【ちば~教育と文化】誌 No.96(201225)~「台風の災禍」池田恵美子
~令和元年房総半島台風の災禍(池田恵美子)
『ちば~教育と文化』誌 No.96(2020.12.25)
~令和元年房総半島台風の災禍(池田恵美子)
◇ 房総半島を直撃した台風
令和元年9月9日未明、観測史上最速といわれる強大な台風15号が房総半島を直撃しました。深夜2時頃に停電となり、あまり眠れないまま朝を迎えました。幸い自宅は無事でしたが、あちこちで屋根瓦や門扉が吹き飛び、バス停やフェンスも倒れて曲がり、これまで見たことのない光景に驚きました。
NPO事務所では瓦が落下し、割れた欠片が道路に飛び散っていました。木造2階建ての元蕎麦店の1階部分を借りていたのですが、時間経過とともに雨漏りがひどくなっていきました。什器備品・資料・書籍などを守るために、まず室内にブルーシートを張り、雨水をバケツに流し込みました。
翌日には屋根にブルーシートを張ってもらいましたが、その後も続いた激しい風雨のたびに剥がれて雨漏りが広がり、天井にはカビが発生しました。10月下旬には引っ越さざるを得なくなり、半年後には解体され更地になりました。
台風直後の停電は、地区によって1週間から1ヶ月近く続き、まだら停電が続いた集落もありました。車のシガレットライターで充電しながらスマホで確認する限り、千葉県南部の被害はまったく報道されていませんでした。冷房も冷蔵庫も使えない猛暑のなか、支援の手も入らず、壊れた家の住民は片付けも捗らず疲弊し、途方にくれていたのです。
東日本大震災のときTwitterの拡散で救われた友人の経験から教訓を得ていた私は、台風明けの初日から精力的にTwitterを発信し続けました。ようやく深刻さが報道されたのは、被災から4日後のことでした。
◇ 布良崎神社の復興まちづくり
最も被害の大きかった最南端の布良(めら)という漁村集落では、約8割の住宅が被災しました。その大半は屋根を中心として窓ガラスや外壁の破損で、家の中は吹き込んだ暴風雨で滅茶苦茶に荒れていました。さらに停電ば
かりでなく、固定電話も携帯も1週間以上つながらず、情報過疎となって孤立していました。
私たちが運営するまちづくり活動の拠点、築130年の青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅・館山市指定有形文化財)は、屋根瓦が20数枚落下し、庭木が倒れました。けれども、全国の美術関係者からの募金で半解体の修復工事を4年前に済ませていたため、被害は小さく済みました。
隣接する布良崎神社では、神輿蔵が倒潰し、青木繁『海の幸』のヒントになったといわれる神輿が損壊しました。拝殿は傾き瓦も割れ落ち、御神木は4本倒れました。自宅の修理もままならない漁村の人びとは、心の支えである神社の再建・神輿の修復を目ざして立ち上がりました。倒れた御神木から木札を作り、貝殻を磨いた布良星の貝守りを作り、4,000万円の復興基金を募り始めました。春からは新型コロナウィルス感染拡大による緊急事態宣言で参拝客が来訪せず、挫けそうになりながらも諦めずに、励まし合い頑張っています。
布良のランドマークであり、NPOが連携を図っていた安房自然村のロッジ風ホテルは、吹き抜けの窓ガラスが竜巻風に割られ、 巨大な三角屋根が飛ばされました。6万坪の山林は、私たちが4年前から手作りで遊歩道を整備していたのですが、倒木だらけとなり、常緑樹の森は禿げ山になってしまいました。
◇ 文化財レスキュー
NPOフォーラムが第2事務所にしていた布良の古民家「名主の館」も屋根が吹き飛び、室内は無残に荒れました。ここでは、明治期に渡米した房総アワビ漁師に関わる歴史資料の仕分け整理と調査研究を進めていた最中でした。被災の翌々日には水没した古文書を1枚ずつ拾い集め、レスキューに取り組みました。専門家の助言を仰ぎ、状況の酷い資料は冷凍保管して、半年後に解凍し、調査活動を再開しています。
また、千葉県指定有形文化財の旧県立安房南高校の木造校舎は、屋根瓦に大きな穴があき、数ヶ所は窓枠ごと落下していました。10年前に統廃合となった空き校舎で、10月には当NPOが運営受託して一般公開の見学会が予定されていたのです。被災5日目から文化財専門家が仮修復に入り、私たちもボランティアを募って、割れた窓ガラスの補修や片付け・雨漏り対策などをしました。けれどその翌日にはまた豪雨が重なり、どんどん広範囲に雨漏りが広がりました。床が磨き上げられていた廊下も教室も、プールのようでした。見学会は中止となり、ようやく修復工事が完了したのは3月末でした。
◇ 安房フォーラム支援隊
未曾有の災禍となりましたが、半島先端部では工務店や屋根業者などが足りず、修理の順番待ちは1年以上とも言われていました。社会福祉協議会にボランティアセンターが設置されましたが、続く台風19号21号で甲信越から東北までの広域災害となったため、さらに需要と供給が間に合わず、ボランティアも数百件待ちとなりました。
そんななか、私たちはキリスト教系のボランティア 団体OBJ(オペレーション・ブレッシング・ジャパン)の方たちと出会いました。社協とは別の動きで、リーダーが館山に長期滞在し、全国からネットワークのボランティアを受け入れるシステムだといいます。私たちは、本来業務であるスタディツアーガイド事業が出来なくなっていたため、私設ボランティアセンターの 窓口を引き受けることにしました。
「安房フォーラム支援隊」と命名し、連携団体のメンバーで緊急性の高い被災者を優先的にサポートする活動を始めました。OBJをはじめ、CWSジャパン、CRASHジャパン、キリスト教会・広島災害対策室・呉ボランティアセンター、救世軍愛光園、サマリタンズパース、日本キリスト教会内房分区など国内外の支援団体が基金を募り、牧師や信徒の皆さんも各地から奉仕作業に駆けつけて下さいました。広島の若い大工チームによる「屋根プロジェクト」も生まれ、ボランティア講習会も開きました。どれほど救われ、勇気づけられたか計り知れません。NPO事務所の引っ越しも手伝っていただき、本当に助かりました。
また、医師・看護師や精神保健福祉士など医療・ 福祉系の災害支援団体とも連携を図って、戸別訪問や健康相談サロンなども開催しました。
平時から生活困窮している方々は、災害によってさらに状況が悪化しがちですが、見落とされやすいということも知りました。私たち自身が被災者であり、微力ながらも支援者の立場も経験するなかで、様々な課題に直面し、多くを学びました。
◇ 新型コロナウィルスを乗り越えて
台風災害から1年が過ぎました。この間、異常気象による大規模災害が各地で起きています。さらに世界的なパンデミックの影響は、地域社会の小さなNPOにまで及んでいます。主たる収益事業のツアーガイドは激減し、会員や支援者から寄せられた温かい寄付や会費を頼りに運営を賄っています。
災害はもはや対岸の火事ではなく、いつどこに何が起こってもおかしくないという昨今、〝3密〟を踏まえた避難所対策など、複合的な課題が山積しています。
過日、第26回安房地域母親大会において、館山市社会安全課と市民が集い、「コロナ禍における台風災害対策の意見交換会」を開催しました。前半は同課危機管理室長より、昨年の被害状況とその対応についての報告があり、後半は市民の不安や心配をお伝えし、質疑応答と意見交換が熱心に行いました。
充実した内容はオンライン配信とし、先駆的な企画であったと評されています。本誌読者の皆様も「安房地域母親大会」と動画検索して、照覧いただければ幸いです。
また、市民有志によるすてきな復興ソングもできあがり、布良崎神社で開かれた復興イベントでも披露されました。多くの出会いとエールに励まされて忍びとは笑顔を取り戻し、災い転じて福となるよう、前を向いて歩いています。