下ぶき材の防水シート活用
支援団体がプロジェクト:屋根の応急処置で提案
(房日新聞2019.12.3付)…⇒PDF
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NPO法人安房文化遺産サンフォーラムが事務局を務める災害支援団体「安房フォーラム支援隊」による屋根補修のプロジェクトがスタートし、先月29日に関係者による進捗(しんちょく)状況の確認が行われた。屋根の野地板に防水シートを貼り付ける補修方法で、今月14日に地域住民向けの実践的な講習会を予定している。
同NPOは、台風15号以降に、国連NGOオペレーション・ブレッシング・ジャパンや、一般社団法人クラッシュジャパンなどのキリスト教系団体などと協働で安房フォーラム支援隊を立ち上げ、これまでに176件の現場で災害支援に当たっている。
同支援隊のつながりから各地の災害支援に実績のある広島県の宮内工建(川地正寛社長)が、長期化する屋根の修復に対して今回の応急処置方法を提案。先月15日から1つのプロジェクトとして緊急性の高い家屋から同社の大工6人が修理を行っており、今月21日までに11件の補修が完了する予定。
屋根の下ぶき材に使う防水シート「粘着ルーフィング」を野地板に貼り付けて補修応急処置だが、▽1年ほどの耐久性がある▽屋根業者への引継ぎがスムーズ▽風でバタバタと音がしない――など、ブルーシートを張る一般的な応急処置に比べて利点が多いという。
プロジェクトの代表をつとめる牧師の山尾研一氏(48)は「大工による補修は21日でいったん終了するが、この方法を一人でも多くの地元の人へ伝えたい」と語り、14日午前中に実践的な講習会を予定している。問い合わせは、安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さん(090-6479-3498)へ。
◆ルーフィング講習会
~ブルーシートより安心!~
粘着型ルーフィング(防水シート)の貼り方と
簡易足場の組み方について、専門家が指導します。
日時=2019年12月14日(土)10時
集合=館山市 布良漁協前
布良崎神社の神輿など再建へ有志が寄付募る
(房日新聞2019.11.16付)
館山市布良の有志らで構成する布良崎神社神輿修復委員会(嶋田博信代表)は12日、台風15号の影響で大きな被害を受けた布良崎神社と神輿を再建しようと、4000万円を目標額に寄付を募ることを決めた。
同神社は台風の影響で拝殿は傾き、神輿蔵は倒壊し2基の神輿が大破する甚大な被害を受けた。
嶋田代表は「今回の被害は地域住民に衝撃を与えた。私たちが率先して、全国各地に呼び掛けたい」と協力を求めている。
募金の送付先は、ゆうちょ銀行(店番058)の普通貯金9651493。
問い合わせは、布良崎神社修復委員会青木薫さん(090-2524-1681)まで。

(房日新聞 2019.9.27付)
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平和への願い込め、芸術家73人が美術展
(房日新聞2019.8.27付)

芸術をとおして平和の尊さを訴えるチャリティー美術展「ART FOR THE EARTH 2019—第15回安房・平和のための美術展—(同実行委員会主催、房日新聞社後援)が8月24日、南房総市のとみうら枇杷倶楽部ギャラリーで始まった。安房地域にゆかりのある芸術家73人の平和を願う作品が並んでいる。9月1日まで。
「平和のために何ができるだろう」と、2005年に始めた展覧会。日常の何げない風景や色とりどりの花などを描いた絵画、笑顔をとらえた写真、彫刻、陶芸などさまざまなジャンルの作品が展示されている。
作品には「世界中の人が好きな絵を描くことができる世の中になってほしい」「穏やかな日々がが続いてほしい」「令和も平和な時代でありますように」など、平和への願いを込めた作家のメッセージが添えられている。
作品やグッズを販売し、売り上げの一部を寄付するチャリティも、収益金はアフリカ・ウガンダ支援や地域の各団体の活動などに役立てられる。
入場無料。時間は、午前10時から午後5時(最終日は4時)まで。
千倉アワビ街道歩く、29日にイベント
参加者をきょうまでつのる
(房日新聞2019.8.27付)

南房総市の市民団体「房総アワビ移民研究所」は、8月29日午前10時から、ウォーキングイベント「親子で歩こう!千倉アワビ街道」を実施する。アメリカに渡ってアワビ漁で成功を収めた漁師のゆかりの地を巡る。参加無料で、きょう27日まで参加者を募集している。
同市の「市民提案型まちづくりチャレンジ事業」のチャレンジコースに採択されている同研究会。
今回のイベントは、明治時代にアメリカ・モントレーに渡り、アワビ漁で成功を収めたという同市千倉町千田出身の漁師たちの故郷を訪ね、歴史を学んでもらおうという。
当日は、七浦診療所(旧七浦小学校図書室)に9時50分までに集合。その後、ゆかりの地など約2キロを歩く。レクチャーも行われる。小雨決行で、荒天時はレクチャーのみとなる。
対象は子どもから大人までで、筆記用具や飲み物、タオル、防止などを持参する他、歩きやすい服装での参加を呼び掛けている。
申し込みや問い合わせは、房総アワビ移民研究所の河辺さん(090-3218-3479)へ。
⇒詳細はこちら。
8月27日にギャラリートーク、渚の駅たてやま
館山の海を愛した画家たち展で
(房日新聞2019.8.24付)

館山市の「渚の駅たてやま」レクチャールームで、8月27日午後1時半から3時まで、NPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さんによるギャラリートーク「館山の海を愛した画家たち」が開かれる。
同所で9月1日まで開催されている企画展「館山の海を愛した画家たち展〜青木繁・寺崎武男・倉田白羊〜」の関連事業。
明治期に館山市布良に滞在し重要文化財「海の幸」を描いた青木繁をはじめ、同世代で館山に在住し、日本美術史に影響を与えながら、あまり知られていない寺崎武男、倉田白羊に焦点を当てる。彼らがたどった人生や、それぞれの遺族から寄贈を受けた絵画作品を紹介する。
予約不要で、定員40人。問い合わせは、事務局の河辺さんへ。
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*詳細はこちら
⇒ http://bunka-isan.awa.jp/News/item.htm?iid=1302
関西大の高橋さん、青木繁の魅力語る
渚の駅でギャラリートーク
(房日新聞2019.8.17付)

館山市の「渚の駅たてやま」レクチャールームで、20日午後1時半から3時まで、関西大学非常勤講師の高橋沙希さんのギャラリートーク「明治の洋画家 青木繁の魅力」が開かれる。
同所で9月1日まで開催されている企画展「館山の海を愛した画家たち展〜青木繁・寺崎武男・倉田白羊」の関連事業。
高橋さんは、青木繁作品の壁画的性格などに焦点を当てた研究に取り組んでいる。著書に「青木繁-世紀末美術との邂逅(かいごう)」がある。
予約不要で、定員40人。問い合わせは、事務局の池田さん(090-64799-3498)へ。

『青木繁-世紀末美術との邂逅」高橋沙希著
http://www.kansai-u.ac.jp/eas/news_list/2015/04/2015-1.html
少年の目で見た戦争 毎年「終戦記念日のつどい」企画
館山の山口栄彦さん 史実の掘り起こしも
(房日新聞2019.8.15付)‥⇒印刷用PDF

太平洋戦争末期の硫黄島出撃について、海軍の人事は厳正であったと述べている本があるが、事実と違うのでは?——。少年のころ、身近にあった海軍砲術学校で見聞きした出陣学徒関係の実態から、市民の目線で真相を知りたいという男性がいる。自身は旧制中学3年生で終戦を迎え、出征したわけではないが、自分で見聞きした事実を伝えなければならないとして、ここ数年は8月15日に小さな「つどい」の場を設けている。市井の少年の目で、あの戦争を振り返る日々だ。(忍足利彦)
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「軍都・館山の歴史が、複雑な気持ちにさせる。
それでも一市民として平和を祈る」
館山市の山口栄彦さん(89)。富崎村(当時)布良に生まれた。銀行員だった父の次男で、安房中へ通った。当時の館山エリアは館山砲術学校、館山航空隊、洲ノ埼航空隊などが置かれ、軍都として発展した。
神戸村に置かれた砲術学校には、学徒出陣した学生らが大勢住み、子どものころから身近な存在だった。
村の有力者から「えいひこ」と呼ばれていた山口さんは、その有力者の使いで、砲術学校に出入りしたこともあった。そうした環境で見聞きしたのは、硫黄島へ出陣する船に乗った水兵がたった1人だけ、直前の下船命令を受けて、玉砕の島へ行かずに済んだこと。地元有力者と海軍上層部とのつながりがほのかに見え、戦後も史実の掘り起こしなどに注力した。
最近読んだ館山砲術学校兵科4期の男性の著書で、「硫黄島赴任で、海軍の人事は厳正であった」と書かれていたことから、下船命令の事実が脳をよぎった。本当に厳正だったのか、と。きょう15日午後1時半から、富崎地区公民館で開く「終戦記念日のつどい」で、「生き残った水兵」のタイトルで語り合うという。(会費200円)
15歳で迎えた終戦。自身は戦後、進駐軍に勤務した。苦学して大学を卒業し、身に付けた英語で中学校の英語教員になった。東京や神奈川の勤務が長く、故郷・富崎のことは長く、心の中にあった。
定年後は故郷に戻り、砲術学校を中心とした海軍の歴史を掘り起こした。戦争に行っていない自分が、海軍のことを調べていいのかという葛藤もあったが、子どものころからそばにあった砲術学校を語らずにはいられなかった。
昭和20年7月の白浜への艦砲射撃で、布良の自宅がぐらぐら揺れたことは忘れられない。もし、ポツダム宣言受諾がもっと遅くなったら、房総半島にも米軍が上陸し、自分の命もなかったと思う。
それでも山口さんは「反戦の思い」を強く掲げられずにいる。兵役の経験がない上に、砲術学校の訓練を毎日、目の前で見てきた。少年とはいえ、日常生活で戦争を肯定していた傾向がある。しかし、何年か戦争が長引けば、自身も出征していた。身近にある軍都・館山の歴史が、自身を複雑な気持ちにさせている。
それでも、きょう15日の終戦の日は、市民の立場で平和に思いをはせ、哀悼をささげたいという。
【写真説明】砲術学校兵科4期の男性の著書を読む山口さん=館山の自宅で
ウミホタルの光に平和の祈りを込めて
軍事研究されたウミホタル
(ちいき新聞2019.8.2付)‥⇒印刷用PDF

東京湾アクアラインのPA名でなじみ深いウミホタル。実は第二次世界大戦中、ウミホタルの光を軍事利用する研究がされていたのだ。館山で発見され明らかになった史実とは。
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ウミホタルの発光特性に着目した陸軍
夜の海を幻想的な光で輝かせるウミホタル。カニやミジンコと同じ甲殻類で、砂の中に住む体長3ミリ程の夜行性生物だ。刺激を受けると発光酵素を放出し、これが水中の酸素に反応し青白く光る。ウミホタルはこの光を外敵の目くらましや、仲間とのコミュニケーションに使う。ウミホタルに似た動物性プランクトンの夜光虫や、ホタルなどの発光生物が生きている間光るのに対し、ウミホタルの体内にある発光酵素は、水をかければいつでも反応する。第二次世界大戦中、日本軍はこのウミホタルの発光特性に着目した。ウミホタルを乾燥してすりつぶした粉末を兵隊に持たせて、戦地で水や唾液で発光させ、照明や仲間との連絡、また特攻機が夜間敵艦隊に体当たりするための照明弾として使えないかと考えたのだ。
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子ども達の勤労動員でウミホタル採取
軍は研究用ウミホタルの採取地として、世界有数の生息地千葉県館山を選んだ。地元でもほとんど知られない存在だったウミホタルは、軍の命令を受けた子どもたちによって採取されたという。この史実は、教材づくりのために戦争遺跡の調査に取り組んでいた高校世界史の愛沢伸雄教諭(現NPO法人安房文化遺産フォーラム代表)によって明らかになった。
愛沢教諭は旧制安房中学校(現県立安房高校)の教務日誌の勤労動員作業記録に「海蛍採集」の記載を発見。生物の教師や当時の生徒たちに聞き取り調査をおこない「夜の浜に集合して魚のアラなどを括り付けたものを桟橋から垂らし、ウミホタルを採取して軍に供出した」という証言を得た。
戦後50年の平和祈念事業でウミホタル発光を紹介したことがきっかけとなり、現在の館山ではウミホタル鑑賞が人気である。戦後60年には、この史実を基にした合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』が誕生し、全国で歌われるようになっている。明るく輝く美しい光を、悲しい青に染めてはならない。(花)
【取材協力】NPO法人安房文化フォーラム
連載コラム「館山まるごと博物館」
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EICネット「エコナビ」一般財団法人環境イノベーション情報機構

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・第二の沖縄戦にそなえて
・花作り禁止令
・火薬原料の海藻採取
・ウミホタルの軍事利用
・館山の平和祈念像
‥⇒シリーズ一覧