【房日寄稿】240612_アワビとハリウッド千倉も忘れないで(鈴木政和)
野球で今、全米ファンの心を虜(とりこ)にしている選手がいる。大谷翔平選手である。ダルビッシュ有選手は先発投手として日米通算200勝を達成し、他の日本人選手も輝かしい活躍で、日米の野球ファンを魅了している。大谷選手はドジャースに移籍し、ロサンゼルス市議会から、5月17日は大谷翔平の日と定められた。素晴らしいことである。
南房総に在住している皆さん、忘れてはいませんか?過去にはハリウッド映画で世界的スターがハリウッドのプレートに名前が刻まれていることをご存じですか。南房総市千倉町千田出身の早川雪洲(本名・金太郎)です。先日、NHK―Eテレの「知恵泉」(1部4月16日、2部は23日)の番組で取り上げられました。
1部の前段で雪洲が渡米したきっかけは何であったのかとありました。雪洲が渡米したきっかけは、南房総市千倉町千田・平磯と同市白浜町根本から小谷源之助・弟小谷仲次郎と千田・平磯漁師が明治30年から渡米し、米国のモントレーにアワビ取りに行き、米国の人々にアワビを食べる文化を教えたのです。
兄・早川音治郎は既に第3陣(明治33年2月)、アワビ取りに行き帰宅、このため米国の情報は熟知していたのです。兄・音治郎は悪ガキの金太郎に手を焼き、米国から来たばかりの小谷仲次郎に相談していたのです。
明治40年3月のある日、白浜沖で米国貨客船・ダコダ号が座礁沈没しました。そのとき乗員やお客を救助するため、小谷仲次郎や早川金太郎が通訳として活躍したのです。このことをきっかけに渡米することを決意するのです。そして、ハリウッド映画で活躍し、日本人として最初にハリウッドの名盤に刻まれたのです。
明治30年から米国のモントレーでアワビ漁をし、缶詰会社を五つも経営した功績を認められ、住んでいたところが州立公園になるため立ち退き、カリフォルニア州に数多くある州立公園に日本人の名前が刻まれたのです。コダニビレッジと言います。このように米国で活躍した日本人の功績で名前が付けられている人が、南房総からもいることを知ってもらいたいと思います。
南房総市、特に千倉町千田・平磯は米国にアワビ取りで26人、そしてハリウッド俳優が出た地域です。
(房総アワビ移民研究所長)