【房日:展望台】060815*戦後生まれが語り継ぐ
◎戦後生まれが語り継ぐ
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もう13年も前になるだろうか。当時、高校教諭だった愛沢伸雄さんと知り合い、南房総いったいの戦跡の案内を受けた。「震洋特攻基地」の穴、草むした「特攻桜花」のカタパルト発射台、掩体壕やあ香山地下壕などでも、息を呑んだ。一日案内してもらい、房州の戦跡の多さに驚いたものだ。突然の訪問に近所の人からも不審がられもした。
愛沢さんはその後もずっと、戦跡調査を続け、埋もれていた〝負の遺産〟を世に知らしめた。最初はたった一人の地道な活動だった。私財を投げ打ち、個の時間を費やしてまで、没頭した。世界史が専門で、子どもたちに平和教育をするには、こうした調査が必要だった。学徒出陣50年、戦後50年などの節目を経て、愛沢さんの調査は拍車がかかる。やがて池田恵美子さんという賛同者も現れ、一昨年にはNPOも立ち上がる。現在、赤山地下壕は平和教育の拠点として、大勢の人を受け入れていて、館山市指定文化財にもなった。平和のために、ひたすら歩んだ愛沢さんの動きは、けっして蟷螂(とうろう)の斧ではなかったのである。
点滴穿石。当初は行政サイドにも煙たがられたが、やがてNPOの存在が地元にとって必要不可欠となる。戦跡ガイドも30人になった。この地域の活性化を考えるとき、このNPOのパワーはけっして小さくない。
池田さんはもちろん、愛沢さんも戦後生まれである。戦争を知らぬ世代が、戦跡を調査し、その保存を訴える。失礼ながら違和感はないかと、問うてみた。2人は一笑に付した。愛沢さんは言う。「確かに最初はコンクリートの施設跡や残骸の調査だった。当時のことを知る世代の方が詳しいに決まっている。だがわれわれは、地元の人がこの戦跡とどう関わったかを織り交ぜながら語り継いでいる。体験の有無の問題ではない」。体験者でなければ語れないのなら、この世には伝えられないことが山ほどある。すでに戦後生まれが日本人の4分の3を占めている現在、戦後生まれが動かなければ、平和への道は開けまい。
愛沢さんと池田さんは口をそろえる。「地元の人がどう戦争に関わり、どう平和に導いたか。地元文化を含めてそれを伝えていきたい」。NPOの名は「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」という。名称からして遠い将来を見据えている。愛沢さんはNPOの後継者として、自身の長女(25)を1年かけて説き伏せた。
きょう8月15日は終戦の日で、平和への思いを刻む日。戦跡調査は孤軍奮闘から、千軍万馬の輪となった。房州の未来はけっして暗くない。