【房日】180105*旧安房南高校舎の保存活用へ
旧安房南高校舎の保存活用へ
元教員や卒業生らで「愛する会」発足
日本古来の木造建築と西洋建築を融合させたつくりが特徴で、県文化財にも指定されている館山市の旧安房南高校の木造校舎(第一校舎)を保存活用する市民グループ「安房高等女学校木造校舎を愛する会」が、昨年秋に発足した。賛同する会員はすでに100人を超え、年間を通した建物の維持活動のほか、忘れられつつある歴史をひもといて調査・記録し、「その価値を多くの人たちと分かち合っていきたい」としている。
女子教育としては県内で2番目の歴史を誇った同校は、戦後には安房女子高校、安房第二高校、安房南高校と名称を変えながら2008年、安房高校に統合し閉校となった。
旧第一校舎は、関東大震災から7年後の1930年に耐震構造の新しい建築様式で建てられた。中央の玄関から左右対称に大きく羽を広げた白鳥のような外観で、ひし形を重ねたレリーフや窓飾り、玄関の装飾、階段の欄干装飾など、美しくきめ細やかな設計配慮を至るところに見ることができる。
現在は安房高校の管理下にあるものの、恒常的には使用されていない。これを憂慮した市民有志により、2011年には木造校舎を見つめ直す見学会とシンポジウムが開かれ、翌12年には第10回「半島の現代美術」展〜安房ビエンナーレの第二会場として利用され、同時に活用を考えるシンポジウムが行われたれた。15年以降は、県教育委員会と安房高校の共催により年に一度の見学会が開かれている。
これまでのように単発の催事に終わらせるのではなく、永続的な有効活用を考える市民の会を設立できないだろうか。そう考えた同校元教員の愛沢伸雄氏と水上順義氏、そして文化財建造物修復の専門家である榮山慶二氏が発起人となり、同校卒業生や旧職員を中心に呼び掛け、昨年夏から有志による話し合いが持たれた。
その後、地域内外の男女約30人が参加し、夏の早朝から草刈りや掃除が5回にわたって行われた。10月の見学会では、資料室の解説や伝統的な「ぬか雑巾」の床磨き体験などを担当し、来訪者のおもてなしにも協力した。
こうした活動を経て会は発足。旧安房南高校の同窓芳誼会にも呼び掛け、歴代役員らが顧問となり、会長は第7回卒業の佐野ふさ子氏が就任した。事務局長は愛沢氏がなり、代表を務めるNPO法人安房文化遺産フォーラムが事務局を担うことになった。会の名称は、旧安房南高校でなく、あえて「安房高等女学校木造校舎を愛する会」とした。
榮山氏は、那古寺の修復にも携わり、数多い館山市内の国登録文化財の調査にも関わっている。県当局と会の窓口を務めながら、木造校舎の雨漏りなどの修理指導にあたっている。「建物は風を通し、人が出入りしなければ荒廃してしまう。閉校後11年がたっているが、これ以上放置しておくと老朽化が進んでしまう。市民の手でよみがえらせていく最後のチャンス」と語る。佐野会長は、「統合により母校が閉校になって、心のよりどころをなくしたような寂しさがあったので、愛する会ができてとてもうれしい。同窓生や関係者だけでなく、この校舎を愛する皆さんが集まって、熱心に汗を流してくださることに感謝が絶えない。この木造校舎がよみがえっていくことが楽しみ」と喜ぶ。
「この校舎にいると創作意欲がかき立てられるので、芸術家を育てるアトリエとしても利用価値が高い。全国から芸術家の卵に集まってもらい、空き店舗のシャッターや市街地にも創作活動を広げてもらえば、まちも元気になるだろう」と同校の美術教師であった水上順義氏。
また、木造校舎はまちの景観として素晴らしいばかりでなく、校舎内に埋もれている資料にも価値がある。戦跡などの文化遺産を保存・活用し「館山まるごと博物館」のまちづくり構想を進めてきた愛沢事務局長は、「地域史を知る上で安房高女の歴史は重要。例えば戦争末期、校舎は野戦病院に位置付けられ、沖縄のひめゆり学徒隊のように、女学生が館山病院で看護実習の指導を受けていたという。卒業生の証言とともに調査研究を深め、地域教育の伝統や文化を学ぶことを通じて、木造校舎をまちづくりに生かしていきたい」と語る。校舎を管理する県教育委員会文化財課は、「(こうした動きは)ありがたい事です。今後、どういう形で永続的に保存活用するのか、一緒に話し合っていきたい」としている。
愛する会の会員は現在110人を超える。年会費1000円で賛同者を募り、年間を通して引き続き建物の維持活動のほか、文化財としての調査・記録、その価値を広く市民に知らせるための企画展などの催事や会報発行などを行っていく予定だ。
会では、会員を募っている。年会費は1000円で(ゆうちょ銀行振替口座へ00270—4—87431安房高等女学校木造校舎を愛する会)まで。問い合わせは、事務局(0470—22—8271)へ。
【写真説明】会発足に向けて話し合うメンバー=館山