画家青木繁代用作描く小谷家住宅、修復終え公開へ
(東京新聞2016.4.22付)‥⇒印刷用PDF
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明治期の画家青木繁が滞在し、代表作「海の幸」を描いた館山市布良(めら)の小谷家住宅(市指定有形文化財)が、2年間の修復を終え、24日に式典を開く。住宅の存続に協力した、ノーベル医学生理学賞受賞者の大村智さん(80)も出席する予定。一般公開は29日から。(北浜修)
小谷家住宅は平屋建て(約百平方メートル)。小谷家は江戸時代から戦前まで、布良の有力な漁家だった。経緯は不明だが、青木は一九〇四(明治三十七)年夏、知人らと二カ月ほど滞在。この間、海岸を行く漁師らを描いた日本絵画史の傑作「海の幸」を残した。
住宅は築約百二十年が経過し、老朽化。館山市と、現在の当主小谷福哲(ふくあき)さん(65)、地元団体の青木繁誕生の家と記念碑を保存する会(館山市)、全国の美術家らでつくるNPO法人青木繁「海の幸」会(川崎市)の四者が、存続へ動いてきた。
大村さんは美術に造詣が深いことでも知られ、「海の幸」会の理事長。個人としても、ふるさと納税で計五百万円を館山市へ寄付するなど協力してきた。
市によると、小谷家住宅(別棟の管理棟はのぞく)の修復は総事業費約二千八百万円。市の指定文化財保存修理事業補助金や、ふるさと納税を利用した小谷家住宅保存活用支援事業補助金などが充てられた。
二〇一四年度から二年間の修復を経て、青木繁「海の幸」記念館として一般公開する。青木が滞在した部屋があるほか、青木に関連する写真や資料などを展示する。管理運営は「保存する会」や地元住民らが行う。同会事務局長で、NPO法人安房文化遺産フォラーム(館山市)代表の愛沢伸雄さん(64)は「地域の活性化につなげたい」と話す。
公開に先立ち関係者が二十四日、式典を開いてテープカットや記念植樹する。大村さんも出席する予定。近くの小学校で祝賀会も催す。小谷さんは「多くの方の協力をいただき、ここまで来られた。若い世代が訪れて、青木繁が滞在した家の雰囲気や明治の人の生きざまを感じてほしい」と話している。
一般公開は二十九日から。大型連休中は五月八日まで毎日。その後は土日のみ。午前十時〜午後四時。入館料は二百円(小中高生は百円)。問い合わせは、安房文化遺産フォーラム=電0470(22)8271。
青木繁が「海の幸」描いた小谷家、修復終え公開
29日から千葉・館山
(西日本新聞2016.4.7付)‥⇒印刷用PDF
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福岡県久留米市出身の洋画家青木繁が1904(明治37)年に滞在し、代表作「海の幸」(国重要文化財)を描いた千葉県館山市の小谷家住宅(市有形文化財)が、修復工事を終えて29日から一般公開される。
房総半島最南端の、漁村として栄えた集落にある小谷家は、明治期に村の漁師頭などを務めた。屋根の吹き替えやなまこ壁の復元、展示の整備などを行い、約5千万円の総工費を、画家などでつくるNPO法人「青木繁『海の幸』会や、同会理事長でノーベル医学生理学賞の大村智・北里大特別名誉教授らが支援した。
29日から5月8日まで公開し、その後は土日のみ。一般200円ほか。維持のために年会費2千円の友の会も募集中。問い合わせは運営管理を行う「青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会」=0470(22)8271、awabunka@awa.or.jp
韓国財団がブロンズレリーフ寄贈
「海の幸」制作の小谷家に
(房日新聞2016.4.5付)‥⇒印刷用PDF
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青木繁の代表作「海の幸」制作の地で、修復作業を終えて今月下旬に公開予定の小谷家住宅=館山市布良=に、海の幸を原寸大に彫刻した「刻画・海の幸」のブロンズレリーフが寄贈された。
館山美術会顧問の彫刻家・船田正廣氏が制作した塑像を、同氏と親交がある河正雄氏が理事長を務める韓国財団法人「秀林文化財団」が5枚のブロンズレリーフにした。
戦後70周年、日韓国交正常化50周年を記念した取り組みで、韓国国内3か所に加え、小谷家住宅と福岡県久留米市の青木繁の旧居の計5か所に寄贈し、日韓交流の架け橋とした。
レリーフは、すでに小谷家住宅に設置され、先月に除幕式が行われた。なお、同住宅は24日にオープニングセレモニーがあり、29日から一般公開される。
【写真説明】小谷家に設置されたブロンズレリーフと船田氏
「海の幸レリーフ除幕、小谷家住宅で
館山の彫刻家「足跡残せる」
(房日新聞2016.3.14付)‥⇒印刷用PDF
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明治の洋画家青木繁(1882〜1911年)が「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅(市有形文化財)で13日、「海の幸」のブロンズレリーフの除幕式が行われた。同住宅の保存へ向けた修復が完了し、公開されるのに合わせ、美術愛好家が寄贈した。
「海の幸」は青木の代表作で、国の重要文化財。ブロンズは絵と同じ大きさで、石製台座にはめ込まれており、屋外に設置された。ブロンズの基になった塑像は、彫刻家の船田正廣さん(78)(館山市北条)が「刻画・海の幸」として2004年に制作。これを見た韓国光州市立美術館名誉館長の河正雄さん(76)(埼玉県川口市在住)がブロンズにすることを申し出た。出来上がった5枚は、日韓美術交流のため3枚が韓国に渡り、青木の出身地の福岡県久留米市と、ゆかりの小谷家住宅に寄贈された。
除幕式では、船田さん、河さんら5人が幕を外し、見事な出来栄えに約70人の出席者から歓声が上がった。船田さんは「これで少しは安房・館山に足跡を残せる」、河さんは「『海の幸』をブロンズで残せて愛好家として感動している」とそれぞれあいさつした。
小谷家住宅は4月24日に開館式があり、29日から一般公開される。
海の幸誕生の小谷家公開へ
大村氏らテープカット500人でオープン式典
(房日新聞2016.4.26付)‥⇒印刷用PDF
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明治を代表する画家・青木繁が代表作「海の幸」を制作した、館山市布良の小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」のオープニングセレモニーが24日、現地で開催された。保存活動の旗振り役となったノーベル賞受賞者・大村智氏はじめ約500人が、修復完成を祝った。29日から一般公開される。
大村氏が理事長で全国の画家で組織した「NPO法人青木繁『海の幸』会」、地元の「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」(嶋田博信会長)、現当主・小谷福哲氏、市の4者が連携して保存に動き、2年がかりの修復工事で、制作当時の姿を取り戻した。
小谷家前であった式典では、大村氏や嶋田会長、小谷氏、金丸謙一市長らがテープカット。大村氏は「待ちに待った修復、オープンを迎え喜ばしいこと。大勢の関係者の皆さんと喜びを分かち合いたい」と喜んだ。
青木が描いた当時の雰囲気を残す記念館室内には、「海の幸」の実物大の複製画、青木、小谷家に関連する数々の資料も展示された。
室内で海の幸の複製画を見る大村氏=同
室内を見学した大村氏は「こういうところから絵が生まれたのか。感無量。東京の真ん中では描けない。感性豊かな人が地域の風土に感化され、あのような絵が生まれたのだろう」と語った。
館長に就任した当主の小谷氏は「これだけの皆さんにお祝いしていただき感無量。オープンは通過点で、これから第2ステージが始まる。記念館を起爆剤に富崎地区に明治時代の活気を取り戻したい」。
地元保存会の嶋田会長は「この上ない感激。よくここまで来ることが出来た。皆さんのおかげで感謝のひと言に尽きる。維持、管理に全力を尽くしていきたい」と語った。
富崎小学校で開催された祝賀会には、修復に関わった人や地元の関係者ら500人が参集。地元の神輿、まつりばやしもあり、にぎやかにオープンを祝っていた。
一般公開は29日から。5月8日までのゴールデンウイークは特別公開期間で、その後は土曜、日曜日の週2日の公開を予定。入館料は、維持協力金として1人200円(小中高100円)。
【写真説明】修復された小谷家を前にテープカットした関係者ら=館山市布良
室内で海の幸の複製画を見る大村氏=同
青木繁名画構想の絵地図
NPOが特定、館山・小谷家周辺描く
(読売新聞2016.3.8付)‥⇒印刷用PDF
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明治の洋画家・青木繁(1882〜1911年)が、館山市布良の小谷家周辺をスケッチし、絵地図に残していたことが、NPO法人安房文化遺産フォーラム(館山市)の調査で分かった。海の女神を描いた青木の代表作「わだつみのいろこの宮」のベースになったとみられている。
絵地図は縦23センチ、横14.5センチの小型スケッチ帳の1枚。住居や雑木林、道路などが描かれ、上部に地図の主題らしい不鮮明な漢字が書かれている。
愛知県の収集家が、青木のスケッチ帳から見つけ、一昨年11月、描いた場所の特定を小谷家当主の小谷福哲さん(65)に依頼。小谷さん所属の同NPOが、絵地図の写真を元に調べた結果、①種台前半は海の神「大海祇命(おおわだつみのみこと)」とも読め、後半が「小谷氏邸」と読み取れる②住居部分が安房地方の漁家に多い分棟型。小谷家住宅も、かつては分棟型だった③明治期の古地図(陸軍迅速図など)と地形やメイン道路が一致する—ことなどから小谷家周辺の絵地図と結論づけた。
分析の中心となった同NPOの愛沢伸雄代表(64)は「青木は神話に関心が強く、神話世界の絵画化を考えていた」とした上で、「小谷家南側には、かつて厳島神社があった。滞在中に当主から地元の神話や海の伝承を聞き、地図を描くことから構想を始め、完成したのが『わだつみのいろこの宮』だと思う」と語る。青木のスケッチやデッサンには、展示会場の見取り図などもあり、記録、作品構想の取っかかりに書き残す習慣があったようだ。
絵地図を所ずしていた愛知県岡崎市の収集家、藤井純一さんは昨年3月に死去し、現在は藤井さんの知人が個人所有している。小谷家住宅は修復工事が終わり、4月から公開される予定で、小谷さんは「絵地図は作品の原点として展示物に加えたい。藤井さんの遺族、現所有者の了解も取り付けた」と話している。
*青木繁
東京美術学校(現東京芸大)を卒業した1904年(明治37年)夏、館山市布良に旅し、漁家の小谷家に40日間滞在、代表作「海の幸」(国重要文化財)を描いた。滞在中に構想し、後年発表されたもうひとつの代表作が「わだつみのいろこの宮」(同)。
日本洋画の傑作「海の幸」レリーフが韓国に
河正雄氏「韓日美術交流の発展を」
(統一日報2016.2.10付)‥⇒印刷用PDF
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韓国・光州市立美術館名誉館長の河正雄さんは、韓国美術交流促進のため、明治の洋画家、青木繁の代表作「海の幸」のブロンズのレリーフを両国にそれぞれ寄贈した。
韓国の寄贈先は、光州市立美術館、霊岩郡立河正雄美術館、ソウル秀林アートセンター。日本の寄贈先は、青木繁が「海の幸」を描いた場所、千葉県館山市内にある小谷家住宅と、福岡県久留米市にある青木繁旧邸の2カ所となっている。
レリーフの原型となる塑像を、彫刻家の船田正廣さんが作成。河さんが資金面などでサポートし、幅約1メートル80センチ、高さ72センチの原寸大のブロンズを完成させた。
無印良品ローカルニッポンHPで紹介されました。
青木繁が「海の幸」を描いた小谷家住宅が地元保存会と全国美術家の協働で保存から公開へ
‥⇒http://localnippon.muji.com/news/1764/
寄稿「地域の貴重な文化遺産」
NPO法人青木繁「海の幸」会・理事長:大村智
(房日新聞2016.1.1付)
平成21年春、明治期の洋画家、青木繁を敬慕する画家の皆さんが設立準備をすすめていた「青木繁『海の幸』会」理事長への就任要請をいただきました。
日本美術界に多大な足跡を残された夭折の画家、青木繁の「その短い生涯に燃焼しつくした浪漫溢れる世界に接して画家になる動機を得たという方が多くおられた」と聞いていたことから、私は単身、館山市布良の小谷家を訪れ、小谷家の皆さんと話をして事業の必要性を認識し、皆さんの熱意に動かされ、少しでも力になれればと理事長就任のお話をお受けしました。
若き学生たちが滞在した小谷家の一室に佇んだとき、青木繁、福田たね、坂本繁二郎、森田恒友らの青春群像が建ち現れてくるような思いにかられたことを昨日のことのように思い出します。
平成22年1月、NPO法人の認可を受けた「青木繁『海の幸』会」が正式に創立され、「小谷家の修復、保存とその公開」を目標に置き、まずは全ての事業を遂行するために資金を集めることにとりかかりました。
平成23年3月の大震災により一時中断を余儀なくされましたが、全国の多くの方からこの活動への深い御理解と熱い御支援を賜り、おかげさまで寄付の目標もあと一息というところまで来ています。
小谷家の修復工事は順調に進み、この4月に無事公開に至れば、私どもの会としての初期の目的は達成できることになり、後は強い熱意をお持ちの地元の皆さんにバトンをお渡しすることになります。
修復を終えた青木繁「海の幸」誕生の家を地域の貴重な文化遺産として、後世に残していくことを切に希望するとともに、多くの皆様に、今から110年も前の日本近代洋画の原点が芽生えた地である小谷家を訪れていただき、当時の人々に思いを馳せ、多くの感動を味わっていただけますことを、心から願っております。
(北里大学特別名誉教授)
「海の幸」レリーフ〝故郷〟へ
館山・小谷家住宅,建物修復終え4月公開
(読売新聞千葉版2016.1.27付)‥⇒印刷用PDF
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◇館山・小谷家住宅
明治の洋画家の青木繁(1882〜1911年)が、代表作「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅(市有形文化財)の修復が完了し、4月から一般公開される。青木や漁家・小谷家の資料などの展示準備が始まっており、屋外には「海の幸」のブロンズレリーフが石の台座付きで設置される。布良地区の象徴になりそうだ。(笹川実)
青木繁は1904年夏、小谷家に滞在。漁民の生活を見聞きし、漁民がサメを運ぶ「海の幸」を描いた。その小谷家住宅が老朽化し、2008年、「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」ができ、修復保存のための募金活動が行われてきた。
10年に、全国の画家ら600人が名前を連ねたNPO法人「青木繁『海の幸』会」(川崎市)が発足して募金支援は本格化。昨春、修復工事が始まった。
木造平屋約100平方メートルの屋根や室内を修復し、再生。内部に「青木繁」「布良ゆかりの画家」といったテーマごとに三つの展示コーナーを設け、500平方メートルの敷地の一角にブロンズレリーフを展示する。
レリーフは、彫刻家で元高校教員の船田正廣さん(77)(館山市北条)が、「海の幸」を見た感動を彫刻で追いたいと、3年をかけて2004年に原寸大で完成させた。絵画「海の幸」を所蔵する石橋財団石橋美術館(福岡県久留米市)は、船田さんの独自作品とみなしている。
船田さんがこのレリーフ塑像を提供、韓国の財団がブロンズ5枚にし、うち1枚を台座付きで寄贈した。財団の理事長は、在日2世で韓国・光州市立美術館名誉館長の河正雄ハジョンウンさん(76)(埼玉県川口市)。河さんも小谷家修復に協力した一人だ。ブロンズは搬入済みで、今後、台座取り付け工事が行われる。3月13日にブロンズの除幕、4月29日から小谷家の公開が行われる。
小谷家当主の小谷福哲さん(65)は「美術愛好家の聖地として地域活性化に寄与したい」と話す。「青木繁『海の幸』会」の理事長で、ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智さん(80)は「『海の幸』が日韓交流の懸け橋として役立ち、大変うれしい」と喜んだ。
ブロンズ受け入れの窓口となったNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)の愛沢伸雄代表(64)は、船田さんのブロンズレリーフが安房西高校(館山市北条)に1枚展示されていることに触れ、「館山で2枚目のレリーフ。文化遺産として次代に残したい」と語る。
【写真】
修復された小谷家住宅に届いた「海の幸」のブロンズレリーフを前に喜ぶ船田さん(前列左から3人目)と地元関係者(12日、館山市布良で)