、平成24年春に開学を予定している亀田医療大学(仮称)について、「千葉県からの(財政)支援は望めない」との見通しを明らかにした。鴨川市で同日行った医療シンポジウム後の記者会見の中で語った。

県からは、10億円前後の支援をあてにしていたといい、開学に向けた資金調達の先行きに不安が出てきた。同理事長は「看護師養成は、亀田メディカルグループ全体としての最重要課題。(大学開設計画は)不退転の決意で臨んでいく」と指摘。今後、安房地域全体を国の「医療モデル地域」に指定してもらう道を探り、その交付金を活用して資金問題を解消していく構想を示した。

理事長によると、亀田医療大学の開設構想をめぐっては、県南の20の自治体首長が連名で、県に支援を求める要望書を作成。片桐有而・鴨川市長、金丸謙一・館山市長、石井裕・南房総市長の3氏がこのほど県庁に出向き、陳情を行ったという。

しかし、県幹部の反応はきわめて鈍く、対応にあたった首長の一人から「可能性はない」との感触を得たという。

鉄蕉館は当初、大学建設にかかる費用を約48億円と算出。鴨川市が鴨川中移転後の用地の無償貸与を決めたことで負担は30億円に圧縮され、うち21億円を公的支援・個人、企業などからの寄付でまかなう計画を立てていた。

亀田省吾理事長は「これまでの大学新設などの通例から見て、率直な話、半額程度を県に期待していた」と言及。同席した医療法人鉄蕉会の亀田隆明理事長は「看護師が不足し、医療・福祉分野が今後の成長産業になると言われている中、県の認識は10年ぐらいタイムラグがある」と不満を示した。

亀田医療大学は、開学時には看護学部看護学科の1学年定員80人を予定。1期生が卒業する平成28年には、大学院設置を目指す。現在ある専門学校の看護師養成課程(1学年定員80人)も引き続き維持する。

亀田省吾理事長は「大学教員の人材は確保できた。来年3月に大学開設の本申請を行うため、この1年が重要。地域の理解と支援を得るため、積極的に働きかけを進めたい」などと語った。

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【写真説明】医療シンポでのパネル討論。右から2人目が鈴木寛・文科副大臣=鴨川

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(房日新聞2010.4.20付)

【房日】100416=青木繁『海の幸』安房西高にブロンズレリーフ

原寸大の青木繁「海の幸」

安房西高にブロンズレリーフ、講師の船田正廣さん制作

(房日新聞2010.4.16付)


館山市の安房西高等学校(熊沢彰校長)に、明治期の画家・青木繁の代表作「海の幸」を原寸大の彫刻にしたブロンズレリーフがこのほどお目見えし、校舎1階の「校内ギャラリー」に飾られた。

2001年から教団に立つ美樹t教師、船田正廣氏(72)が制作した「石膏原型」を、同校が約180万円をかけてブロンズに鋳造した。

「海の幸」は1904(明治37)年に制作されたが、同校も翌年の創立で、ほぞ同じ歴史を刻んできた。

熊沢校長は「青木が『海の幸』を描いた館山布良の小谷家住宅の保存運動があることを知り、感じるものがあった。船田さんの作品を校内に残したいという思いもあった。レリーフを通じ、生徒らが郷土の歴史・文化に誇りをもってくれれば」と話している。

船田さんは東京芸術大学彫刻科を卒業。安房南高、安房高で長く美術を教え、定年後ほどなくして安房西高に。「与えられた美術の準備室で、房州に来てからいつも気になっていた『海の幸』(の写真)と長時間向き合うことができた」という。

その中で、青木繁は彫刻家以上に彫刻的な絵を描く画家だとの結論に達し、「この絵から必ず彫刻が生まれる」と確信。原型のサイズ(縦70.2センチ、横182センチ)で「彼の感動に迫ってみよう」と、レリーフ制作を決意した。何度か行き詰まりながらも丸三年の年月をかけ、2004年に完成させた。

重さ約110キロもあるというブロンズ・レリーフには重厚感があり、迫力も十分。原画の持つ力強さを余すことなく表現している。

船田さんは「青木繁と館山の結びつき、『海の幸』の美術史上の重要性を理解していただき、熊沢校長に感謝している。自作がブロンズで残るのは至福な気持ちだ」と話している。

(房日新聞2010.4.16付)

【房日】100415*地域医療考えるシンポジウム

(房日新聞2010.4.15付)

元沢内村の加藤医師が講演

地域医療考えるシンポ

28日に 南総文化ホールで

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地域医療をめぐる問題について市民サイドから発言を続けている「安房の地域医療を考える市民の会」(愛沢伸雄・呼びかけ人代表)が28日夜、安房医師会との共催で、「癒しの海辺のまちづくり」シンポジウムを館山市の南総文化ホールで開催することになった。

地方・遠隔地での医療実践を重ねてきた医師やまちづくりのエキスパートを招き、講演や討論を通じて「保健医療分野が充実した、安心して暮らせる地域づくり」の可能性を探っていきたいという。

同会によると、シンポでは冒頭、かつて岩手県沢内村で「地域包括医療」推進に尽力した加藤邦夫医師(79)が「自分たちで生命を守った村」と題して基調講演。

その後、松永医院(南房総市)の松永平太院長、愛沢伸雄氏、高野良裕・前館山病院長、福留強・聖徳大学教授の4氏が「癒しのまちづくりの夢を語ろう!」をテーマにパネル討論を行う。

加藤医師は、1960年に国保沢内病院長に就任。「生命尊重行政」を掲げ、高齢者と乳児の医療費無料化を全国で初めて実現した故・深沢晟雄村長のもとで、全村民の健康台帳整備や先進的な疾病予防活動に取り組んだ。今も現役で、仙台徳州会病院で人間ドックを担当している。

当日は小ホールで、午後7時から8時45分までの予定。参加費500円。前売り券を、同ホールと安房医師会の協賛病院で取り扱っている。

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開催概要はコチラ

【房日】100411*赤山地下壕、見学者17,112人

(房日新聞2010.4.11付)

赤山地下壕、昨年度見学者は1万7,112人
過去最高記録、観光スポットとして定着

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館山市が、平和学習・観光交流の拠点として一般公開している戦争遺跡の赤山地下壕の平成21年度見学者実績がまとまった。総見学者数は前年より11.2%、1,723人増えて過去最高の1万7,112人を数えた。1日平均では約50人が訪れており、同市の観光スポットとして定着しつつある。

同地下壕は、米軍の空襲がはげしくなった太平洋末期、当時の館山海軍航空隊の防空壕として使われた。総延長1.6キロと全国的にも大きな地下壕で、市を代表する戦争遺跡のひとつ。一般公開翌年の平成17年1月には、市の史跡にも指定されている。

まとめによると、見学者の内訳は個人客が9,264人で全体の54.1%と半数を超えている。学習旅行などの高校生は24.7%と全体の4分の1にとどまり、大人が75.3%を占め、相変わらず戦前・戦中世代の人たちに関心が高いことがうかがえる。県外からの来訪者も9,542人で55.8%と過半数を数える。月別では、7月が2,000人と最も多く、次いで5月の1,934人、10月の1,742人、11月の1,648人の順で続き、7月の1日平均は66.7人にのぼった。

同市教委によると、一度ガイドをした団体などから紹介され、見学の際にガイドを依頼するケースが増えており、近くのホテルなどの案内で訪れる宿泊者の姿も目立つ。「こうした相乗効果が増加につながっている」としたうえで、「さらにPRに努めていきたい」としている。