「海の幸」生んだ家記念館に
千葉・小谷家住宅修復
青木繁2ヵ月滞在し傑作
(東京新聞2016.4.26付)‥⇒印刷用PDF
小谷家は江戸期から戦前まで、房総半島南端の同市布良の有力な漁家だった。青木は1904(明治37)年夏、知人らと2カ月ほど滞在。海岸を行く漁師らを描いた「海の幸」=石橋美術館(福岡県久留米市)所蔵=は、日本海外史の傑作とされる。
住宅は平屋で延べ床約100平方メートル。築約120年で老朽化が進んでいた。市と現在の当主小谷福哲さん(65)、地元の有志、全国の美術家でつくるNPO法人青木繁「海の幸」会(川崎市)が存続へ動いてきた。
大村さんは美術に造詣が深く、同NPO法人の理事長も務める。個人でも、ふるさと納税で計500万円を市へ寄付するなど保存活動に熱心に協力してきた。
一般公開は5月8日までは毎日、その後は土日のみ。午前10時〜午後4時。入館料200円(小中高生は100円)。問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(館山市)=電話0470-22-8271=へ。
「海の幸」誕生の家、記念館に
ノーベル賞大村さん存続を支援、館山で修復完了、青木繁が代表作描く
(東京新聞夕刊2016.4.25付)‥⇒印刷用PDF
明治期の画家青木繁が滞在し代表作「海の幸」を描いた千葉県館山市の小谷(こたに)家住宅(市指定有形文化財)が、2年間の修復を終え、青木繁「海の幸」記念館として生まれ変わった。24日には開所式があり、建物の存続に協力したノーベル医学生理学賞受賞者の大村智(さとし)さん(80)も訪れた。一般公開は29日から。 (北浜修、写真も)
小谷家は江戸期から戦前まで、房総半島南端の同市布良(めら)の有力な漁家だった。青木は一九〇四(明治三十七)年夏、知人らと二カ月ほど滞在。海岸を行く漁師らを描いた「海の幸」=石橋美術館(福岡県久留米市)所蔵=は、日本絵画史の傑作とされる。
住宅は平屋で延べ床約百平方メートル。築約百二十年で老朽化が進んでいた。市と現在の当主小谷福哲(ふくあき)さん(65)、地元の有志、全国の美術家でつくるNPO法人青木繁「海の幸」会(川崎市)が存続へ動いてきた。
大村さんは美術に造詣が深く、同NPO法人の理事長も務める。個人でも、ふるさと納税で計五百万円を市へ寄付するなど保存活動に熱心に協力してきた。
二十四日の開所式では、大村さんは小谷さんの案内で青木が滞在した部屋や、展示されている「海の幸」の複製画などを見学。「青木繁の顕彰に活動してきた多くの関係者と喜びを分かち合いたい。広く社会に公開し、芸術を志す若い人に愛されて発展することを願う」と話した。
小谷さんも「大村さんやたくさんの方の応援で、この日を迎えられた。地域の活性化につなげたい」と応じた。
一般公開は五月八日までは毎日、その後は土日のみ。午前十時〜午後四時。入館料二百円(小中高生は百円)。問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(館山市)=電0470(22)8271=へ。
青木繁(あおき・しげる)
1882年、福岡県久留米市生まれ。東京美術学校(現在の東京芸術大学)卒業後に描いた洋画「海の幸」は、国の重要文化財。生前は世間的な成功を得られず、貧困と放浪の生活の末に肺を病み、1911年に28歳で死去した。
小高記念館、国の有形文化財登録証の伝達式
(東京新聞2016.4.24付)‥⇒印刷用PDF
国の登録有形文化財(建造物)になった館山市の小高(おだか)記念館の登録証の伝達式が、同市役所であった。今年二月に登録され、市内では計八件となった。
同記念館は洋風の外観で木造二階建て。市によると大正期、鴨川に建てられた銀行の支店で、一九三〇(昭和五)年ごろ、館山港に近い現在の場所に移築された。戦前に県議会議員、戦後は衆議院議員を務めた故小高熹郎(としろう)氏が事務所などとして使用した。小高氏の死去後、一時閉鎖。地域の文化振興に尽力した小高氏の遺志を継ぐため、現在は地元のNPO法人安房文化遺産フォーラムが活動拠点にしている。
式では、建物所有者で小高氏の長男英夫さん(74)と、事務所として使う同フォーラム代表の愛沢伸雄さん(64)に、金丸謙一市長が国からの登録証とプレートを手渡した。
英夫さんは「多くの方の協力で登録されることになり、よかった。これからも地域の文化振興の拠点として使っていただければ」と話した。
(北浜修)
「小高記念館」に文化庁登録証
国の登録有形文化財、長男・小高英夫さんに伝達
(房日新聞2016.4.22付け)‥⇒印刷用PDF
青木繁「海の幸」記念館が完成
ノーベル賞大村さんも祝福
(千葉日報2016.4.25付け)‥⇒印刷用PDF
小谷家住宅保存協力の大村さん
「さらに愛され発展を」
明治期の画家、青木繁が代表作「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅の修復工事が完了し、「青木繁『海の幸』記念館」として一般公開されるのを記念した式典が24日、同市で開かれた。保存活動に協力したノーベル生理学・医学賞受賞者の大村智さんも参加。「地域での経済活動と文化活動が相まって豊かな生活をもたらす。芸術を志す若い人や愛好する人にさらに愛され発展することを祈願する」と祝辞を述べた。
小谷家住宅は木造平屋建てで、市指定有形文化財。繁は1904年末に40日間滞在し、国重要文化財「海の幸」などの作品を生み出した。
住宅は築120年ほどがたち老朽化。大村さんが理事長を務め全国の画家らで構成するNPO法人青木繁「海の幸」会、地元青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会、現当主の小谷福哲さん、市が連携し保存活動を進めてきた。
修復工事の総事業費は約2800万円。このうち500万円は大村さんがふるさと納税で市に寄付。市は560万円を補助した。
式典後、小谷家住宅を見学した大村さんは「この場所で海の幸が生まれたことは感無量。感性豊かな風土に感化されできた絵」と感想を語った。現当主で記念館の館長を務める小谷さんは「(修復完了は)終着点でなく、通過点。小谷家住宅を起爆剤に明治時代の活気を再現したい」と意気込んだ。
記念館は29日〜5月8日の大型連休期間は特別公開。その後は土日のみ公開。入館料は200円。(小中高100円)。問い合わせはNPO法人安房文化遺産フォーラム。0470(22)8271。
洋画家・青木繁が重文「海の幸」描く
小谷家修復が完成、ノーベル賞・大村さん支援、29日オープン記念館に
(毎日新聞2016.4.25付)‥⇒印刷用PDF
明治期の洋画家で28歳で早世した青木繁(1882〜1911年)が112年前、代表作「海の幸」を描いた館山市布良(めら)の小谷家住宅が2年がかりで修復され、29日から「海の幸記念館」として一般公開される。24日には、住宅の保存に尽力したノーベル医学生理学賞受賞者、大村智さん(80)らゆかりの人が集まって記念式典が開かれ、日本絵画界に大きな足跡を残した青木に改めて思いをはせた。
青木は東京美術学校(現東京芸大)を卒業したばかりの1904年、画家仲間の坂本繁二郎、恋人の福田たねらと4人で館山を写生旅行で訪れ、漁船を多く抱えた名家・小谷家に約50日間滞在した。
その間に描いた「海の幸」は、2列に並んだ10人の裸の男たちがモリで刺したサメを担いで行進する姿を描いた作品。ダイナミックな構図は生命力にあふれ、国の重要文化財に指定されている。
住宅は1889年の布良地区の大火後に建てられ、120年を超える歳月で老朽化が進んでいた。だが、小谷家の人たちが住居として使っていたため修復工事は容易でなく、資金的な問題もあった。
住宅の保存運動が始まったのは8年前。全国の画家や研究者で作り、現在は大村さんが理事長の「青木繁『海の幸』会」と、文化財の保存に努める地元のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」が中心となって組織した「青木繁『海の幸』誕生の家と記念碑を保存する会」(愛沢伸雄事務局長)が、小谷家や館山市に働きかけ、県内外で支援を呼びかけてきた。
2年前から始まった工事では、屋根や外壁が修理され、内部も見学しやすいよう整備された。費用は約2800万円。2009年に住宅を市の文化財に指定した館山市が約560万円を予算化し、残りを「ふるさと納税」などでまかなった。大村さんも個人として2度にわたり計500万円を「ふるさと納税」の形で寄付している。
小谷家の当主の福哲(ふくあき)さん(65)は「布良の子供たちに誇りと元気を伝えていきたい」と話し、家の中を案内された大村さんは「ここで絵が生まれたのかと感無量な気分だ。大勢の皆さんと喜びを分かち合いたい」と感激した面持ちだった。
【中島章隆】
小谷家「海の幸記念館」開館
ノーベル賞・大村さんも祝福
(読売新聞2016.4.25付)‥⇒印刷用PDF
明治の洋画家青木繁(1882〜1911年)が「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅の保存修復が完成し、24日、開館式が行われた。保存運動の後ろ盾となったノーベル生理学・医学賞受賞者の大村智さん(80)も駆けつけた。29日から「青木繁『海の幸』記念館」として公開される。
小谷家住宅は、日本洋画史の傑作とされる「海の幸」の誕生の家、また安房地域の漁家を代表する建造物として市の文化財に指定されている。老朽化が進んだため保存運動が起こり、大村さんが理事長を務める全国の画家らのNPO「青木繁『海の幸』会」が支援、一昨年春から修復工事が行われた。
修復された建物は木造平屋の約100平方メートルで、青木や小谷家の資料などを展示。「海の幸」制作中の青木を描いた恋人の福田たねの水彩画「青木繁 海ノ幸制作中に追思」の実物が、所蔵している子孫から貸与され、大型連休限定で公開されることになった。
テープカットや記念植樹をした大村さんは「オープンの喜びを分かち合い、芸術文化の発展に寄与することを願う。地域は経済と文化活動が相まって豊かな生活になる」と語った。近くで祝賀会が開かれ、関係者や住民ら約300人が出席した。
Landing point of U.S.occupation force Tateyama, Chiba Pre.
Mystery of only 4 days-long military rule
(The Japan News by The Yomiuri Shimbun ~sep.22.2015)
⇒印刷用PDF①〜④
【寄稿】青木繁の絵画を布良の小谷家から考察する
〜未発表スケッチを中心に〜
①布良の小谷家と青木繁
愛沢伸雄(NPO法人安房文化遺産フォーラム代表)
(房日新聞2016.4.1付)
画家青木繁代用作描く小谷家住宅、修復終え公開へ
(東京新聞2016.4.22付)‥⇒印刷用PDF
明治期の画家青木繁が滞在し、代表作「海の幸」を描いた館山市布良(めら)の小谷家住宅(市指定有形文化財)が、2年間の修復を終え、24日に式典を開く。住宅の存続に協力した、ノーベル医学生理学賞受賞者の大村智さん(80)も出席する予定。一般公開は29日から。(北浜修)
小谷家住宅は平屋建て(約百平方メートル)。小谷家は江戸時代から戦前まで、布良の有力な漁家だった。経緯は不明だが、青木は一九〇四(明治三十七)年夏、知人らと二カ月ほど滞在。この間、海岸を行く漁師らを描いた日本絵画史の傑作「海の幸」を残した。
住宅は築約百二十年が経過し、老朽化。館山市と、現在の当主小谷福哲(ふくあき)さん(65)、地元団体の青木繁誕生の家と記念碑を保存する会(館山市)、全国の美術家らでつくるNPO法人青木繁「海の幸」会(川崎市)の四者が、存続へ動いてきた。
大村さんは美術に造詣が深いことでも知られ、「海の幸」会の理事長。個人としても、ふるさと納税で計五百万円を館山市へ寄付するなど協力してきた。
市によると、小谷家住宅(別棟の管理棟はのぞく)の修復は総事業費約二千八百万円。市の指定文化財保存修理事業補助金や、ふるさと納税を利用した小谷家住宅保存活用支援事業補助金などが充てられた。
二〇一四年度から二年間の修復を経て、青木繁「海の幸」記念館として一般公開する。青木が滞在した部屋があるほか、青木に関連する写真や資料などを展示する。管理運営は「保存する会」や地元住民らが行う。同会事務局長で、NPO法人安房文化遺産フォラーム(館山市)代表の愛沢伸雄さん(64)は「地域の活性化につなげたい」と話す。
公開に先立ち関係者が二十四日、式典を開いてテープカットや記念植樹する。大村さんも出席する予定。近くの小学校で祝賀会も催す。小谷さんは「多くの方の協力をいただき、ここまで来られた。若い世代が訪れて、青木繁が滞在した家の雰囲気や明治の人の生きざまを感じてほしい」と話している。
一般公開は二十九日から。大型連休中は五月八日まで毎日。その後は土日のみ。午前十時〜午後四時。入館料は二百円(小中高生は百円)。問い合わせは、安房文化遺産フォーラム=電0470(22)8271。