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【東洋経済新報】160226*名画で日韓を結ぶ〜河正雄(寄稿)

名画で日韓を結ぶ〜日本を代表する洋画のレリーフを韓国に展示

「刻画・海の幸」寄贈にあたり

<寄稿>‥ 河正雄(光州市立美術館名誉館長)

東洋経済新報2016.2.26付)‥⇒印刷用PDF

日本洋画界を代表する作品として知られる青木繁作「海の幸」を原型とするブロンズのレリーフ3体が、韓国の美術館に寄贈され、3月に展示される。在日2世の河正雄・光州市立美術館名誉館長(76)が、「韓日交流の一助になれば」と制作費などを支援した。河名誉館長に文章を寄せてもらった。

2015年9月5日、第19回戦争遺跡保存全国シンポジウム千葉県館山大会が開かれることになった。私はその大会で、館山の戦跡、里見氏の城跡や、青木繁「海の幸」誕生の小谷家住宅など様々な文化遺産を後世に残すという、ダイナミックな地域づくりに取り組んでいるNPO法人安房文化遺産フォーラムの依頼で、記念講演を行うことになった。

秋田での高校時代の友人・富樫研二君が館山に住んでいたことで、彼の誘いから館山を訪問したことが、NPOとのご縁の始まりである。富樫君の紹介で、NPO代表の愛沢伸雄氏、事務局長の池田恵美子氏、彫刻家の船田正廣氏(1938〜)を知った。

そのとき、NPOの方から布良に案内され、青木繁『海の幸』ゆかりの地・小谷家を訪問したことで、青木繁(1882〜1911)の足跡と存在を見ることになった。

70年代後半から、私のコレクションである在日一世画家・全和凰の画業50周年を記念した画集の制作に当たっていた。その画集に、美術評論を書いていただく願いのため、東京駅八重洲口にあるブリヂストン美術館の嘉門安雄館長を訪ねたことがある。そのとき、嘉門先生の案内で美術館を観覧した。

展示されていたルノアールやセザンヌ、ピカソやモネの作品にも目を見張ったが、青木繁の『海の幸』作品に心動かされたのである。ロマンに満ち、生命力あふれた躍動感と、汗と海のにおいが充満している。労働の喜びが表現され、いたく感動したものだ。

船田先生が、「私は、青木繁の『海の幸』を原寸大で彫刻し、塑像レリーフ作品を3年の歳月をかけて制作した。できあがって気がついたら、青木が『海の幸』を描いてからちょうど100年目(2004年)だった。青木繁ゆかりの小谷家を文化財にして残し、小谷家に展示するのが夢だ」と述べられた。

愛沢氏からは、これから小谷家住宅の保存のために、全国の画家の皆さんに呼びかけて募金活動に取り組みます。〝青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会〟を立ち上げるので、ぜひ河さんも発起人になって協力をお願いします」と言われた。私は発起人を引き受け、「小谷家住宅が公開になるときに、船田先生の作品をブロンズにするなら、ぜひ韓国の光州私立美術館にもおきたいから一緒に作りましょう」と提案した。

美術を愛し、美術を通して、幸福と平和を願う想いは、多くの人々にも共有する世界である。ましてこの世に生まれ、共に生きた美術人としてのよしみ、友情といってもよいだろう。何事も生あるとき。生ある喜びを共有することが一番幸せであるという教えがふつふつと湧いてきた。

昨年は戦後70年、韓日国交正常化50周年を記念する年だった。この記念すべき節目に、出会いのご縁をかなえ、絆を結ぶことが共に生きる最良だと心が決まった。

最初の出発点は、小谷家から始まった話であったが、青木繁の生まれ故郷の福岡県久留米市にも寄贈することになった。『刻画・海の幸』が設置される5カ所には、同一文章のキャプションが、韓日英の3カ国語表記で紹介される。

普通の価値である『海の幸』作品が、連帯の意味、友情の意味、生きる意味、幸せの意味を、永遠にメッセージを放つことであろう。共にこの慶事を祝し守りたい。

 

*「海の幸」は1904年、青木繁が漁家の小谷家に40日間滞在した際、地元住民との交流から着想を得て制作した、日本で洋画第一号の重要文化財。

 

【参考ページ】

ブロンズ「国画・海の幸」⇒ HP

河正雄アーカイブズ ⇒ HP

【房日】160601*韓国にブロンズの「海の幸」

韓国にブロンズの「海の幸」

日韓友好の懸け橋へ、除幕式に館山から愛沢代表ら

(房日新聞2016.6.1付)‥⇒印刷用PDF


青木繁の海の幸を原寸大に彫刻した『刻画・海の幸』が、韓国ソウル市に開館した「秀林アートセンター」に設置された。日韓交流の懸け橋として寄贈されたブロンズレリーフで、館山市布良の小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」にも同じものがある。現地であった除幕式には、館山側からNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表らも臨んだ。

館山美術会顧問の彫刻家・船田正廣氏が制作した塑像を、同氏と親交がある河正雄氏が理事長を務める韓国財団法人「秀林文化財団」がブロンズレリーフにし、日韓の5カ所に寄贈している。

除幕式には約300人が参加。河理事長は「この素晴らしい作品は、日韓友好の架け橋として両国で光を放ち、これから大きな役割を果たしていくだろう」と述べたという。

渡韓した愛沢代表は、除幕式のほか現地であった文化遺産を活用したまちづくりフォーラムのパネリストとして参加するなど日韓の交流に務めた。

【読売】160519*海の幸レリーフ韓国ソウルに

海の幸レリーフ、ソウルに

秀林アートセンターに設置

(読売2016.5.19付)


明治の洋画家、青木繁の「海の幸」のブロンズレリーフが韓国のソウル市に開館した秀林アートセンターに設置された。12日の除幕式に出席した館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(64)が除幕式の様子を語った。

レリーフは館山市の彫刻家船田正廣さん(78)が塑像を制作、韓国光州市立美術館の河正雄(ハジョンウン)・名誉館長(76)がブロンズ制作を申し出た。日本に2枚、韓国に3枚寄贈された。

愛沢代表によると、同センターは美術教育や日韓美術交流の拠点として、河さんが理事長を務める秀林文化財団がオープンさせた。開館式を兼ねた式典には韓国側から政府関係者や文化人ら300人、日本からも大学や国際交流団体、財団と日本側の橋渡し役になったNPO関係者が招かれ、河さんや愛沢代表らが除幕を行った。

【房日】160518*「海の幸」記念館、滑り出し順調

『海の幸』記念館、滑り出し順調

GWに562人、県北や都内から見学者

(房日新聞2016.5.18付)


先月29日に一般公開がスタートした館山市布良の小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」のゴールデンウィーク中(4月29日〜5月8日)の来場者が562人にのぼり、人気ぶりを示した。GWは特別公開で、現在は土、日曜日に公開されている。

明治を代表する画家・青木繁が逗留(とうりゅう)し、代表作で国の重要文化財「海の幸」を描いた小谷家を、当時の雰囲気を残す形で修復し、記念館として公開した。館内には海の幸のレプリカや関連資料などを展示し、ガイドが案内にあたっている。

開館後の出足は順調。来場者の半数以上は県北や都内からで、青木繁、海の幸の人気の高さをうかがわせる。4日には105人が訪れたという。

千葉市から夫婦で訪れた押尾哲人さん(69)は「新聞で一般公開を知り、館山に来た。ガイドの説明も丁寧で分かりやすかった。関連資料も豊富で、青木繁が好んだ布良地区のこともよく知ることができた」

小谷家の現当主で記念館館長の小谷福哲さんは「多くの人が来訪され、順調な滑り出しとなった。皆さんガイドの説明を熱心に聞いて、関心の高さを感じた。今後もしっかりと案内をし、青木繁、富崎地区の魅力を伝えたい」と話している。

入館料は200円(小、中、高校生は100円)。時間は午前10時から午後4時まで。

問い合わせは、青木繁「海の幸」誕生の家と記念碑を保存する会(0470-22-8271)まで。

【東京】160426*「海の幸」生んだ家記念館に

「海の幸」生んだ家記念館に

千葉・小谷家住宅修復

青木繁2ヵ月滞在し傑作

(東京新聞2016.4.26付)‥⇒印刷用PDF

小谷家は江戸期から戦前まで、房総半島南端の同市布良の有力な漁家だった。青木は1904(明治37)年夏、知人らと2カ月ほど滞在。海岸を行く漁師らを描いた「海の幸」=石橋美術館(福岡県久留米市)所蔵=は、日本海外史の傑作とされる。

住宅は平屋で延べ床約100平方メートル。築約120年で老朽化が進んでいた。市と現在の当主小谷福哲さん(65)、地元の有志、全国の美術家でつくるNPO法人青木繁「海の幸」会(川崎市)が存続へ動いてきた。

大村さんは美術に造詣が深く、同NPO法人の理事長も務める。個人でも、ふるさと納税で計500万円を市へ寄付するなど保存活動に熱心に協力してきた。

一般公開は5月8日までは毎日、その後は土日のみ。午前10時〜午後4時。入館料200円(小中高生は100円)。問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(館山市)=電話0470-22-8271=へ。

【東京夕刊】160425*「海の幸」誕生の家、記念館に

「海の幸」誕生の家、記念館に

ノーベル賞大村さん存続を支援、館山で修復完了、青木繁が代表作描く

(東京新聞夕刊2016.4.25付)‥⇒印刷用PDF


明治期の画家青木繁が滞在し代表作「海の幸」を描いた千葉県館山市の小谷(こたに)家住宅(市指定有形文化財)が、2年間の修復を終え、青木繁「海の幸」記念館として生まれ変わった。24日には開所式があり、建物の存続に協力したノーベル医学生理学賞受賞者の大村智(さとし)さん(80)も訪れた。一般公開は29日から。 (北浜修、写真も)

小谷家は江戸期から戦前まで、房総半島南端の同市布良(めら)の有力な漁家だった。青木は一九〇四(明治三十七)年夏、知人らと二カ月ほど滞在。海岸を行く漁師らを描いた「海の幸」=石橋美術館(福岡県久留米市)所蔵=は、日本絵画史の傑作とされる。

住宅は平屋で延べ床約百平方メートル。築約百二十年で老朽化が進んでいた。市と現在の当主小谷福哲(ふくあき)さん(65)、地元の有志、全国の美術家でつくるNPO法人青木繁「海の幸」会(川崎市)が存続へ動いてきた。

大村さんは美術に造詣が深く、同NPO法人の理事長も務める。個人でも、ふるさと納税で計五百万円を市へ寄付するなど保存活動に熱心に協力してきた。

二十四日の開所式では、大村さんは小谷さんの案内で青木が滞在した部屋や、展示されている「海の幸」の複製画などを見学。「青木繁の顕彰に活動してきた多くの関係者と喜びを分かち合いたい。広く社会に公開し、芸術を志す若い人に愛されて発展することを願う」と話した。

小谷さんも「大村さんやたくさんの方の応援で、この日を迎えられた。地域の活性化につなげたい」と応じた。

一般公開は五月八日までは毎日、その後は土日のみ。午前十時〜午後四時。入館料二百円(小中高生は百円)。問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(館山市)=電0470(22)8271=へ。

 

青木繁(あおき・しげる)

1882年、福岡県久留米市生まれ。東京美術学校(現在の東京芸術大学)卒業後に描いた洋画「海の幸」は、国の重要文化財。生前は世間的な成功を得られず、貧困と放浪の生活の末に肺を病み、1911年に28歳で死去した。

【東京】160424*小高記念館、国の有形文化財登録証の伝達式

小高記念館、国の有形文化財登録証の伝達式

(東京新聞2016.4.24付)‥⇒印刷用PDF


国の登録有形文化財(建造物)になった館山市の小高(おだか)記念館の登録証の伝達式が、同市役所であった。今年二月に登録され、市内では計八件となった。

同記念館は洋風の外観で木造二階建て。市によると大正期、鴨川に建てられた銀行の支店で、一九三〇(昭和五)年ごろ、館山港に近い現在の場所に移築された。戦前に県議会議員、戦後は衆議院議員を務めた故小高熹郎(としろう)氏が事務所などとして使用した。小高氏の死去後、一時閉鎖。地域の文化振興に尽力した小高氏の遺志を継ぐため、現在は地元のNPO法人安房文化遺産フォーラムが活動拠点にしている。

式では、建物所有者で小高氏の長男英夫さん(74)と、事務所として使う同フォーラム代表の愛沢伸雄さん(64)に、金丸謙一市長が国からの登録証とプレートを手渡した。

英夫さんは「多くの方の協力で登録されることになり、よかった。これからも地域の文化振興の拠点として使っていただければ」と話した。

(北浜修)

【千葉日報】160425*青木繁「海の幸」記念館が完成

青木繁「海の幸」記念館が完成

ノーベル賞大村さんも祝福

(千葉日報2016.4.25付け)‥⇒印刷用PDF


小谷家住宅保存協力の大村さん
「さらに愛され発展を」

明治期の画家、青木繁が代表作「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅の修復工事が完了し、「青木繁『海の幸』記念館」として一般公開されるのを記念した式典が24日、同市で開かれた。保存活動に協力したノーベル生理学・医学賞受賞者の大村智さんも参加。「地域での経済活動と文化活動が相まって豊かな生活をもたらす。芸術を志す若い人や愛好する人にさらに愛され発展することを祈願する」と祝辞を述べた。

小谷家住宅は木造平屋建てで、市指定有形文化財。繁は1904年末に40日間滞在し、国重要文化財「海の幸」などの作品を生み出した。

住宅は築120年ほどがたち老朽化。大村さんが理事長を務め全国の画家らで構成するNPO法人青木繁「海の幸」会、地元青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会、現当主の小谷福哲さん、市が連携し保存活動を進めてきた。

修復工事の総事業費は約2800万円。このうち500万円は大村さんがふるさと納税で市に寄付。市は560万円を補助した。

式典後、小谷家住宅を見学した大村さんは「この場所で海の幸が生まれたことは感無量。感性豊かな風土に感化されできた絵」と感想を語った。現当主で記念館の館長を務める小谷さんは「(修復完了は)終着点でなく、通過点。小谷家住宅を起爆剤に明治時代の活気を再現したい」と意気込んだ。

記念館は29日〜5月8日の大型連休期間は特別公開。その後は土日のみ公開。入館料は200円。(小中高100円)。問い合わせはNPO法人安房文化遺産フォーラム。0470(22)8271。