【東京夕刊】160425*「海の幸」誕生の家、記念館に

「海の幸」誕生の家、記念館に

ノーベル賞大村さん存続を支援、館山で修復完了、青木繁が代表作描く

(東京新聞夕刊2016.4.25付)‥⇒印刷用PDF


明治期の画家青木繁が滞在し代表作「海の幸」を描いた千葉県館山市の小谷(こたに)家住宅(市指定有形文化財)が、2年間の修復を終え、青木繁「海の幸」記念館として生まれ変わった。24日には開所式があり、建物の存続に協力したノーベル医学生理学賞受賞者の大村智(さとし)さん(80)も訪れた。一般公開は29日から。 (北浜修、写真も)

小谷家は江戸期から戦前まで、房総半島南端の同市布良(めら)の有力な漁家だった。青木は一九〇四(明治三十七)年夏、知人らと二カ月ほど滞在。海岸を行く漁師らを描いた「海の幸」=石橋美術館(福岡県久留米市)所蔵=は、日本絵画史の傑作とされる。

住宅は平屋で延べ床約百平方メートル。築約百二十年で老朽化が進んでいた。市と現在の当主小谷福哲(ふくあき)さん(65)、地元の有志、全国の美術家でつくるNPO法人青木繁「海の幸」会(川崎市)が存続へ動いてきた。

大村さんは美術に造詣が深く、同NPO法人の理事長も務める。個人でも、ふるさと納税で計五百万円を市へ寄付するなど保存活動に熱心に協力してきた。

二十四日の開所式では、大村さんは小谷さんの案内で青木が滞在した部屋や、展示されている「海の幸」の複製画などを見学。「青木繁の顕彰に活動してきた多くの関係者と喜びを分かち合いたい。広く社会に公開し、芸術を志す若い人に愛されて発展することを願う」と話した。

小谷さんも「大村さんやたくさんの方の応援で、この日を迎えられた。地域の活性化につなげたい」と応じた。

一般公開は五月八日までは毎日、その後は土日のみ。午前十時〜午後四時。入館料二百円(小中高生は百円)。問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(館山市)=電0470(22)8271=へ。

 

青木繁(あおき・しげる)

1882年、福岡県久留米市生まれ。東京美術学校(現在の東京芸術大学)卒業後に描いた洋画「海の幸」は、国の重要文化財。生前は世間的な成功を得られず、貧困と放浪の生活の末に肺を病み、1911年に28歳で死去した。