【房日】140211*福原有信の功績と精神を未来に

功績と精神を未来に

資生堂創業者区府原有信を語るつどい

(房日新聞2014/2/11付)

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館山市出身で資生堂創業者福原有信の歿後90年事業として、「ふるさと館山松岡の偉人、福原有信を語るつどい」が15日午後1時半から4時半まで、県南総文化ホールで開かれる。地元有志でつくる福原有信を語り継ぐ会、同市松岡区、NPO法人安房文化遺産フォーラムの3者が主催、房日新聞社など後援。福原の功績とその精神を地域の誇りとして、未来に語り継いでいこうという。無料。

当日は、資生堂企業文化部企業資料館の佐藤朝美氏が記念講演。安房文化遺産フォーラムの池田恵美子事務局長をコーディネーターに、福原勇さん(福原家の分家)、早川萬専さん(語り継ぐ会世話人、松岡区長)、早川政義さん(同世話人代表)、吉田茂徳さん(同世話人)、天野努さん(安房歴史文化研究会長)、愛沢伸雄(安房文化遺産フォーラム代表)の6人が座談会形式で語る。

関連行事で、同日午前10時半から11時半に「福原有信のふるさと松岡を歩こう!」も開く。阿波特別支援学校前に10時20分までに集合し、松岡八幡神社、福原家跡、小塚大師(福原家之墓)を巡る。

福原有信は嘉永元年(1848)に松岡村(現館山市竜岡)の医者の家に生まれる。17歳で上京し西洋薬学を学び、海軍病院薬局長を経て、明治5年に日本初の調剤薬局「資生堂」を東京・銀座に開き、医薬分業の礎を築いた。房州白土を使った「福原衛生歯磨石鹸」を開発し、近代日本の公衆衛生に大きな足跡を残している。

また明治21年に帝国生命保険会社を設立し、水難事故の多かった漁村の救済にも貢献。同29年には安房銀行を設立し、ふるさとの経済振興にも大きな役割を果たしている。大正13年に76歳で他界した。

長女は館山病院の初代院長、川名博夫の妻となり、四女は日本資本主義の父といわれる渋沢栄一の次男に嫁いだ。館山病院は関東大震災で倒壊したが、福原の支援で療養型サナトリウムとして再建され、資生堂が窓口となって保養地館山の名を全国に広めた。

渋沢も虚弱児童の療養施設として館山養育院安房分院(現船形学園)を開いている。

問い合わせはイズミ野外学習サポート(0470-22-7586)へ。