学校の〝シンボル〟に
「海の幸」島田さんが複製画を寄贈、館山の房南小
房日新聞2017.5.9付‥⇒印刷用PDF
今年開港した館山市の房南小学校(池田俊郎校長)に、明治を代表する画家・青木繁が同市布良で描いた代表作「海の幸」の複製画が寄贈され、児童が出入りする玄関に飾られている。
寄贈したのは、同市犬石にある「アートプロセス」の代表取締役社長を務める島田吉廣さん(66)。
島田さんは、日本に3人しかいないという厚生労働大臣認定「スキャナー一級技能士」の一人。同じく青木の代表作「わだつみのいろこの宮」と「海の幸」の複製画を作成するため、福岡県の石橋美術館(現・久留米市美術館)、東京のブリヂストン美術館で実物を見学。石橋美術館から複製のためのデータを入手し、約4年前に複製画を完成させた。
「わだつみのいろこの宮」は、青木の母校・久留米市立荘島小学校(福岡県)に昨年秋ごろに寄贈されており、「ぜひ房南小にも作品を寄贈したい」と知人を通じて依頼。同校の開校にあわせて寄贈した。
「旧富崎小学校時代は、青木繁のつながりから、荘島小との交流もあった。代表作のある両校が今後も交流を続けてほしい」と思いを語った島田さん」
池田校長は「大変素晴らしいものをいただき感謝している。学校の一つの“シンボル”として大切にし、子どもたちに伝えていきたい」と話していた。
クラウドファンディング
小高記念館
(房日新聞2017.5.3付)‥⇒印刷用PDF
NPO安房文化遺産フォーラムの事務局だった館山市館山の小高記念館が、クラウド・ファンディングによって、古民家風のカフェに生まれ変わった。その名も「TRAYCLE(トレイクル)Market&Coffee」。
昨年12月にオープン、今年3月から10人限定の「TRAYCLE Cinema」も始めた。
クラウド・ファンディングとは、聞きなれない言葉である。不特定多数の人がインターネット経由で、他の人々や組織に財源の提供や協力などを行う事。「群衆」と「資金調達」を組み合わせた造語である。
カフェのオーナー、知識淳悟さん(40)は鹿児島県出身。一昨年まで、話題の豊洲に住み、10年以上、都心のIT企業に勤めた。パソコンとにらめっこする毎日だった。店を切り盛りする妻の絵理子さん(40)とは職場結婚である。その後、船橋に移り、地下鉄東西線の満員電車も経験した。
絵理子さんの祖父が、館山名誉市民である故・小高熹郎さんだ。大正初期に建てられた古川銀行鴨川支店を昭和初期に現在地に移築した。館山市の文化交流の拠点、小高資料館となるが、1997年、所有者の熹郎さんが亡くなって閉館した。その後、2008年からNPO安房文化遺産フォーラムの事務局となり、2015年11月、国の有形文化財に登録された。
ここから館山港まで100メートルもない。港を望む海辺の街中にポツンと1軒だけ残された、古い港町の風情を感じさせる白い洋館。週末の午後7時からは映画の上映会。興味深いテーマのドキュメンタリー映画が1500円(コーヒーか紅茶、クッキー付き)で楽しめる。予約が必要という。
薄暗がりの中に浮かび上がる店舗は、港町の風情を感じさせてくれる。先の大戦が終わって間もない1945年9月、アメリカの占領軍が初めて館山に上陸した事実は、意外と知られていない。この洋館にたたずむと、敗戦から日本の再生を歩み始めた館山の歴史を垣間見ることができる。
電話は、0470-49-4688。営業時間は、午前11時から午後6時まで。月曜日、火曜日が定休日。安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄理事長は「こうした形で館山の文化遺産が守られ、市民に継承されていくのがうれしい」と話している。
漁師のロープワーク体験
館山 海の幸記念館1周年で
(読売新聞千葉版2017.5.3付)‥⇒印刷用PDF
館山市布良の布良崎神社で2日、ロープワーク「もやい」体験会が開かれた。近くの小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」の開館1周年を記念し、地元漁師が協力した。
漁船を係留するもやい綱の結び方は、引っ張るほどにきつく締まり、ほどきやすい。キャンプや荷造りなど日常で役立つ知恵として刺し網漁師が市民や観光客を指導した。4、6日も午後1時から行う。
同記念館では7日まで特別展を開いている。問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(0470・22・8271)へ。
(房日新聞2017.4.11~12付)‥⇒印刷用PDF
青木繁「海の幸」記念館開館一周年を迎えて(上)
青木繁「海の幸」記念館館長 小谷 福哲
昨年4月、館山市布良の小谷家住宅が青木繁「海の幸」記念館となり、当主の私が館長に就任いたしました。「少子高齢化の進む漁村の活性化のためなら、古い我が家を後世にのこし、どうぞお役立てください」と、父・小谷栄が決断してから11年目のことでした。
この間、富崎地区コミュニティ委員会を中心に設立された青木繁「海の幸」誕生の家と記念碑を保存する会(嶋田博信会長)、事務局を担ってきたNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)をはじめ、全国の画家の皆様のNPO法人青木繁「海の幸」会(大村智理事長)、そして館山市・同教育委員会等の関係者が力を合わせて修復基金を募り、記念館の開館に至りました。
とはいっても公営施設ではないため、公開日は毎週土・日曜のみとなっており、事前予約があれば平日も開館しています。運営は、保存する会の皆さんがボランティアで受付や掃除などの業務に当たって下さっています。
これまでに、市内からは館山総合高校の「観光の学び」として1年生150名、神戸小学校の「3つの〝あ〟のふるさと学習」で4年生19名、千葉女子高校1年生320名、昭和女子大学100名など市内外の学校や諸団体、また遠くは韓国やドイツなど海外からも来訪されました。こうして、この1年間で3千人を超える来訪者をお迎えすることができました。「雰囲気がとても良い、来て良かった」等の感想をお聞きすることはとても嬉しく、励みになっています。
四季折々に合わせて和紙人形展、江戸人形浄瑠璃を楽しむ会、煎茶道を楽しむ会、ひな祭りなどの企画を催し、多くの方々の協力をいただきました。改めて御礼申し上げます。
ここで、これから訪問される皆様のために、当館について紹介させていただきます。
文化財建物
2年かけて半解体の修復工事により、瓦の葺き替え、なまこ壁の復元など、業者の皆様にご苦労いただき、かつての姿を蘇らせることができました。
小谷家住宅は、安房地域の漁村を代表する分棟型民家として、館山市の有形文化財に指定されています。分棟型とは、主屋と釜屋(土間)の2棟からなる南方系文化を伝える住居形式です。これまでは黒潮の流れに沿って分布しているという定説でしたが、館山市文化財審議委員の日塔和彦先生により、オセアニア(ポリネシア)から布良へカヌーで直接伝達したという可能性が示唆されました。
現在の小谷家住宅は、釜場は壊され主屋しか残っていませんが、青木繁が来訪時に描いたと思われる周辺略図では当家を2棟に図示していることは、昨年4月の房日新聞寄稿で愛沢伸雄氏が紹介したとおりで、館内にも展示紹介しています。
ブロンズ「刻画・海の幸」
主屋の右手にあるブロンズレリーフは、彫刻家の船田正廣氏が3年がかりで完成させた石膏の塑像をもとに製作された、同寸大の「刻画・海の幸」です。
戦後70年と日韓国交正常化50周年を記念し、秀林文化財団理事長の河正雄(ハ・ジョンウン)氏の資金提供により、館山の小谷家、九州久留米の青木繁旧居、韓国の3美術館(ソウル・光州市・霊岩郡)に設置されました。
船田先生は「皆さん、ブロンズをなでてください」と言います。人の手で触ることで磨かれ、ブロンズがさらに輝いていくのだそうです。
記念植樹
ブロンズの右隣りには、ノーベル賞を受賞された大村智先生による記念植樹があります。もともと当家にもあるクロガネモチという大木と同種の苗木で、縁起の良い木といわれています。偶然にも青木繁の故郷・久留米市の木で、青木繁旧居の庭にも植えられています。大村先生が書かれた「美は人を養う」という色紙をもとに、俵石材店さんが揮毫の石座を作って寄贈してくださいました。
青木繁「海の幸」記念館開館一周年を迎えて(下)
青木繁「海の幸」記念館館長 小谷 福哲
つづいて、館内の造作や展示について紹介いたします。玄関を入った左手が受付です。
青木繁ら4人が滞在したといわれる奥二間には「海の幸」と「わだつみのいろこの宮」を、北側の納戸には「海」「海景」の複製画を常設しています。これらは、高度なスキャナー技術資格を有する島田吉廣氏が、原画を綿密に観察して、できるだけ忠実な色彩で同寸大に複製印刷したものです。どうぞお楽しみください。
絵手紙と日本初カラー魚類図
青木繁は滞在中、友人の梅野満雄に4枚の絵手紙を出状しました。この地の素晴らしい景観や歴史とともに、40種もの魚貝名を列挙して豊かな海を讃えており、「海の幸」と思われる大作を制作中だと書いています。
奥二間に掲示された3枚の魚類図は、水産伝習所(東京海洋大学の前身)の初代所長・関澤明清から漁業実習指導のお礼として明治23年9月に小谷喜録へ贈られた「日本重要水産動植物之図」だと判明しました。これは農商務省水産局が制作した日本初のカラー魚類図で、パリ万博に出品されたものです。
青木繁もこの魚類図を見て興味を持ち、多くの魚貝名を絵手紙に書いたのではないかと思うとワクワクしてきます。
神田吉右衛門日記と内村鑑三
有名なキリスト教思想家の内村鑑三が、水産伝習所の教師として漁業実習で布良を訪れ、神田吉右衛門との出会いが人生の転機になったと自著に記していることは、すでに水産学者の平本紀久雄氏より報告されていました。神田は、全国のモデル的な村政に取り組んだ富崎村長です。
さらに神田吉右衛門日記(館山市立博物館蔵)を読み解いたところ、内村鑑三に関して10回の記載が見つかりました。それによると、伝習所の引率で布良の旅館「柏屋」に滞在したことや、沖で遭難したアメリカ船の船員との通訳を依頼したこと、相浜で地引網の実習をしたことなどが明らかになってきました。
韓国王族の書
小谷家から見つかった書画の中に、「韓国 李?鎔(イ・ジュンヨン)」と署名されたものがあります。大韓帝国皇帝・高宗の甥であり、様々な政変に関わって日本に亡命し、館山に閑居した時期がありました。明治35年11月6日付の東京朝日新聞には、李?鎔を暗殺しようとした刺客が房州北条町で捕まったと報道されています。
詳細は不明ですが、韓国の研究者からは大変貴重なものと伺っています。是非ご覧いただきたいと思います。
一周年記念行事
一周年を迎えるゴールデンウイークには、4月29日から5月7日まで、青木繁「海の幸」記念館を毎日開館いたします。
また期間中は「富崎まちかどミニ博物館めぐり」というイベントを企画し、布良崎神社や安房自然村をはじめ富崎地区内で、様々な展示や行事をおこないます。多くの皆様のご来訪をお待ちしています。
これからの展望
今月から4か月間、パリでブリヂストン美術館展が開催され、初めて「海の幸」が海外で紹介されると注目されています。東京八重洲口の同館は現在建て直し中で、2年後にリニューアルオープンするそうです。これまで九州の石橋美術館にあった青木繁の作品はすべて東京に移され、東京オリンピックの集客を目ざした企画と思われます。
これに伴い、青木繁「海の幸」記念館のある館山観光は大きなチャンスを迎えるといえるでしょう。そのためにも、週末のみではなく平日も開館できるよう、多くの皆さんに「友の会」として運営を支えていただく制度を設けています(年会費2千円・特典あり)。観光振興の一助として、是非お力を貸していただけたら幸いです。
館山・赤山地下壕、2年連続で3万人超え
観光資源に定着か、入壕者過去最多更新
(房日新聞2017.4.14付)‥⇒印刷用PDF
館山市の戦争遺跡「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」の平成28年度1年間の入壕者数は3万1550人(前年比32人増)で、過去最多を更新して2年連続で3万人を超えた。前年度の戦後70年で注目され、平和学習、観光のスポットとし定着したとみられる。
総延長約1・6キロもある全国的にも大規模な防空壕で、館山を代表する戦跡のひとつ。
入壕者数はこれまでは年間1万5000人前後で推移していたが、26年度は2万4028人、27、28年度は3万人超と一気に入壕者数が増えている。
27年の戦後70年で数多くのテレビや新聞で紹介されて注目を集めたことが大きな要因だが、節目の年が過ぎ「28年度は減少するのでは」と見ていた市の担当者も変わらぬ人気ぶりに驚く。
昨年度の入壕状況をみると、個人が2万3552人で全体の約75%。前年度は戦後70年の団体客が多く、反動で団体客は減ったが、個人での利用が伸びており、「平和学習の拠点だけでなく、観光資源としても定着してきた」と分析する。
月別では、例年と同じく戦争への関心が高まる8月が最多だが、春、冬の来場も増えており、「知名度があがり、花摘みなど春観光の際に訪れる人も増えてきているのでは」と話している。
古風なひなで旧家華やぐ
小谷家で発見の人形展示
(房日新聞2017.2.28付)…⇒印刷用PDF
館山市布良の小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」で、3日からの3日間、同住宅からみつかった古いひな人形が展示される。つるしびなも一緒に展示されており、華やいだ雰囲気となっている。
青木繁が「海の幸」を描いた小谷家は、江戸時代から続く網元の名家。展示されるひな人形は、3年前に同住宅の納戸の奥から発見された人形。
4対のひな人形は古風な人形で時代を感じさせるが、いずれも保存状態が良く、正確な年代は不明だが、明治から昭和初期の制作とみられる。
一緒に見つかった江戸期の制作と推測される高砂人形、館山市や君津、木更津市の愛好者が制作したつるしびなも展示される。
現当主で館長でもある小谷福哲さんは「旧家の中で、ひな祭りの雰囲気を感じてもらいたい」と来場を呼び掛けている。
入館料は一般200円、小中高100円。開館は土、日曜日だが、金曜日の3日は特別開館する。甘酒のサービスもあるという。
海の幸と日露戦争の時代
安房歴史文化研究会3月25日に公開講座
(房日新聞2017.3.15付)…⇒印刷用PDF
安房歴史文化研究会の今年度第6回(通算46回)の公開講座が、25日午後2時から、館山市コミュニティセンター2階集団指導室で開かれる。NPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表が「青木繁『海の幸』誕生と日露戦争の時代」のテーマで語る。資料代として200円。
日本を代表する洋画『海の幸』は、1904年(明治37)夏、小谷家に滞在した青木繁によって描かれた。早世の画家は河北倫明氏をはじめ、数多くの研究者によって世に出され、海の幸は国重要文化財となった。
この小谷家住宅の修復が、関係者や全国からの支援で進められ、青木繁「海の幸」記念館として開館。その経緯の中で、小谷家からは明治期の水産業などの人々の動きを知ることのできる貴重な資料が発見された。
愛沢代表は、発見された資料から、青木繁が訪れた布良の地や小谷家に関わる人々の姿、特に海軍望楼という軍事施設や帝国水難救助会布良救難所が設置され、軍事演習の地であった景勝地・布良の姿、日露戦争の真っただ中での漁民たちと若き画家たちとの交流や、布良沖のウラジオストク艦隊の動きによる危機的状況などに触れるという。なぜ40余日も小谷家に逗留(とうりゅう)し、絵画制作ができたのか。海の幸誕生を地域史の視点から考察するという。
問い合わせは、事務局の石崎和夫さん(0470-23-6677)へ
小原家住宅、国の登録文化財に
主屋・離れなど6件
(房日新聞2017.3.11付)‥⇒印刷用PDF
館山市南条にある「小原家住宅」が、国の登録有形文化財となることが決まった。国の文化審議会が10日、答申した。主家や離れ、表門など6件が対象。市内の登録は計14件となる。
登録有形文化財は、地域の身近な文化財を守り、地域の資産として生かすため平成8年に設けられた登録制度。同審議会では今回新たに226件の建造物を登録するよう文科相に答申した。
小原家は江戸時代から続く旧家。安政6年(1859)ごろの建築とされる主屋は、明治期に県議、衆議院議員を務めた当時の当主・小原金治が、明治29年(1897)に改修し、昭和初期に補修した。
寄棟造の主体部に、台所や土間が接続する近世から近代への増改築の変遷をよくとどめたつくりが特徴で、透かし彫りの手の込んだ欄間彫刻、初代後藤義光の仏壇彫刻なども目を見張る。
良質な建築の離れ、家紋入りの屋根瓦で風格のある表門、米蔵、文庫蔵、旧長屋門など計6件が登録される。
現在は金治の孫の小原多喜さん(96)と娘夫婦の村上吉夫さん(76)、信子さん(72)が居住している。
登録決定に村上夫妻は「江戸時代から受け継がれてきた歴史ある建物が文化財として認められ、登録が決まりうれしい。今後はイベントして公開するなどして日本建築の良さを多くの人に知ってもらいたい」。小原さんも「ありがたいこと」と喜んでいた。
現在の館山市内の国登録有形文化財は、鈴木家住宅の主屋など、紅屋商店店舗など、巴橋、洲埼灯台、小高記念館の計8件。
【写真説明】小原家住宅の主屋=館山市南条で
創業者生誕の地に椿30本(館山竜岡の松岡地区)
資生堂幹部も参加し40人で植樹
(房日新聞2017.3.4付)…⇒印刷用PDF
資生堂創業者、福原有信氏生誕の地、館山市竜岡の竜岡松岡八幡神社奥の里山に椿(ツバキ)を植える活動がこのほどあり、雑木、竹などを伐採した山の斜面に、40人が30本の苗木を植樹した。
この日は株式会社資生堂から企業文化部の田中俊宏部長、株式会社福原コーポレーション事業部の半田誠一部長が参加。田中氏は「地域の皆さまと共に創業者、福原有信に思いをはせ、とてもぜいたくな時間をすごすことができた」。半田氏は「創業者の育った自然の中で、愛沢伸雄氏の説明を受けながらのウオーキングなどで過ごせたことは、貴重な経験だった。また有信の研究が進んでいることに感謝したい」などと感想を語った。
参加者からは「あの資生堂の創業者が館山出身なのをとても誇りに思う」の声も。
主催者の地元有志「松岡椿の森を造る回」「福原有信を語り継ぐ会」の吉田茂徳会長は「林野庁の交付金をいただいてここまで整備ができた。これからも椿を植えて、松岡の里山を椿の花でいっぱいにしていきたい。ぜひ応援して」とコメント。
描きたくなる房総の風景
青木繁の「海の幸」を生んだ布良の海
‥⇒印刷用PDF
青い海に囲まれた房総は、名画のふるさとでもあります。浮世絵の時代から美に敏感な巨匠たちに愛された半島は、特に明治から昭和にかけては人気の写生地として、たくさんの作品に描かれました。のどかな春の日差しの中、画家たちの足跡をたどって、房総風景の魅力に酔いしれませんか?
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初めて国の重要文化財に指定された洋画
サメをかついで砂浜を帰っていく裸の漁師たち。誰もが美術の教科書などで一度は目にしたことがある「海の幸」は、1967年に油絵として初めて国の重要文化財に指定されました。所有者の石橋財団が新しいブリヂストン美術館の開館準備に入ったため、今は「海の幸」も各地を巡回中。オリンピック開催の頃には、千葉からもアクセスの良い東京駅近くで、青木繁作品をまとめて鑑賞できる予定です。
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青木繁がひと夏を過ごした小谷家が記念館に
東京芸術大学の前身である東京美術学校を卒業した青木繁(1882-1911年)は、画家仲間(恋人の福田たねを含む)と写生旅行に出かけます。行き先は同郷の詩人から「ことさらに美しい海岸」と聞いていた布良。この若き画家4人をひと夏、無償で世話したのが網元の小谷家でした。青木は、この家で地元の漁師にもモデルになってもらって「海の幸」を描き上げました。28歳で亡くなった青木の最高傑作は、こうして布良の小谷家で生まれたのです。
全国の画家600人以上が組織を立ち上げて寄付金を集め、長年活動してきた地元有志や館山市と共に、小谷家保存を実現。「青木繁≪海の幸≫記念館」として一般公開して、この春で1周年を迎えます。その活動で画家たちを束ねたのは、絵画愛好家で女子美術大学の名誉理事長でもある科学者の大村智博士(2015年ノーベル賞受賞)。記念植樹の石碑には「美は人を養う」という博士の言葉が刻まれています。
記念館の庭には、安房地域の高校で美術を教えてきた館山美術会顧問の彫刻家、船田正廣氏の塑像によるブロンズレリーフもあります
ウオーキングコース「画家が愛した漁村のみち」の看板をたどって布良の海辺を歩くと、波の形、雲の配置、船の造形など思わず指のフレームで構図をきめたくなる絶景に何度も出合います
INTWRVIEW
小谷福哲(こたにふくあき)館長インタビュー
—これが「海の幸」ですね!実際も同じ大きさですか?
はい。原寸大の複製です。先頭の漁師は、14代目当主の小谷喜録がモデルと言われています。
—地域や美術関係者の期待に応え、小谷家を記念館にされたのですね?
実は、家の一般公開はオヤジ(16代目の小谷栄)の独断でした(笑)。当時はまだ家族が住んでいたので引っ越したり大変でしたが、多方面の協力を得て昨春オープンし、土日のみの公開で12月末までに2600人がいらっしゃいました。開館準備中に押し入れから貴重な品々がごっそり見つかったんですよ(詳細は館内で)。ここは今では郷土資料館も兼ねていますし、時には、浄瑠璃の会場にもなります。
—布良に文化発信基地が誕生したわけですね!まだまだ新たな発見がありそうで楽しみです。館内を丁寧にご案内くださり、ありがとうございました。
Data
館山市布良1256
土日10:00〜16:00(10〜3月は〜15:00、年末年始とお盆は休)、平日は10名以上で要予約
一般200円、小中高100円 徒歩2分の「安房自然村」バス停付近に駐車可
問い合わせ先:NPO安房文化遺産フォーラム TEL 0470-22-8271
3月3〜5日は「ひなまつり」、G.W.は特別イベント開催