小谷家で発見のひな人形
今年も展示始まる、来月18日まで
(房日新聞2018.2.13付)‥⇒印刷用PDF
館山市布良にある小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」で、同住宅から見つかった明治期の雛人形の展示が始まった。江戸期とみられる高砂人形、近隣愛好者によるつるしびななども展示されている。3月3、4日には甘酒のサービスもあり、展示は同18日まで
青木繁が「海の幸」を描いた小谷家は、江戸時代から続く網元の名家。展示されているのは、数年前に納戸から見つかった4対のひな人形。
正確な年代は不明だが、明治から昭和初期の制作とみられる。古風な人形で時代を感じさせるが、保存状態は良く、旧家の雰囲気にマッチした展示となっている。
一緒に展示される高砂人形は、箱書きに江戸時代の当主の名が記されており、さらに古い江戸中期の人形とみられている。
その他、館山、君津市などの愛好者が、つるしびなも展示して会場はひな祭りの華やいだ雰囲気となっている。
土曜、日曜日に開館。入館料は、一般200円、小中高は100円。
현해탄을 건넌 해녀들- 출가해녀’들 편에서
「玄界灘を越えた済州の女たち」〜千葉和田浦の済州海女
⇒ 房総にきた済州海女
韓国済州島のMBCテレビ(2017.12.17放送)で紹介されました。
房総南部の安房地域には、韓国済州島から多くの海女が出稼ぎに来て、房州海女と共生していました。
戦時下には軍の命令で、火薬原料となるカジメ・アラメなどの海草採取に協力させられました。
戦後には、鴨川市の長興院に墓碑を建てました。全国でも珍しい韓国人墓地となっています。
NPO法人安房文化遺産フォーラムの事務局長の池田恵美子さんと、会員で在日済州道民会会長の国本徳雄さん(鋸南町在住)が取材に協力しました。
일본 지바현에 잠든 제주 해녀들
日本の千葉県に眠る済州海女たち
(韓国聯合ニュース2017.12.19付)
1920年代渡り、日本の女性たちに「物質」の技術伝授
(東京=連合ニュース)東京から約70㎞離れた千葉県鴨川市にある寺院長興院。19日、ここを訪れた連合ニュースの記者の目に日当たりのよい丘の上に建てられた記念碑が入った。
墓碑銘は「耽羅高家之墓」、「光山金家之墓」、「密陽朴家」などで多様だった。墓石に「家」を書いたのはガジョクミョという意味だとした。
これらはすべて、1920年代、今の済州翰京面パンポリが故郷である朴基満(パクキマン)氏(1971年死亡)により、渡ってきた海女である。当時12人の海女が済州の気候が似て、ここで新しい生活を開拓するために移住した。海女たちは、この地域の日本の女性たちに「物質」の技術を伝授して、特別な教育熱に子を育て、大学まで送った。
疲れ人生を生きていた海女がこの世を去るときにジャンフンサで墓石が立てられ、現在残っている第1世代の済州海女は一人だけだ。残念ながら彼は認知症で病院に入院した。長興院の海女家族の墓石は20基以上のものと推定されている。
長興院海女墓地にまつわる話は短編映画でも製作された。千葉県にある城西国際大学と釜山の東西大学の学生が作った45分の「コッチばあちゃん」という映画だ。
千葉県に住んでいる歴史研究である金床憲(キム・サンホン)(55)さんは「在日同胞がゴクジ祖母という映画を見て、意外に印象的な姿を見て、済州でも上映たら良いという考えをした」とし「済州海女文化のユネスコ世界人類の無形文化遺産登録を契機に、日本に渡ってきた海女たちの調査が行われジギルを望む」と語った。
(文・写真=ギムホチョン記者)
【写真説明】
日本の千葉県に埋め込まれた済州海女墓石(東京=連合ニュース)
ギムホチョン記者
日本の千葉県鴨川市にある長興院という寺院に建てられた済州海女耽羅コさんの墓石を在日同胞の歴史研究が金床憲氏が指している。2017.12.19
ミニコミ誌『0470-』43号
people 池田恵美子さん
インタビュー・写真・文=菅野博 (2018.1.31号)
‥⇒印刷用PDF
*変人教師ネットワーク
40歳を目前にして突然、過呼吸に襲われました。当時は、東京で幼児の右脳教育や心療内科のカウンセラーをしていたのですが、自分自身がパニック障害と診断され本当に驚きました。しばらく友人宅や温泉診療所で静養した後、生まれ故郷の館山に戻ってきました。海を見て深呼吸し、自然の中に身をゆだね、ヨガや坐禅でリハビリしながら、ライターや編集の仕事から復帰しました。その取材で出会ったのが、ダイバーの成田均さんや高校世界史教師の愛沢伸雄さんでした。
かつて、私は映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の上映に関わっていました。各分野で活躍する人の生き様を通して、自然の摂理を紹介したドキュメンタリーです。この三作目に登場していた伝説のダイバー、ジャック・マイヨールは成田さんの親友でした。ジャックは、海と一体になることを通して全ての生命が一つであると実感し、イルカから平和的な生き方を学びました。
ある日、映画監督の龍村仁さんが館山を訪れ「今の時代は多くの人が目先のことや常識に捉われて、大切なことを見失っている。ジャックのように個性的な生き方をした人は変わり者に思われがちだが、共通して自然界から大切な智恵を学んでいる。そのことを伝える変人教師ネットワークが、これからの未来に必要だろう」と。
それから数か月後、愛沢さんから「ガイド団体を立ち上げたいので手伝ってほしい」といわれました。安房の戦争遺跡を平和学習の教材とし、調査保存に取り組んでいた愛沢さんの活動は、広島原爆ドームの世界遺産登録より5年も早かったため、花と海の観光地に戦争のイメージはふさわしくないと、なかなか理解されず困難の連続でした。地道に戦跡のフィールドワークや調査報告会を展開し、全国ネットワークの応援団や市民の理解が広がり、2004年に赤山地下壕跡が一般公開されました。各地からの平和学習ツアーが増えたため、私が事務局長となってNPO法人安房文化遺産フォーラムを発足しました。市民ガイドとして活躍するNPOメンバーは、まさに変人教師ネットワークそのものです。
*館山まるごと博物館
逆さ地図で見ると、安房は日本列島の頂点に位置し、東京湾の入口にあたります。古くから支配権力の影響も大きく、重要な戦争遺跡や中世城跡がたくさん残っています。城山公園は遊び場で、「南総里見八犬伝」は知っていても、大名里見氏の歴史は知りませんでした。ましてや館山が、戦争において加害の訓練地だったことや、本土で唯一占領軍による直接軍政が4日間敷かれたことなど、学校で教わったこともありません。
その一方で、江戸初期に古ハングルが彫られた平和祈念の石塔や、清国貿易船の遭難救助を記念した日中友好碑があります。海を通じて人びとが交流し共生した証です。そればかりか、戦争末期の花作り禁止令のもと農婦が命がけで花の種子を守った話や、関東大震災後に各地で朝鮮人虐殺事件が多発したとき安房では朝鮮人を保護した話など、誇らしい実話がたくさんあります。
いつもと違う視点で足もとの地域を見つめ直すと、安房の先人が育んだ〝平和・交流・共生〟の精神を学ぶことができます。安房文化遺産フォーラムは「館山まるごと博物館」として文化遺産を後世に伝え、市民が主役のエコミュージアムまちづくりを進めています。
*布良という聖地
館山市最南端の布良は、神話のふるさとです。マグロはえ縄発祥の漁村で、遭難事故が多く、漁師の魂が赤く輝く布良星伝説もあります。明治の天才画家・青木繁が重要文化財「海の幸」を描いたことから、画壇の聖地とも呼ばれています。
青木が滞在した小谷家住宅は、全国の著名な美術家の方々と一緒に約5千万円の修復募金を集め、青木繁「海の幸」記念館としてオープンしました。土日の開館と、平日は団体の予約のみですが、年間3千人が来訪しています。地域住民の皆さんは、記念館の受付や環境整備、布良崎神社のガイドなどいきいきと活動しています。
こうした活動のなかで、明治期の村長・神田吉右衛門のことが明らかになりました。アワビ漁を村営化し、その共有財産で漁具の改良や遭難救助、道路や漁港の整備のほか、病院や学校を作ったというのです。神田村長の顕彰碑がある富崎小学校は、残念ながら廃校となってしまいましたが、コミュニティの心の拠り所として、まちづくりセンターのような活用ができないかと考えています。
*未来型のむらづくり
「進化の過程で兄弟であったイルカは精神文化を発達させ、人間は物質文化を発達させた。母なる地球を壊しているのは末っ子の我々人間ではないか」「もし人間の思考と精神に、イルカ達のインスピレーションが少しでもあったら、傷ついてしまった共通の惑星地球はまたパラダイスに戻るだろう」
こんなジャックのメッセージを具現化し、人間と自然が調和した持続可能な循環型社会を目ざして、「一般財団法人あわ」を立ち上げました。成田さんが理事長となり、設立者は愛沢さんと私、青木繁「海の幸」誕生の家を保存する会会長の嶋田博信さん、安房自然村社長の豊田晁さん、精神科医の渡辺克雄さんの6人です。安らぎの家を意味する安房の地名は、五十音の最初と最後の音として調和のとれた言霊です。海中深く生命の源となる「泡」をもあらわし、穀類のなかで最も小さく最もエネルギーのある「粟」に通じ、未来型のむらづくりにふさわしいと考えて命名しました。まず布良の安房自然村を舞台に、人びとが心身ともに癒されて活力を取り戻す森づくりを始めています。将来はアワビ海洋牧場を展開し、豊饒の海を蘇らせたいと願っています。
【プロフィール】
池田恵美子 いけだえみこ
安房高校、フェリス女学院大学卒業。12歳でハワイのジュニアスクールに参加。真珠湾攻撃の史実に衝撃を受けると同時に、ハワイの自然や歴史文化を学び、学校外の教育を志す。金融業に12年、社会人教育会社に2年勤務後、フリーとなる。心理学や禅を学び、スペインのベンポスタ子ども共和国やインド、沖縄などをめぐり、教育・文筆・講演・旅行企画など他分野の生業に携わる。体調を崩して館山に戻り、『南総ふるさと発見伝まほろば』誌の編集長を経て、NPO法人安房文化遺産フォーラム事務局長となる。
日曜美術館 (再放送)
「魂こがして 青木繁〜海を越えた“海の幸”と石橋凌の対話〜」
日時 = 2018年1月21日(日)20:00〜20:45
日時 = 2018年1月14日(日)9:00〜9:45
再放送が決まりました!
日曜美術館HP
天才と呼ばれつつ28歳でこの世を去った画家、青木繁の傑作が初めてパリへ。明治の洋画はかの地でどう受け止められるのか。俳優石橋凌が名画を追ってフランスに向かう。
名画「海の幸」で当時の西洋画壇に旋風を巻き起こした青木繁。しかし満を持して発表した「わだつみのいろこの宮」は酷評され、一気に転落の道へ。追い打ちをかけるようにのしかかる親や恋人、子どもの扶養。「海の幸」で見せた情念を封印し、放浪の画家となった青木。結核を患いながら九州各地をさまよう。心の奥に留学への思いを秘めながら創作を続ける。それからおよそ1世紀。「海の幸」は初めて海を越えた。
【出演】石橋凌
旧安房南高校舎の保存活用へ
元教員や卒業生らで「愛する会」発足
(房日新聞2018.1.5)‥⇒印刷用PDF
日本古来の木造建築と西洋建築を融合させたつくりが特徴で、県文化財にも指定されている館山市の旧安房南高校の木造校舎(第一校舎)を保存活用する市民グループ「安房高等女学校木造校舎を愛する会」が、昨年秋に発足した。賛同する会員はすでに100人を超え、年間を通した建物の維持活動のほか、忘れられつつある歴史をひもといて調査・記録し、「その価値を多くの人たちと分かち合っていきたい」としている。
女子教育としては県内で2番目の歴史を誇った同校は、戦後には安房女子高校、安房第二高校、安房南高校と名称を変えながら2008年、安房高校に統合し閉校となった。
旧第一校舎は、関東大震災から7年後の1930年に耐震構造の新しい建築様式で建てられた。中央の玄関から左右対称に大きく羽を広げた白鳥のような外観で、ひし形を重ねたレリーフや窓飾り、玄関の装飾、階段の欄干装飾など、美しくきめ細やかな設計配慮を至るところに見ることができる。
現在は安房高校の管理下にあるものの、恒常的には使用されていない。これを憂慮した市民有志により、2011年には木造校舎を見つめ直す見学会とシンポジウムが開かれ、翌12年には第10回「半島の現代美術」展〜安房ビエンナーレの第二会場として利用され、同時に活用を考えるシンポジウムが行われたれた。15年以降は、県教育委員会と安房高校の共催により年に一度の見学会が開かれている。
これまでのように単発の催事に終わらせるのではなく、永続的な有効活用を考える市民の会を設立できないだろうか。そう考えた同校元教員の愛沢伸雄氏と水上順義氏、そして文化財建造物修復の専門家である榮山慶二氏が発起人となり、同校卒業生や旧職員を中心に呼び掛け、昨年夏から有志による話し合いが持たれた。
その後、地域内外の男女約30人が参加し、夏の早朝から草刈りや掃除が5回にわたって行われた。10月の見学会では、資料室の解説や伝統的な「ぬか雑巾」の床磨き体験などを担当し、来訪者のおもてなしにも協力した。
こうした活動を経て会は発足。旧安房南高校の同窓芳誼会にも呼び掛け、歴代役員らが顧問となり、会長は第7回卒業の佐野ふさ子氏が就任した。事務局長は愛沢氏がなり、代表を務めるNPO法人安房文化遺産フォーラムが事務局を担うことになった。会の名称は、旧安房南高校でなく、あえて「安房高等女学校木造校舎を愛する会」とした。
榮山氏は、那古寺の修復にも携わり、数多い館山市内の国登録文化財の調査にも関わっている。県当局と会の窓口を務めながら、木造校舎の雨漏りなどの修理指導にあたっている。「建物は風を通し、人が出入りしなければ荒廃してしまう。閉校後11年がたっているが、これ以上放置しておくと老朽化が進んでしまう。市民の手でよみがえらせていく最後のチャンス」と語る。佐野会長は、「統合により母校が閉校になって、心のよりどころをなくしたような寂しさがあったので、愛する会ができてとてもうれしい。同窓生や関係者だけでなく、この校舎を愛する皆さんが集まって、熱心に汗を流してくださることに感謝が絶えない。この木造校舎がよみがえっていくことが楽しみ」と喜ぶ。
「この校舎にいると創作意欲がかき立てられるので、芸術家を育てるアトリエとしても利用価値が高い。全国から芸術家の卵に集まってもらい、空き店舗のシャッターや市街地にも創作活動を広げてもらえば、まちも元気になるだろう」と同校の美術教師であった水上順義氏。
また、木造校舎はまちの景観として素晴らしいばかりでなく、校舎内に埋もれている資料にも価値がある。戦跡などの文化遺産を保存・活用し「館山まるごと博物館」のまちづくり構想を進めてきた愛沢事務局長は、「地域史を知る上で安房高女の歴史は重要。例えば戦争末期、校舎は野戦病院に位置付けられ、沖縄のひめゆり学徒隊のように、女学生が館山病院で看護実習の指導を受けていたという。卒業生の証言とともに調査研究を深め、地域教育の伝統や文化を学ぶことを通じて、木造校舎をまちづくりに生かしていきたい」と語る。校舎を管理する県教育委員会文化財課は、「(こうした動きは)ありがたい事です。今後、どういう形で永続的に保存活用するのか、一緒に話し合っていきたい」としている。
愛する会の会員は現在110人を超える。年会費1000円で賛同者を募り、年間を通して引き続き建物の維持活動のほか、文化財としての調査・記録、その価値を広く市民に知らせるための企画展などの催事や会報発行などを行っていく予定だ。
会では、会員を募っている。年会費は1000円で(ゆうちょ銀行振替口座へ00270—4—87431安房高等女学校木造校舎を愛する会)まで。問い合わせは、事務局(0470—22—8271)へ。
【写真説明】会発足に向けて話し合うメンバー=館山
韓国OBSテレビ
창사 10주년 특집다큐 《지붕없는 박물관 에코뮤지엄》
特集ドキュメンタリー《屋根のない博物館エコミュージアム》
韓国京畿道で推進されている「京畿湾エコミュージアム」のドキュメンタリー番組に、日本の先進事例として、NPO法人安房文化遺産フォーラムが高校生200人を案内した戦跡ガイドが紹介されました。
⇒ 取材趣旨や概要 ⇒ 房日新聞2017.10.13付
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房日新聞 171013
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スタッフ打合せ
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赤山地下壕
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赤山地下壕
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掩体壕
【第2部】2017.12.30放映(千葉県館山市の事例 9分45秒~)
00:00 イントロダクション
00:35 大原一興先生(横浜国立大学都市イノベーション学科・日本エコミュージアム研究会会長)
00:58 京畿湾エコミュージアム
09:45 千葉県館山市「館山まるごと博物館」
19:41 アウシュビッツ
20:48 千葉県館山市「館山まるごと博物館」
22:49 京畿湾エコミュージアム (梅香里メヒャンニ)
番組動画は下記からも全編を視聴できます。
▶ 第1部=2017.12.23放映分(山形県朝日町・香川県直島)
※ オンラインパンフレット「館山まるごと博物館」(日英韓)はこちらから
ウガンダに車両購入資金
(読売千葉2017.12.29付)‥⇒印刷用PDF
内戦やエイズで親を亡くしたアフリカ・ウガンダの孤児を支援している安房地域のグループが、現地の民間活動団体(NGO)が使う車両の買い替えのために行っていたクラウドファンディングに、目標の120万円を超える134万6000円が集まった。NGOはこの寄付金で中古車を購入し、使い始めたという。
支援は、農業研修で来日したウガンダ人男性が館山市を訪れて孤児の窮状を訴えたことを機に、当時の安房南高校の生徒が1994年に開始。同校が別の高校に統合された後もバザーの収益金などをNGOに送る活動が引き継がれている。
今春、NGOの車両が牛と衝突して故障。買い替えの支援依頼を受け、卒業生グループの「ひかりの」が同市のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」と連携し、夏から募金を始めたところ、10月末までに200人以上から寄付金が集まった。NGO代表のスチュアート・センパラさんは「子供たちの移動や必需品の運搬が再開できた」と感謝。今後、寄付者の名前を車体に記すという。
館山市布良地域の文学や歴史に触れてきました
三芳3地区社協いきいきサロン
南房総市社会福祉協議会広報誌「てんだぁ」第43号(2018年1月)
小春日和の中、高齢者一人暮らしと二人世帯の方々を対象に、毎年恒例のいきいきサロンを開催しました。
さんぁされた方々はじゃんけんゲームや入浴・カラオケ・昼食を楽しんだ後、青木繁「海の幸」記念館を見学し、スタッフから説明を受け、展示されている絵画や館山市指定文化財になっている建物を感慨深そうに見入ってました。
布良崎神社でも地区の歴史などの説明を聞き、参加者が色々と質問をしたりと、大変有意義なサロンとなりました。
ウガンダ支援で現地から感謝の言葉
(房日寄稿2017.12.23付)‥⇒印刷用PDF
ウガンダよりご支援の感謝の言葉
NPO法人安房文化遺産フォーラム 代表 愛沢伸雄
安房地域の高校生を中心に23年間続いてきたウガンダ支援活動の一環として、このたび クラウドファンディング というインターネット型募金を取り組んできました。孤児の送迎や食糧などの運搬用車両が故障してしまったため、代替車両の購入資金を支援してほしいという緊急要請によるプロジェクトでした。
活動に関わった卒業生らが中心となって地域内外へ広く呼びかけ、本紙でも紹介していただき、2か月余りで目標を達成することができました。210名の皆様より130万円の寄付が寄せられました。すぐに送金したところ、トヨタ・ハイエースの中古車両を購入できたと喜びの報告がありました。
また、本プロジェクトに賛同しチャリティ油彩画展を開催してくださった大山晃一画伯の基金により、報告書『安房の高校生によるウガンダ支援・交流23年のあゆみ』を作成することができました。ご支援いただいた皆様方には贈らせていただきますので、どうぞご照覧ください。なお闘病中であった大山画伯は、大きなプロジェクトを成就した直後の11月17日にご逝去されました。感謝とともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
ウガンダは今なお政情が不安定で、貧しい子どもたちが多いのですが、私たちの支援活動は、彼らに「何かをしてあげる」という施しの視点ではなく、対等な地球市民として、お互いに支え合い分かち合って生きていくことの大切さを学び、まちづくりに活かしてきました。これからも末永く信頼と友情を育み、高校生と市民が主役となる国際交流を進めていきたいと思っています。
皆様の温かいご支援に感謝申し上げ、私たちの友人であるスチュアート・センパラ氏のメッセージをここに紹介させていただきます。
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ウガンダ意識向上協会 代表 スチュアート・センパラ
長きにわたって親しい関係を築き、支援を続けてくれている館山、安房の高校生や市民の皆様にご挨拶申し上げます。
人びとが自立し、持続可能な発展を社会にもたらすには、教育が最優先の課題です。たとえば、魚1匹あげれば1日食べつなぐことはできますが、魚の獲り方を教えれば一生食べていくことができます。このように知識や技術を身につける教育をめざし、私たちは4つの学校や村で子どもたちの教育や生活をサポートしてきました。そのひとつは、「安房南洋裁学校」と名づけた職業訓練施設で裁縫技術を習得させています。
貧しい村に住む子どもたちは、離れた地域にある学校へ連れて行き、休みには村に連れ帰ることが必要です。また、食糧や生活用品を運搬したり、子どもたちを健康センターへ連れて行ったりと、私たちは広範な地域を往復しています。
その活動車両が野生の水牛に衝突して故障し、とても困っていたところ、愛沢伸雄先生から クラウドファンディング が提案され、私との共同名義でプロジェクトがスタートしました。短期間で集められた温かい支援金により、日本のトヨタ車8人乗り(1996年式)を購入することができました。子どもたちは再び学校に通えるようになり、とても喜んでいます。
皆様からいただいた恩恵は、子どもたちにとって大きな刺激であり、国際的な友情と理解を生み、想像と思考を広めてくれています。将来、友人のいる日本に行きたいと計画するきっかけになるのではないかと、私は楽しみにしています。
私たちの組織が存続でき、暮らしやすい地域社会づくりを進めることができるのは、ひとえに皆様の惜しみない援助の賜物です。改めて感謝するとともに、これからもお力添えいただけますようよろしくお願い申し上げます。