旧海軍落下傘部隊慰霊祭
館山航空隊 市民参加の語り継ぐ会も
(読売新聞2017.5.28付)‥⇒印刷用PDF
館山市にあった旧館山海軍航空隊で発祥した海軍落下傘部隊の慰霊祭と語り継ぐ会が27日、同市で開かれた。
慰霊祭は同市大神宮の安房神社にある慰霊碑前で毎年開かれており、今年は遺族ら約20人が参列した。午後から一般市民も参加して開かれた語り継ぐ会では、遺族3人が父親のことなどを語った。
石川県白山市から参加した男性(76)は、小隊長として出陣した父・信明さんが、ティモール島クパン(現インドネシア)へ降下後、負傷した部下に声をかけている時に狙撃兵に撃たれ、亡くなったことを報告した。「父親のことを知りたくていろいろ調べた。戦友の話や記録で最後の様子がわかった。館山に来て話せてよかった」と語った。
館山市観光協会新役員決まる
新会長に館石氏を選任
(房日新聞2017.5.24付)‥⇒印刷用PDF
館山市観光協会の29年度総会が22日、館山市内のホテルであった。任期(2年)満了に伴う役員の改選があり、新会長には副会長の館山シーサイドホテルの館石正文氏(67)=同市東長田=が選任された。
選任後、会員を前に館石氏は「会員の皆さんのより一層の支援をいただき、館山の観光を一歩でも進めたい」とあいさつ。
新会長として「館山のオリジナリティーを前面に出して、観光客を呼び込みたい」と抱負を述べた。
会長を退任した小金晴男氏(70)=同市塩見=は3期6年にわたり館山の観光をけん引。震災の影響で落ち込んだ観光客入り込みの回復に手腕を振った。「震災からの回復に向けて市や県、地域の皆さんと一緒に取り組むことができ、とてもやりがいのある仕事をさせてもらった」と振り返った。
総会では、昨年度の事業報告や決算、29年度の事業計画案、予算案を原案どおり承認。29年度の基本方針には、インバウンド観光、若者の知名度の低さなどの課題に対応するため▽広報プロモーション活動▽館山ファンクラブ推進—など11の事業内容に取り組むことを掲げた。
また、総会終了後の懇親会では、館山いちご狩りセンターの相川照夫代表に感謝状が贈られた。
主な新役員は次のとおり。
▽副会長=浅沼孝司(ドッグホテルわん楽)、上條長永(館山ファミリーパーク)
海老原斉(やまと丸漁業)、角田吉夫(館山商店会連合会)
▽常務理事=矢田泰裕(休暇村館山)、佐藤淳(JR東日本館山駅)、愛沢伸雄(安房文化遺産フォーラム)
▽幹事=大河内博夫(館山信用金庫総務・人事課長)、稲田実知留(サンゴの湯やどかり)
モントレーの33人が来日、アワビがつなぐ市民交流
安房神社参拝で理解深める、広島・長崎も訪問
(房日新聞2017.5.12付)‥⇒印刷用PDF
ほぼ同緯度で太平洋を挟んで交流が続く、米国カリフォルニア州モントレー湾の訪問団が8日、房州入りし、地元住民らと交流した。一行はカブリオ大学名誉教授、サンディ・ライドン氏率いる33人。京都や広島なども訪問し、日本への理解を深める。
1897年(明治30)に白浜地区の小谷源之助と弟、仲次郎が渡米し、モントレーでアワビ事業を始めた。仲次郎は帰国後も海士(あま)を現地に送り続けた。日米戦争でその交流が途絶えるが、1995年にモントレー地区の日系人の歴史を研究していたライドン氏が南房総を初めて訪問。以降、市民レベルでの交流が続いている。
今回の訪日団のテーマは「第二次世界大戦」「幕末の日本」「平家物語」。日本の文化と歴史に触れ、理解を深めようという。
房州入りした一行は、旧官幣大社である館山市の安房神社を訪問。ちょうずを使って拝殿に参拝、神道文化に触れた。この後、小谷家ゆかりの南房総市白浜町根本地区、千倉地区なども歴訪。本土の戦跡である館山市の赤山地下壕も見学した。10日夜には地元住民とも親睦した。
一行は清水寺、竜安寺などがある京都、東大寺の奈良なども訪問。その後は、広島、山口、福岡、長崎、鹿児島などへも足を延ばし、19日には東京へ戻る予定。
ライドン氏は「館山は、自分にとって特別な場所。日本のことをあまり知らないアメリカ人がたくさんいるので、自然豊かで温かい地域住民がいる館山に来て、本当の日本を感じて欲しい」と話していた。
学校の〝シンボル〟に
「海の幸」島田さんが複製画を寄贈、館山の房南小
房日新聞2017.5.9付‥⇒印刷用PDF
今年開港した館山市の房南小学校(池田俊郎校長)に、明治を代表する画家・青木繁が同市布良で描いた代表作「海の幸」の複製画が寄贈され、児童が出入りする玄関に飾られている。
寄贈したのは、同市犬石にある「アートプロセス」の代表取締役社長を務める島田吉廣さん(66)。
島田さんは、日本に3人しかいないという厚生労働大臣認定「スキャナー一級技能士」の一人。同じく青木の代表作「わだつみのいろこの宮」と「海の幸」の複製画を作成するため、福岡県の石橋美術館(現・久留米市美術館)、東京のブリヂストン美術館で実物を見学。石橋美術館から複製のためのデータを入手し、約4年前に複製画を完成させた。
「わだつみのいろこの宮」は、青木の母校・久留米市立荘島小学校(福岡県)に昨年秋ごろに寄贈されており、「ぜひ房南小にも作品を寄贈したい」と知人を通じて依頼。同校の開校にあわせて寄贈した。
「旧富崎小学校時代は、青木繁のつながりから、荘島小との交流もあった。代表作のある両校が今後も交流を続けてほしい」と思いを語った島田さん」
池田校長は「大変素晴らしいものをいただき感謝している。学校の一つの“シンボル”として大切にし、子どもたちに伝えていきたい」と話していた。
クラウドファンディング
小高記念館
(房日新聞2017.5.3付)‥⇒印刷用PDF
NPO安房文化遺産フォーラムの事務局だった館山市館山の小高記念館が、クラウド・ファンディングによって、古民家風のカフェに生まれ変わった。その名も「TRAYCLE(トレイクル)Market&Coffee」。
昨年12月にオープン、今年3月から10人限定の「TRAYCLE Cinema」も始めた。
クラウド・ファンディングとは、聞きなれない言葉である。不特定多数の人がインターネット経由で、他の人々や組織に財源の提供や協力などを行う事。「群衆」と「資金調達」を組み合わせた造語である。
カフェのオーナー、知識淳悟さん(40)は鹿児島県出身。一昨年まで、話題の豊洲に住み、10年以上、都心のIT企業に勤めた。パソコンとにらめっこする毎日だった。店を切り盛りする妻の絵理子さん(40)とは職場結婚である。その後、船橋に移り、地下鉄東西線の満員電車も経験した。
絵理子さんの祖父が、館山名誉市民である故・小高熹郎さんだ。大正初期に建てられた古川銀行鴨川支店を昭和初期に現在地に移築した。館山市の文化交流の拠点、小高資料館となるが、1997年、所有者の熹郎さんが亡くなって閉館した。その後、2008年からNPO安房文化遺産フォーラムの事務局となり、2015年11月、国の有形文化財に登録された。
ここから館山港まで100メートルもない。港を望む海辺の街中にポツンと1軒だけ残された、古い港町の風情を感じさせる白い洋館。週末の午後7時からは映画の上映会。興味深いテーマのドキュメンタリー映画が1500円(コーヒーか紅茶、クッキー付き)で楽しめる。予約が必要という。
薄暗がりの中に浮かび上がる店舗は、港町の風情を感じさせてくれる。先の大戦が終わって間もない1945年9月、アメリカの占領軍が初めて館山に上陸した事実は、意外と知られていない。この洋館にたたずむと、敗戦から日本の再生を歩み始めた館山の歴史を垣間見ることができる。
電話は、0470-49-4688。営業時間は、午前11時から午後6時まで。月曜日、火曜日が定休日。安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄理事長は「こうした形で館山の文化遺産が守られ、市民に継承されていくのがうれしい」と話している。
漁師のロープワーク体験
館山 海の幸記念館1周年で
(読売新聞千葉版2017.5.3付)‥⇒印刷用PDF
館山市布良の布良崎神社で2日、ロープワーク「もやい」体験会が開かれた。近くの小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」の開館1周年を記念し、地元漁師が協力した。
漁船を係留するもやい綱の結び方は、引っ張るほどにきつく締まり、ほどきやすい。キャンプや荷造りなど日常で役立つ知恵として刺し網漁師が市民や観光客を指導した。4、6日も午後1時から行う。
同記念館では7日まで特別展を開いている。問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(0470・22・8271)へ。
(房日新聞2017.4.11~12付)‥⇒印刷用PDF
青木繁「海の幸」記念館開館一周年を迎えて(上)
青木繁「海の幸」記念館館長 小谷 福哲
昨年4月、館山市布良の小谷家住宅が青木繁「海の幸」記念館となり、当主の私が館長に就任いたしました。「少子高齢化の進む漁村の活性化のためなら、古い我が家を後世にのこし、どうぞお役立てください」と、父・小谷栄が決断してから11年目のことでした。
この間、富崎地区コミュニティ委員会を中心に設立された青木繁「海の幸」誕生の家と記念碑を保存する会(嶋田博信会長)、事務局を担ってきたNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)をはじめ、全国の画家の皆様のNPO法人青木繁「海の幸」会(大村智理事長)、そして館山市・同教育委員会等の関係者が力を合わせて修復基金を募り、記念館の開館に至りました。
とはいっても公営施設ではないため、公開日は毎週土・日曜のみとなっており、事前予約があれば平日も開館しています。運営は、保存する会の皆さんがボランティアで受付や掃除などの業務に当たって下さっています。
これまでに、市内からは館山総合高校の「観光の学び」として1年生150名、神戸小学校の「3つの〝あ〟のふるさと学習」で4年生19名、千葉女子高校1年生320名、昭和女子大学100名など市内外の学校や諸団体、また遠くは韓国やドイツなど海外からも来訪されました。こうして、この1年間で3千人を超える来訪者をお迎えすることができました。「雰囲気がとても良い、来て良かった」等の感想をお聞きすることはとても嬉しく、励みになっています。
四季折々に合わせて和紙人形展、江戸人形浄瑠璃を楽しむ会、煎茶道を楽しむ会、ひな祭りなどの企画を催し、多くの方々の協力をいただきました。改めて御礼申し上げます。
ここで、これから訪問される皆様のために、当館について紹介させていただきます。
文化財建物
2年かけて半解体の修復工事により、瓦の葺き替え、なまこ壁の復元など、業者の皆様にご苦労いただき、かつての姿を蘇らせることができました。
小谷家住宅は、安房地域の漁村を代表する分棟型民家として、館山市の有形文化財に指定されています。分棟型とは、主屋と釜屋(土間)の2棟からなる南方系文化を伝える住居形式です。これまでは黒潮の流れに沿って分布しているという定説でしたが、館山市文化財審議委員の日塔和彦先生により、オセアニア(ポリネシア)から布良へカヌーで直接伝達したという可能性が示唆されました。
現在の小谷家住宅は、釜場は壊され主屋しか残っていませんが、青木繁が来訪時に描いたと思われる周辺略図では当家を2棟に図示していることは、昨年4月の房日新聞寄稿で愛沢伸雄氏が紹介したとおりで、館内にも展示紹介しています。
ブロンズ「刻画・海の幸」
主屋の右手にあるブロンズレリーフは、彫刻家の船田正廣氏が3年がかりで完成させた石膏の塑像をもとに製作された、同寸大の「刻画・海の幸」です。
戦後70年と日韓国交正常化50周年を記念し、秀林文化財団理事長の河正雄(ハ・ジョンウン)氏の資金提供により、館山の小谷家、九州久留米の青木繁旧居、韓国の3美術館(ソウル・光州市・霊岩郡)に設置されました。
船田先生は「皆さん、ブロンズをなでてください」と言います。人の手で触ることで磨かれ、ブロンズがさらに輝いていくのだそうです。
記念植樹
ブロンズの右隣りには、ノーベル賞を受賞された大村智先生による記念植樹があります。もともと当家にもあるクロガネモチという大木と同種の苗木で、縁起の良い木といわれています。偶然にも青木繁の故郷・久留米市の木で、青木繁旧居の庭にも植えられています。大村先生が書かれた「美は人を養う」という色紙をもとに、俵石材店さんが揮毫の石座を作って寄贈してくださいました。
青木繁「海の幸」記念館開館一周年を迎えて(下)
青木繁「海の幸」記念館館長 小谷 福哲
つづいて、館内の造作や展示について紹介いたします。玄関を入った左手が受付です。
青木繁ら4人が滞在したといわれる奥二間には「海の幸」と「わだつみのいろこの宮」を、北側の納戸には「海」「海景」の複製画を常設しています。これらは、高度なスキャナー技術資格を有する島田吉廣氏が、原画を綿密に観察して、できるだけ忠実な色彩で同寸大に複製印刷したものです。どうぞお楽しみください。
絵手紙と日本初カラー魚類図
青木繁は滞在中、友人の梅野満雄に4枚の絵手紙を出状しました。この地の素晴らしい景観や歴史とともに、40種もの魚貝名を列挙して豊かな海を讃えており、「海の幸」と思われる大作を制作中だと書いています。
奥二間に掲示された3枚の魚類図は、水産伝習所(東京海洋大学の前身)の初代所長・関澤明清から漁業実習指導のお礼として明治23年9月に小谷喜録へ贈られた「日本重要水産動植物之図」だと判明しました。これは農商務省水産局が制作した日本初のカラー魚類図で、パリ万博に出品されたものです。
青木繁もこの魚類図を見て興味を持ち、多くの魚貝名を絵手紙に書いたのではないかと思うとワクワクしてきます。
神田吉右衛門日記と内村鑑三
有名なキリスト教思想家の内村鑑三が、水産伝習所の教師として漁業実習で布良を訪れ、神田吉右衛門との出会いが人生の転機になったと自著に記していることは、すでに水産学者の平本紀久雄氏より報告されていました。神田は、全国のモデル的な村政に取り組んだ富崎村長です。
さらに神田吉右衛門日記(館山市立博物館蔵)を読み解いたところ、内村鑑三に関して10回の記載が見つかりました。それによると、伝習所の引率で布良の旅館「柏屋」に滞在したことや、沖で遭難したアメリカ船の船員との通訳を依頼したこと、相浜で地引網の実習をしたことなどが明らかになってきました。
韓国王族の書
小谷家から見つかった書画の中に、「韓国 李?鎔(イ・ジュンヨン)」と署名されたものがあります。大韓帝国皇帝・高宗の甥であり、様々な政変に関わって日本に亡命し、館山に閑居した時期がありました。明治35年11月6日付の東京朝日新聞には、李?鎔を暗殺しようとした刺客が房州北条町で捕まったと報道されています。
詳細は不明ですが、韓国の研究者からは大変貴重なものと伺っています。是非ご覧いただきたいと思います。
一周年記念行事
一周年を迎えるゴールデンウイークには、4月29日から5月7日まで、青木繁「海の幸」記念館を毎日開館いたします。
また期間中は「富崎まちかどミニ博物館めぐり」というイベントを企画し、布良崎神社や安房自然村をはじめ富崎地区内で、様々な展示や行事をおこないます。多くの皆様のご来訪をお待ちしています。
これからの展望
今月から4か月間、パリでブリヂストン美術館展が開催され、初めて「海の幸」が海外で紹介されると注目されています。東京八重洲口の同館は現在建て直し中で、2年後にリニューアルオープンするそうです。これまで九州の石橋美術館にあった青木繁の作品はすべて東京に移され、東京オリンピックの集客を目ざした企画と思われます。
これに伴い、青木繁「海の幸」記念館のある館山観光は大きなチャンスを迎えるといえるでしょう。そのためにも、週末のみではなく平日も開館できるよう、多くの皆さんに「友の会」として運営を支えていただく制度を設けています(年会費2千円・特典あり)。観光振興の一助として、是非お力を貸していただけたら幸いです。
館山・赤山地下壕、2年連続で3万人超え
観光資源に定着か、入壕者過去最多更新
(房日新聞2017.4.14付)‥⇒印刷用PDF
館山市の戦争遺跡「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」の平成28年度1年間の入壕者数は3万1550人(前年比32人増)で、過去最多を更新して2年連続で3万人を超えた。前年度の戦後70年で注目され、平和学習、観光のスポットとし定着したとみられる。
総延長約1・6キロもある全国的にも大規模な防空壕で、館山を代表する戦跡のひとつ。
入壕者数はこれまでは年間1万5000人前後で推移していたが、26年度は2万4028人、27、28年度は3万人超と一気に入壕者数が増えている。
27年の戦後70年で数多くのテレビや新聞で紹介されて注目を集めたことが大きな要因だが、節目の年が過ぎ「28年度は減少するのでは」と見ていた市の担当者も変わらぬ人気ぶりに驚く。
昨年度の入壕状況をみると、個人が2万3552人で全体の約75%。前年度は戦後70年の団体客が多く、反動で団体客は減ったが、個人での利用が伸びており、「平和学習の拠点だけでなく、観光資源としても定着してきた」と分析する。
月別では、例年と同じく戦争への関心が高まる8月が最多だが、春、冬の来場も増えており、「知名度があがり、花摘みなど春観光の際に訪れる人も増えてきているのでは」と話している。
古風なひなで旧家華やぐ
小谷家で発見の人形展示
(房日新聞2017.2.28付)…⇒印刷用PDF
館山市布良の小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」で、3日からの3日間、同住宅からみつかった古いひな人形が展示される。つるしびなも一緒に展示されており、華やいだ雰囲気となっている。
青木繁が「海の幸」を描いた小谷家は、江戸時代から続く網元の名家。展示されるひな人形は、3年前に同住宅の納戸の奥から発見された人形。
4対のひな人形は古風な人形で時代を感じさせるが、いずれも保存状態が良く、正確な年代は不明だが、明治から昭和初期の制作とみられる。
一緒に見つかった江戸期の制作と推測される高砂人形、館山市や君津、木更津市の愛好者が制作したつるしびなも展示される。
現当主で館長でもある小谷福哲さんは「旧家の中で、ひな祭りの雰囲気を感じてもらいたい」と来場を呼び掛けている。
入館料は一般200円、小中高100円。開館は土、日曜日だが、金曜日の3日は特別開館する。甘酒のサービスもあるという。
海の幸と日露戦争の時代
安房歴史文化研究会3月25日に公開講座
(房日新聞2017.3.15付)…⇒印刷用PDF
安房歴史文化研究会の今年度第6回(通算46回)の公開講座が、25日午後2時から、館山市コミュニティセンター2階集団指導室で開かれる。NPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表が「青木繁『海の幸』誕生と日露戦争の時代」のテーマで語る。資料代として200円。
日本を代表する洋画『海の幸』は、1904年(明治37)夏、小谷家に滞在した青木繁によって描かれた。早世の画家は河北倫明氏をはじめ、数多くの研究者によって世に出され、海の幸は国重要文化財となった。
この小谷家住宅の修復が、関係者や全国からの支援で進められ、青木繁「海の幸」記念館として開館。その経緯の中で、小谷家からは明治期の水産業などの人々の動きを知ることのできる貴重な資料が発見された。
愛沢代表は、発見された資料から、青木繁が訪れた布良の地や小谷家に関わる人々の姿、特に海軍望楼という軍事施設や帝国水難救助会布良救難所が設置され、軍事演習の地であった景勝地・布良の姿、日露戦争の真っただ中での漁民たちと若き画家たちとの交流や、布良沖のウラジオストク艦隊の動きによる危機的状況などに触れるという。なぜ40余日も小谷家に逗留(とうりゅう)し、絵画制作ができたのか。海の幸誕生を地域史の視点から考察するという。
問い合わせは、事務局の石崎和夫さん(0470-23-6677)へ