【房日】120417*里見氏城跡の国指定記念・史跡整備へ市民ら集う
里見氏城跡の国指定記念
史跡整備へ市民ら集う
時代背景を研究家が討論
講演やシンポとおして機運を醸成
(房日新聞2012.4.17付)
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戦国大名里見氏が本拠地としていた館山市の稲村城跡と南房総市富浦町の岡本城跡が「里見氏城跡」として国史跡に指定されたのを記念したシンポジウムが14日、館山市のたてやま夕日海岸ホテルで開かれた。里見氏研究に携わってきた大学教授らを講師に迎え、「関東戦国史にみる里見氏」をテーマに討論。会場は立ち見もでるほどの大勢の市民が詰めかけ、それぞれの研究に基づいた講師の話に聞き入っていた。
10代焼く170年にわたって南房総の地に君臨した里見氏は、支配の拠点となる城館を、数回にわたって移動させていたところに特徴がある。稲村城跡はその初期の城跡で、市民グループを中心に1996年からはじまった稲村城跡の保存と史跡化を求める取り組みが契機となり、里見氏城跡群へ目が向けられるようになってきた。以来、17年近くにわたる努力が実を結ぶ形で2つの城跡を指定。今後の取り組みによっては、さらに他の里見氏城跡の追加指定の可能性も拓けてきた。
記念の集いは、史跡の保存運動に取り組んできた「里見氏稲村城跡を保存する会」(愛沢伸雄代表)が指定を記念して企画。戦国史を専門とする峰岸純夫・東京都立大名誉教授、滝川恒昭・千葉城郭研究会、黒田基樹・駿河大学准教授の4氏を招き、講演やシンポジウムなどをとおして整備へ向けた第一歩として市民の関心を高めていこう、と開かれた。
主催者を代表してあいさつに立った愛沢代表は、「長いみちのりだった」と指定までこぎつけた保存運動をふり返りながら、「今後も官民一体となって取り組んでいかなければならない」と市民ぐるみの支援を呼びかけ、集いの意義を述べた。続いて、千葉城郭研究会の遠山成一氏が稲村城跡と岡本城跡についてスライドを交えながら簡単に解説、さっそく講演に入った。
会場では、里見氏が本家から分家筋に“政権交代”した4代義豊の時代の「天文の内乱」(1533〜34年)にも関わった「正木通綱」が記載された棟札も初公開され、滝川氏が詳しく紹介しながら、里見氏と正木氏の関係などを解説。佐藤氏は、里見に関わる文書などをひも解きながら、前期里見氏について考察。峰岸氏は、享徳3年(1454)に発生した奥羽地震と鎌倉地震に端を発して「享徳の乱」が起こり、初代義実の安房入部に至ったのではと類推した。
この後、館山市立博物館担当課長の岡田晃司学芸員がコーディネーターとなり、シンポジウムに移り、4人のシンポジスとが自らの研究をとおして、室町公方と鎌倉公方による二元的国家ではなかったのか、などとして、里見の安房入部にいたった時代背景などを考察していた。