【読売夕刊】160126*名画で結ぶ日韓の縁,「海の幸」レリーフ韓国に寄贈
名画で結ぶ日韓の縁
青木繁「海の幸」レリーフ韓国に寄贈
川口市在住 韓国の美術館長
(読売新聞夕刊2016.1.26付)‥⇒印刷用PDF
日本洋画史上の傑作といわれる青木繁(1882〜1911年)の「海の幸」が、ブロンズのレリーフになって韓国に渡った。名画ゆかりの地、千葉県館山市に住む彫刻家らが制作した。日韓国交正常化50年を迎えた昨年、絵画に感銘を受けた埼玉県川口市に住む韓国の光州市立美術館名誉館長河正雄(ハジョンウン)さん(76)が、両国美術交流の懸け橋にと寄贈。韓国の美術館も「両国民が交流する契機になれば」と期待している。
館山市北条、元高校教員の船田正廣さん(77)がレリーフの原型となる塑像を作り、河さんが昨年12月、資金などを提供し幅約1メートル80、高さ72センチの原寸大で、厚さ4センチ、重さ75キロのブロンズのレリーフ5枚を完成させた。油彩画の「海の幸」を所蔵する石橋財団石橋美術館(福岡県久留米市)は独自の作品とみなしている。
寄贈先は、韓国の光州市立美術館、霊岩郡立河正雄美術館、ソウル秀林アートセンター。2か所にはすでに設置されており、光州市立美術館は今後、設置される予定だ。
在日2世で元々画家志望だった河さんは、以前から「海の幸」に込められた生命力に魅了されていた。その後本人は電器店の経営に成功したが、友人が住む館山市にある市有形文化財「小谷家住宅」で「海の幸」が描かれたことを10年前に知った。この時、船田さんがすでに制作した塑像に出会っていた。
小谷家住宅の老朽化が進んで保存運動が起き、地元保存会の設立発起人を要請された河さんは快諾。昨年、戦後70年関連行事で館山市を再訪した際、日韓国交正常化50周年を記念した美術交流の象徴として、両国でのブロンズレリーフ展示を提案し、製作費などの支援を申し出た。河さんが理事長を務める秀林文化財団として寄贈する。
レリーフは、国内では小谷家住宅と久留米市の青木繁旧居にも寄贈。小谷家住宅には3月に設置され、旧居への設置は、所有する久留米市が検討中という。「日韓交流に役立つならうれしい」と船田さん。河さんは「『海の幸』は国境を超える普遍的な芸術性がある。日韓融和に花を添えたい」と語る。霊岩郡立河正雄美術館の任喜星(イムヒソン)寛著は「韓国で日本文化に対する理解が広がり、両国民が活発に交流する契機となればいい」と話した。
「海の幸」
福岡県久留米市出身の青木繁が、東京美術学校(現東京芸大)を卒業した1904年(明治37年)夏、画友と旅行で訪れた館山市布良(めら)で、漁家の小谷家に40日間滞在した際に制作。地元住民との交流から着想し、大きなサメを担いで砂浜を歩く漁民を描いた。発表直後から高い評価を集め洋画第一号の国重要文化財になった。