メディア報道

【房日】151121*洋風外観の小高記念館、国の登録文化財に

洋風外観の小高記念館

文化財審議会が答申、国の登録有形文化財に

(房日新聞2015.11.21)‥⇒印刷用PDF

館山市館山にある「小高記念館」が新たに国の登録有形文化財(建造物)となることが決まった。国の文化審議会が20日、同記念館を含む124件を新たに登録するよう文科相も答申した。館山市の登録文化財は8件目となる。

館山港近くにある小高記念館は、大正期に建てられた古川銀行鴨川支店の建物を昭和5年ごろに移築したといわれている。

木造2階建て。上下窓を並べる洋風な外観が特徴的で、1階は洋風内装で、2階は和室となっている。港町の風情を彩る洋風建築で「国土の歴史的風景に寄与しているもの」として登録が決まった。

記念館の名の由来は、県議会議員、衆議院議員を務めた館山市の名誉市民小高熹郎氏(故人)。小高氏の水産会社や事務所を経て、現在はNPO法人安房文化遺産フォーラムの事務所として文化交流の拠点となっている。

同フォーラムの愛沢伸雄代表は「関東大震災後、港町館山の復興の拠点となったであろう建物で、大変貴重な文化財。文化財を守る団体として、登録はとてもうれしく、今後もまちづくりに大事に活用したい」と喜んでいた。

登録有形文化財は、都市開発などで消滅が危惧される近代の文化財建造物を後世に残すため平成8年に設けられた登録制度。市兄では洲崎灯台などがすでに登録されている。

【千葉日報】151121*港町彩る洋風外観 地域文化発信拠点に 登録有形文化財 小高記念館

港町彩る洋風外観 地域文化発信拠点に

登録有形文化財 小高記念館 館山

(千葉日報2015.11.21付)‥⇒印刷用PDF

国の文化審議会の答申で20日、館山市館山の小高記念館が登録有形文化財(建造物)に登録された。館山湾にほど近い木造2階建ての旧銀行建築。上下窓を並べる洋風外観が港町の風情を彩り、国土の歴史的景観に寄与していると評価された。現在はNPO法人が地域文化発信拠点として活用しており、関係者は「さらなる地域文化振興を進めていきたい」と力を込める。

小高記念館は、大正初期に建てられた古川銀行(現在は千葉銀行に合併)鴨川支店を、後に鳩山一郎内閣の文部政務次官を務めた小高熹郎氏が昭和初期に現在地へ移築。1階は元営業室の洋風内装で、2階は周り廊下に和室2間が並ぶ。1階には、大正期の銀行金庫や欧州絵画も残る。

建物は移築を進めた小高氏が水産事務所として活用。戦前に県議となったことを期に政治事務所となり、戦後の衆議院議員としての活躍も支えた。

政界引退後は、小高氏がサトウハチローや白鳥省吾らと親交が深く詩人として活躍したことから、文化交流拠点となる。城山公園に記念碑が建立されている『里見節』や、『鏡ケ浦』『館山音頭』など、数々の名作が生まれた。

小高氏が1997年に亡くなり一時閉館。時を経て2006年、地域の文化財産を保存し街づくりを進めるNPO法人安房文化遺産フォーラムが事務局として使うことになった。その際、潮風で剥がれた外装塗装を白く塗り直し、歴史的建造物を再生させた。

同団体は戦国大名里見氏の城跡や館山海軍航空隊赤山地下壕(ごう)といった歴史・文化遺産の保存や活用を展開。そうした活動を通じて進める地域資源を生かした街づくりの拠点となっている。

記念館は現在、潮風で再び剥がれてきた外壁塗装を塗り直している。記念館の一般公開は特定の曜日などではなく、同団体のスタディツアーの一環として行う。愛沢伸雄代表(64)は「館山市の文化振興のシンボルとして国の登録文化財となったことはとても光栄。一つ一つの文化遺産が点から線、面となり、館山がまるごと博物館になることが進む契機となれば」と語る。

小高氏の息子で祈念館を所有する小高英夫さん(73)は「父親から引き継いだ建物が登録され喜ばしい。本当によかった」と笑顔を見せた。



屏風ケ浦 、名勝に(銚子)

文化財審議会は20日、約10キロにわたり海食崖が続く屏風ケ浦(銚子市)など2件を名勝に、戦時中に首相を務めた近衛文麿が住み、日米開戦前の重要な舞台になった「荻外荘(てきがいそう)」(東京都)など9件を史跡に、伊平屋島の念頭平松(ねんとうひらまつ)(沖縄県)など5件を天然記念物に指定するよう馳浩文部科学相に答申した。屏風ケ浦は天然記念物にも指定されている。

近く答申通り告示され、史跡は1759件、名勝は398件、天然記念物は1021件になる。

このほか富士山などを望む景勝地で信仰の地としても親しまれた十国峠(日金山(ひがねさん)、静岡県)など3件を登録記念物にすることも答申した。登録記念物は98件になる。

また、登録有形文化財(建造物)には、小高記念館(館山市)など全国で124件が新たに登録され系1万492件となる。

【西日本新聞】151017*ノーベル賞・大村智先生と青木繁(吉武研司)

ノーベル賞・大村智先生と青木繁

天才画家の「熱」と「輝き」を共有‥吉武研司

(西日本新聞・文化2015年10月17日付)‥⇒印刷用PDF

大村智先生と青木繁、ノーベル賞の科学者と夭折(ようせつ)の天才画家—。私たちNPO法人「青木繁『海の幸』会」は大村先生を理事長に頂き、青木繁が「海の幸」を描いた「小谷家」(千葉県館山市)の修復・保存を目指す運動を続けてきました。6年間の活動を経て、近く目標額に達し、修復を終え、来年4月には一般公開が始まる予定です。

私は佐賀西校生の頃、美術部の石橋美術館(福岡県久留米市)見学で「海の幸」に感動し、熱に浮かされ画家を志し上京しました。それから30年後、女子美術大の学生とスケッチ旅行に行った布良(千葉・館山)の海岸。時空を超えて「海の幸」の熱気がぶり返しました。「ここであの絵が生まれたのだ」と思えたとき時に鳥肌が立ちました。「海の幸」が描かれた小谷家を「絵描きの聖地」として残したいと思ったのでした。

久留米出身の画家吉岡友次郎氏と出会い、小谷家保存に向けたNPO法人設立を計画する中で、当時、女子美大の理事長だった大村先生と繋(つな)がるのです。入江観先生(女子美名誉教授)を通じて理事長就任を依頼すると、大村先生はすぐに「小谷家」を訪ね、修復プランを把握し、資金面も計画し、引き受けていただきました。その後の動きは迅速でした。

新婚旅行に館山を訪れたのが「海の幸」との繋がりを強めた、とも話されていました。修復・保存費用として私財300万を寄付され、東京や福岡などで計12回開いたチャリティー絵画展では、その都度作品を購入されるなど、常にこの運動を後押しし、元気づけてもらいました。

「海の幸」は「青木繁の青春」のピークに制作された作品で、近代に踏み出した「日本の青春」と交差し、その息吹を記録した傑作とも言えます。そのイメージ力は、若い絵描きの精神の血を湧かせあおって、脳に刻印する力を持っています。青木と坂本繁二郎、福田たね(青木の恋人)、森田恒友の房総への旅は1904年。神話を研究していた青木は海の神を祭る安房神社を訪ね、海に遊びました。ある日、坂本から大漁の素晴らしい様子を聞き、いきなり美の女神が舞い降り、宿泊していた小谷家で現場を見ずしてあの絵をイメージしたのでした。

それから70年後、大村先生は小谷家がある館山の対岸、相模湾を挟んだ伊豆半島のゴルフ場で土を採取し、新種の細菌を見つけ、寄生虫に効果のある抗生物質を発見。それが感染症の治療薬となり、ノーベル賞につながったとの話は、広く報道された通りです。

大村先生は絵が大好きで、才能を愛し、美を深く愛しています。作品をコレクションし、奨励制度を設け、病院をたくさんの絵で飾り、美術館をつくり、後輩を育て、人を助け、北里大学はもちろん女子美の発展にも尽くされました。「人のために生きること」を信条とする先生の判断と能力は、様々なところで発揮されてきたことでしょう。

大村先生にはじめて会った時は、「ビリッ」とする厳しい印象でした。しかしいったん話し出すと優しく、笑いが出てくる感じで、昔のおやじのイメージがあります。意志が強く、きちんと生きておられる感じがひしひしと伝わってきます。

「海の幸」を描いた22歳の青木繁の「熱」はきっと大村先生に伝染し、「海の幸」のイメージの輝きも共有されているのでしょう。

 

よしたけ・けんじ 画家。1948年佐賀市生まれ。NPO法人「青木繁『海の幸』会」理事、元女子美術大教授。独立美術協会会員。

【毎日】151008*ノーベル賞受賞、祝福広がる

ノーベル賞受賞、祝福広がる

大村さん、館山・小谷家住宅保存活動に尽力

(毎日新聞2015.10.8付)‥⇒印刷用PDF

ノーベル医学生理学賞に北里大特別名誉教授の大村智さん(80)、物理学賞に東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章さん(56)が決まり、ゆかりのある県内関係者の間に祝福の声が広がっている・

美術に造詣が深い大村さんは、明治期の洋画家・青木繁の代表作「海の幸」誕生の部隊となった小谷家住宅(館山市布良)の保存に尽力し、NPO法人青木繁「海の幸」会の理事長を務めている。

6年前、会の代表に推された大村さんは小谷家当主の小谷福哲(ふくあき)さん(64)と会い、保存運動をしても支障がないか尋ねたという。小谷さんは「温厚な紳士で、私どもの生活まで心を配っていただいた。去年もノーベル賞候補と聞いていたが、今年実現して本当によかった」と喜んだ。

住宅の修復は来年3月に終わり、大村さんの日程に合わせて4月24日に式典が開かれる。小谷さんは「受賞で忙しくなると思う。来ていただけるだろうか」と気をもんでいる。

【房日】151021*監督トークに感慨深く(母親大会)

監督トークに感慨深く

安房地域母親大会、来場者が平和に思い

(房日新聞2015.10.21付)‥⇒印刷用PDF

平和について考える「第21回安房地域母親大会」(同会実行委員会主催)が10、11日、館山市コミュニティセンター第1集会室であった。ドキュメンタリー映画の上映と監督のトークのほか、パネル展示やワークショップ、疎開体験者の話などもあり、多くの人が訪れ、それぞれの思いを深めていた。

大会スローガンは「女性と子どもの目から安房での戦争を見つめよう!」両日とも午後には、金高謙二監督の太平洋戦争末期を舞台にしたドキュメンタリー映画「疎開した40万冊の図書」の上映、その後には金高監督のトークもあった。

映画は、生きることが精いっぱいだった戦時下で、蔵書の疎開を決断した東京都立日比谷図書館の中田邦増館長や、危険な目に遭いながらも奥多摩などに本を運んだ高校生、疎開先で土偶を提供した村人らを描いた作品。この疎開で、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」をはじめ40万冊の本が守られた。東日本大震災で被災した図書館の復興も描かれ、文化を守る大切さを訴える内容になっている。

初日の10日には、会場を埋め尽くす人数で初回の上映会。上映後、金高監督は「インタビューが100%真実とは限らない。人によっていろいろな意見や解釈もある」などと、ドキュメンタリー映画製作のむずかしさに触れながら、図書館は人を育て、考えを豊かにする場所。今は民間業者の介入など大きく転換している時期だが、いろんな本を読み、判断する自由がある場にすることが必要」「自分たちが住んでいるところの文化財を守っていくことが大事」などと思いを語った。

見た人からは「人の疎開は耳にするが、本の疎開は初めて聞いた。文化を残すために命を懸けて本を守った人がいたことを知りました」などの感想が聞かれた。

安房地域の戦争中の資料を並べたパネル展示では、今年から鴨川市内の資料も追加。来場者は、初めて4市町そろった資料を見て、平和について思いを巡らせていた。

⇒ 大会の詳細はこちら。

【房日展望台】151007*母親大会

展望台

母親大会

(房日新聞2015.10.7付)‥⇒印刷用PDF


10、11日に館山市コミュニティセンターで第21回安房地域母親大会が開かれる。母親大会の歴史は古く、1955年に第1回日本母親大会ならびに第1回世界母親大会が開催されている。きっかけになったのは54年の米国によるビキニ環礁の水爆実験で以来、原水爆禁止と子どもの生命を守ることをメーンテーマとした社会運動が続けられている。

日本母親大会を生んだ中心人物の1人は平塚らいてうである。彼女は対象から昭和にかけて女性の権利獲得のために立ち上がった活動家であり、文筆家であった。与謝野晶子、市川房枝、野上弥生子らと協働し、時に袂を分かちながら女性の権利拡大と平和のための婦人運動を生涯にわたって展開した人物である。

一方では日本で最初の女性による女性のための文芸誌を創刊した。余談ながら、女性より若い恋人のことを呼ぶ「つばめ」という言葉は、平塚が受け取った恋人からの別れの手紙の一文にあり、それが同誌に公表されて流行語になったものだそうだ。

地域に根ざした母親大会ということで96年に始まった安房地域母親大会は今年で21回目を迎える。この間、老後の豊かさ、子どもをめぐる性の問題、食育、身近な環境問題、介護保険、貧困問題、親子のコミュニケーション、地域医療、地域の歴史、地域おこし、郷土料理など世界大会や全国大会とは日お味違ったテーマを据えて、地域という視点から母親大会を運営している。

コンサートや映画の上映会もアリ、今回はドキュメンタリー映画「疎開した40万冊の図書」が上映される。太平洋戦争末期、東京の日比谷図書館の蔵書を戦禍から守るために40万冊の図書が東京郊外の農村の土蔵に疎開した話を関係者のインタビューを交えて映画化した作品だ。映画では、合せて、東日本大震災で避難することができず、取り残された福島県飯館村の多くの図書が除染され蘇るまでの「被災した図書」の話も織り交ぜられていく。

監督は、館山海員学校(現って山海上技術学校)を卒業し船員になった後、映画界に転身した異色の経歴を持つ金?謙二氏で、大会開催の両日とも上映会と監督のトークショーがある。大会スタッフは「名前は母親大会ですが、未婚者も男性も誰でも大歓迎です」と参加を呼び掛けている。

2015.10.7(F)

【房日】151007*安房地域母親大会「疎開した40万冊の図書」上映

安房地域母親大会開く

「疎開した40万冊の図書」上映

10・11日に館山コミセン、監督トークも

(房日新聞2015.10.7付)‥⇒印刷用PDF


「女性と子どもの目から安房での戦争を見つめよう!」をスローガンにした第21回安房地域母親大会(同実行委員会主催)が、10、11の両日、館山市コミュニティセンター第1集会室で開かれる。ドキュメンタリー映画の上映と監督トークを主体に、平和について考える場。10日には「おやこピースカフェ」があるほか、両日ともパネル展示、11日にはワークショップを予定。上映協力券(チケット)を500円で販売している。

太平洋戦争末期、東京都立日比谷図書館の蔵書を疎開させた史実に基づく、ドキュメンタリー映画「疎開した40万冊の図書」(金高謙二監督)を上映する。戦時下で生きることが精いっぱいな状況でありながら、活字文化を守った図書館員、高校生、疎開先で土蔵を提供した村人の思いが交錯する作品。滝沢馬琴の自筆稿本「南総里見八犬伝」もこの疎開で戦火を免れたという。映画では東日本大震災で被災した図書館の復興も描かれている。文化について考えさせる作品。

上映は2日間とも午後1時半から。3時半から金高監督のトークを予定。金高監督は国立館山海員学校(現館山海上技術学校)卒。外国航路の船員を経て人形劇団員。2013年に本映画を制作している。

10日は午前11時からパネル展示「安房での戦争〜忘れずに伝えたいこと〜」。10時半からは「おやこピースカフェ」で疎開体験者の話を聞く。

11日は午前10時からパネル展示、10時半からはワークショップ「禁止唱歌と替え歌」、語り、「禁演落語」などが予定されている。

未婚者や男性でも参加できる。10日のみ保育があるという(要予約)。

上映協力券は宮沢書店本店と鴨川書店で扱っている。

【西日本新聞夕刊】151014*「海の幸」誕生の家、来春公開へ

千葉・館山、青木繁滞在

「海の幸」誕生の家、来春公開へ

(西日本新聞夕刊2015.10.14付)‥⇒印刷用PDF

建物は明治期の木造瓦ぶき平屋で、小谷家は網元だった。青木は1904年、恋人福田たねや友人で同郷の坂本繁二郎らと約1カ月半滞在。獲物を携えた漁民が更新する「海の幸」は、坂本から聞いた漁の光景の話や地元住民の姿などをもとに当地で描いた。

老朽化した住宅を後世に残そうと、2008年に地元住民などが「青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会」を結成。10年には画家などが「海の幸」会を発足。「海の幸」会がチャリティー絵画展を開くなど両会で総工費約4600万円のうち約4千万円を集めた。現住する子孫の居住部を移設し、子写真や子孫の話を参考に増築部分の撤去や屋根のふき替えなど作品が描かれた当時に近づける修復を続けている。

公開は当面、週2日程度の予定。「保存する会」の愛沢伸雄事務局長は「これから地域で支える態勢をつくっていきたい」と話し、「海の幸」会の吉岡友次郎事務局長も「青木繁が絵に打ち込んだ小谷家を、特に若い人に知ってもらいたい」と望んでいる。

(大矢和世)