イベント

9/30=暮らしと市政を考える市民討論会

立て直そう館山!緊急集会

暮らしと市政を考える市民討論会

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日時=平成22年9月30日(木)午後6時半〜

会場=館山商工会館2Fホール

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※前館山市行財政改革委員や国交省観光カリスマらも

討論に参加します。

100926=第16回安房地域母親大会

第16回安房地域母親大会

「私たちが望む会後と医療」

日時=平成22年9月26日(日)13:30〜

場所=館山市コミュニティセンター第一集会室

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第一部:講演「安房地域の医療と介護の現状と展望」

・松永平太さん(松永医院院長)

第二部:パネルディスカッション

・酒井康好さん(全日本年金者組合安房支部)

・池田恵美子さん(安房の地域医療を考える市民の会)

・野口雄一さん(館山市地域包括支援センター)

・石崎恵美子さん(新日本婦人の会館山支部)

第三部=意見交換

まとめ=房州弁・憲法25条

6/12=癒しの海辺のまちづくりシンポジウム第二弾

・日時=2010年6月12日(土)14:00〜16:30

・会場=南総文化ホール 【大ホール】

・参加費=500円

⇒⇒【房日新聞】2010.5.19付記事はコチラ

⇒⇒【房日新聞】2010.6.1付記事はコチラ。..

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■ゲストスピーチ*まちづくり事例紹介■

◇石神正義氏=(東京都中野区副区長)

テーマ:「中野サンプラザの立て直しと里・まち連携」

1948年館山市生まれ、安房高校出身。東京都職員・中野区総務部長を経て中野区副区長へ。若者に人気のあった中野サンプラザ立て直しの立役者として、㈱中野サンプラザと㈱まちづくり中野21の代表取締役社長を兼務している。東京都中野区・千葉県館山市・長野県中野市・山梨県甲州市等の「里・まち連携」を促進し、館山の一次産業と都会の消費者を結ぶ交流事業も展開。現職引退後は豊かな経験を活かし、館山で自ら農的暮らしを実践しながら、さらに交流を深める予定。

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矢野学氏=(新潟県上越市議会議員、旧新潟県安塚町長)

テーマ:「心の過疎をつくらないまちづくり」

旧安塚町総務課長を経て、町民に推されて同町長へ。住民の重荷だった豪雪を資源ととらえ、雪の冷房化や「雪の宅配便」の商品化など、ユニークなまちづくりをすすめた全国有数の名物町長。全国に先駆け、まちぐるみで教育旅行の受け入れを実践。また日本一の大合併時、公共サービスの低下を防ぐため、行政に代わる存在として全町民参加型のNPO法人を設立し成功。

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■パネル討論会■

「立て直そう館山!まちづくりを語ろう」

◇石神正義氏…東京と館山の経済交流で雇用創出の架け橋。

◇矢野学氏…マイナスをプラスに、逆転の発想カリスマ。

◇大島博幸氏…農的暮らしを実践している館山病院総長。

◇平本紀久雄氏…さかなクンの師匠、イワシ研究の第一人者。

◇伊東万里子氏…人形劇『新八犬伝』で里見文化を発信。

○コーディネーター…池田恵美子

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【主催】「立て直そう館山!」全市民の会(代表世話人:愛沢伸雄)

【協賛】博道会館山病院、安房の地域医療を考える市民の会、NPO法人全国生涯学習まちづくり協会

【問合せ】NPO法人安房文化遺産フォーラム0470-22-8271

 

≪主催者挨拶:愛沢伸雄≫

皆さん今日は。今日のシンポジウム開催に際して、市内ではさまざまな催しのある土曜日の午後、お忙しいなかをこのように多数ご参加いただき深く感謝申し上げます。

 

「『立て直そう館山』!全市民の会」の呼びかけ人で、NPO法人安房文化遺産フォーラム代表の愛沢伸雄です。日頃温かいご支援ご協力をいただき誠にありがとうございます。この場をお借りしてお礼申し上げます。

 

さて、本日シンポジウム開催の経緯と趣旨をお話いたいと思います。私は2008年の始めに看護学校が閉鎖される話を聞きました。

ご承知のように千葉県は全国的で2番目に高齢化が進行しているだけでなく、なかでも安房地域は30%を大きくこえる長寿社会になっています。安房医師会などで長年総合検診などに取り組んできたことで長寿社会が実現し、地域医療も充実した地域といわれています。

だが、看護師不足などに端を発した安房医師会病院の委譲などのさまざまな問題が生まれましたが、他地域では病院が閉鎖に追い込まれるなどいわゆる医療崩壊をおこし大変な問題になっているのはご承知だと思います。そのようななかで極めて身近な医療のことではあっても、私たちは医療従事者などの現場のことを意外と知らないということがわかりました。

 

そこで地域医療と看護師不足問題を考えるため、2008年11月に安房医師会のご支援もいただきながら医療従事者と市民たちが集って、その現状を勉強しはじめました。今年に入って3月には1000名を超える方々が集まり、戦後「豪雪・貧困・多病多死」を乗り越えていった岩手県の沢内村の取り組みを描いた映画「いのちの山河」の上映会を開催し、4月28日には「多病多死」を克服していった沢内村で、10数年にわたって地域医療に取り組んできた加藤邦夫医師を招き、第1回の「癒しの海辺のまちづくり」を開催しました。

加藤医師の講演では、高齢者が生涯現役で働ける生きがいのある沢内村を実現するために「口さきで理想を語るだけでなく、極めて貧しい村の財政のなかで村長と住民が対話を重ねながら、住民の協力を得て、乳児と60歳以上の医療費全額公費負担で一時的に医療費が増えたものの、結局は健康増進と病気の予防対策に積極的に取り組んだ結果、疾病率が減少し保険料は下がり医療費も減るとともに、全国初の乳児死亡率ゼロにした」との感動的なお話をうかがいました。

 

私は加藤医師が地域の人びとの力を借りながら、地域にはどんな課題があるかを徹底的に調べ、そのうえでその課題を解決してうえでの「行動プラン」を作り、実践と検証を繰り返しながら、よりよい地域医療のあり方を行政と医療者、そして住民たちがともに手をたずさえていった結果であったということを学びました。

 

安房地域においても沢内村の取り組みを参考に、40年前から安房医師会や地域コミュニティの人びと、関係行政機関の協力によって、全国的に高い評価をされた安房方式という「総合検診」が始まったといわれています。

このように医療が充実していると思われてきたこの安房地域においても、昨年、地元紙において地域医療問題や看護師問題の特集が組まれ、大きな関心を呼びました。安房地域には基幹病院として「世界的な医療機関の認証」を受けた大きな民間病院が存在していますが、その病院においても看護師不足は極めて切実な問題となっており、先におこなわれた館山市民意識調査においても、まちづくり施策のなかで力を入れてほしい項目が「医療の充実」であり、半数近くを占め、第1位でした。

 

この間、私は安房の地域医療を考える市民の会を呼びかけたものとして、安房地域の医療の実情を訴えるため、総務省の医療政策担当者に手紙を出したり、先に学校法人鉄蕉会が開催した「地域における医療者育成を考えるシンポジウム」にうかがい、講演者であった文部科学副大臣に要望書を直接、手渡しました。

また、この3月には、3市1町の首長や安房医師会長などが構成メンバーになっている千葉県保健医療施策の検討機関である「安房地域保健医療協議会」の皆さん宛に要望書を出し、行政にも言葉だけではなく具体的な行動に移してほしい旨や、看護師問題への取り組みに真剣になってほしい旨を要望しました。

 

このような地域医療問題の経緯のなかで今日の第2回のシンポジウムがありますが、地元新聞の取材の際に、私は「安房の地域医療を考える市民の会を立ちあげ、医療従事者と市民サイドの対話の場をつくってきたものの、館山市政には危機感がまったくない。悪化する財政問題も含め、いま市民が関心をもつことが重要だ」と話すともに、市民たちがまず医療問題はじめ地域課題をしっかり勉強し、解決していく道筋を市民の立場から考えて行動する「市民の会」の立ち上げを話しました。

 

スローガン的に理想を語る口先だけの市政ではなく、高齢社会がすすむ地域社会のなかで、市民が支えあう社会をどう作っていくかを問い、行政や市民が協働するなかで、課題を解決していく、真に市民が主役になるまちづくりを願っています。

その私のもっている課題意識を受けとめていただいたのが、本日シンポジウムにお招きしたお二人です。

 

東京都の中野区副区長である石神正義さんとは看護学校問題で、那古の諏訪山の中腹にある現在閉鎖されたままの中野健康学園の活用の可能性があるかどうかをうかがうために、はじめてお会いしました。私たちが看護学校問題で困っている現状について、本当に真剣にお話を聞いていただきました。館山の出身で金丸謙一市長とは同級生であり、安房高を卒業後、都庁に入り、その後中野区の人びとと密着した現場からたたき上げで中野区の副区長になった方で、本日の朝日新聞にも取り上げられている「里・まち交流」の仕掛け人でもあります。石神さんはそれだけでなく、中野区の赤字財政を立て直し、中野サンプラザの社長として、サンプラザを再建した、まさに「財政再建のプロフェショナル」であることを知りました。私たちのそばには、このような実力ある著名な行政マンがいたのです。

 

一方の矢野学さんは、一昨年も私のNPO主催の「元気なまちづくり市民講座」の講師として館山にきていただきましたが、ご案内のような全国のまちづくりの仕掛け人であり、全国的にご活躍されている国交省観光カリスマの一人であります。

私のまちづくりの指南役で、六月に入り新潟県上越市議会の開催中でとてもお忙しいにも関わらず、本当に無理をお願いして、来ていただきました。本当に嬉しく思っています。

マイナスの「豪雪」をプラスにしたかたで、戦争遺跡の「赤山地下壕」だけでも、「市役所のなかに一つの課をおいて、お金儲けができさまざまな仕掛けができるね。どうして行政はやらないのかな」と私におっしゃた方です。

 

安房出身の教育学者和田修二先生は「人間は現在だけでなく、過去と未来との間に生きる存在」なので、「過去に守るに価する大切な思い出をもつこと」「未来に向かって為すべき課題をはっきりと自覚すること」によって、今を生き抜く希望と勇気の支えとなるので、この二つを「大人の世代が日常生活の中で身をもって若い世代に教えていくこと」がいま私たちには大切であるといいました。

 

私はいま自分たちの頭で考えて、借り物でない確かな自己の立場と志をもって、次世代の人びとが願っていくであろう「市民が支え合う社会」をつくっていくために、全国にお住まいの館山市出身の方々の力もお借りながら、全市民の力によって館山市をよりよくするために取り組んでいきたいと思っています。

 

その第一歩である「立て直そう館山!全市民の会」の活動にご賛同をたまわり、是非ボランティ活動にもご参加いただければ幸いです。

お手元には、アンケートが渡っていると思いますが、市民マニフェストづくりのスタートになります。恐れ入りますが、お帰りの際、あるいはお帰り後もFAXなどでご協力いただき、今後すすめていく活動に皆様の声を活かしてまいります。どうかよろしくお願いいたします。

 

本日はこのように多数お集まりいただき本当にありがとうございます。最後までよろしくお願いいたします。

5/8=勝山の空襲現場で献花をしましょう

戦跡をたずねて〜65年前の惨劇を知っていますか。


戦時中、安房勝山駅発11時50分の下り列車が市部瀬にさしかかったところで、米軍の機銃掃射を受けたのは、1945(昭和20)年5月8日のこと。3機のP51戦闘機が波状攻撃を繰り返し、死者13名、負傷者46名の犠牲者を出しました。その現場へ行き、当時を偲び、献花をしたいと思います。


【日程】2010年5月8日(土)11〜14時

【場所】勝山ドライブイン駐車場11時集合

11:10歩いて現場へ行き、献花

12:00勝山ドライブインにて昼食(各自負担)をとりながら体験談を聞く

【参加費】無料


【主催】明日の鋸南町を考える会、子どもの未来に平和を実行委員会(代表:安藤恵美子)

4/24=青木繁が《海の幸》を描いた館山の漁村を歩こう

■青木繁が《海の幸》を描いた館山の漁村を歩こう。

【日時】平成22年4月24日(土)9:30〜12:00

【参加費】:200円 (小谷家保存のための寄付と保険料を含みます)

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近代絵画のさきがけとなった《海の幸》は、明治37(1904)年に房総半島最南端の小さな漁村(布良・相浜)で誕生しました。作者・青木繁(1882-1911)はこよなくこの地を愛し、日本を代表する作品を描き、同行した福田たねと情熱的な恋をして、第一子・幸彦(後の福田蘭童)を授かりました。28歳で波乱万丈な人生を終えた繁をしのび、没後50年には太平洋を見下ろす高台に《海の幸》記念碑が建立されました。繁が滞在した布良の小谷家住宅は今なおかつての姿を残し、昨年秋には館山市指定文化財となりました。来年は「青木繁没後100年」を迎えるにあたり、現在、地元の富崎地区コミュニティ委員会とNPO法人安房文化遺産フォーラムが中心となって設立した「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」が館山市や全国の美術関係者らとともに、この歴史的な環境を後世に残そうという活動をおこなっています。かつて若き画家が情熱的に恋をして絵を描いた漁村を旅行者気分でガイドとともに歩いてみませんか。

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【集合】 9:30 富崎地区公民館

【コース】 布良崎神社…小谷家住宅(館山市指定文化財)

…「海の幸」記念碑…阿由戸の浜…駒ケ崎神社

…「安房節・鮪延縄漁発祥」碑

【主催】 富崎地区コミュニティ委員会

青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会

【協力】 NPO法人安房文化遺産フォーラム

4/28=癒しの海辺のまちづくりシンポジウム

まちづくりシンポジウム2010

癒しの海辺のまちづくり

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【とき】平成22年4月28日(水) 午後7時〜8時45分

【ところ】千葉県南総文化ホール小ホール

【参加費】500円

【前売券取扱】南総文化ホール、安房医師会協賛病院

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■ 第一部 基調講演 ■

映画『いのちの山河〜日本の青空Ⅱ』 の医師が語る

「自分たちで生命を守った村」

【講師】 加藤邦夫 医師

「貧困・豪雪・多病多死」の三重苦を克服した岩手県沢内村のまちづくりは、全国的に知られ、安房地域でも総合健診導入時に医師会が視察をおこないモデルとしている。1960年に国保沢内病院長に就任した加藤医師は、当時の故深沢晟雄村長が掲げた「生命尊重行政」の中核的な担い手として、健康台帳の整備や予防活動などに15年尽力し、60歳以上と乳児の医療費無料化を実現。さらに全国で初めて乳児死亡率ゼロを達成し、一人あたりの医療費を県内最低額に抑えることにも成功した。現在、仙台徳洲会病院で人間ドッグを担当する現役医師、79歳。

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■ 第二部 まちづくりシンポジウム ■

「癒しのまちづくりの夢を語ろう!」

◇松永平太さん

…夢を追い続ける安房の若き“赤ひげ先生”。

◇愛沢伸雄さん

…安房の歴史遺産を守ってきた道産子。医療を考える市民の会呼びかけ人。

◇高野良裕さん

…離島や豪雪地域で住民と医療まちづくりを実践してきた前館山病院長。

◇福留 強さん

…全国の生涯学習まちづくりブームの仕掛け人。聖徳大学教授。

◇コーディネーター=池田恵美子さん

…安房の魅力を語らせたら止まらない(!?)名プレゼンター。

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*主催=安房の地域医療を考える市民の会 (問合0470-22-8271)

*共催=安房医師会

*協力=NPO法人安房文化遺産フォーラム、NPO法人全国生涯学習まちづくり協会

*後援=館山市社会福祉協議会、南房総市社会福祉協議会、鴨川市社会福祉協議会 (予定)



※房日新聞2010.4.30付 ⇒ 記事詳細はコチラ

3/7~8=無言館と梅野記念絵画館ツアー2日間

◆春の信州、館山ゆかりの美術館を訪ねる旅

〜無言館と梅野記念絵画館ツアー2日間〜

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戦没画学生慰霊美術館「無言館」には、志なかばで戦場に散った画学生たちが遺した絵画や彫刻などが展示されており、なかには館山海軍砲術学校に所属した若者の遺作品もあります。昨年夏、館山市の南総文化ホールで開かれた無言館主・窪島誠一郎氏の講演会では、心を動かされた来場者より「ぜひ無言館を訪れたい」という声が多数寄せられました。

また、明治の画家・青木繁が滞在した館山市布良の小谷家住宅は、昨年秋に館山市指定文化財となりました。青木繁は親友・梅野満雄に宛てた絵手紙で、布良・相浜・平砂浦… などこの地の素晴らしさを絶賛し、『海の幸』の大作に取り組んでいることを報告しており、その絵手紙は「梅野記念絵画館」に収蔵されています。

今春、館山にゆかりの深い信州の美術館を訪ねる旅を企画しました。

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■旅行日=平成22年3月7日(日)〜8日(月) 定員40名

■旅行代金=おひとり様25,000円 (2名1室の洋部屋利用)

※1人部屋のご希望は3,500円増しで承ります。美術館入館料を含みます。

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■日程 コース 食事

【3/7(日)】

館山発7:00=東京湾アクアライン・海ほたる(休憩)=高坂SA(休憩)=佐久市内(昼食)=梅野記念絵画館(見学)

=信州松代ロイヤルホテル16:00頃着

・食事=朝 × 昼 ○夜 ○

【3/8(月)】

ホテル8:30=無言館・信濃デッサン館(見学)=上田市内(昼食)=上里SA・三芳PA・市原SA(休憩)=館山着18:30頃

・食事=朝 ○ 昼 ○ 夜 ×

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■旅行日=平成22年3月7日(日)〜8日(月)

■旅行代金=25,000円(2名1室、シングル使用は3,500円UP)

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◇無言館・信濃デッサン館◇

*長野県上田市古安曽山王山3462*

「無言館」は、アジア太平洋戦争で没した画学生の慰霊を掲げて、平成9年に信濃デッサン館の分館として開館された美術館です。館主の窪島誠一郎さんは作家でもあり、戦没画学生の生涯を描いた著作や生き別れていた実父・水上勉との再会を綴った作品で知られています。昨夏の館山講演が縁となって、千葉市在住の遺族より戦没画学生の遺作が無言館に寄贈されました。ツアー訪問時には、窪島館主のお話が伺えるように依頼中です。乞うご期待!

左の作品「婦人像」(無言館展示)の作者は、島根県出身の小柏太郎(おがしわたろう)さんです。昭和18年9月に東京美術学校鋳金科を繰り上げ卒業の後、館山海軍砲術学校に入隊。昭和20年3月15日フィリピン・クラーク地区において戦死。享年25歳。

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◇梅野記念絵画館・ふれあい館◇

*長野県東御市八重原935-1芸術むら公園*

日清戦争の始まった明治37年夏、東京美術学校を卒業した青木繁は、画友の坂本繁二郎・森田恒友・福田たねとともに、房州布良の小谷家に滞在し、後に重要文化財となる「海の幸」を描きました。同じ郷里(福岡県久留米)出身の親友・梅野満雄に宛てた絵手紙4枚には、館山の素晴らしさが綿々と綴られています(梅野記念絵画館所蔵)。

一昨年秋、館山市富崎地区コミュニティ委員会を中心に「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」が設立され、昨秋には小谷家住宅が館山市指定文化財となりました。梅野隆館長も「保存する会」発起人のおひとりです。106年前に館山から送られた青木繁の絵手紙とともに、私たちを心待ちにしてくださっています。

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◇コラム〜信州上田と房州館山をむすぶ芸術家

…山本鼎と倉田白羊…

山本鼎(明治15-昭和21)は信州上田を中心に民衆の芸術運動をすすめた版画家・洋画家。東京版画倶楽部・日本創作版画協会を設立、「版画」という語の生みの親といわれる。大正5年フランス留学の帰途に立ち寄ったモスクワで児童美術と農民美術にふれ、帰国後に「児童自由画教育」を推進した。子どもの表現力向上に大きく貢献し、クレパスも考案した。また、農村の文化と経済の繁栄を目ざし、農閑期の農民に副業として「農民美術」を奨励。戦後、農民美術は地場産業として定着、昭和57年に長野県伝統的工芸品の指定を受けている。

倉田白羊(明治14-昭和13)は、生涯の盟友である山本鼎の提唱する2つの大きな美術運動に賛同、重要な役割を果たした。大正5年の朝鮮・満州旅行を契機に、風景画へ転向。大正6年より館山に居住、「布良」「那古の山」などの水彩画を描く。白羊のもとに集まった小学校教師らに、従来の美術教育ではなく、自らの感性で表現する自由画を奨励する。千葉師範で研究会がもたれ、県下に自由画が広まる。房州北条で自由画展を開催、鼎も来房し意見を交す。大正11年に鼎の要請で上田へ移住、日本農民美術研究所の副所長に就任、本格的な農民美術の教育を始める。上田移住後も時々房州を訪れ、美術教育に尽力。白羊の妻・栄子は房州写生旅行中に知り合った網元の娘だが、明治期に房州根本から米国モントレーに移住したアワビ漁師の先駆者である小谷源之助・仲治郎兄弟の実妹だということも見逃せない。

100327*エコウォーク富崎


■エコウォーク〜青木繁が《海の幸》を描いた館山の漁村を歩くコース

⇒⇒「エコウォーク」とは…


【日時】2010年3月27日(土)

【参加費】5,000円(昼食)

【概要】青木繁が滞在した小谷家住宅(館山市指定文化財)や、没後50年に建立された「海の幸」記念碑など、ゆかりの地をめぐります。真っ青な大海原を眺めながら地元のガイドとともに歩き、かつて若き画家が同じ漁村を闊歩した様子に思いを馳せていただきます。昼食は豊かな海の恵みをご提供します。【所在地】千葉県館山市富崎地区

【距離・所要時間】約4km・約4時間

【距離】約4km、4時間

【コース】安房自然村→小谷家住宅(館山市指定文化財)→布良崎神社→《海の幸》記念碑

→阿由戸の浜→「安房節・鮪延縄漁発祥」碑→相浜漁協(昼食:魚介の磯焼き)

→相浜神社→平砂浦ふれあいショップ

【主催】たてやまエコウォーク協議会

【ガイド】NPO法人安房文化遺産フォーラム

【協力】館山市富崎地区コミュニティ委員会/青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会


【レポート】⇒下記サイトをご参照ください。

*Blog布良・相浜の漁村日記⇒http://ameblo.jp/mera-aihama/entry-10492940443.html

*Blog安房国再発見⇒http://ameblo.jp/awabunka1/entry-10494625221.html

*エコウォーク事務局日記⇒http://ecowalk.weblogs.jp/blog/2010/03/post-5060.html


※34名が参加しました。参加費から、青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会にドネーション17,000円をご寄付いただきました。ありがとうございました。



※次回開催は、5月29日(土)の予定です。

3/6=映画『いのちの山河』上映会

陸の孤島・豪雪の無医村であった岩手県沢内村は、多病多死に苦しんでいました。深澤晟雄村長は「人間尊重、生命尊重こそが政治の基本である」として、昭和35年から老人と乳児の医療費無料化を実現しました。その結果、全国初の「乳児死亡率ゼロ」を達成し、「自分たちで生命を守った村」として知られています。この実話をもとに、映画『いのちの山河〜日本の青空Ⅱ』は制作されました。

現在、医療課題をかかえる安房地域に暮らす私たちも、この映画からヒントを得て、市民の力で何ができるのか、一緒に考えてみましょう。

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■日時=平成22年3月6日(土)第一部14:30/第二部18:30

■会場=千葉県南総文化ホール大ホール

■チケット=前売券1,000円 (当日券1,500円)

■取扱=安房医師会協賛病院、南総文化ホール、宮沢書店、Books松田屋、鴨川書店、小高記念館

■主催=安房の地域医療を考える市民の会(問合FAX:0470-22-8271)

■後援=安房医師会

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■ごあいさつ=安房医師会長・宮川 準

安房地域では、館山准看護学校と安房看護専門学校が相次いで閉校となり、すでに進んでいた看護師不足問題が深刻になりつつあります。病床数と看護師数は法律で定められているため、患者さんの入院を受け入れられなくなるばかりでなく、介護施設でも十分な対応ができなくなってしまいます。ますます高齢化の進む安房地域では、若者の進路や中高年の再チャレンジとして、看護職への人材養成が急務となっています。私たち医師がどんなに頑張っても、地域内で看護師を育てなければ、医療崩壊となりかねません。『いのちの山河〜日本の青空Ⅱ』上映会を契機として、市民と医療従事者と行政がひとつになって力を合わせ、健康で安心な地域づくりを実現するためにも、皆さんとともに解決策を考えたいと思っています。 ご家族ご友人をお誘い合わせのうえ、ひとりでも多くの方にご鑑賞いただけますようご協力のほどお願い申し上げます。

【ちばDC】城山公園&赤山地下壕の無料ガイド

ちばデスティネーション・キャンペーン特別企画

【期間】2007年2〜4月毎週日曜日10:00〜12:00

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■城山公園(館山城跡)無料ガイド

(集合)城山公園駐車場広場のシンボルタワー前

「館山」の地名の由来になっている城山は、戦国大名里見氏の居城跡として知られています。実際に里見氏がここに住んだのは、天正18(1590)年から25年ほどの間ですが、山麓からは、それ以前の室町時代のものである五輪塔や陶磁器も見つかっています。

江戸時代に入ってすぐに、里見忠義が伯耆国(鳥取県倉吉市)に移されると、館山藩は廃藩となり、館山城も取り壊されました。その後江戸時代の末に、旗本だった稲葉氏が新たに館山藩をたてて、この地に陣屋を築きます。第二次世界大戦中には高射砲陣地となったため、山頂が7m削られ周辺も破壊されましたが、近年、城山公園として整備されています。

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■赤山地下壕無料ガイド

(集合)赤山地下壕受付・豊津ホール

太平洋に突き出て、東京湾の入口にあたる房総半島南部は、東京湾要塞地帯と呼ばれ、海軍の重要な施設がたくさん造られました。戦争末期には本土決戦に備え、7万人の兵隊が配備され、終戦直後には米占領軍3,500名が上陸し、本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれた地です。

(注1)年末年始等の休壕日にあたる場合や、当方の都合により変更の場合もあります。

(注2)個人やグループ対象です。大型団体は、事前に有料ガイドをお申し込み下さい。

(注3)ガイドの要不要を問わず、10名以上の団体は事前に「入壕届」が必要です。