名画「海の幸」誕生の家「小谷家」修復公開目指す
「青木繁 滞在当時」の状態に
(読売新聞2014.5.20付)
明治の洋画家・青木繁(1882〜1911)が名作「海の幸」(国重要文化財)を描いた家として知られる館山市布良(めら)の同市指定有形文化財「小谷家」が修復されることになった。地元が保存運動に動き、2016年4月の一般公開を目指す。
(羽田和政)
小谷家はマグロはえ縄漁で代々船主を務めるなど集落の指導的役割を果たした家柄。東京美術学校(現・東京芸大)を卒業したばかりの青木が小谷家を訪れたのは1904年(明治37年)7月。母屋に滞在した1か月半の間に描きあげたのが「海の幸」だ。
裸の男たちがサメを背負って砂浜を歩く作品(縦約70センチ、横約182センチ)は小谷家の戸板の大きさとほぼ同じで、絵の下敷きに使ったといわれる。
江戸時代に建てられた母屋は寄せ棟造りの平屋で、床面積は約93平方メートル。明治に2度火事に遭ったが、1890年頃に再建され、青木はこの家で過ごした。1962年には、小谷の近くに青木とのゆかりを紹介する記念碑も建てられた。
保存運動は、地元の「青木繁誕生の家と記念碑を保存する会」に加え、日本美術界有志でつくる「NPO法人 青木繁『海の幸』会」などによって進められた。館山市は2009年、「保存状態のいい明治期の貴重な建造物であることに加え青木繁の名作誕生の場として文化的意義が高い」として文化財に指定した。
さらに市は12年度から、ふるさと納税で「小谷家の保存活用が目的」として寄付行為をした場合、税控除対象にするなどの支援制度を決定。母屋の半解体工事や別棟の建設など全事業費約4600万円のうち、寄付や市の支援などで約2700万円のめどが立ったとして、修復が決まった。残りは、今後も寄付を募るなどして集める予定だ。
小谷家の現当主は小谷福哲(ふくあき)さん(63)で、母屋には先代夫婦が住んでいたが、転居。解体工事が4月末から始まり、傷んでいる場所や増築された部分を改修し、できるだけ青木がいた頃と同じようにする。
小谷さんは「今年は青木が我が家に滞在して110年に当たる。『海の幸』誕生の家が残せることに誇りを感じる。地域の活性化につながることも期待している」と話している。
「海の幸」描いた小谷家住宅 念願の修復工事着工へ 館山
保存活動で資金ねん出
工期2年 完成後に一般公開
(房日新聞2014.4.18)
近代日本美術史で最も著名な洋画家の一人、青木繁が代表作の「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅を当時の姿に復元し、一般公開するための工事がスタートする。小谷家と同住宅の保存活動を展開する2つの市民団体が15日、記者会見で明らかにした。工期は27年12月までで、翌28年4月に公開を始める計画という。
小谷家住宅は明治期に建てられた木造瓦ぶきの平屋。明治37年夏、東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業して間もない青木が友人を伴い滞在し、海の幸を描いたことは広く知られている。
「小谷家なくして海の幸の誕生はなかった」として、小谷家の小谷福哲(ふくあき)さん、地元の呼びかけで発足した青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会、日本美術界の有志でつくるNPO法人青木繁「海の幸」会の3者が、保存・公開に向けた活動を展開。平成21年10月に同住宅は市の有形文化財に指定された。
同NPOの積極的な支援をはじめ、館山市が予算化した文化財修理補助金とふるさと納税を活用した支援基金の補助金により、全体事業費4602万円のうち2660万円のめどが立ったとして工事に着手する運びとなった。
記者会見で経緯を説明する小谷福哲さん(右)
工期は2年で、まずは現在も同住宅で生活する先代夫婦の転居先として、隣接する倉庫を増改築。その後、傷みの激しい屋根を解体して修復、昭和40年ごろに建て増した西側の台所や風呂などを撤去して、建築当時の姿に戻すという。
「目標額の半分のめどが立ち、修復工事に着手することになった。多くのみなさんから協力をいただき感謝したい。わが家を青木繁の『海の幸』誕生の家として後世に残せることを光栄に思う」と福哲さん。
保存する会の嶋田博信会長は「念願の工事が始まる。一般公開で全国から大勢の人が訪れ、布良がにぎやかになってくれれば」と、期待を膨らめる。海の幸会の吉岡友次郎事務局長は「まだまだ資金的には苦しいが、修復・公開に向け動き出してうれしい」などと話していた。
【写真説明】
①当時の姿に復元される小谷家住宅=館山
②記者会見で経緯を説明する小谷福哲さん(右)
光風会展で7年連続入選
笹子三喜男さん志野焼きオブジェ
(房日新聞2014.4.17)
全国から絵画や工芸作品を集める公募展「第100回記念光風会展」で、館山市上真倉の笹子三喜男さん(55)の志野焼きのオブジェ「心包む」(高さ45センチ)が入選した。昨年の奨励賞を含み、7年連続の入選となった。
オブジェの副題は「従軍慰安婦に捧ぐ」。制作について「かにた婦人の村の創設者・深津文雄牧師は、自らを『低点の人』と呼び、悲惨な女性の人生を真っ向から受け止めた。牧師は亡くなったが、館山にはすごい男がいたことを覚えておきたい。そう思うひとりとして、この作品を館山から発信した」と笹子さん。
多摩美術大学多摩芸術学園で陶芸を学び、家業の木工所を継ぎながら自宅に「海山坊窯」をかまえ作陶に励み、陶歴は35年。笹子さんは「たくさんつくるより、これはといえるものを仕事の合間につくっている。今後もメッセージのある作品をつくっていきたい」と話していた。
光風会公募展は、今月29日(22日は休館)まで東京・六本木にある国立新美術館で開かれている。
東京から40人が墓参ツアー
資生堂創業者の福原有信90回忌で 館山
(房日新聞2014.4.3付)
館山市(旧松岡村)出身で資生堂創業者の福原有信の没後90年の命日にあたる3月30日、東京・中央区の「小塚大師研究会」のメンバー40人が墓参ツアーで同市を訪れた。地元のNPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さんがガイドとなって、中央区と館山のつながりなどの歴史文化を紹介した。
中央区月島で電気店を営む保田清さんは旧制安房中学(安房高校)の出身で、関東厄除け三大師のひとつである小塚大師をもっと多くの人に知ってほしいと願い、月島周辺の町内会に呼びかけ、元区議の矢吹和重さんとともに幹事となって同研究会を発足。これまでにも小塚大師の参拝を実施しているが、今回は、同じ中央区の銀座で資生堂を創業し、関東大震災の復興にも尽力した福原の90回忌参拝とともに、その遺志を受け継ごうという趣旨でツアーが企画された。
一行は福原の長女・とりが嫁いだ市内の館山病院で、初代院長・川名博夫、その女婿である2代目院長・穂坂与明、川名のおいで3代目院長の川名正義の銅像を参拝。同院健康友の会の諫川正臣会長から、転地療養していた画家の中原淳一について紹介があった。
福原のふるさと松岡区では、福原家分家の福原勇さんや早川萬専区長ら「福原有信を語り継ぐ会」の歓迎を受け、福原が明治44年に鳥居を奉納した松岡八幡神社を見学。小塚大師では、法話と護摩たきの後、本堂裏の墓所を参拝。墓石は「福原之墓」とされ、先祖代々の戒名と命日、俗名、出身地などが刻まれ、福原有信と妻・徳の名もある。その後、休暇村で昼食交流会があり、親睦を深めた。
池田さんらの案内を聞いた参加者らは、「知らないことばかりで感激した」「今日来られなかった町内会の人たちにもぜひ紹介したい」と言っていた。なかには布良や千倉など安房地域出身の参加者もあり、「先祖のことも改めて知ることができた」と喜んでいた。
【写真説明】福原家の墓所がある小塚大師を参拝した研究会メンバー=館山
安房文化遺産フォーラムに 感謝状贈る 館山
赤山地下壕ガイド10年の功績
(房日新聞2014.4.9)
館山市は6日、館山海軍航空隊赤山地下壕跡=同市指定史跡=のガイド活動など、戦争遺跡の保存と活用を通じて市の文化活動に貢献しているとして、NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)に感謝状を贈った。
赤山地下壕は平成16年4月1日から一般公開され、今年で10年となる。同NPOは、当初から見学者に対し同地下壕のガイドを続けている。
感謝状の贈呈は、同地下壕に隣接する豊津ホールで行われ、金丸謙一市長は「地下壕を整理することから始まり、苦労をしながら多くの人が訪れるようになった。みなさんのおかげ。今後も尽力いただきたい」などと賞状を手渡した。
愛沢代表は「ガイドを始めたころは、これほど盛り上がるとは思っていなかった。このような感謝状を受け本当にうれしい」と語り、この日集まった21人の会員と共に10年の歩みを振り返っていた。
【写真説明】感謝状を受けたNPOのメンバー=赤山地下壕前で
小谷家のひな祭り
好評で8日に追加公開
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小谷家のひな祭り 好評で8日に追加公開
青木繁「海の幸」誕生の家として知られ、保存運動の進む館山市布良の小谷家住宅(同市指定文化財)で、修復工事を前に今月初め、ひな祭りの公開見学会が行われたが、3日間で延べ200人が来場する人気ぶりだった。このため、8日に急きょ追加公開することになった。
このイベントでは、昭和の雛(ひな)人形とともに、当主夫妻が納戸の奥から発見した古い雛人形も展示公開された。見つかったのは、4対の雛人形と大黒様と恵比寿様、五人囃子と一対の高砂人形の計17体。ひとつの木箱には「久次郎 げん」と記されている。「げん」は、現当主の6代前に婿養子を迎えた女当主の名で、明治3年に98歳で他界していることから、江戸期に制作されたものと推察される。200年を越えるとは思えないほど保存状態もよく、着物の色も美しい。来場者はみな思わぬ文化財に感動していた。
当主の小谷福哲さんは「先祖のげんさんが、小谷家住宅の保存運動にエールを送ってくれて、人形を見つけさせてくれたのではないか」と語り、妻の由喜枝さんは「私が生まれたときに、新しい雛人形を買ってもらったので、60年ぶりに日の目を浴びた人形も嬉しそう」と話した。
青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会では、館山市のふるさと納税を通じて寄付を募っており、趣旨に賛同する会員を募集している。全国の画家たちの支援により、修復基金の目標額3600万円のうちおよそ半分が集まったため、4月から着工することになり、平成28年春の一般公開を目指している。
追加の公開見学は午前10時から午後3時で多くの来場者を呼びかけている。場所は、JRバス「安房自然村」停留所から徒歩3分。問い合わせは、保存する会の池田恵美子さん(090-6479-3498)まで。
(房日新聞2014.3.7付)
(房日新聞2014.3.4付)⇒ 印刷PDF ⇒ 開催概要
文化庁の地域活性化事業の一環として、「シンポジウム館山まるごと博物館〜文化遺産を保存・活用するまちづくり」がこのほど、館山市内のホテルで開かれた。午前の世界的なツバキ研究者だった同市南条の小原家庭園見学会には約70人が参加、午後のシンポジウムにも関心のある市民ら約60人が参加した。
歴史文化遺産(ヘリテージ)の保存・活用を実践する人材養成を目指し、「ヘリテージまちづくり講座」に取り組んできたNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が、20年以上にわたる実践を踏まえ、講座の最終回として開催。多くの市民から賛同を得てきた「館山まるごと博物館」の実践について、エコミュージアムの研究者や市民とともに検証し、これからの可能性と課題を見つめる機会となった。
基調講演は、日本エコミュージアム研究会前会長で横浜国立大学大学院の大原一興教授。この中で大原教授は「各地の取り組みの多くは、エコミュージアムの理念を十分に理解しているとはいえない。文化財の保存・活用を単に観光利用の目的で捉えるのではなく、地域の人びとの生活文化の歴史にどのように関わってきたのかを学習したうえで、これからの地域を作り上げていく主体を育てるという視点から展開していくことが大切。その点、館山まるごと博物館は活動に関わる人びとがその考え方をよく理解していると思う」とエールを送った。
後半のパネルディスカッションは、3人の登壇者がそれぞれの立場から館山まるごと博物館に対する思いを語り合った。県立中央博物館学芸員の林浩二さんは、「近年の国際博物館学会では、博物館の機能として地域の有形無形すべての文化遺産を扱うことが求められている。市民が主体の地域まるごと博物館と連携することが大切」と語った。
神奈川大学特別助手のチョン・イルジさんは、「館山まるごと博物館は、活動に関わる市民研究員の層が厚く、市域資源の点と点が線になり、さらに面へと広がっていくつながり方が、国際的にも通用するまちづくり事例である」と報告した。
館山市教育委員会生涯学習課文化財係長の杉江敬さんは、歴史資源等を生かした平和・学習拠点の在り方として、館山市では「地域まるごとオープンエアーミュージアム館山歴史公園都市」を目標像と描いていることを紹介し、市民力と連携した活動実践を報告した。
最後に、主催者代表で千葉大教育学部で講師をしている愛沢さんは、「館山まるごと博物館は、今に生きる私たち市民の誇りを育んでくれるだけでなく、持続可能な地域づくりのヒントも与えてくれている。他地域との連携による広域まるごと博物館の交流をさらに深め、豊かな教育と観光雇用を増やすことにも寄与していきたい。ぜひ、多くの市民に活動へ参加してほしい」と語った。
小谷家住宅でひな人形公開
(房日新聞2014.3.1付)
青木繁が滞在し代表作「海の幸」を描いたことで知られる館山市布良の小谷家住宅(同市指定文化財)で、きょう1日から3日まで行われる。
同住宅は、全国の画家たちによって保存運動が進められ、一般公開に向けてまもなく修復工事も始まる。そこで、工事に先立ち、「小谷家住宅ひな祭り」として、最近見つかった江戸期のものと思われる雛人形と合わせて、同家に受け継がれているひな飾りを展示する。
同住宅は、JRバス「安房自然村」停留所から徒歩3分。特別公開は3日間とも午前10時半〜午後3時半まで。
旧家で発見、高砂人形公開
館山「小谷家」江戸後期の作か
(読売新聞2014.3.1付)
館山市布良の市指定文化財「小谷家」で江戸時代後期の作とみられる高砂人形がみつかり、1〜3日、一般公開される。現当主の小谷福哲(ふくあき)さん(63)は「古い家と古い人形ならではのたたずまいを楽しんでほしい」と来場を呼びかける。
小谷家は代々マグロはえ縄漁の船主を務めるなど集落の指導的役割を果たした名家。現在の母屋は1889年(明治22年)の大火後に建てられたもので、1904年(同37年)には、洋画家・青木繁が同家に滞在し、名作「海の幸」(国重要文化財)を描いたことで知られる。市は2009年に「保存状態のいい明治期の貴重な建造物」として文化財に指定した。
今年、小谷家の改修工事が行われるのを前に、地元のNPO法人・安房文化遺産フォーラムが一般公開を企画。古いひな人形を飾ろうというアイデアに、福哲さんの妻由喜枝さん(59)が納戸に古い人形があったことを思い出し、今年1月下旬、小さな木箱に入った高砂人形が見つかった。木箱の裏には「久次郎 げん」とあり、福哲さんが過去帳などで調べた結果、6代前の当主の妻で、明治初めの1870年に98歳で亡くなった「げん」に行き着いた。
福哲さんは「げんの亡くなった年齢などを考えれば、人形は江戸後期の作ではないか」としている。別のふるびた木箱の中には4対の内裏びなも見つかり、一緒に公開をすることにした。由喜枝さんは「人形が狭いところから出たがっていたのでしょう」と感慨深げだ。
公開は午前10時半から午後3時半。無料。問い合わせは、同フォーラム・池田恵美子さん(090・6479・3498)
読売新聞 2013.11.16