【房日連載】250417_『世界一の夕陽』 撮影現場から(25)
『世界一の夕陽と生きる』
戦争の傷跡
映画を作るには、多くの人たちの協力がなくては難しい。特にドキュメンタリーは、被写体となる人を見つけるため、下調べ(映画作りでは、シナハンとかロケハンとかいう)が重要だ。
この映画の舞台となる南房総、館山地域の過去、現在、未来はどのようになっているのか? 調べなくてはならない。
今から12年前に作った映画「疎開した40万冊の図書」(第2次世界大戦中に、日比谷図書館の蔵書40万冊を疎開させたドキュメンタリー映画)の上映会を、NPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さんが館山市で開いてくれた。その際、館山の戦争遺跡を案内していただいた。
前にも書いたが、私は、館山にある国立館山海員学校(現国立館山海上技術学校)の卒業生で、館山で学生時代の2年間を過ごしたが、戦争遺跡らしいところには行ったことがなかった。平砂浦にある砂山や沖ノ島の浜辺で、同級生たちが、弾丸の薬きょうを拾ってきて、もらったことはあったが、この地に、第2次世界大戦中に重要な軍の施設があったことは知らなかった。
ただ、自分たちが生活していた学校の建物は旧海軍の施設だった。さらに学校の艇庫がある海岸に米軍が上陸した写真がある。10年前、池田さんの案内で、館山海軍航空隊赤山地下壕(ごう)跡を見学した。長さが1・6㌔もあり、一般的な防空壕の長さが10~20㍍程度だとすると、はるかに長い。
防空壕だけではなく、軍の施設としても使用されていたと納得した。今回の映画の中で、戦争遺跡は欠かせないと、池田さんに取材をお願いした。残念ながら、撮影期間中、赤山地下壕跡は修復のため取材できなかったが、その代わりに大房岬を案内していただいた。
ここは、東京湾に入る砦(とりで)として、黒船来襲の時代から、第2次世界大戦まで使用されていたところだ。砲台跡や人間魚雷艇「回天」の基地跡が今も残っている。
撮影当日は、大学生たちに池田さんが熱心にガイドをされていた。池田さんは言う。
「日本地図を逆さにすると、房総半島は日本の先端になる。ここから太平洋に向かっている重要な場所なんです」 その時、戦争の秘話として、花づくり禁止令が出されたにもかかわらず、南房総の花を守った人たちの話を聞いた。南房総は花の街。これは知っていたが、戦争中、花の種や苗を必死になって守った人たちがいたことは知らなかった。そのあと、白間津のお花畑に行ってみた。なんと素晴らしい光景。戦争から花を守った話を聞きたいと思った。
【映画監督 金髙謙二】