メディア報道

【あさひふれんど】131101*2人の繁(ワシオトシヒコ)

2人の繁

ワシオトシヒコ

(あさひふれんど2013.11.1付)

館山市図書館創立70周年記念の私の拙い講演を無事に終えたが、当日前までの下調べで、意外な事実がわかった。

館山は、房総半島の南端に位置する常春のような地。戦前には結核療養所もある静養先として、戦後から現在へ至っては主に観光景勝地として、多くの芸術家、文化人たちが移住したり、往来したりしている。そのなかでも私がもっとも話題にしたいのが、二人の「繁」だ。

一人は、いわずとしれた日本の重要文化財「海の幸」を布良の小谷家で描いた明治時代の早逝の洋画家、青木繁。もう一人が、若山繁。本名ではまったくわからないだろうが、雅号的にはなんと、あの〝漂泊の歌人〟若山牧水なのである。

牧水は、青木繁の三つ歳下。旧知の間柄ではないけれど牧水は自身の何番目かの歌集に、青木の作品を挿画として使いたいと第三者を通し、申し出ている。実現しなかったものの、「海の幸」の舞台の布良をぜひ観たいという願望が生じ、1907(明治40)年、複雑な関係の恋人園田小枝子を伴い、訪れている。その折に詠んだ作品三首の白御影石の歌碑一基が、隣接する白浜町の根本海岸の国道沿いに立っている。

は、牧水の代表作だけでなく、私自身の処世の姿勢を方向づける光ともなっている。

それに。この大らかな歌いぶり。

一方の青木も、すでに絵描き仲間たちと布良をめざし、恋人の福田たねも加わっている。二人の「繁」にとっても館山は、まさしく、恋の炎の地だったのだ。

(あさひふれんど千葉 2013,11,1)

【房日寄稿】140722*青木繁《海の幸》フォーラムへのお誘い

青木繁フォーラムへのお誘い

青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会

(房日新聞2014.7.22付)

今年は、画家・青木繁が房州布良を訪問し、《海の幸》を描いてから110年目にあたります。その節目に念願がかない、青木繁《海の幸》誕生の家・小谷家住宅(館山市指定文化財)の修復工事が始まることになりました。小さな漁村のまちづくり活動として10年の取り組みになりますが、この間、多くの皆様にご支援をいただいてきたことを心より御礼申し上げます。

まず、小谷家のご家族におかれましては、私有財産にもかかわらず「地域活性化と日本の美術振興に寄与できるなら、古い我が家をどうぞ使ってください」というご英断をしてくださいました。これから2年間の修復工事が終われば、平成28年春に築120年の母屋がよみがえって一般公開に供することになります。ご家族の住居は物置を増改築した小さな建物に移っていただき、たいへんなご不便をおかけいたします。改めて感謝と敬意を表するとともに、市民の皆様にも深くご理解いただきますようお願い申し上げます。

また、平成22年に発足したNPO法人青木繁「海の幸」会におかれましては、大村智理事長様をはじめ全国の著名な画家や美術関係の皆様が、小谷家住宅の修復基金のために力を尽くしてくださっています。東日本大震災で寄付が困難になりましたが、全国巡回で青木繁「海の幸」オマージュ展を開催し、売上の一部はチャリティ基金と納めてくださっています。オマージュとは尊敬を意味するフランス語だそうですが、青木繁《海の幸》誕生の聖地として小谷家住宅を後世にのこしたいと思ってくださることは、館山市民として本当に有難いことと感謝しております。3年目となる平成26年のオマージュ展は、銀座・京都・福岡・田園調布と並んで、たてやま渚の博物館と館山市コミュニティセンターを会場に館山展が開かれます。ご高名な先生方の作品が一堂に会するばかりでなく、伝統ある館山美術会の皆様が協賛される素晴らしい機会として、多くの皆様にご鑑賞いただけることを嬉しく思っています。

小谷家住宅の保存事業はまだ道半ばでございますが、館山市ふるさと納税(非課税となる寄付制度)や名画の購入を通じて、引き続きご支援を呼びかけているところです。日本を代表する青木繁《海の幸》の力を借りて館山の地域ブランドに磨きをかけて、子どもたちの未来に誇りを手渡せるよう、末永くお力添えいただけますよう重ねてお願い申し上げます。

【東京】140518*青木繁が逗留「小谷家住宅」公開目指し修復へ

名画描いた家残る〜青木繁が逗留「小谷家住宅」 公開目指し修復へ

(東京新聞2014.5.18付)

明治期に夭折した洋画家青木繁が逗留した館山市布良の「小谷家住宅」が、2016年4月の一般公開を目指し、本年度から2年をかけて修復されることになった。代表作「海の幸」が描かれた家の存続を願う関係者の熱意が結実しつつある。

(北浜修)

小谷家住宅は約90平方メートルの平屋で築約120年。小谷家は江戸時代から戦前まで、布良の網元だった。経緯は不明だが、青木は1904(明治37)年夏、知人らと二カ月ほどこの家に滞在。サメを担いで海岸を行く漁師たちを描いた日本洋画史上の傑作「海の幸」を残した。

小谷家住宅は2009年、館山市有形文化財に指定されたが、老朽化で屋根など傷みが激しい。現在の当主小谷福哲(ふくあき)さん(63)と、市民グループ・青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会(館山市)、NPO法人青木繁「海の幸」会(川崎市)の三者が連携し、保存へ動いてきた。

現在、母屋の住宅には先代当主、栄(さかえ)さん(90)夫妻が居住する。計画では、工事に伴い、母屋に隣接する別棟を管理棟として改築し、先代夫妻は転居する。母屋は「青木繁『海の幸』誕生の家・小谷家住宅」として一般公開する。

母屋の修復事業には約2,800万円がかかる。このうち半分の約1,400万円について、館山市の指定文化財保存修理事業補助金や、ふるさと納税を利用した小谷家住宅保存活用支援事業補助金で資金のめどが立ったことから、修復工事に踏み切った。

残りは、三者が今後も地元有志や各地の青木繁ファン、画家らに支援を求めていく。管理棟への改築にも約1,800万円かかるが、NPO法人の支援のほか、小谷家の資金などを充てる。

福哲さんは「青木繁が『海の幸』を描いた家を、次代を担う人々のためにも残して、見せたい。一般公開後は、全国から足を運んでいただければ」と期待する。

住宅から徒歩数分の所には「海の幸」に描かれた海岸を見下ろす高台があり、1962年に建てられた青木繁没後50年の記念碑がある。誕生の家と記念碑と一体で、館山の新たな観光スポットにもなりそうだ。

青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会事務局の池田恵美子さん(53)は「建物の維持や管理、公開など、修復後の運営にも多くの方々の支援をいただきたい」と呼び掛けている。

【あおきしげる】 1882(明治15)年、福岡県久留米市生まれ。東京美術学校(現在の東京芸術大)を卒業した22歳のとき、恋人の福田たねや友人と館山市布良に滞在し、「海の幸」を描く。絵の中に出てくる白く美しい顔の人物はたねがモデルとされる。たねとの間に1男をもうけたが、結婚はしなかった。天才画家と評される一方で、放浪し画壇を批判するなど不遇の時を送る。1911(明治44)年、28歳で病没。

【読売】140520*名画「海の幸」誕生の家「小谷家」修復公開目指す

名画「海の幸」誕生の家「小谷家」修復公開目指す

「青木繁 滞在当時」の状態に

(読売新聞2014.5.20付)

明治の洋画家・青木繁(1882〜1911)が名作「海の幸」(国重要文化財)を描いた家として知られる館山市布良(めら)の同市指定有形文化財「小谷家」が修復されることになった。地元が保存運動に動き、2016年4月の一般公開を目指す。

(羽田和政)

小谷家はマグロはえ縄漁で代々船主を務めるなど集落の指導的役割を果たした家柄。東京美術学校(現・東京芸大)を卒業したばかりの青木が小谷家を訪れたのは1904年(明治37年)7月。母屋に滞在した1か月半の間に描きあげたのが「海の幸」だ。

裸の男たちがサメを背負って砂浜を歩く作品(縦約70センチ、横約182センチ)は小谷家の戸板の大きさとほぼ同じで、絵の下敷きに使ったといわれる。

江戸時代に建てられた母屋は寄せ棟造りの平屋で、床面積は約93平方メートル。明治に2度火事に遭ったが、1890年頃に再建され、青木はこの家で過ごした。1962年には、小谷の近くに青木とのゆかりを紹介する記念碑も建てられた。

保存運動は、地元の「青木繁誕生の家と記念碑を保存する会」に加え、日本美術界有志でつくる「NPO法人 青木繁『海の幸』会」などによって進められた。館山市は2009年、「保存状態のいい明治期の貴重な建造物であることに加え青木繁の名作誕生の場として文化的意義が高い」として文化財に指定した。

さらに市は12年度から、ふるさと納税で「小谷家の保存活用が目的」として寄付行為をした場合、税控除対象にするなどの支援制度を決定。母屋の半解体工事や別棟の建設など全事業費約4600万円のうち、寄付や市の支援などで約2700万円のめどが立ったとして、修復が決まった。残りは、今後も寄付を募るなどして集める予定だ。

小谷家の現当主は小谷福哲(ふくあき)さん(63)で、母屋には先代夫婦が住んでいたが、転居。解体工事が4月末から始まり、傷んでいる場所や増築された部分を改修し、できるだけ青木がいた頃と同じようにする。

小谷さんは「今年は青木が我が家に滞在して110年に当たる。『海の幸』誕生の家が残せることに誇りを感じる。地域の活性化につながることも期待している」と話している。

【房日】140418*「海の幸」小谷家住宅、修復工事へ

「海の幸」描いた小谷家住宅 念願の修復工事着工へ 館山

保存活動で資金ねん出

工期2年 完成後に一般公開

(房日新聞2014.4.18)

近代日本美術史で最も著名な洋画家の一人、青木繁が代表作の「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅を当時の姿に復元し、一般公開するための工事がスタートする。小谷家と同住宅の保存活動を展開する2つの市民団体が15日、記者会見で明らかにした。工期は27年12月までで、翌28年4月に公開を始める計画という。

小谷家住宅は明治期に建てられた木造瓦ぶきの平屋。明治37年夏、東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業して間もない青木が友人を伴い滞在し、海の幸を描いたことは広く知られている。

「小谷家なくして海の幸の誕生はなかった」として、小谷家の小谷福哲(ふくあき)さん、地元の呼びかけで発足した青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会、日本美術界の有志でつくるNPO法人青木繁「海の幸」会の3者が、保存・公開に向けた活動を展開。平成21年10月に同住宅は市の有形文化財に指定された。

同NPOの積極的な支援をはじめ、館山市が予算化した文化財修理補助金とふるさと納税を活用した支援基金の補助金により、全体事業費4602万円のうち2660万円のめどが立ったとして工事に着手する運びとなった。

記者会見で経緯を説明する小谷福哲さん(右)

工期は2年で、まずは現在も同住宅で生活する先代夫婦の転居先として、隣接する倉庫を増改築。その後、傷みの激しい屋根を解体して修復、昭和40年ごろに建て増した西側の台所や風呂などを撤去して、建築当時の姿に戻すという。

「目標額の半分のめどが立ち、修復工事に着手することになった。多くのみなさんから協力をいただき感謝したい。わが家を青木繁の『海の幸』誕生の家として後世に残せることを光栄に思う」と福哲さん。

保存する会の嶋田博信会長は「念願の工事が始まる。一般公開で全国から大勢の人が訪れ、布良がにぎやかになってくれれば」と、期待を膨らめる。海の幸会の吉岡友次郎事務局長は「まだまだ資金的には苦しいが、修復・公開に向け動き出してうれしい」などと話していた。

【写真説明】

①当時の姿に復元される小谷家住宅=館山

②記者会見で経緯を説明する小谷福哲さん(右)

【房日】140417*笹子三喜男さん光風会展入賞

光風会展で7年連続入選

笹子三喜男さん志野焼きオブジェ

(房日新聞2014.4.17)

全国から絵画や工芸作品を集める公募展「第100回記念光風会展」で、館山市上真倉の笹子三喜男さん(55)の志野焼きのオブジェ「心包む」(高さ45センチ)が入選した。昨年の奨励賞を含み、7年連続の入選となった。

オブジェの副題は「従軍慰安婦に捧ぐ」。制作について「かにた婦人の村の創設者・深津文雄牧師は、自らを『低点の人』と呼び、悲惨な女性の人生を真っ向から受け止めた。牧師は亡くなったが、館山にはすごい男がいたことを覚えておきたい。そう思うひとりとして、この作品を館山から発信した」と笹子さん。

多摩美術大学多摩芸術学園で陶芸を学び、家業の木工所を継ぎながら自宅に「海山坊窯」をかまえ作陶に励み、陶歴は35年。笹子さんは「たくさんつくるより、これはといえるものを仕事の合間につくっている。今後もメッセージのある作品をつくっていきたい」と話していた。

光風会公募展は、今月29日(22日は休館)まで東京・六本木にある国立新美術館で開かれている。

【房日】140403*資生堂創業者福原有信90回忌墓参ツアー

東京から40人が墓参ツアー

資生堂創業者の福原有信90回忌で 館山

(房日新聞2014.4.3付)

館山市(旧松岡村)出身で資生堂創業者の福原有信の没後90年の命日にあたる3月30日、東京・中央区の「小塚大師研究会」のメンバー40人が墓参ツアーで同市を訪れた。地元のNPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さんがガイドとなって、中央区と館山のつながりなどの歴史文化を紹介した。

中央区月島で電気店を営む保田清さんは旧制安房中学(安房高校)の出身で、関東厄除け三大師のひとつである小塚大師をもっと多くの人に知ってほしいと願い、月島周辺の町内会に呼びかけ、元区議の矢吹和重さんとともに幹事となって同研究会を発足。これまでにも小塚大師の参拝を実施しているが、今回は、同じ中央区の銀座で資生堂を創業し、関東大震災の復興にも尽力した福原の90回忌参拝とともに、その遺志を受け継ごうという趣旨でツアーが企画された。

一行は福原の長女・とりが嫁いだ市内の館山病院で、初代院長・川名博夫、その女婿である2代目院長・穂坂与明、川名のおいで3代目院長の川名正義の銅像を参拝。同院健康友の会の諫川正臣会長から、転地療養していた画家の中原淳一について紹介があった。

福原のふるさと松岡区では、福原家分家の福原勇さんや早川萬専区長ら「福原有信を語り継ぐ会」の歓迎を受け、福原が明治44年に鳥居を奉納した松岡八幡神社を見学。小塚大師では、法話と護摩たきの後、本堂裏の墓所を参拝。墓石は「福原之墓」とされ、先祖代々の戒名と命日、俗名、出身地などが刻まれ、福原有信と妻・徳の名もある。その後、休暇村で昼食交流会があり、親睦を深めた。

池田さんらの案内を聞いた参加者らは、「知らないことばかりで感激した」「今日来られなかった町内会の人たちにもぜひ紹介したい」と言っていた。なかには布良や千倉など安房地域出身の参加者もあり、「先祖のことも改めて知ることができた」と喜んでいた。

【写真説明】福原家の墓所がある小塚大師を参拝した研究会メンバー=館山

【房日】140409*安房文化遺産フォーラムに感謝状

安房文化遺産フォーラムに 感謝状贈る 館山

赤山地下壕ガイド10年の功績

(房日新聞2014.4.9)

館山市は6日、館山海軍航空隊赤山地下壕跡=同市指定史跡=のガイド活動など、戦争遺跡の保存と活用を通じて市の文化活動に貢献しているとして、NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)に感謝状を贈った。

赤山地下壕は平成16年4月1日から一般公開され、今年で10年となる。同NPOは、当初から見学者に対し同地下壕のガイドを続けている。

感謝状の贈呈は、同地下壕に隣接する豊津ホールで行われ、金丸謙一市長は「地下壕を整理することから始まり、苦労をしながら多くの人が訪れるようになった。みなさんのおかげ。今後も尽力いただきたい」などと賞状を手渡した。

愛沢代表は「ガイドを始めたころは、これほど盛り上がるとは思っていなかった。このような感謝状を受け本当にうれしい」と語り、この日集まった21人の会員と共に10年の歩みを振り返っていた。

【写真説明】感謝状を受けたNPOのメンバー=赤山地下壕前で

【房日】140307*小谷家のひな祭り~好評で追加公開

小谷家のひな祭り

好評で8日に追加公開

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小谷家のひな祭り 好評で8日に追加公開

青木繁「海の幸」誕生の家として知られ、保存運動の進む館山市布良の小谷家住宅(同市指定文化財)で、修復工事を前に今月初め、ひな祭りの公開見学会が行われたが、3日間で延べ200人が来場する人気ぶりだった。このため、8日に急きょ追加公開することになった。

このイベントでは、昭和の雛(ひな)人形とともに、当主夫妻が納戸の奥から発見した古い雛人形も展示公開された。見つかったのは、4対の雛人形と大黒様と恵比寿様、五人囃子と一対の高砂人形の計17体。ひとつの木箱には「久次郎 げん」と記されている。「げん」は、現当主の6代前に婿養子を迎えた女当主の名で、明治3年に98歳で他界していることから、江戸期に制作されたものと推察される。200年を越えるとは思えないほど保存状態もよく、着物の色も美しい。来場者はみな思わぬ文化財に感動していた。

当主の小谷福哲さんは「先祖のげんさんが、小谷家住宅の保存運動にエールを送ってくれて、人形を見つけさせてくれたのではないか」と語り、妻の由喜枝さんは「私が生まれたときに、新しい雛人形を買ってもらったので、60年ぶりに日の目を浴びた人形も嬉しそう」と話した。

青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会では、館山市のふるさと納税を通じて寄付を募っており、趣旨に賛同する会員を募集している。全国の画家たちの支援により、修復基金の目標額3600万円のうちおよそ半分が集まったため、4月から着工することになり、平成28年春の一般公開を目指している。

追加の公開見学は午前10時から午後3時で多くの来場者を呼びかけている。場所は、JRバス「安房自然村」停留所から徒歩3分。問い合わせは、保存する会の池田恵美子さん(090-6479-3498)まで。

(房日新聞2014.3.7付)

【房日】140304*高評価得た館山の実践~地域まるごと博物館シンポで

シンポジウム館山まるごと博物館

(房日新聞2014.3.4付)⇒ 印刷PDF ⇒ 開催概要

文化庁の地域活性化事業の一環として、「シンポジウム館山まるごと博物館〜文化遺産を保存・活用するまちづくり」がこのほど、館山市内のホテルで開かれた。午前の世界的なツバキ研究者だった同市南条の小原家庭園見学会には約70人が参加、午後のシンポジウムにも関心のある市民ら約60人が参加した。

歴史文化遺産(ヘリテージ)の保存・活用を実践する人材養成を目指し、「ヘリテージまちづくり講座」に取り組んできたNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が、20年以上にわたる実践を踏まえ、講座の最終回として開催。多くの市民から賛同を得てきた「館山まるごと博物館」の実践について、エコミュージアムの研究者や市民とともに検証し、これからの可能性と課題を見つめる機会となった。

基調講演は、日本エコミュージアム研究会前会長で横浜国立大学大学院の大原一興教授。この中で大原教授は「各地の取り組みの多くは、エコミュージアムの理念を十分に理解しているとはいえない。文化財の保存・活用を単に観光利用の目的で捉えるのではなく、地域の人びとの生活文化の歴史にどのように関わってきたのかを学習したうえで、これからの地域を作り上げていく主体を育てるという視点から展開していくことが大切。その点、館山まるごと博物館は活動に関わる人びとがその考え方をよく理解していると思う」とエールを送った。

後半のパネルディスカッションは、3人の登壇者がそれぞれの立場から館山まるごと博物館に対する思いを語り合った。県立中央博物館学芸員の林浩二さんは、「近年の国際博物館学会では、博物館の機能として地域の有形無形すべての文化遺産を扱うことが求められている。市民が主体の地域まるごと博物館と連携することが大切」と語った。

神奈川大学特別助手のチョン・イルジさんは、「館山まるごと博物館は、活動に関わる市民研究員の層が厚く、市域資源の点と点が線になり、さらに面へと広がっていくつながり方が、国際的にも通用するまちづくり事例である」と報告した。

館山市教育委員会生涯学習課文化財係長の杉江敬さんは、歴史資源等を生かした平和・学習拠点の在り方として、館山市では「地域まるごとオープンエアーミュージアム館山歴史公園都市」を目標像と描いていることを紹介し、市民力と連携した活動実践を報告した。

最後に、主催者代表で千葉大教育学部で講師をしている愛沢さんは、「館山まるごと博物館は、今に生きる私たち市民の誇りを育んでくれるだけでなく、持続可能な地域づくりのヒントも与えてくれている。他地域との連携による広域まるごと博物館の交流をさらに深め、豊かな教育と観光雇用を増やすことにも寄与していきたい。ぜひ、多くの市民に活動へ参加してほしい」と語った。