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【まちむら№134】1606*「館山まるごと博物館」のまちづくり

「館山まるごと博物館」のまちづくり

よみがえった青木繁「海の幸」誕生の家・小谷家住宅

公益財団法人あしたの日本を創る協会

『まちむら』№134(2016年6月号)‥⇒印刷用PDF



千葉県南房総地域に残る戦国大名里見氏の城跡や、戦争遺跡などの歴史・文化遺産が、時代とともに忘れ去られ、破壊されていく状況にあったところを、多面的に保存・活用活動に取り組み、多くの情報を発信(フォーラムやシンポジウム、遺跡ウォーキング、講演会、講習会等を開催)することによって、地域に自信と誇りを呼び戻し、この地を訪れる人びとにも波及し、新たな交流文化によるコミュニティ・ネットワークを広げようと活躍している。地域資源を活用し、参加と連携に多様な方法と工夫を用い、また、積極的な情報発信と幅広い人材活用・育成を行なっており、また、地域の活性化につながる「新しい公共」活動の実践事例およびNPO活動のモデルとして今後一層の発展が期待される。


文化遺産を活かした「館山まるごと博物館」

前記のコメントは、NPO法人安房文化遺産フォーラムが、平成18年度あしたのまち・くらしづくり活動賞・内閣官房長官賞を受賞した際の、審査講評である。

あれから10年。館山市指定史跡となった館山海軍航空隊赤山地下壕跡は広く知られ、見学者は年間3万人を超えるようになった。戦後70年の節目であった昨年は、証言の会を重ね、米国テキサス軍事博物館から新資料を入手し、調査を深めながら、戦争遺跡保存全国シンポジウム千葉県館山大会を11年ぶりに開催した。

また、市道計画により破壊寸前であった里見氏稲村城跡は、17年にわたる保存運動の末、岡本城跡とともに国指定史跡を実らせた。NPO活動の拠点としてきた小高記念館も、昨年、国登録文化財となった。

足もとの自然や有形無形の文化遺産を「館山まるごと博物館」として捉え、豊かな地域資源に磨きをかけ、市民が主役のまちづくり活動に取り組んでいる。なかでも、日本を代表する明治の画家青木繁が滞在し、重要文化財「海の幸」を描いた小谷家住宅の保存運動は、全国の画家とともに取り組んだ活動事例として注目されている。

房総半島南端の小さな漁村のまちづくり

かつてマグロはえ縄発祥の漁村として栄えていた館山市富崎地区(布良と相浜)は、水産業の衰退に伴って少子高齢過疎化が深刻となっていた。青木繁「海の幸」がここで描かれたことは、市民にもあまり知られていなかったが、ゆかりの文化遺産を活かして地域活性化が図れないかと検討し、当NPOと富崎地区コミュニティ委員会の呼びかけにより、平成16年からまちづくりへの取り組みが始まった。

この経緯において、小谷家当主も地域活性化のために私邸を活用することに賛同したため、文化財専門家に調査を依頼したところ、安房地域の漁村を代表する分棟型民家として高い評価を得た。そこで、当主から館山市教育委員会へ指定文化財申請書を提出するとともに、当NPOが事務局を担って、青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会(以下、青木繁保存会)を発足した。小谷家住宅は館山市指定有形文化財となり、青木繁保存会が管理団体として選任された。

一方、青木繁を敬愛し、画壇の聖地として小谷家住宅を後世に残したいと願う美術家たちも、修復基金を創出する目的でNPO法人青木繁「海の幸」会(以下、「海の幸」会)を設立した。理事長は、女子美術大学名誉理事長であり、後にノーベル医学生理学賞を受賞する大村智先生が就任された。

目的を共有する青木繁保存会、「海の幸」会、館山市教育委員会生涯学習課、小谷家当主は四者協議会として話し合いを重ねた。文化財部分を修復するとともに、古い物置を増改築して当主の居住部とする費用として、総計4,300万円が見積もられ、基金目標額に設定した。


青木繁「海の幸」記念館の開館へ

青木繁の没後100年にあたる平成23年、福岡久留米の石橋美術館・京都国立近代美術館・東京のブリヂストン美術館では、半年にわたる青木繁展が開催された。これを好機として小谷家住宅の修復基金を呼びかけようとしていた矢先に、未曽有の東日本大震災が起こった。全国で震災支援金が募られ、文化財保存の寄付は自粛せざるを得なくなった。

そこで、「海の幸」会では著名な画家によるチャリティ企画が提案され、青木繁「海の幸」オマージュ展が全国巡回で開催された。青木繁保存会も自治体に働きかけて、館山市ふるさと納税の中に、市指定文化財である「小谷家住宅の保存・活用に関する事業」を選定して寄付ができるように制度を整え、積極的に寄付を募った。

同年より、文化庁「地域の文化遺産を活かした地域活性化」事業に4年連続で採択され、地域住民への理解と支援を呼びかけるべく、青木繁「海の幸」フォーラムやまちづくり講座の開催、報告書「ヘリテージまちづくりのあゆみ」の発行などをおこなった。

文化庁の5年目に委託された「NPO等による文化財建造物の管理活用」事業では、造園や垣根作りなどの環境整備、館内の展示設営などを、住民参画型のワークショップ形式で作り上げた。

いよいよ2年間の修復工事を終え、竣工直前に修復基金は充足した。5年に及ぶ文化庁事業をはじめ、様々な取り組みの経費を加算すると、総額約7,000万円近い事業を市民の力で成し遂げたのである。今春、4月29日に念願の青木繁「海の幸」記念館が開館した。


世界に広がるまちづくりネットワーク

開館に先立ち、青木繁保存会の発起人である河正雄氏より、ブロンズ「刻画・海の幸」の5体鋳造と寄贈の申し出があった。河氏は在日韓国人二世の美術メセナであり、作者は館山市在住の彫刻家・船田正廣氏である。戦後70年と日韓国交正常化50周年の節目に、美術友好と平和祈念の証として日韓5ヶ所に設置されることになった。

館山の青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅、福岡久留米の青木繁旧居、そして韓国ソウルの秀林アートセンター、光州市立美術館、霊岩郡立河正雄美術館。平和の文化で結ばれたネットワークは、国境を越え、東アジア共同体のまちづくりに寄与している。


青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅

【インフォメーション】

所在地 〒294-0234千葉県館山市布良1256

開館日 毎週土・日曜

(お盆時期・年末年始を除く)

開館時間 4〜9月10:00〜16:00

10〜3月10:00〜15:00

維持協力金(入館料)

一般200円 小中高100円

友の会 年会費2,000円

【千葉日報】170613*歴史遺産で地域学習(館山で千葉大生)

歴史遺産で地域学習

館山で千葉大生

(千葉日報2017.6.13付)‥⇒印刷用PDF

千葉大学教育学部の竹内裕一ゼミは11日、館山市の館山海軍航空隊赤山地下壕(ごう)跡をはじめとした歴史遺産を現場視察した。学生や大学院生ら25人が参加。文化財の保存に努めるNPO法人安房文化遺産フォーラムの解説を聞き、平和教育や歴史遺産を使ったまちづくりを学んだ。

同法人は地域学習を推進するため、筑波や中央学院、明星などの大学で教育を学ぶ学生に現地見学や解説を行っている。社会科教育を専門とする竹内ゼミは、地域を調査する「巡検」を毎年実施しており、館山市内の歴史遺産を訪れるのは初めてとなる。

学生らは明治期の画家、青木繁が代表作「海の幸」を描いた小谷家住宅を修復工事した「青木繁『海の幸』記念館」や婦人保護長期入所施設「かにた婦人の村」を訪問。同法人の愛沢伸雄代表らから施設概要や歴史などの解説を受け、遺産を通じて地域の文化や生活を知ること、教材として活用できることを体感していった。

参加した千葉大学教育学部4年の宮本一輝さん(22)は「なかなか知れない戦争遺跡の説明を受けられてよかった。小学校の教員を目指しているので、遺跡をどう子供たちに伝えていくか考えていきたい」と話した。

【事業構想】1610*「館山まるごと博物館」のエコミュージアム実践研究

「館山まるごと博物館」のエコミュージアム実践研究

地域資源の再発見と街づくり

「月間事業構想」2016年10月号‥⇒印刷用PDF

 

【房日】170530*旧海軍落下傘部隊を語り継ぐ会

旧海軍落下傘部隊を語り継ぐ会

遺族ら集い当時を振り返る

(房日新聞2017.5.30付)‥⇒印刷用PDF


太平洋戦争開戦前、館山市の館山海軍航空隊に招集された海軍初の落下傘部隊。落下傘による奇襲のため、多くの犠牲者を出し、同市の安房神社には戦友会有志により慰霊碑が、海上自衛隊館山航空基地内には、落下傘部隊発祥の地の碑が建立されている。海軍記念日の27日、戦後、版画家として活躍した元隊員の秋山巌さんの長女、町田珠実さん(兵庫県在住)が、地元の安房文化遺産フォーラムと連携し、市コミュニティセンターで報告会「海軍落下傘を語り継ぐために」を開いた。地域住民ら約20人が、町田さんをはじめ遺族の話に耳を傾けた。会の前には、安房神社で慰霊祭が行われ、戦死した隊員らをしのんだ。

真珠湾攻撃の3か月前の昭和16年9月、館山海軍航空隊に、精鋭1500人が招集され、海軍初の落下傘部隊が誕生。隊員らは上空300㍍から降下する厳しい訓練をこなし、太平洋戦争開戦から間もない17年1月、オランダ領東インドのセレベス島メナド、2月にはティモール島への降下作戦を敢行。犠牲者が多く、生還者はわずか200人だったといわれている。

元隊員の秋山さんは7年前、館山で体験証言会を開いたが、3年前に逝去。長女の珠実さんは「この事実を広く知ってもらいたい」と同フォーラムと連携。「海軍落下傘部隊を語り継ぐ会」として報告会を開いた。

この日は、父親が落下傘部隊に所属していた高崎邦敏さん、畠山彪さんも遺族として参加。それぞれ聞いたこと、父が残した物などをもとに、当時を振り返った。

珠実さんは、落下傘訓練の様子や父から直接聞いた戦争中の体験などを講話。最後に「戦死した父親の手がかりを探す遺族が多い。発祥の地である館山を人知れず訪れたり、基地内の碑に手を合わせに来る人がいたりしてうれしい。こうした事実を次の世代へと語り継いでいきたい」と涙ながらに話していた。

【写真説明】当時の落下傘訓練の様子を語る町田珠実さん=館山コミセンで

【読売】170528*旧海軍落下傘部隊慰霊祭

旧海軍落下傘部隊慰霊祭

館山航空隊 市民参加の語り継ぐ会も

(読売新聞2017.5.28付)‥⇒印刷用PDF


館山市にあった旧館山海軍航空隊で発祥した海軍落下傘部隊の慰霊祭と語り継ぐ会が27日、同市で開かれた。

慰霊祭は同市大神宮の安房神社にある慰霊碑前で毎年開かれており、今年は遺族ら約20人が参列した。午後から一般市民も参加して開かれた語り継ぐ会では、遺族3人が父親のことなどを語った。

石川県白山市から参加した男性(76)は、小隊長として出陣した父・信明さんが、ティモール島クパン(現インドネシア)へ降下後、負傷した部下に声をかけている時に狙撃兵に撃たれ、亡くなったことを報告した。「父親のことを知りたくていろいろ調べた。戦友の話や記録で最後の様子がわかった。館山に来て話せてよかった」と語った。

【房日】170524*館山市観光協会新役員決まる

館山市観光協会新役員決まる

新会長に館石氏を選任

(房日新聞2017.5.24付)‥⇒印刷用PDF


館山市観光協会の29年度総会が22日、館山市内のホテルであった。任期(2年)満了に伴う役員の改選があり、新会長には副会長の館山シーサイドホテルの館石正文氏(67)=同市東長田=が選任された。

選任後、会員を前に館石氏は「会員の皆さんのより一層の支援をいただき、館山の観光を一歩でも進めたい」とあいさつ。

新会長として「館山のオリジナリティーを前面に出して、観光客を呼び込みたい」と抱負を述べた。

会長を退任した小金晴男氏(70)=同市塩見=は3期6年にわたり館山の観光をけん引。震災の影響で落ち込んだ観光客入り込みの回復に手腕を振った。「震災からの回復に向けて市や県、地域の皆さんと一緒に取り組むことができ、とてもやりがいのある仕事をさせてもらった」と振り返った。

総会では、昨年度の事業報告や決算、29年度の事業計画案、予算案を原案どおり承認。29年度の基本方針には、インバウンド観光、若者の知名度の低さなどの課題に対応するため▽広報プロモーション活動▽館山ファンクラブ推進—など11の事業内容に取り組むことを掲げた。

また、総会終了後の懇親会では、館山いちご狩りセンターの相川照夫代表に感謝状が贈られた。

主な新役員は次のとおり。

▽副会長=浅沼孝司(ドッグホテルわん楽)、上條長永(館山ファミリーパーク)

海老原斉(やまと丸漁業)、角田吉夫(館山商店会連合会)

▽常務理事=矢田泰裕(休暇村館山)、佐藤淳(JR東日本館山駅)、愛沢伸雄(安房文化遺産フォーラム)

▽幹事=大河内博夫(館山信用金庫総務・人事課長)、稲田実知留(サンゴの湯やどかり)

【房日】170512*モントレーの33人が来日

モントレーの33人が来日、アワビがつなぐ市民交流

安房神社参拝で理解深める、広島・長崎も訪問

(房日新聞2017.5.12付)‥⇒印刷用PDF


ほぼ同緯度で太平洋を挟んで交流が続く、米国カリフォルニア州モントレー湾の訪問団が8日、房州入りし、地元住民らと交流した。一行はカブリオ大学名誉教授、サンディ・ライドン氏率いる33人。京都や広島なども訪問し、日本への理解を深める。

1897年(明治30)に白浜地区の小谷源之助と弟、仲次郎が渡米し、モントレーでアワビ事業を始めた。仲次郎は帰国後も海士(あま)を現地に送り続けた。日米戦争でその交流が途絶えるが、1995年にモントレー地区の日系人の歴史を研究していたライドン氏が南房総を初めて訪問。以降、市民レベルでの交流が続いている。

今回の訪日団のテーマは「第二次世界大戦」「幕末の日本」「平家物語」。日本の文化と歴史に触れ、理解を深めようという。

房州入りした一行は、旧官幣大社である館山市の安房神社を訪問。ちょうずを使って拝殿に参拝、神道文化に触れた。この後、小谷家ゆかりの南房総市白浜町根本地区、千倉地区なども歴訪。本土の戦跡である館山市の赤山地下壕も見学した。10日夜には地元住民とも親睦した。

一行は清水寺、竜安寺などがある京都、東大寺の奈良なども訪問。その後は、広島、山口、福岡、長崎、鹿児島などへも足を延ばし、19日には東京へ戻る予定。

ライドン氏は「館山は、自分にとって特別な場所。日本のことをあまり知らないアメリカ人がたくさんいるので、自然豊かで温かい地域住民がいる館山に来て、本当の日本を感じて欲しい」と話していた。

【房日】170509*学校のシンボルに、「海の幸」複製画を寄贈

学校の〝シンボル〟に

「海の幸」島田さんが複製画を寄贈、館山の房南小

房日新聞2017.5.9付‥⇒印刷用PDF


今年開港した館山市の房南小学校(池田俊郎校長)に、明治を代表する画家・青木繁が同市布良で描いた代表作「海の幸」の複製画が寄贈され、児童が出入りする玄関に飾られている。

寄贈したのは、同市犬石にある「アートプロセス」の代表取締役社長を務める島田吉廣さん(66)。

島田さんは、日本に3人しかいないという厚生労働大臣認定「スキャナー一級技能士」の一人。同じく青木の代表作「わだつみのいろこの宮」と「海の幸」の複製画を作成するため、福岡県の石橋美術館(現・久留米市美術館)、東京のブリヂストン美術館で実物を見学。石橋美術館から複製のためのデータを入手し、約4年前に複製画を完成させた。

「わだつみのいろこの宮」は、青木の母校・久留米市立荘島小学校(福岡県)に昨年秋ごろに寄贈されており、「ぜひ房南小にも作品を寄贈したい」と知人を通じて依頼。同校の開校にあわせて寄贈した。

「旧富崎小学校時代は、青木繁のつながりから、荘島小との交流もあった。代表作のある両校が今後も交流を続けてほしい」と思いを語った島田さん」

池田校長は「大変素晴らしいものをいただき感謝している。学校の一つの“シンボル”として大切にし、子どもたちに伝えていきたい」と話していた。