メディア報道

【あさひふれんど千葉】161115*青木繁ゆかりの小谷家

秋のお出かけにおすすめ

青木繁ゆかりの小谷家〜館山市神話の浜の高台に

(あさひふれんど千葉2016.11.15付)…⇒印刷用PDF

今年も立冬をすぎたが、房総の海や山は“晩秋”の行楽シーズン。南房へ太平洋の大海原を見に行くことがあったらおすすめしたいのが、館山市布良(めら)の“新名所”青木繁「海の幸」記念館小谷家住宅だ。

江戸時代から昭和19年(1944)まで続いた網元の住宅で同市の有形文化財に指定されている。この小谷家に夭折の画家青木繁が恋人福田たね、友人坂本繁二郎、森田恒友らと逗留したのは明治37年(1904)の夏。

40日ほど滞在した。このとき、坂本から聞いた大漁話から着想した名作が「海の幸」である。洋画の重要文化財第1号となった。

阿由戸の浜を見晴らす高台に建つ小谷家は、廃業以来痛みが激しいことから復元・保存活動が起き、NPO法人青木繁「海の幸」会(大村智理事長)が発足、約7年にわたる地道な資金づくりが実り、修復工事が完了し、今年4月から一般公開されている。

客間書院の欄間の彫刻には、明治時代に活躍した後藤喜三郎橘義信の刻名がある。風光明媚な景勝地で知られる布良は天富命(あめのとみのみこと)が上陸したという神話の浜である。

小谷家の近くには鳥居から洋上遥かに富士山を望む布良崎神社や安房自然村がある。マイカーでの行楽なら房総半島突端の洲埼灯台、県立野鳥の森、白浜フラワーパークなど見どころが多い。

 

◇小谷家記念館 毎週土、日曜日の開館(お盆、年末年始を除く)10時〜16時(4月〜9月)10時〜15時(10月〜3月)

◇入場料 一般200円・小中高生100円

◇同館問合せ TEL 0470(22)8271

◇交通 JR内房線館山駅から白浜行バス。安房自然村下車。徒歩3分。

【読売】160817*朝鮮王族の「七言対句」公開

朝鮮王族の「七言対句」公開

26代高宗のおい、王位継承争い日本亡命

館山「小谷家住宅」で

(読売2016.8.17付)‥⇒印刷用PDF


朝鮮王族の李?鎔(イジュンヨン)の書「七言対句」が、館山市布良の市指定有形文化財「小谷家住宅」で公開されている。書は2年前、小谷家住宅で見つかり、その後の調査で、王位継承争いに巻き込まれた李が1899年(明治32年)から8年間日本に亡命し、同市北条(当時北条町)で暗殺されかけたことがわかった。

館山市立博物館の岡田晃司学芸員(58)によると、李は朝鮮王朝第26代皇帝の高宗のおい。七言対句は「江上晴烟人似樹楼中紅燭妓如花 韓国李?鎔」と書かれ、名前と雅号「石庭」の印が押されている。「大河の上の明るい霞(かすみ)の中に立つ人は樹(き)に似ている 楼閣にゆらめく紅(あか)い灯(あかり)の中に立つ遊女は花のようだ」という内容。

李の書は鋸南町の日本寺にもある。町史によると、1902年6月に書かれた「乾坤山」の扁額(へんがく)で、乾坤山は日本寺の称号の「山号」に当たる。日本次の住職と同郷だった人物が揮毫(きごう)を依頼し、奉納した。岡田学芸員は七言対句について、別人が書いた可能性を否定し、「日本寺のように頼まれて書くことがあった。一部しか知らない亡命者の偽作を書くことは考えにくい」と指摘している。

扁額を書いた同じ年、李は刺客に襲われる。1902年11月12日付「東京朝日新聞」によると、同5日午前11時頃、北条町八幡倶楽部で男が面会し、帰りがけに短刀で刺そうとしたが、家人に取り押さえられ、殺人未遂容疑で警察に逮捕された。男は東京から船で入り、警察も尾行中だったという。

明治期に政治亡命し、命を狙われたことは、小谷家住宅で七言対句を見つけたNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(64)が、当時の外務省資料や、警察の報告書などを国会図書館で調べ、裏付けた。愛沢さんは「神戸でも、朝鮮王族関係者の同時暗殺が亡命者内で計画されていた。李は館山で宿舎を転々と変えていた」と語る。

小谷家当主の小谷福哲さん(65)は「なぜ小谷家にあるのか、どんな気持ちで書いたのか知りたい。波乱万丈、数奇な運命をたどった李が、その後、無事王族に復帰できたのが救い」としている。

小谷家住宅は、洋画か・青木繁が「海の幸」を描いた場所として知られ、七言対句は、小谷家修復後の「青木繁『海の幸』記念館」に展示中だ。

【読売】160730*千葉遺産〜四面に刻む4か国の平和

【千葉遺産】四面に刻む4か国の平和

大巌院の石塔(館山市)

(読売新聞2016.7.30付)…⇒印刷用PDF


館山市大網の大巖院(だいがんいん)の山門近くに珍しい石塔がある。高さ約2.2メートル、幅約50センチの四角柱で、4面に4か国語で「南無阿弥陀仏」と刻まれている。南面に日本の漢字、東面に韓国のハングル、西面に中国の篆字(てんじ)、北面にインドの梵字(ぼんじ)。1624年に建てられた。

中でも、ハングルは、日韓の識者が「韓国なら国宝級の石塔。なぜ館山にあるのか」と指摘する貴重なものだ、現在のハングルとはやや異なる文字で、15世紀中頃に朝鮮王朝によって発布され、短期間で消滅したという初期ハングルであることが解明されている。

江戸初期の館山に、なぜ国際的な石塔が建てられたのか。県指定文化財になったのは1969年だが、その謎の解明が始まったのは最近のこと。「2002年に館山市で開かれた『日韓歴史教育シンポジウム』の研究交流などで少しずつわかってきた」と大巖院の石川龍雄住職(69)は語る。

大巖院は、里見氏9代の義康の寄進で雄誉霊巖(おうよれいがん)上人が1603年に創建した。石塔南面の「南無阿弥陀仏」は雄誉上人の揮ごうだ。雄誉上人は幕府にも重用され、江戸城正面の湿地帯を埋め立て、石塔と同じ年に霊巖寺を建立、霊巖島の地名にもなった。幕府の宗教政策にも参画したとされる。

雄誉上人は、幕府を通じて文禄・慶長の役で捕虜となった朝鮮人の帰国や江戸を訪れた朝鮮通信使が帰路、大巖院に立ち寄ったとの文書もあり、日韓の善隣友好に一定の役割を果たしたと考えられている。

02年の日韓シンポで韓国の学者は「雄誉上人が仏典で古いハングルを知り、日韓和解を望んだ」と発言。石塔に光を当てたNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(64)は「秀吉の朝鮮出兵にかかわる供養であり、『四面』の各国間の平和を願い、自らの原点の地。館山に建てた」とみている。

(笹川実)

【読売千葉】160730*「海の幸」レリーフ久留米にも

「海の幸」レリーフ久留米にも

青木繫の出身地、館山に続き

(読売新聞千葉版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF


福岡県久留米市出身の洋画家・青木繁(1882〜1911年)の代表作で、国重要文化財「海の幸」のレリーフが同市内の青木繁旧居に設置され、29日、除幕式が行われた。「海の幸」に感銘を受けた韓国・光州市立美術館名誉館長の河正雄(ハジョンウン)さん(76)(埼玉県川口市)が制作、寄贈した。旧居保存会は「青木が結んだ交流を大切にしたい」と話している。

レリーフはブロンズ製で、縦72センチ、横180センチ、厚さ4センチ、重さ75キロ。計5枚制作されたうちの1枚で、これまでに韓国の美術館や「海の幸」が描かれた館山市の小谷家住宅などに寄贈された。

除幕式には河さんのほか、レリーフの受け入れ窓口になったNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)の愛沢伸雄代表や、久留米市の楢原利則市長が参加。河さんは「韓国と近い九州に設置で来てうれしい。美術の交流を通じて日韓の新しい時代を迎えたい」と喜んだ。旧居保存会の荒木康博会長は「多くの方の支援で、すてきなレリーフを飾ることができた」と話していた。

【毎日(筑後)】160730*「海の幸」レリーフ、久留米・青木繫旧居に設置

「海の幸」レリーフ

久留米・青木繫旧居に設置

在日韓国人河正雄さん、両国の友好願い寄贈

(毎日新聞筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF


久留米市同市荘島町の青木繁旧居に29日、青木の代表作「海の幸」(1904年)をモチーフにしたブロンズレリーフが設置された。在日韓国人の実業家で、日韓文化交流を進めるソウルの秀林文化財団理事長を務める河正雄(ハジョンウン)さん(76)=埼玉県川口市=が、美術作品を通した日韓友好を願って寄贈した。

レリーフは、オリジナルの海の幸と同じ縦70・2センチ、横182センチ。青木繁が海の幸を描いた千葉県館山市に住む彫刻家、船田正廣さんが原型となる塑像を制作した。日韓国交正常化だった昨年、河さんが船田さんに依頼してレリーフを計5枚作り、3枚を韓国の美術館、2枚を館山の青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅)と、久留米の青木繁旧居に寄贈した。

29日はレリーフの除幕式があり、河さんや久留米市の関係者ら約50人が出席。市所有の旧居を指定管理する保存会の荒木康博会長(66)は「このレリーフが館山、韓国の人たちとの懸け橋になることを願っています」と述べた。70年代に海の幸を初めて見て感動したという河さんも「美術品は人類の宝。レリーフを通し、今まで以上に日韓両国の友好を重ねたい」と語った。

(中村清雅)

【読売筑後】160730*青木繫旧居にレリーフ

青木繫旧居にレリーフ

久留米「海の幸」韓国男性が寄贈

(読売新聞筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF


久留米市出身の洋画家・青木繁(1882〜1911年)の代表作で、国重要文化財「海の幸」のレリーフが同市荘島町の青木繁旧居に設置され、29日、除幕式が行われた。「海の幸」に感銘を受けた韓国・光州市立美術館名誉館長の河正雄(ハジョンウン)さん(76)(埼玉県川口市)が制作、寄贈した。旧居保存会は「青木が結んだ交流を大切にしたい」と話している。

レリーフはブロンズ製で、縦72センチ、横180センチ、厚さ4センチ、重さ75キロ。計5枚制作されたうちの1枚で、これまでに韓国の美術館や「海の幸」が描かれた千葉県館山市の小谷家住宅などに寄贈された。

河さんは在日韓国人で、画家を志望していたが、家庭の事情で断念。電器店経営の事業に成功し、絵画作品を収集している。「海の幸」を見て「汗と海のにおいが充満し、労働の喜びが表現されている」と感動したという。

昨年、戦後70年関連行事で館山市を訪れた河さんは、日韓国交正常化50周年の美術交流として両国にレリーフを設置することを提案、製作費などの支援を申し出た。

除幕式には河さんのほか、レリーフの受け入れ窓口になったNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)の愛沢伸雄代表や、久留米市の楢原利則市長が参加。河さんは「韓国と近い九州に設置で来てうれしい。美術の交流を通じて日韓の新しい時代を迎えたい」と喜んだ。

旧居は青木繁が上京する17歳までを過ごした家屋で、市民有志の保存運動が実を結び、2003年から公開されている。保存会の荒木康博会長は「多くの方の支援ですてきなレリーフを飾ることができた。韓国との末永い文化の架け橋となることを期待したい」と話していた。

【西日本】160730*「海の幸」レリーフ、久留米の青木繁旧居に設置

「海の幸」レリーフに

久留米の青木繫旧居に設置、日韓交流の架け橋へ

(西日本新聞・筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF


久留米市出身の洋画家青木繁の代表作「海の幸」を描いたレリーフが、同市荘島町の青木繁旧居に設置され29日、除幕式があった。寄進した韓国の秀林文化財団の理事長、河正雄(ハジョンウン)さん(76)=埼玉県川口市=は「両国の交流の架け橋となってほしい」と期待を寄せている。

在日2世の河さんは、画家に憧れた経験から不動産賃貸業で成功後、美術館へ絵画寄贈を続けている。昨年、戦後70年と日韓国交正常化50年を迎えたことから、レリーフ化を企画。旧居の他に「海の幸」が描かれた千葉県館山市の小谷家住宅や韓国の美術館計5カ所に寄贈した。

レリーフはブロンズ製で幅約1メートル80センチ、高さ72センチの原寸大。御影石製の台座に乗せ敷地内の庭に置いた。河さんは「働く姿の美しさなどが表現された『海の幸』に感動した。レリーフを通じ、両国の絆が強くなることを願っている」と話した。

(森田明理)