120903=映像でみる米占領軍の館山上陸と「直接軍政」
1945年9月2日、戦艦ミズーリ号上において降伏文書調印式があり、その日の午後4時、アメリカ占領軍は終戦連絡事務所にたいして、翌3日午前6時から「三布告」(①英語を公用語 ②米軍B円軍票を日本法貨 ③違反者を軍事裁判で処罰)による「直接軍政」を告示した。驚いた岡崎勝男終戦中央連絡事務所長官は、この日の未明に命がけの交渉をおこない正午に延期させるとともに、重光葵外相は朝8時からマッカーサーに直談判し、正午実施の「三布告」を中止させたといわれる。
だが、午前6時から正午までは「空白の6時間」となり、当時の新聞でも、館山に占領軍約3500名が上陸して、本土で唯一「直接軍政」が敷かれたと報道されたという。しかし、この歴史的な事実は、なぜか館山の歴史から消え去っていた。だが、この「直接軍政」の痕跡は、旧制安房中学(現安房高校)の教務日誌のなかに記載されていた。この「直接軍政」はわずか「4日間」で解除となって、その直後からは何事もなかったように、館山病院では英語教室が開かれたり、市内では外国人向けのスーベニアショップ(お土産店)が開かれたという。
この集いでは、まず昨年5月に放映したNHK・BSプレミアム『BS歴史館』「それはミズーリ号からはじまった〜日本の運命を分けた2日間」を鑑賞します。この番組のため当NPOでは、歴史的な事実を解明する資料や証言、映像資料・アメリカ軍報道カメラマン撮影16ミリフィルム(9月3日に上陸した機甲部隊の様子や、館山駅から出発する市民同乗のSL客車に乗り込むアメリカ軍兵士たちの様子)を提供し、制作に協力しました。当日は、とくにNHKに提供した映像資料をじっくりご覧いただきたいと思っています。
戦後日本のスタートといえるアメリカ占領軍が上陸した事実は、日本の歴史にとって極めて重要な出来事であったものの、これまで当時の証言を得る機会は少なかったのではないでしょか。当NPOでは、4年前より市民の皆さんに呼びかけ、映像のなかの館山市民の姿をご覧いただきながら当時の証言を求めてきました。第2次世界大戦が終わり、戦後の新しい世界が始まった「9月3日」の集いに、多くの市民の皆様がお集まりいただき、当時の証言を寄せられますことを願っています。