【講演】館山ゆかりの渋沢栄一と福原有信をめぐって

明治に活躍した館山ゆかりの人びと

公益を追求した企業人・館山ゆかりの渋沢栄一と福原有信をめぐって

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【日時】平成26年12月7日(日)
① 見学会 10:30〜11:00 渋沢栄一の書による磨崖碑

・集合=船形学園正門(崖観音大福寺隣り)

② 講演会 13:30〜15:30 館山商工会館ホール

・井上潤(渋沢史料館館長)

・愛沢伸雄(NPO安房文化遺産フォーラム代表)


「実業による私利は公益に資するべき」

これは、近代経済界の発展に貢献した渋沢栄一の言葉です。明治から大正にかけて500近い銀行や企業の設立に関わりました。1888(明治21)年には、豊津村(館山市)に日本水産会社を大倉喜八郎とともに設立しています。

また、「道徳経済合一説」という理念に基づき、教育や慈善事業にも尽くしました。なかでも、身寄りのない子どもや老人、障害者などを救済する目的で、日本で最初の公立救貧施設として東京養育院を設立しています。1909(明治42)年には身体虚弱児の転地療養施設として、船形町(館山市)に東京養育院安房分院を開設し、自ら初代院長として生涯のライフワークとしました。最晩年には、「天恵豊かな船形で、地元有志の熱心な援助により、児童が健やかに生育しつつある状態を見ることは真に喜びとするところ」と述べています。東京養育院は1999(平成11)年に廃止されましたが、分院は東京都船形学園として継続運営されています。

学園の敷地内には、1917(大正6)年、船形町長の正木清一郎をはじめとする船形町有志によって崖に彫られた記念碑があります。高さ約10m幅6mの巨大な磨崖碑で、渋沢の書による碑文は一文字30cm角の大きさです。長い時を経た著しい風化は近年修復され、今回は特別に見学の許可をいただきました。見学希望者は時間厳守でお集まり下さい。

一方、松岡村(館山市)出身の福原有信もまた、人びとの健康と幸福を願い、日本で最初の西洋調剤薬局・銀座資生堂や帝国生命(現朝日生命)、安房銀行(現千葉銀行)を創業しています。

福原の長女とりは、館山病院の初代院長川名博夫に嫁ぎ、その妹美枝は渋沢家の次男武之助に嫁いでいます。この姻戚関係により、1921(大正10)年に渋沢が日米関係委員会に出席する際の侍医として、館山病院二代目院長の穂坂与明が随行しています。

偉大な先人の生き方を学び、現代社会に活かせるまちづくりのヒントを考えましょう。

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主催=NPO法人安房文化遺産フォーラム

文化庁「文化遺産を活かした地域活性化」事業