漁村が誇る3つの〝あ〟のまちづくり〜青木繁・安房節・アジのひらき〜=『月刊社会教育』2015.1

漁村が誇る3つの〝あ〟のまちづくり〜青木繁・安房節・アジのひらき〜

 NPO法人安房文化遺産フォーラム 池田恵美子
『月刊社会教育(2015.1)』⇒ 印刷用PDF

はじめに

1904年夏、画家の青木繁は友人らとともに房州布良の小谷家に滞在し、名画『海の幸』を描いた。後に日本初の重要文化財となり、多くの画家に影響を与えたことから、布良は美術界の聖地と呼ばれている。

房総半島最南端に位置する布良は、隣接した相浜とともに、館山市富崎地区と呼ばれる漁村集落である。房総開拓神の天富命が上陸したといわれる神話の浜であり、目前に女神山・男神山がそびえる。晴れた日には、伊豆大島・利島・新島・式根島…と島影が並ぶ。

かつてはマグロ延縄船発祥の地として栄え、日本有数の賑わいであったという。沖合の布良瀬は豊かな漁礁であるが、鬼ヶ瀬とも呼ばれる複雑な海域のため遭難事故が絶えなかった。冬になると南の水平線上に赤く輝く星(学名カノープス)は、亡くなった布良の漁師の魂だと伝承され、通称「布良星」と呼ばれている。漁師たちは冬の厳しい漁撈に耐え、家族を思いながら、舟歌『安房節』を歌って励まし合ったという。

しかし近年では水産業の衰退に伴い、深刻な少子高齢過疎が進み、こうした伝承は忘れられていた。館山市立富崎小学校では、伝統的な漁村文化を象徴する「青木繁・安房節・アジの開き」の頭文字をとって、3つの〝あ〟のふるさと学習を実践してきた。2013年に統廃合のため休校となったが、3つの〝あ〟のまちづくりとして、市民活動に継承されている。

 

青木繁の〝あ〟〜文化遺産の保存活用

早世した青木繁の没後50年にあたる1961年、布良海岸の国有地に県営ユースホステルが開設された。観光振興を目ざした当時の館山市長は、青木の旧友である坂本繁二郎・辻永・河北倫明など画壇の著名人らに呼びかけて基金を募り、翌年に『海の幸』記念碑を建立した。風光明媚な館山ユースホステルは日本一の人気を誇っていたが、経営不振に陥り1998年に営業停止となって解体された。同じ国有地にあった記念碑にも撤去命令が出されたが、未来の子どもたちに残したいと願う住民運動により保存された。

『海の幸』誕生から百年を迎え、全国的に青木繁が注目されていた2005年、『海の幸』の価値を学び、地域を見つめ直す市民の集いを開催した。この席上で小谷家当主から、「青木繁が滞在した当時の住宅を残し、地域活性化に貢献したい」という発言があった。

これを機に、まちづくりについて学び、話し合う場を重ねていった。2008年に富崎地区コミュニティ委員会を中心に、「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会(以下、青木繁保存会)」が設立され、その事務局はNPO法人安房文化遺産フォーラム(以下、NPOフォーラム)に付託された。

小谷家住宅の保存について検討し、その評価を調査して市教育委員会へ働きかけた結果、2009年に館山市有形指定文化財となった。しかし文化財の保護に関する条例では、個人住宅における維持管理費用は所有者負担と謳われているため、青木繁保存会では広く入会や寄付を呼びかけた。美術界においても青木繁を敬愛する高名な画家らが立ち上がり、NPO法人青木繁「海の幸」会(以下、海の幸会)を発足した。毎年チャリティによる青木繁「海の幸」オマージュ展を全国で開催し、売上の一部や募金を小谷家住宅の保存・活用基金として館山市ふるさと納税に納めている。

小谷家当主、青木繁保存会、海の幸会、館山市教委生涯学習課は四者協議会として話し合いを重ねている。こうした連携により、修復基金は目標額の約半分が集められた。当主夫妻は、物置を増改築した小さな建物(管理棟)に住まいを移し、文化財部分の母屋は2ヶ年の修復工事を経て、2016年春に一般公開することとなった。今なお修復費用の募金活動は続いている。

 

安房節の〝あ〟〜漁村の歴史文化研究

♪アーエ 伊豆じゃ稲取 房州じゃ布良よ
粋な船頭衆の 出るところ

♪アーエ 船頭させても とも取りゃさせぬ
押さえひかえが まヽならぬ

舟歌を歌える漁師が少なくなった昨今、まちづくりの一環として小学生と老人会が『安房節』を踊り、漁村の誇りと伝統文化を守っている。

明治期、布良崎神社の祭礼では一トンの大神輿を担いだまま夕刻の海に入る「御浜下り」という神事があったという。海から上がる時、灼けた肌が濡れて夕陽に輝く様子はさぞ荘厳であったであろう。感動した青木繁はこの光景にヒントを得て、『海の幸』の構図が生まれたのではないかと、氏子たちは考えている。

芸術や歴史文化に関心の薄かった漁村の人びとが、地元ならではの仮説を立てながら、調査活動に取り組む姿は、さながら市民学芸員といえよう。『海の幸』の誕生を支えた小谷家は、それまで漁家と言われていたが、ここ数年、当家の押入れから明治期の書状や書画などが発見され、様々なことが明らかになってきた。

当主の小谷喜録は、教職や村会議員などの公職を歴任し、帝国水難救助会布良救難所の看守長としても顕著な功績を挙げていた。水産伝習所長の関沢明清から送られた書簡には、水産実習の生徒が世話になった感謝とともに、お礼として「日本重要水産動植物図」を送ると書かれている。小谷家の長押には額装された三枚の色彩魚貝図が掲示されていたが、その由来とともに、小谷家が果たした重要な役割も分かってきた。

かねてより、近代水産業の発展における館山の役割に注目して調査を進めていたが、三つの〝あ〟のまちづくりにおいて、美術史と水産史が結びついてきた。漁村の人びとにも身近な地域資源として関心が集まり、いきいきと活動に参画する人が増えていった。

 

アジの開きの〝あ〟〜漁村の食文化

漁村の食文化には、先人たちの知恵と工夫が詰まっている。同じ料理でも、隣接した集落では作り方が異なる。市街地にはない独特な料理もある。そこで主婦メンバーが中心になって、漁村の家庭料理教室を開催し、レシピ集『おらがごっつお(我が家のご馳走)富崎』を発行した。

アジの開き、なめろう、サンガ焼きなどはよく知られているが、アジを一匹まるごと汁椀に入れた「しょだき(潮炊)」や、毒のあるゴンズイの味噌汁なども、漁村の家庭ではポピュラーなメニューだという。名物のナマダは、海のギャングといわれるウツボの干物である。水揚げ時に頭を切り落とし、背開きにしたものを一晩塩漬けにして、早朝から半日ほど天日に干す。冬の強風で表面は素早く乾燥し、塩焼きや唐揚げにして食べる珍味(高級品)である。

浜で拾えるテングサを煮出して、手作りのトコロテンやアンミツをふるまい、来訪者に喜ばれている。

 

歴史から学び未来を創造する

休校中の富崎小学校の正門横に、神田吉右衛門という人物を顕彰する巨大な碑がある。その功績は語り継がれることなく忘れ去られていたが、小谷喜録とともに活躍した富崎村長であることが分かってきた。その取り組みは、アワビ漁を村営化して収益を共有財産とし、水産増殖や遭難船の救済制度などに当て、先駆的な漁村であったという。なかでも特筆すべきは、学校を作り、近隣の村の子どもたちにまで奨学金を援助し、教育に力を入れたことである。

余談であるが、著名なキリスト者の内村鑑三が自著において、神田翁との出会いが人生の転機になったと書き残している。前述の関沢書簡にあった水産伝習所の布良実習において、内村は教師として随行している。このときに神田と毎日語り合って強い感銘を受け、教師を辞して宗教家へ転身したというのである。

先人たちは、「助け合うのが当たり前」「地域振興は教育が基本」という理念で村政を図っていた。これが、青木繁ら4人の若者を40日にわたって無償で世話し、『海の幸』誕生を支えた漁村の姿である。

地域の歴史文化を学び、誇りを育んだ市民は名ガイドとなって語り始めるとともに、先人への敬意を払い、率先して顕彰碑を磨き始めている。一人ひとりがいきいきと活躍することで、地域は輝きを蘇らせ、未来への希望を創造していくことだろう。

 

館山まるごと博物館

地域全体の魅力的な自然遺産や文化遺産をまるごと博物館ととらえ、市民の学習・研究・展示や保全活動を通じて、まちづくりを進めるエコミュージアムという考え方が注目されている。

館山まるごと博物館の取り組みは、高校教育の地域教材づくりから始まり、1980年頃から市民による戦争遺跡や中世城跡の調査や保存運動に広がっていった。2004年に館山海軍航空隊赤山地下壕跡が館山市指定史跡となり、2012年に里見氏稲村城跡と岡本城跡が国史跡を実現している。異分野の点と点が線に結びつき、さらに面となって広がり、多様なテーマの組み合わせが生まれた。市民は主体的に調査研究やガイドの実践など、博物館活動の学芸機能を担っている。埋もれた歴史文化が明らかになるにつれ、次の活動が呼び起こされる原動力に繋がっていく。

さらに、特定の歴史を共有する地域と連携を図りながら、広域まるごと博物館の取り組みを呼びかけている。たとえば、青木繁の生誕地である福岡県久留米市においては、青木繁旧居保存会や首都圏在住の出身者の会などと交流を図っている。戦争遺跡においてはシンポジウム「東京湾まるごと博物館」を、神奈川県横須賀市の市民団体と共催した。「戦後70年」の来年は、戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会を開催する。

また、市民が自らの体験や知識・研究などを紹介しあう知恵袋講座や、古文書の保存管理技術の習得や歴史建物の視察などのヘリテージまちづくり講座を開催し、文化遺産を活かした人材養成を図っている。

歴史教育者協議会や生涯学習まちづくり協会などの研究集会においても、堂々と研究や活動の成果を発表する市民も現れている。従来の公民館講座のように、いつまでも学ぶ立場にとどまるのではなく、受講生が次には講師となり、リーダーとして活躍の場を広げつつある。

【プロフィール】

千葉県館山市在住。NPO法人安房文化遺産フォーラム事務局長。生涯学習まちづくりコーディネーター講師。